ピアノとバナナジュース
役所に提出しなければならない書類があり、父と車で行った帰り道、一軒のコンビニエンスストアに立ち寄った。飲み物の棚に<バナナ・オレ>と書かれた紙パックが置いてある。私は反射的にそれを取ってレジに持って行った。
私はバナナジュースや、イチゴジュース、メロンジュースと聞くとついそれを購入してしまう癖があるようだ。そして飲んで落胆するのである。
昭和62年の春、私は小学校に入学した。ほどなくしてピアノ教室に通うことになったのだが、この時の感動が未だに忘れられない。
私と母は、母の知人の紹介でS先生のお宅にお邪魔した。まだバブルが弾けるずっと前のことだと思う。大きな庭に平屋建ての家。犬が庭に放し飼いされている。
インターフォンを押すと玄関から若い女性が出てきた。肩ほどまで伸ばした髪は軽くウェーブがかかったようでいて、優しそうな瞳を持っている。もっと言えば美人の定義をすればきっとこの人はまず定義の枠の中に入るのではないかというくらい美しかった。私の初恋は同じ年の同級生だったと思っていたが、いやそれ以前にかくも美しい人を知っていたのだ。
私はそれから16になるまでこの先生にピアノの手ほどきをしてもらったが、後半はふらついてろくろく練習もしなかった。だから、未だにベートーベンの月光の第一楽章が少し弾ける程度で、指がそれ以上動かないしもう音符も読めない。
先生との授業はおしゃべりが半分くらい占めていた。30分という時間でピアノを弾いては合格のシールをもらう。先生はよい聞き役であり、私は練習もそっちのけで学校のことなどを話していた。30分間はいわば密室だったのである。
2年生になった時、ピアノの発表会をすると言われた。それからは緊張のしどうしで、間違えたくないから練習もした。それでもつっかえるので始末が悪い。
とうとう本番になって演奏をしたがやはりミスをした。それでも弾いてしまえば後はこちらの知らないことなのでほっとしたものだ。
発表会は市民会館の小ホールで行われたが、一階のロビーに隠れたように自動販売機が置いてあった。見るとバナナ・オレと書かれた紙パックがあった。私は両親にねだり、それを買ってもらったが実に美味かった。実際は果汁とは名ばかりのエキスに牛乳と砂糖を入れたものだろうが、どういうわけかバナナのよい香りがして牛乳のコクと合わさるとなんとも心が豊かになるような気がした。
以来バナナジュースは私にとっては高価な飲み物となった。というのも買い物に出かけてもバナナジュースは売っていない。どこのスーパーに行ってもあの紙パックのジュースはないのである。それに加えてまだ幼少の私には現金の支給がない。つまり買いたくても変えない身の上だったので、いっそうにバナナジュースとは縁遠くなった。
昭和が終わり、平成の世に変わっても先生と私の関係は良好だった。たとえ学校でろくな目に遭っていなくても、この人の前ではそんなことを忘れていたし、ピアノの授業も良好、自宅の練習も毎日していた。そしてまた発表会の日が来た。カチンコチンになった私は、一応の練習をして人前に出た。ミスが三回あったが、一通り弾ききった。この日は学校の同級生を招いた。ジュースを飲もうという段になって、私は急いであの時の自動販売機を探した。奥の水飲み場に併設された自動販売機にはバナナジュースが置いてあった。私はコインを入れると真っ先にバナナジュースを選んで飲んだ。
バナナジュースを買えるのは市民会館の小ホールしかない。そして金もない私は、また発表会が来るのを待たなければならなかった。今度は1年後に発表会があった。隣の大ホールではピアニストの中村弘子が来ていて、賑わっているようだった。私は自動販売機を探したが今度は無かった。折角の機会は業者と市役所の都合で打ち消されてしまったのである。
中学に入るといろいろと不幸が重なった。その話は別の機会に譲るが、学校をさぼるようになった私は方々から冷たい視線を送られていた。S先生も私が学校に行っていないことをどこかで聞いて説諭した。何を言われたかは覚えていない。ただどうしようもなくて涙がこぼれた。この人に泣き顔を見せたのはこの時ただ一回である。
そうして練習に身が入らなくなった私の指は段々と固くなって、滑らかに鍵盤を叩くことができなかった。楽譜も記号ではなくただの絵のように見え、結局落第の印を押された格好となった。
以来、ピアノとバナナジュースとは会うことがなかったが、5年ほど前に近くのローソンで<タカナシのバナナ・オレ>という商品を見つけた。牛乳の成分が70パーセントでバナナの果汁が1パーセントも満たないというものだった。この時は患っている病のせいでなかなか外出ができなかった。だからまとめ買いをしたのである。
帰宅して紙パックにストローを差し込んでみると、なかなかに美味い。しかしあの時感じた、至福の感動とは程遠い。どこか水っぽくて、コクが欠けるのである。それでもバナナジュースが買える身分になったので、毎回購入していた。
今、私の左手にはバナナジュースがある。飲んでみたけれど、あの昭和から平成にかけての少年時代に飲んだものより味が薄い。私はピアノの先生と一緒にバナナジュースを美化してしまったのだろう。私の苦い青春はコクのないバナナ・オレとともに消えていくのだろう。できるならそうであってほしいと願う。
<了>




