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新世のアリエーネ  作者: 創式浪漫砲༺艦༻
結婚相談所のアリエル
5/18

優しさの境界線

 「やっ……! いやっ!! やめてぇ――!!!」


 それは、アリエルたちが静かに眠りについてしばらく経った頃のことだった。

 突然、ミルナが呻き声を上げ、きゅっと身体を縮めた。


 (……悪夢か)


 「ミルナ……! ミルナ、大丈夫!!?」


 アリエルは慌てて彼女に手を伸ばす。そっと背中を引き寄せると、ミルナが震える声でつぶやいた。


 「んっ……アリエル……アリエルぅ……」


 少女は怯えながら、アリエルの胸元に顔を埋めてくる。肩が、小さく震えていた。


 「大丈夫だよ……僕がいるから……!」


 そう言って、少年はそっと彼女の肩に手を添えた。

 だが、次の瞬間――


 「いやっ……!!」

 

 ぱしっ!


 手は、振り払われた。


 (えっ……!?)


 ミルナの顔が強く怯える。何かを、深く拒絶している。

 目に溜まった涙が、頬を濡らしながら伝っていく。


 (……胸が痛い。僕は……無力だ)


 ただ側にいたくて、力になりたくて、でも触れれば傷つけてしまう。

 自分の手が、まるで「加害者のもの」みたいに思えた。


 それでも、アリエルの脳裏に、あの言葉がよぎる。


 ――しっかり彼女と向き合って

 ……逃げないこと。


 (そうだ。僕は……)


 彼は再び彼女の方に目を向けた。

 震える彼女の手が、今度は自分に向けてそっと伸ばされていた。


 それは、彼女なりの「勇気」だった。


 (大丈夫。僕はもう……前の僕じゃない)


 少年は、その手を包むように両手で優しく包みこむ。

 そして――

 傷に触れぬように、意志だけを伝えるように、


 静かに、そっと、彼女を抱きしめた。



 部屋のカーテンの隙間から、月光が静かに差し込む。

 まるで彼女だけを包み込むように、優しくベッドを照らしていた。


 よれよれのシーツ、涙でぐしゃぐしゃに濡れた枕。

 震える少女の背中に、少年はそっと腕を回す。


 (情けないな……。なんて言葉をかければいいのか、わからない)


 息が止まるほどの静寂。

 微かに聞こえるのは、彼女の乱れた呼吸と、自分の高鳴る鼓動だけ。


 ミルナの体温が伝わってくる。

 赤く腫れた瞼、湿った頬、濡れた髪。

 ひとつひとつが、傷ついた証のようで胸が痛む。


 でも、それ以上に――その儚さが、美しくて。

 抱きしめる腕に、得体の知れない衝動が走った。


 (……守りたい。けど……触れたくて仕方がない)


 優しさと欲望が喉元でせめぎ合う。

 この手が彼女を慰めたくて、そして――傷つけるのではないかと、恐ろしくなる。


 差し出した指が微かに震える。

 喉から出かかった言葉も、結局声にはできなかった。


 逃げるように、彼女の髪に顔を埋める。

 熱が伝わってくる。

 だけどこれは、自分のじゃない。彼女の痛みだ。

 自分の欲で、それを汚しちゃいけない。


 彼女を守るために、抱き寄せたはずなのに。

 気づけば守られているのは、自分の方だった。


 (こんな僕じゃ、何の力にもなれないのかもしれない……)


 そう思って目を閉じた、そのとき。


 ふと、ミルナの顔がこちらに向いた。

 そして、涙に濡れた目で、微笑んだ。


 「……二人でいると、あったかいね」


 ーーその言葉が、すべてだった。


 アリエルはただ、強く彼女を抱きしめた。

 何も言わず、何も望まずに。

 この夜が、少しでも彼女の心を救えるようにと願って。


 *


 それが、アリエルの下した選択だった。

 あの夜――抱きしめることで、彼は彼女を守ろうとした。

 触れたいという衝動を振り払い、ただ傍にいることを選んだ。


 けれど、

 朝になって、彼女の姿はそこになかった。


 月光に照らされたはずのベッド。

 今はただ、ぐしゃぐしゃに濡れた枕と乱れたシーツだけが残っていた。


 (……どこかに出かけたのかな)


 呆然としたまま、カーテンを開ける。

 冷たい朝の光が部屋に差し込む。


 (行くときくらい、一言……言ってくれたらいいのに)


 ひとり呟いても、返事はない。

 悶々としながら、シーツと枕を取り替える。

 拭っても拭っても、あの夜の湿った痕跡は消えなかった。


 まるで夢のようで、でも夢じゃない。

 指先に、まだ彼女の震えが残っている。

 温もりだけが、真実だった。


 ――なのに。

 なぜだろう。もう二度と会えない気がしてならなかった。


 胸騒ぎを感じながら、それを打ち消すようにトーストを手に取る。

 そのとき、不意に視界の端に何かが入った。


 一枚の、置き手紙。


 急いで手を伸ばし、それを開く。



 助かったかしら、昨日は貴方に色々救われたのよ

 結局悩みは話せずじまいだったけど貴方だからかしら

 手間かけさせたくないのよ 放っておけないから



 (放っておけない……?)


 読みながら、心の奥が静かにざわつく。


 (放っておけないのは……どっちなんだよ)


 ただ隣にいただけなのに彼女は泣いて、抱きしめて。

 ただ隣にいただけなのにあんなに惹かれて、動揺してさ。

 何もしてやれなかったのに、何かしてやりたかった。


 ……でも怖かった。

 触れることで、壊してしまいそうで。

 欲しがる自分が、彼女を傷つけそうで――。


 だから、手を伸ばせなかった。


 (それでも……あの夜、僕が選んだことは……)


 自分の鼓動が、耳の奥でやけにうるさい。

 手紙を握る指が震えていた。


 (これが……僕の、下した選択なんだ)



 次の瞬間だった。


 「……うああああああああああああっ!!!!」


 部屋が割れんばかりの絶叫がこだまする。


 何かを拒絶するように。

 何かを悔いるように。

 何かを求めるように――。


 その日、アリエルはすべてを否定して、部屋の奥に閉じこもった。


 

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