叶わぬ約束を
歴史ものなどと銘うってますが、詳しい設定は考えていないため、時代考証などはまる無視です。
少し残酷?な描写や、人が死ぬ描写があります。
それらを嫌悪される方の閲覧はお控えください。
わたしには、おさななじみのおとこのこがひとりいました。
そのこはむかしから、わたしといっしょにあそんでくれました。
でも、ときどきいじわるもしてきました。
だけど、わたしはそのこが、だいすきでした。
そのこがみせる、にかっとわらうかおが、わたしはいちばんすきです。
それは、十年以上たった今でもかわりません。
わたしたちの関係も、幼馴染みの笑った顔も。
変わってしまったのは、その子が青年と呼ばれる年になって、お城に仕えるようになったことです。
昔は虫も殺さなかったその人は、今では戦でたくさんの人を殺めます。
「殺さなければ、オレが殺されるからな。」とその人が笑った顔は、わたしが昔から好きだったものに違いないのに、いつもと違ってとても悲しそうに見えました。
「実も化粧するんだなぁ。」
「なんですか、それ。わたしだってお化粧くらいしますよ。」
紅を塗るわたしを見て、そんな言葉をからかうように口にしたのは、わたしの幼馴染み――武峰 雪久です。通称、雪と言います。
休みがもらえたと言って、久し振りに家に帰ってきたのは、一時間くらい前のことです。
自分の両親への挨拶もそこそこに、わたしの所にきたに違いありません。
わたしと雪は恋仲などではありませんから、わたしをからかうためだけにきたのでしょう。
これも、いつものことです。
「へ〜、実も女になったんだな。」
「わたしは昔から女です!」
幼い頃からずっと一緒にいたので、お互いを異性として意識したことはありません。
雪はわたしのことを玩具か何かだと思っていると思います。
だって、いつもわたしをからかって楽しんでいますから。
鏡の前に座るわたしの横でゴロゴロと畳に寝転がるその姿は、戦場で長槍を振るい、敵味方関係なく恐れられている人とは思えません。
まして、わたしをからかって笑う姿は、とても幼く見えますから。
「……なぁ、実。」
「はい、なんですか?」
「オレが死んだら、実が死化粧してくれな?」
雪の言葉に、わたしは動かしていた手を止めて、バッと雪のほうへ顔を向けました。
「なにを…。じょ、冗談でもそんなこと言わないでください!」
「冗談じゃない。」
「っ…!」
真面目な顔をする雪に、二の句が告げられませんでした。
確かに、雪が冗談を言っているようには見えません。
「…どうして……突然…、」
「突然じゃないよ。ずっと考えてたんだ。オレが戦に出てる以上、いつ死んでもおかしくないからな。」
「縁起でもないこと、言わないで…。」
弱々しく言えば、雪は眉をハの字にして笑いました。
スッと体を起こして、胡座をかいて、わたしと向き合うように座り直します。
「縁起でもないことだが、目を背けることができるものでもない。人はいつか死ぬんだから。」
「雪、」
「だから、最後はお前に綺麗にしてもらい。」
お前化粧上手いみたいだからな、と言って笑う顔は、昔からわたしの好きだったものでした。
だから、わたしは泣いてしまったのです。
雪が死んでしまうという現実を、はじめて見た気がしました。
幼子のように泣くわたしを抱き締める雪の腕があまりに優しくて、温かくて、わたしの涙はしばらく流れ続けました。
◇◆◇◆◇
「今度の戦は、無事では済まないと思う。」
雪から死化粧を頼まれて数日がたった頃、雪がわたしの家を訪れました。
またお休みがもらえたのかと思って出迎えれば、雪は鎧を見に纏っていて、わたしは思わず首をかしげました。
そんなわたしに、雪は事も無げに告げたのです。
今から戦に出陣する、と。
「え?」
雪の言ったことが、理解できませんでした。
無事では済まないって、どういうことですか?
「今回の戦は、とても大きいんだ。」
近隣諸国との連合軍となって行う今回の戦の敵は、武術に秀でた国でした。
だから、無事に帰ってこれるかわからない。
そう言う雪は、固まるわたしを見て、一度目を閉じました。
そして、強い意思を宿して目を開き、わたしの目をジッと見つめました。
「実。オレが無事に帰ってこれたら、オレと祝言を挙げてくれないか。」
今度の雪の言葉も、わたしはすぐに理解できませんでした。
「幼い頃から、ずっと好きだった。オレと夫婦になってくれ。」
「あ、あの…、」
雪がわたしをそんな風に見ていたなんて、初耳です。
でも、驚きよりも嬉しさが勝るわたしの心も、きっと、雪と一緒だったのでしょう。
「はい。」
涙声でかすれてしまったわたしの小さな声を拾った雪は、わたしを抱き締めました。
雪が身に着けている鎧が体に当たって少し痛いけれど、幸せです。
「ありがとう、実。死化粧の約束、しばらく守らせないようにするからな。」
「当たり前です。」
後半は冗談で言った雪に頬を膨らませて言うと、雪はアハハと笑いました。
右手をわたしの頬に滑らせて、綺麗な微笑みを向けてくれます。
「祝言の約束は、必ず守らせるから。」
「はい。」
「じゃあ、そろそろ出陣なんだ。行ってくる。
……実、泣くなよ?オレは大丈夫だから。」
スルリと、一度わたしの頬を撫でて頬と背から手を離した雪は、わたしの顔を見て苦笑しました。
「オレはお前の笑った顔が一番好きだ。」と言って、少し名残惜しそうにしたあと、わたしに背を向けました。
雪に心配かけてしまうほどわかりやすく、わたしの顔は不安で歪んでいたのでしょうか。
「雪!」
その背が遠ざかってしまう前に、わたしは声を上げました。
クルッと振り返る雪に、涙をこらえて笑顔を向けます。
雪が、わたしの笑った顔が好きだと言ってくれるから、涙など流しません。
「わたしも、あなたが好きです。大好きです!」
「なっ!」
真っ赤な顔をして目を見開く雪に、手を振って、行ってらっしゃいと言いました。
耳まで赤くした雪は、すぐにわたしから目を背けて、右手をひらひらと振って行ってしまいます。
わたしは、雪の無事を祈りました。
また、わたしの大好きな笑顔が見れることを願って。
「…オレ、今回の戦はいつも以上に頑張れる気がするなぁ。」
と言った真っ赤な顔のまま笑みを作る雪の呟きは、わたしの耳には届きませんでした。
◇◆◇◆◇
雪が戦に出て十日目、わたしの隣りで泣く雪のお母さんの声が、辺りに悲しく響きました。
昼を少し過ぎた頃、お城からの使いの方が、雪の家を訪れました。
ちょうどその時、わたしは雪のお母さんのお洗濯のお手伝いで、雪の家にいたのです。
「武峰雪久殿が、戦場にて命を落としました。」
お城からの使者の言葉は、とても残酷なものでした。
そんなのは嘘だ、と言って青い顔をする雪のお母さんに、使者は同じ言葉をもう一度口にしました。
次の瞬間、雪のお母さんは泣き崩れました。
叫ぶようにして泣く姿の横で、雪のお母さんを慰めることもできず、わたしは呆然と立つことしかできなかったのです。
この時のわたしは、雪の死を受け入れることができませんでした。
数日後、雪の遺体が家に届きました。
姿が残っていただけでもマシです、と言っていたその言葉は、雪の遺体を見て理解できました。
雪は、首から上が無く、右腕は肩から下が切り落とされ、左腕は手首から先がありません。
唯一ちゃんと残っていた両足は、傷だらけでした。
ところどころ着物を赤黒く汚すシミは、雪の血なのでしょうか。
首がないので、本当に雪かどうかわからなかったのに、見覚えのある着物や鎧を見た瞬間、わたしは泣きました。
その着物や鎧は、わたしに祝言を挙げよう、と言っていた雪が身に着けていたものに間違いありません。
雪の遺体を目の当たりにして、わたしはやっと雪の死を理解したようで、次々と流れる涙は止まってくれません。
体が残っていただけでも奇跡なんです、と言う言葉なんて、もうわたしには聞こえませんでした。
「どうして…っ、約束したのに…!」
約束を守ると言っていた雪は、約束を破って帰ってきました。
祝言を挙げることも、死化粧をすることもできません。
だって、雪は首から上がないのだから。
「約束、守ってよ…っ。」
せめて、最後にあなたを綺麗にして、送り出してあげたかったよ…。