波紋
結局のところ、私はどちらも選ぶことはできなかった。
熱を出したのだ。
「じゃあ私は、おばあちゃんとこ行ってくるわね。お昼は食べれそうならお粥食べて。夕食までには帰るから。」
手慣れた様子で私の看病を済ませ、母はそう言う。
私は昔からよく熱を出していた。知恵熱、というやつだと思う。
「行ってきまーす」
母のいつもの、ちょっと大きすぎる挨拶が聞こえる。扉がガチャンと閉まる音と共に、いつもの静寂が戻ってくる。熱が出ている時はどうしてこんなに心細いのだろう。まるで、初めて留守番している子供みたいな気分だ。痛む頭をどうにか起こし、部活のグループLINEに欠席の連絡をいれる。そして、スマホの電源を落とす。今は先輩に関する情報を、何も見たくなかった。学校には、母から連絡がいくだろう。
天井に貼られたステッカーを眺めながら、まどろむ。
◇
何か物音を感じて、目が覚めた。
いつの間にか眠っていたらしい。
時計を確認すると、昼を少しすぎたくらいだった。お腹は空いていなかったが、何か胃に入れようとキッチンに向かう。そういえば、どこにお粥があるか聞いていなかった。どうしたものかとキッチンを彷徨いていると、リビングの机に何か置かれているのが見えた。
それはお粥と、母からのメモだった。
「お粥、ちょっとでも食べられそうなら食べて。無理なら冷蔵庫にゼリーもあるよ。ゆっくり休んでね」
いつもの母のおしゃべりが、今は妙にありがたかった。
お粥を温めていると、不意にクラクラしてきたので、リビングの椅子に座る。手持ちぶたさで、テレビをつけた。
なんでもない内容だった。
どこかの誰かのインタビュー。
アナウンサーの食レポ。
俳優らしき人たちの告知。
普段見ない時間の番組で、少しだけ物珍しかった。
お粥のために沸かしていたお湯が、ゴポゴポと音を立てる。
重い腰を上げて、お粥を器に移す。
なんとか半分食べ切り、残りはラップをして冷蔵庫にしまった。
食器と鍋を洗面台に移す。
いつもならすぐに洗うところだが、そこまでの元気はなかった。
部屋に戻り、ベットに倒れ込む。あまり気乗りしなかったが、スマホの電源を入れる。
お母さんから何か連絡が来ているかも、なんて自分に言い訳しながら。
スマホを開くとLINEの通知はなかった。それでも、LINEを開く。
やはり、メッセージは来ていた。
私のスマホはいつもこうだ、シャットダウンしていた時間の通知は来ないらしい。他の人もこうなのだろうか。
一番上には、母からの「体調どう?お粥食べれた?」というLINE。
「お粥は半分ぐらい食べれたよ。体調もちょっとよくなったかな」そんな感じに返した。
さて、本題だ。
まだ画面の上には、新着メッセージの表示が残っている。
グループLINEと、個人LINE。
スクロールするのを躊躇う。
心臓が口から飛び出そうだった。
先輩からのLINEを期待する気持ちと、何も見たくないという気持ち。
まるで熱いものに触れたみたいに、スクロールして、すぐスマホを投げ捨てた。
一瞬見えた限りでは、先輩から直接何か来ている様子はなさそうだった。
恐る恐るスマホを拾い、今度はじっくり目を通す。
来ていたメッセージは、部活のグループLINEと、同期からのものだった。
どちらも、なんでもない内容。
「鍵取りました」
「先輩きました」
「体調大丈夫?」
「明日は何をする予定」
そんな感じだった。
今まで張り詰めていた緊張が一気にほどけた。その反動で、急に吐き気が込み上げる。堪えながらトイレに走る。幸いにも、何も出ることはなかった。
先輩がなんで部活に来たのか。
部活に来て何をしたのか。
何を話したのか。
聞きたいことは山ほどあった。
けれど、それを聞きたいとは思えなかった。
◇
熱のせいなのか、緊張が急にほどけたせいなのか、また私は眠りについていた。
今度は母の声で目が覚めた。階段を降りた。
「お母さん、おかえり」
「凪、ただいま。まだ寝てていいのよ?」
「今日ずっと寝てたから、大丈夫」
「そう。何か食べられそう?」
「うどんとか、お粥とか、ゼリーなら」
「じゃあ、お粥あっためましょうかね」
母にお粥を温めてもらい、風呂に入って、さっさと寝ることになった。
湯船に肩まで浸かって、嫌な寝汗を流す。
私は歌った。
なんでもない流行りの歌だ。
歌っている間だけ、少しだけ何もかも忘れられた。
不意に、先輩との思い出がよぎる。
声が出なくなる。
まるで声を失ったみたいに。
私はよく、こうなる。
わざと冷たいシャワーを浴びて、風呂から出た。
風呂を上がると、直接部屋に戻った。
部屋に入った瞬間、通知が鳴る。
女の勘、なんていうのだろうか。
嫌な予感がした。




