マッチ売りはもういない
現代都市、アリエーネ。
そう呼ばれてるけど、どこか嘘くさい街。
昔、風生師っていう人たちが理想とか皮肉とかで喧嘩して、そのまま街になった……らしい。
誰が言い出したんだか知らないけど、案外本当かもしれない。
見た目は普通の街。けれど、歩いてみれば何かが動く――そんな気がする。
*
アリエーネの端っこのほうで暮らしている少年、アリエル。
空っぽみたいな顔で、今日も街を歩いてる。
ここは風恋広場。昔は恋人たちが集まる場所だった。
今じゃ、結婚相談所だらけ。夢もロマンも、どこかへ行ってしまった。
焼き芋持って歩いてるカップルも、今は見当たらない。
代わりにあるのは、大きな声と冷たい空気。
「はぁ……」
白い息が、空にふわっと消えていく。
それでも少年は歩く。
この街は太陽が滅多に顔を出さない。
“常勝極夜” ――そんな異名で呼ばれて、オーロラが見えるってことで一時は人気だった。
SNSとか新しい電車とかで人は集まり続けて、夜の街は光に埋もれた。
でも今じゃ、星も見えない。
人間の作った灯りで、空の川までかき消された。
「今じゃマッチも売れないんだなぁ……」
昔、少年はこの広場で何でも屋をしていた。
靴を磨いたり、マッチを売ったり。
少しでもお金を稼いで、病気の父さんにタバコのパイプを買ってあげるために。
父さんは、最後に一言だけ言った。
「面倒なことは煙に巻いて逃げてもいい。でもな、やるって決めたら……確定させろ」
そう言って、ふぅ、と煙を吐いて逝った。
きっと、今がその“やると決めた時”なんだろう。
少年は道端の店を畳み、歩き出す。
「……着いた」
看板にはこう書いてある。
結婚相談所 ーー 風恋婚活ペアリング
最近流行ってる、大きな相談所らしい。
“斬新なサービス”ってのがあるらしくて、ちょっとだけ話題になってる。
少年は中に入る。
赤いカーペット。受付に立つ、きちんとした女性。
「いらっしゃいませ! 結婚相談所は初めてですか?」
「……うん、まあ」
「ではまず、氏名と電話番号、その他のご記入を――」
「あの……」
「……?」
少年は少し黙って、深く息を吐いた。
「……僕を、雇ってもらえませんか」
*
希望条件:30代男性、年収600万円以上、家事スキル高め、見た目がいい人。
「かしこまりました! 条件に合う方が見つかり次第ご連絡いたします!」
ツー……ツー……ガチャ。
……少年は思った。
どうして人は、そんなに高いものばかり求めるのだろう。
この前の電話の相手、Aさんって人は40代で、仕事は家事代行らしい。年収は非公開。
男も女も、自分より上の相手を求めてる。
それが恋なのか、制度なのか、もうよくわからない。
昔は――もっと違った気がする。
足りないところは支え合って、心で埋めてた。
でも今は、何もかも“条件”で決まっていく。
少年がここで働こうとしたのは、ただの生活のため。
金がなかった。それだけだ。
マッチも靴も、今じゃ誰も見向きしない。
ボロボロの姿で相談所の前に立って、見かねた受付の女性が服をくれた。
あの時、少し泣いた。
情けなさと、嬉しさと、何かよくわからない気持ちで。
――あぁ、心って、まだ死んでなかったんだな。
*
この相談所、どうやら普通じゃないらしい。
制服がない。
みんな私服で働いてる。少年は別に気にならなかったけど、他の店だと珍しいことらしい。
それから、接客が……すごい。
親身ではあるんだけど、耳の痛いことも平気で言う。
“お客様は神様”って感じじゃない。むしろ、客が怒られてるくらい。
そして、一番びっくりしたのが――部屋を貸してること。
それも、婚活専用のホテル。監視付き。
……正直、少年は「監視」ってのがよくわからなかった。
プライバシー?センサー?キー認証?
難しい言葉ばかりで、半分くらい意味は分からない。
でも、とにかく安全には気を使ってるらしい。
警備員もいて、何かあったら呼べるボタンもあって……。
どうやらこのホテル、婚活のために作られていて、初日はランダムに相手と一緒に泊まる。
2日目以降は、希望に沿って相手を変えるらしい。
使い方は自由、とのこと。
……なんだかよくわからないけど、きっと便利なんだろう。
*
「なんで、僕は働いてるんだろうな……」
営業が終わって、手の中に少しの金。
少年は帰る。風恋広場の、そのまた奥
――瓦礫の納屋。
「いいなあ……あんなホテル、僕も泊まってみたいな」
瓦礫を枕にして、目を閉じる。
昔は、星がきれいだった気がする。
けど今は、どこか儚くて。
(都市が光を飲んだからかな……。高望みする気持ち、ちょっとだけわかるや)
まばらに瞬く星を片目に、少年は――静かに、眠る。