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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第一章
9/61

第八節 要求と助力

 ニーナは近衛兵の手を借り階段を上がっていく。二階、三階、もう膝が限界……と弱音を吐きかけたところで、ふと近衛兵の足が止まった。


 階段を登り切ってすぐにある大きな扉を近衛兵がノックする。両開きの扉の片側だけがそっと開き、中から侍女が顔を出した。近衛兵が軽く言葉を交わしてさっと身を引くと、扉が開け放たれる。

 その瞬間――視界が真っ白に染まった。


 目をすぼめて見れば、先に広がるのは吸い込まれそうなほど青い空だ。天井と壁の一面に大きなガラスがはめ込まれていて、陽の光が部屋の隅々まで差し込んでいる。ニーナは眩しさに目を細めたまま一歩、室内に足を踏み入れた。


 ふわっとした絨毯の柔らかさに気を引かれ、青空から部屋に視線を戻す。調度品は隅に置かれた花瓶のみと質素だ。だからこそ、青く輝く美しい晴空と活気に満ちた街並みを思う存分一望できる。

 中央に設けられたテーブルには、色とりどりの菓子が所狭しと並んでいた。

 かつてここを訪れたどの聖女にも設けられた、目一杯の贅沢。だが今は、疲れた聖女を労うためだけに心を尽くし、用意されていた。


 ニーナが部屋の眺めに目を奪われていると、侍女がどうぞと椅子を引いてくれる。腰を下ろせば膝の痺れが口からほっと抜けていった。

 その間に侍女がてきぱきとニーナの前に紅茶を置き、上座にもうひとつ紅茶を、ニーナの向かいに珈琲を置いて部屋の隅に下がる。入れ替わるように現れたリアムがよっこいしょと紅茶の前に、アレクがさっと珈琲の前に腰かけた。



「お待たせして申し訳ございません」

「いいえ、素敵な眺めを楽しんでいました」

 部屋に入った時点では、窓から臨む景色にそう思っていたのは確かだ。ただ今の褒め言葉は、テーブルの上を彩る淡い色合いに向けてだとニーナの視線で分かる。

「簡素ですが、質の高い物をよりすぐりました。お口に合えば良いのですが……」

「口に合わないお菓子なんてありません!」

 リアムの心配など他所に、ニーナはひとりで盛り上がっている。甘い匂いに誘われるまま目移りしていると、リアムがひとつの皿を指さした。

「このチーズクリームマカロンはもう食されましたか? 我が国で一番の人気なんです! 日持ちしないので国外にはほぼ出回りませんよ」

 リアムが薦めたのは、甘めのクリームに塩気の強いチーズを加え、それを色とりどりのマカロンにたっぷり挟んだ昼日国の名産品のひとつだ。


 リアムの謳い文句に促されるまま、ニーナはマカロンに手を伸ばす。つまんだとたん感じたクリームの厚みに、うっとりと目を細めた。

「うわぁ! もちもちでふわふわですね!」

 生地よりも挟んであるクリームのほうがぶ厚いそれを、豪快にも一口で収める。噛めばチーズの塩気が引き立てるクリームの濃厚な甘さが口いっぱいに広がって、思わず「ん~!」と顔が綻んだ。

 生地はサクサクとした軽い歯ざわりで、もちもちしたクリームとの対比も舌を楽しませる。

「すっごく美味しいです!」

 ニーナは頬をとろけさせて、すぐもうひとつと手を伸ばす。幸せそうな表情につられてリアムの頬も緩んだ。

「お口に合ったようでなりよりです」



 和やかにお菓子を楽しむ二人の姿を、アレクは遠い国の景色でも眺めるかのようにぼんやりと見ていた。皿から消えていくマカロンを目で追いながら、ひとまず自分も珈琲を一口すする。


 長い移動で疲れているニーナには休息が必要だ。お菓子が気に入ってもらえたなら、リアムも気を揉んだ甲斐があっただろう。

 ただ、アレクの予定だと今ごろはもう城を発っていたはずだ。ここでのんびりお茶を楽しんでいる場合ではない。


「さて」

 アレクはごほんと咳払いをする。

「おくつろぎのところ申し訳ございませんが、話を進めさせていただいても?」

 ニーナはちょうどマカロンを頬張ったところで、頬を膨らませながらこくこくと頷いた。ニーナの仕草に和んでいたリアムもきゅっと頬を引き締める。


「では早速。私がお送りした伝書はご覧になられましたか?」

 リアムが問うと、ニーナはもぐもぐさせていた口を紅茶で落ち着かせた。

「……ええ、拝見させていただきました」

「では、昼日国が今どんな状況におかれているかも?」

「そうですね……長々とありましたが、昼日国で魔獣の発生が急増しているのと、その原因は帝国が封印を解いて魔力を得たかもしれない、というのは把握しました」

「なるほど」

 改めて説明の必要はないと分かれば、リアムは語気を(いかめ)しくする。


「なら、帝国を止めるために英雄(アレク)が動くのも、『魔力を感知できる力』を必要としているのもご理解いただいているのですよね?」

「もちろんです。そのために参じましたので」

 柔らかいながらもまっすぐこちらをみた青い瞳の輝きに、リアムの胸が期待で膨らむ。

 それならばと、願いを伝えようとした瞬間――

「すみません」

 と、アレクが割り込んだ。リアムが恨めしそうに睨むが、気づかぬふりで受け流す。

 アレクは、リアムの思惑に有利な流れを遮るついでに確かめたかった――彼女が自分たちの求める『特別』であるかどうかを。


「私から……聖女様のお力について質問させていただきたい」

「ええ」

 ニーナが次のお菓子を物色していた目をアレクに向けた。

「でも、そろそろ聖女様ではなく、ニーナ、とお呼びください」

 アレクは思わず顔を逸らす。わざと「聖女」で通していたのに、そうにこりと微笑まれると呼ばざるを得ない。

「では……ニーナ様。不可視の魔力が見える、とお聞きしていますが……」

 ただ、アレクがそれを知ったのはリアムからだ。それに加えリアムが耳にしたのも噂であり、まずは本人の口から真偽を聞きたい。


「実際に魔力を目の当たりにしたことがないので、『見える』というより『感じる』というのが正しいと思います」

 なるほど、とリアムが小さく頷く。確かに魔獣の発生を「言い当てた」と聞いていた。

「それなら目の届かない遠くの魔力も感じたりするのですか?」

「ええ。意識を集中させると、感覚の中に『黒いもやもやしたもの』が『そこにある』って流れ込んでくるんです。頭の中の地図に印がついたみたいな、といいますか……そういうのを感じ取れるんです」

 アレクとリアムが仲良く片眉を下げて、互いの顔を見合わせた。感覚が言い表しにくいのは理解できるが、感じているものが本当に魔力なのかは疑わしい。


 そんな二人など気にせず次のお菓子に伸びたニーナの手を、アレクの視線が速やかに追った。

「失礼ですが、今のお話ではそれが魔力だと結びつきません。今までに感じたもやもやで、印象に残っているものを具体的に教えていただけますか? それは、いつ、どこに、どんな風に感じたのですか?」

「それなら、昨年のユグラディール節に感じたマールディア大陸の西のあたりです。背筋がぞわぞわするくらい強いもやもやを三つほど感じました。意識しなくても伝わってきたのはじめてなので、よく覚えています」

 ニーナはマカロンを自分の取り皿に運びながら答える。やはり表現は変わらず曖昧だ。しかし、その答えはリアムとアレクの理解を一気に促し、表情を歪ませるのに十分だった。


「……そういえば」

 マカロンを口に入れようとしていたニーナが、ふと手を止めた。

「あの時は詳細を問い合わせても、お返事いただけませんでしたね。あれって魔獣だったんですか?」

 その言葉で、するはずのない焦げた臭いがふっと嗅覚をかすめ……アレクはそっと奥歯を噛みしめる。

「そうですよ」

 黙り込んだアレクに代わり、リアムが頷いた。

「時期も場所も……数も、おっしゃる通りです」

「やっぱり魔獣だったんですね。今さらですが……大丈夫だったんですか?」


 ニーナの示した場所は昨年、特殊な力を持った三体の魔獣が襲撃した町だった。

 騎士団が駆けつけた時にはすでに、町のほぼ全てが火の海と化していた。アレクの手により、なんとか魔獣は殲滅されたが――被害は大きかった。最終的に町で暮らしていた人口のほとんどの命が失われ、この十年で最悪の惨事となった。


「あの襲撃については、魔力に対する混乱が増すのを懸念して公にはしていなかったのです。ご心配おかけしました。ありがとうございます、大丈夫ですよ」

 リアムはにこやかに答える。しかし、その視線はニーナへ向かず、そっと膝の上で握った拳に落ちた。


 あの町は、今も焼け野のままだ。

 別の街へ移住したわずかな生き残りも襲撃の恐怖に苛まれ、日常生活ですらまともに送れていない。


 笑顔のまま口を噤んだリアムを、ニーナは少しの間見つめていたが、

「それなら、よかったです」

 と笑みを返し、マカロンを小さく一口かじった。



 しばしの沈黙のあと……リアムは気を取り直すように視線を上げ、湿っぽくなった空気をぱんと開手で払う。

「この世界にある魔力といえば魔獣と等しいですから、ニーナ様が魔力を察せるというのはよく分かりました。お噂通り、稀有で素晴らしい力ですね」

「となると……この城にいても、魔獣を感知できるのか……」

 悩ましげにそう呟くと、アレクはこめかみに拳を押し当てた。



 この来賓室に入る寸前、リアムから「彼女をどうするか、最終的には君が決めろ」と耳打ちされた。あれだけ同行させたがっていた従兄の思惑は読めないが、そう言うなら自分にとって良いように進めたい。


 リアムに伝えていないが、アレクにはこの危険な旅に連れていこうとしている人物がひとり、いる。魔獣の討伐に関してはアレクと並ぶほどの力をもち、アレクが最も気を許せる相手だ。


 ただ、この十年で発生した魔獣の討伐のほとんどはアレクとその人物が担ってきた。もちろん、騎士団長をはじめとする城兵の面々や狩人など腕の立つ手練はいるが、それでも英雄の力がなければ魔獣を葬れないのだ。


「では、ニーナ様」

 アレクは居住まいを正し、ニーナに頭を下げる。

「どうか昼日国城に留まり、魔獣の発生を我々騎士団に伝えていただきたい。今まで我々の元に報告がくるのは、被害が出てからでした。物は後からでも新しく作れますが、人は喪ってしまえば終わりです。国を担う大切な民の明日を、これ以上失いたくない」


 いち早く魔獣に気づければ、被害が出る前に騎士団も狩人も住民も動かせる。住民さえ先に逃がせれば、魔獣の対処に余裕ができ討伐だって冷静に行える。

 そして、前線にでなければニーナの危険は少なく、昼日国城ならば滞在に不自由もないはずだ。



「それが、アレクサンダーの結論だな?」

 黙って聞いていたリアムが、静かな口調で問う。アレクが目を向けると、物言いたげな視線にぶつかった。

「はい。聖女様の安全を確保できますし、昼日国にとっても最善かと」

 アレクは遮るように目を閉じる。


 あれだけニーナを付き添わせたがったリアムだ。当然思うところはあるだろう。彼女の持つ力が魔力の絡むこの旅には大きな助けになると、アレクも理解していた。一緒に連れていけたらどんなに心強いか……甘えが頭をよぎる。


 しかし、帝国は間者を逃した時点で、英雄が動くことなどとっくに予測しているだろう。手をこまねくなどありえない、間違いなく何か仕掛けてくる。

 そんな危険しか待ち受けないこの旅路に、昼日国以外の者を……いや、英雄の魂を持たない者を巻き込む気はなかった。

 魔力に立ち向かうのは――英雄だけで充分だ。

「昼日国の尊い民のため、なにとぞご助力をお願いいたします」

 アレクはもう一度、ニーナに深く頭を下げた。


 ニーナは忙しなく動かしていた口を止め、中のものをごくんと飲み込む。

「そうきましたか……」

 紅茶をひと口すすると、微笑みながら言った。

「お断りします」

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