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新世のアリエーネ  作者: 創式浪漫砲༺艦༻
結婚相談所のアリエル
2/18

プラハの悪魔

 いつからだったか、少年はとびきり頑張って

 ――昇進した。


 きっかけは、店先のお姉さんにかけられたひと言だった。


 「最近、元気ないね」


 たしかに、最近ずっとだるかった。

 疲れが取れない。頭がぼーっとする。

 たぶん、毎晩瓦礫を枕にして寝てるせいだ。

 それを素直に話すと、お姉さんは目をまるくした。


 そして、ホテルのスタッフに声をかけてくれて、一日だけ空いていた部屋を貸してもらえることになった。


 ――その時の感動は、少年の中でいまだに色あせない。


 ふかふかの枕。重すぎない掛け布団。

 やたらとボタンの多いリモコンで、何でも映るテレビ。

 空調も、照明も、ちょうどよかった。


 (……こんな世界が、あるんだな)


 その夜、少年は泣きそうになった。

 誰にも気づかれないように、枕に顔をうずめて。


 (あんなホテルで、毎日暮らせたら……)


 心の奥底で、何かが芽生えた。

 そんなとき、目に入ったのが――店のチラシだった。


 ⸻


 募:ホテルマネージャー求む

 仕事内容:警備員監督(2名)、顧客対応

 注:半年以上当社で勤務し、業績を一定達成した者に限る

 褒:ホテル管理の一環として、ホテルの一室を無償貸与


 ⸻


 (これしか、ない)


 そう思った。


 あとは、がむしゃらだった。

 とにかく走って、覚えて、働いて。

 何をして、何を話したか、よく覚えていない。


 でも、気がつけば少年は――ホテルマネージャーになっていた。


 今日が、その初任務の日だ。


 胸の奥がざわざわしている。

 不安もあるけれど、それ以上に期待が勝っていた。


 (……さあ、やるぞ)


 制服の襟を正し、少年はフロントを後にした。



 警備員の監督……のはずだった。


 でも、その前に――顧客対応だ。


 「すぐ来るはずです」とフロントスタッフに言われ、名簿を確認する。


 (えーと……名前、名前……)


 プラハ・ミルナ


 (ぷ、ぷらは……? みるな?)


 (……外人さん、かな?)


 ちょっと言いにくい。でも覚えやすい。たぶん。


 (……覚えておこう)


 一呼吸おいて、ドアの方を見る。


 人生で初めての「お客様」は、もうすぐそこに来るらしい。



 初めてのお客様は、なかなかに際どい奴だった。


 少年はフロント前の待機用スペース――少し古びた灰色の椅子に腰を下ろし、所在なさげに足をぶらつかせていた。


 玄関からはちょっと距離がある。けれど、それは問題じゃない。


 事前の打ち合わせでは、フロントスタッフがお客様を出迎え、担当に引き継ぐという段取りになっていた。


 ……はずだったのだが、定刻になっても客の姿は見えない。


 電話もしたらしい。でも応答なし。


 「たまにあるんですよね、こういうドタキャン」と、スタッフの人が軽く言っていた。


 そうして「キャンセル扱い」となり、少年はエレベーターで部屋へ戻ることになった。


 (……初めての担当が、これか)


 なんとも言えない気分で、エレベーターを降りた。


 が――その気持ちは、部屋の前で吹き飛んだ。


 そこに、いたのだ。


 まるで人形のような少女が。


 小柄で、白磁のように透き通った肌。

 紅の瞳が、じっとこちらを見ていた。


 年齢は……おそらく少年と同じくらい。

 けれど、その服装は明らかに「場違い」だった。


 刺繍の細かなドレス。光沢あるブーツ。

 どこか貴族めいた気品すらまとっている。


 (……誰?)


 少女が、ぴしりと背筋を伸ばし、口を開いた。


 「ご機嫌よう。貴方が、私の担当でして?」


 ……。


 少年はしばらく、言葉が出なかった。


 なにか……なにか、いろいろおかしい。

 まず、どう見ても来るホテルを間違えてる。

 次に、口調がすごい。いや、いろいろすごい。


 「……あ、あの? 失礼ですが、お名前をうかがっても?」


 恐る恐る聞いたその声に、少女はふう、と呆れたようにため息をついた。


 そして、あくまで気品たっぷりに言う。


 「はぁ……失礼しちゃうわね。

  私はこのホテルの在住者――プラハ・ミルナでしてよ。

  以後、覚えておきなさい」


 (……はい??)


 少年の脳内に、またしても大きな「?」が浮かんでいた。



 見るからに彼女は外人だった。


 紅い瞳に、透き通った肌。

 言ってることはめちゃくちゃなのに、立ち居振る舞いだけは妙にエレガントだ。


 けれど、どういう訳か会話は成り立つ。

 妙に話が噛み合う。……だからこそ、なおさら不気味だ。


 (そもそも、なんで僕の部屋が分かったんだろう?)


 少年は心の中で疑問符を浮かべながら、ほんの少し眉をひそめた。


 そんな疑念を抱えつつも、少女と並んで歩きながら、彼女の部屋まで案内することにする。


 確か、彼女の部屋は同じ階層の――僕の部屋とは反対側の隅の部屋だったはずだ。


 (少しだけ歩くけど、まあそんなに遠くはない……)


 ただ、ちょっとだけ煩わしい。

 少年の部屋もまた「隅」にあるせいで、似たような構造の部屋が並んでいて、どれがどれか分かりづらいのだ。


 『……着きました。どうぞごゆっくりお過ごしください』


 そう言って少年は部屋のドアを開け、手を引きかける。


 ――が、すぐにピシャリと閉めた。


 そこに見えた光景が、どう見ても「少年の部屋」だったからだ。


 (……あれ?)


 「失礼しました、部屋を間違えてしまったようです。案内を続けますね」


 気を取り直して、別のドアへ。


 でも――また同じだった。


 (え?)


 また、僕の部屋だ。


 (……ええ??)


 焦って額に汗がにじむ。


 もしかして、疲れてるのか? でもそんなレベルの話じゃない。

 どういう訳か、彼女の部屋に向かってるはずなのに、ドアを開けると全部「僕の部屋」になっている。


 慌ててホテルのスタッフに連絡を取ろうとする。


 ……が、応答がない。


 (なんで……?)


 嫌な予感を胸に、エレベーターまで走る。


 でも――


 そこには、無情にも「メンテナンス中」「清掃作業中」と書かれた張り紙が貼ってあった。


 (閉じ込められた……?)


 頭の奥が、じわりと冷たくなる。


 ほんの少し前まで「昇進してウキウキ」だったはずなのに、今このホテルは、まるで別の世界の入り口のように思えた。



 もう、同じ手は使えない。

 これ以上「間違えました」なんて言えば、さすがに誤魔化しが利かない。


 振り返って彼女に笑いかけ、「どうやら違う部屋のようです」と言ってみる。


 ……が、彼女は何も言わず、じっとこちらを睨みつけていた。

 まるで、「レディをいつまで立たせておくつもりかしら?」とでも言いたげに。


 動かない。視線も逸らさない。

 まるで、選択肢なんて最初からなかったみたいに。


 (……これが最後だ)


 少年は祈るように扉の取っ手に手をかける。

 神様、お願い――どうか、今度こそ彼女の部屋でありますように。


 静かに扉を開けた瞬間。


 テレビの音が聞こえてきた。

 誰もいないはずの部屋で、誰かがつけっぱなしにしたような、けたたましいバラエティ番組の声が。


 (……ああ、僕の部屋だ)


 頭を抱えたくなる現実。


 けれど、もう引き返せない。言い訳も通用しない。


 ここで腹を括るしかないと、少年は決めた。


 『……お客様、ただいまお部屋に到着いたしました。少々、散らかっておりますので――』


 軽く一礼し、ドアを閉めて素早く室内の物を整える。


 制服の上着をベッドの下に押し込み、読みかけの雑誌を引き出しにねじ込み、リモコンを手にテレビの音を絞った。

 数十秒で完了。もはやプロ技だった。


 最後に深く息を吐いて、何でもない顔でドアを開ける。


 『……どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください』


 ミルナが入室するのを横目に、少年は目を閉じて静かに覚悟を噛みしめた。


 これが、マネージャー初日。

 そしてきっと、まだ始まったばかりだった。



 『……どうして貴方が居るのかしら?』


 不機嫌そうに、けれど妙に気品のある口調で、ミルナはじっとこちらを見つめていた。

 見下すわけでもなく、問いただすでもなく、ただ「当然答えを言いなさい」という視線。


 ――元々僕の部屋だから、なんて言えるわけがない。

 咄嗟に、適当な言い訳を頭の中で探した。


 『……一応、警備員も兼ねてまして。ええ、監視というより“見守り”ですね』


 自分でも苦しいなと思ったが、ミルナは特に追及せず、わずかに肩を竦めるだけだった。


 『ふうん……それって、プライバシーの侵害じゃなくて?』


 すぐに続いたその一言に、背筋が少しだけ冷えた。

 ホテル研修で何度も聞かされた単語だった。


 プライバシーの尊重。

 お客様の私生活に干渉することなかれ。

 このホテルでは、「お客様の安全を第一に確保すること」が最優先命題で、プライバシーの保護はその次にある――そう教えられてきた。


 (理解はしてるつもりだけど……実際にこの状況になると、何が正解か分からないな)


 『まあ……それがこのホテルの“良さ”かしら』


 ミルナが言う。どこか達観したような口調で。


 『安心できるの、ここだけなのよ』


 その言葉に、少年は言葉を失った。

 彼女の言う「安心」の意味が、どこか現実からずれている気がして。


 このままここに居ても、彼女が本当にくつろげるとは思えなかった。

 空気の重さが違う。まるで部屋ごと異質なものに変わってしまったようで。


 (……お風呂でも、入るか)


 少年は立ち上がり、無言のまま浴室へ向かった。

 扉を閉める瞬間まで、ミルナの紅い瞳がこちらを追っている気がして、振り返ることはできなかった。



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