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血と祈りの一夜2

第2章 「死者と公平」



 教会の扉が、どん、と外側から叩かれた。


 硬貨の回転音と、外の怒号が、礼拝堂の空気を不自然にかき乱す。

 さっきまで鐘の音みたいに聞こえていた金属音は、今や火事場のサイレンに近い。


「……包囲、ね」


 鬼塚は舌打ちした。


 聞き覚えのある怒鳴り声が、雨音の向こうで混ざっている。

 日本語だ。英語の罵声と入り混じって、やけに耳に刺さる。


(マジで来やがったのか、あのクソ組)


 ヤクザを抜けたときに、確かに“手土産”をいくつか持って逃げた。

 その報復として命を狙われるのは、分かる。納得もする。だが――


「海外にまで出張してくんなよ、暇かお前ら」


「人気者だね、サダキ」


 ギミックは、相変わらず楽しそうだ。

 浮かせていた黒い紙片――強欲の書の欠片を指先でつまむと、それをレオナルドの胸元へふわりと戻してやる。


「さて。内側は命取引、外側は殺し合い。にぎやかな夜だ」


「笑い事じゃねえだろ」


 鬼塚が怒鳴ると、アレクサンドルがくく、と喉の奥で笑った。


「いいじゃないか。生と死に関わる現場はいつだって騒がしい。

 静かな解剖室より、悲鳴の聞こえる教会の方が、僕は研究が捗る」


「科学者くん、その発言はもうちょっと隠した方がいいと思うよ」


 ギミックが軽くつっこむ。

 だがレオナルドは、弟にも追っ手にもさして興味がなさそうに、祭壇の前に進み出た。


「外は私がどうにかしましょう」


 静かな声だが、その奥には妙な高揚が混ざっていた。


「ここは教会です。“聖域”のルールは、私が一番よく知っている」


「“本”を使う気だね、レオ兄さん」


 アレクサンドルが目を細める。

 うっすらとした期待と、観察者の好奇心が混ざった目だ。


 レオナルドは、祭壇の前で膝をついた。

 十字を切る。その所作は完璧な神父のものだが、口から出た言葉は聖書とは似ても似つかない。


「――“欲する者に与えよ”」


 その一言で、空気がねじれた。


 教会の壁に埋め込まれた古い墓碑。

 床下に眠る幾百の棺。

 名前も忘れられた死者たちの“祈り”が、一斉に目を覚ます。


 冷たいものが、足首に触れた気がした。


 鬼塚は反射的に飛び退く。

 見下ろすと、石畳の隙間から、白い指がにゅるりと伸びてきていた。


「うわ、気持ちわりぃ!」


「いいね、その反応。やっぱり“生きてる人”の悲鳴は新鮮でいい」


 アレクサンドルが、珍しい標本でも眺めるような目で、床から這い出してくる“手”を観察している。


 教会のそこかしこで、同じ現象が起きていた。

 壁から、床から、古びた石棺の隙間から、無数の手が、生えたように突き出てくる。


 だが、それは腐敗臭を伴う死体の手ではなかった。


 皮膚は蝋のように白く、指先は骨ばっているが、血も泥もついていない。

 異様に“きれいな”死者の手。


 レオナルドの紫の瞳が、静かに輝いた。


「この教会は古くから墓地でもありました。……多くの者がここで“救われたい”と願い、叶わずに死んだ」


 壁の向こうから、かすかな呻き声が聞こえる。


 それは、苦痛というより、祈りの残響のようだった。


「彼らは今でも、救いを“欲して”いる。

 ならば与えましょう。――誰かの死という形で」


 レオナルドが両手を広げると、床から伸びた無数の白い腕が、一斉に天へ向かって持ち上がった。

 その先端で、見えない何かが、ざわりと蠢く。


「やべえ……」


 鬼塚が思わず呟くと、ギミックが肩をすくめる。


「これが“罪書”の力。

 生きてる者の欲望だけじゃなく、“死んだ後の未練”まで、ちゃんと拾い上げる。

 だからタチが悪いんだよね」


 その瞬間、教会の扉が爆音と共に吹き飛んだ。


 閃光弾の白い光が、礼拝堂を一瞬真昼のように照らし出す。

 鬼塚は条件反射で目を閉じ、身を低くした。


 怒号。靴音。銃のスライドを引く音。


「全員伏せろ! 動くな!」


 英語と日本語が入り混じる。

 鬼塚は片目だけ開けて、入口を見やった。


 そこには、防弾ベストを着込んだ男たちがいた。

 半分はロンドンの武装警官の装備、もう半分は、日本で見慣れた“その筋”の連中の格好だ。


 前に立っているのは、痩せ型の日本人の男。

 スーツの上から防弾チョッキを着込み、片耳にインカムをつけている。顔は痩けているが、目だけがギラギラと光っていた。


「よう、鬼塚ァ」


 男――元上司の一人が、にやりと笑う。


「ずいぶん楽しそうな逃亡生活してんじゃねえか。

 “命取引屋”なんざに尻尾振ってよ。……久しぶりだな、裏切り者」


「お前の顔見るくらいなら、地縛霊とでもお喋りしてた方がマシだな」


 鬼塚は悪態をつきながら、ギミックの前に一歩出た。


「で? わざわざこんなところに、教会ぶっ壊しに来たのかよ」


「違ぇよ」


 元上司は、鼻で笑った。


「お前の首と……そこのガキの首を持って帰るためだ」


 銃口が、ギミックと鬼塚に向けられる。

 同時に、警官たちの銃も、一斉に上がった。


 だが、その足首を、白い指がつかんだ。


「……あ?」


 最初に声を上げたのは、入口近くに立っていた一人の警官だった。

 足元を見下ろし、顔色を変える暇もなく、彼は引きずり倒される。


 床から這い出した“手”が、彼の足を絡め取り、石の隙間へと引きずり込もうとしていた。


「な、なんだこれ、離せ――!」


 悲鳴と共に、銃声が乱射される。

 しかし弾丸は、床を砕くだけで、白い手は傷つかない。むしろ、弾痕からじわりと黒い影のようなものが広がっていった。


 影は、煙のように揺らめきながら、警官たちの足元にまとわりつく。

 その中から、また無数の手が生える。


「撃つな! 撃つなバカ! 余計なことすんな!」


 誰かが叫ぶ。だが、もう遅い。


 外の墓地からも、石碑の影からも、白い手が伸びてくるのが、砕けた扉越しに見えた。

 死者たちが、“救いを欲しがって”這い出してくる。


 レオナルドは静かに立ち上がった。


「言ったでしょう。相性はいいと」


 その声は、酷く穏やかだった。


「命を売り買いする者と、救われなかった死者たち。

 ここは“欲望”の溜まり場です。

 ――そこに武器を持ち込むなど、愚行の極みですよ。おかげで、寿命の供給源には困らない」


 その一言が、ぞっとするほど自然に口から出た。


「テメェが一番愚行してんだろうが!」


 元上司がレオナルドに銃を向けた瞬間――


 銃のスライド部分を、白い手が掴んだ。


 みち、と金属が軋む音がした。

 次の瞬間、銃はあり得ない方向にねじ曲がり、役立たずの鉄の塊と化す。


「ひっ……」


 元上司の顔から血の気が引く。

 その肩に、別の白い手がぽん、と置かれた。


 優しく。まるで慰めるような、その仕草が、かえってぞっとする。


「ほらサダキ」


 ギミックが、肩を軽く叩いてきた。


「外の相手は、神父さんと“お客さんたち”が引き受けてくれる。

 僕らは僕らの仕事をしよ。――少女の命の勘定を、ね」


「……マジでこの状況で仕事すんのかよ」


「大丈夫。君の元上司たちの“寿命”も、ちゃんと計算に入れてあげるから」


「どこが大丈夫なんだよ!」


 鬼塚の叫びを、教会の鐘がかき消した。


 外の銃声と悲鳴。

 内側で蠢く死者たちの祈り。

 そして、ひとつの命を巡って揺れる天秤。


 その夜、ロンドンの小さな教会で、“公平”という言葉の意味が、静かに書き換えられていく。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


1話 第2章

次回第3章

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