第十話:過去の〈呪い〉
イアン・ニートルの話に耳を傾けるうち、老船乗りはだんだんとあの島の当時の光景を、太陽の熱さと湿っぽい潮風の匂いを、生々しく思い出した。
そうだ、あそこなら――海岸の端の岩場の陰になった砂地と地面の境目ならば、海岸のボートの場所にも遠くなく、いざとなれば取り出しやすいと考えたのだ。
岩場の内陸側は満ち潮になってもぎりぎりで波はとどかず、引き潮で土がえぐられたりもしない。砂混じりの土だから穴も掘りやすく、絶好の場所だった。
用心はしていたのに、運悪く、穴を掘っているところを、同じ難破船の乗員に見られた。
あいつは下っ端の水夫だった。航海の経験は浅く、海の掟のなんたるかも理解していない、世の中を舐めきった若造。
てっきり殴られて金塊を奪われると覚悟したのに、彼は親切な態度で金塊を埋めるのを手伝ってくれた。
しかし作業が終わると、取り分を要求してきた。半分もだ。
なぜ、老船乗りが見つけ、苦労して集めたものを、ほんの数分目にしただけの若造に半分も渡さなくてはならないのか。
しかし老船乗りは、その場は半分に応じて切り抜けた。
さいわい知られたのはここだけだ。あの若造は、金塊はこれだけと思っている。
こんな人気の無い海岸でケンカにでもなれば、考えの足りない若造のことだ、逆上して金塊を独り占めしようと、老船乗りを殺すかも知れない。
翌朝、二人で海岸へいき、打ち上げられた魚か、何か役に立ちそうな漂着物が落ちていないか探していると、若造の要求はさらにエスカレートした。
「彼は笑ってこう言ったのだ。『なあ、じいさん。その足じゃまたここへ来るのは無理だろ。俺が代わりに取りに来てやるさ。だから分け前は四分六な』。親切にもそう申し出て、唖然としたあなたを嘲笑った。そしてあなたに背を向けた彼は……」
「やめてくれ」
老船乗りは両手で顔をおおった。
「あなたのナイフで背中を何度も刺された。男が倒れて動かなくなると、あなたは昨日掘ったばかりのまだやわらかい地面を掘り返してそこへ埋めた。彼はあれほど欲しがっていた金塊と一緒に埋められたのだ」
イアン・ニートルの感情のこもらない冷静な声は否応なく耳に入ってくる。
気が狂いそうだ、と老船乗りは思った。
なぜこんな歳になってから、これほどひどい拷問を受けなければならないのか、と。
「たとえ難破して極限状態にあったとしても、正当防衛であるはずがない。無抵抗で背中を何度も刺されているのだ。卑怯者に殺されたと一目でわかる殺され方だ」
イアン・ニートルは喋っている。
老船乗りの様子など気にせずに。
もしも骨の髄までカタギの船長達にあれを見られ、人間の世界へ戻ってから告発でもされたら、あなたは警察に調べられるだろう。
数多ある過去の犯罪もほじくりかえされる危険がある。
せっかく手に入れた財産は没収され、残りの人生はよくて刑務所だ。
カタギの船長達を口止めしようにも、切り札は無い。なぜなら島で手に入る予定の財宝の分け前は、事前に契約書を作ってしまった。
もっと心配なのは、財宝を手に入れた船長達が約束を反故にし、あの殺した男のように分け前の修正を求めてくることだ。
いかに立派な海の男らしい船長といえど、財宝を手にしたら気が変わるかもしれない。
たとえば、犯罪者と認定したあなただけを島へ置き去りにするとか。
いやいや、財宝を手にした瞬間、船長以下部下たちが一致団結して老船乗りを殺してしまえば、すべてを船長達のものにできるではないか。
そんな暗い考えにあなたは支配された。
なんという邪な疑心暗鬼だろう。
なぜなら、あなた自身が、人間とはそういう生き物だと信じているからだ。
この世には何の見返りも無く何かをしてくれる人間などいない。その考えはほとんどあなたの信念にひとしい。あなたがそういう人間だからだな。
では、あなたはどう行動すべきか。
肝心なのはあなたが沈黙を護り、確実に生きて帰ること。そう、いつもの順調な航海のように、無事にあの港町へ帰り、この〈海王亭〉で毎日代わり映えのせぬ食事をとるのだと……――。
「さて、ここまでは正しいだろう」
イアン・ニートルはゆったりした仕草でグラスを持ち上げると一息で空けた。
彼は目をパチパチさせた。
その酒の味が非常に珍しく興味深いとでも言いたげな、子どものように無邪気な表情だった。
イアン・ニートルが飲んだのはこの店で一番高級なスピリットだ。どんなに酒に強い男でも、ふつうに飲もうとすれば必ずむせて吹き出すほどの、強烈な蒸留酒である。
この非常に変わった男の喉と食道は、鋼鉄製だとでもいうのか。酒が強いにもほどがある。なにもかもがおかしな男だ。
ほんとに人間か?
とつぜん、不気味な疑惑が膨れ上がった。
比喩ではなく、こいつは人間なのか?
老船乗りは胃の腑のあたりが急に縮んだように痛くなった。
――もしや俺は、俺の想像がつかない、とんでもないものを相手にしているのでは……?
老船乗りはさりげなく店内へ視線をやった。
客席とカウンターに客はちらほら。いつもは騒々しい酒場が、なぜか静かだ。酒や軽食をすすめる給仕も回ってこない。
老船乗りは時間を稼ごうと思った。
夜も更けた。閉店間際になれば給仕が片付けを始める。いかに忙しくとも、近くへ来れば声をかけられる。
老船乗りはイアン・ニートルの会話に応じることにした。




