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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第一章
8/60

第七節 聖女ニーナ

「さて、陛下」

 声をかけられて気づけば、笑っているのはリアム一人になっていた。声をかけたアレクは、というと……座り込んだニーナを隣で支えたまま、リアムをじとっと睨んでいる。


「どうした? なにかあるのか?」

 それを聞くやいなや、アレクはリアムの正気を疑うかのように顔をしかめた。

「いつまで聖女様を()()()()()おくおつもりですか?」

 しまった、とほうけた顔で語ったリアムにますますアレクの視線が刺々しくなる。だが、もう咎めるのも馬鹿馬鹿しくなったのか、アレクはニーナに向かって頭を下げた。

「気の回らない王で、申し訳ございません」

「君が言うなよ!」

 リアムが急に立ち上がり、アレクを貫く勢いで指さす。

「他に誰が言うのです」

「臣下が言わなくていい!」

 玉座から返ってくる恨み節は聞こえないふりで流した。


 そんな二人のやり取りにニーナがくすくすと笑う。

「仲がよろしいのですね……私のことはお気づかいなく」

 王と臣下はどこがだと言いたげに顔を見合わせ……二人同時にため息をついた。

「聖女様」

 先に気を取り直したのはリアムだ。

「簡素ではありますが、別室にお茶の席を設けております。謁見室(ここ)で床に座るよりはおくつろぎいただけるでしょう。お伺いしたいこともございますので、続きはそちらで」

 (どうか、用意した真の理由がばれませんように……)と内心で祈りながら、にこやかに移動を促した。元が機嫌取りのためといえ、来賓室に準備が整っているのは違いない。

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えます」

 ニーナは屈託のない笑みを見せた。


 今までの聖女と違い、好意も感謝も素直に表すのが心地よい。ついアレクの頬が緩み……締まる。

 無性にこの聖女の化けの皮を剥がしたくなった。


「では、失礼します」

 アレクはニーナの手を離し、そのまま彼女の膝の裏側に回そうとして……ものすごい勢いでニーナがその手をはたいた。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「いかがされました?」

「何をするつもりですか……?」

「まだ膝がお辛いかと思いまして、お運びしようと」

「いやいやいやいや! 自分で歩きます!」

「遠慮など聖女様には似合いませんよ」

 端正な顔立ちとは釣り合わない、たこだらけでごつごつした手がまたニーナの膝の裏に回ろうとする。それを待って待ってと色白の小さな手がひしと掴んで止めた。

「だってそれ、横抱きする気ですよね!? 私、重いし、そんなはしたない格好で運ばれるのは困ります!」

「そうですか? 困る聖女様は初めてですが」

 当然のように顔を赤らめ身を寄せてくるかと思っていた。が、返ってきたのはまさかの拒否。アレクも困って首をひねる。


 ただ、掴まれているはずなのに力はまるで感じない。拒む()()か……と視線を落とせば、白かった肌は茹だったように赤く染まっていた。本気だった。

 あまりの色の変わりように焦ってアレクが手を引っ込めると、ニーナはひと仕事終えたかのごとく長い息を吐いた。


「そういうのは、ご自身の大切な方だけにしてあげるべきです」

 じっとりまとわりつく物申したげな青い瞳は、拗ねた口調と相まって大いに不満を主張している。

 ――まだ良い聖女()芝居を続ける気なら、とことん付き合ってやろうか。

 アレクは知らん顔で得意げに胸を張った。

「では問題ありませんね。私にとって、全ての女性が大切な存在ですから」

「……昼日国の騎士様って皆そうなのですか?」

「どうでしょうか。私は亡き母から手ほどきを受けました。もっとも、教えられる以前よりそう思っていましたので、おそらく魂に刻み込まれていたのでしょう」

「……どうしようもないところも継いだんですね」

 ニーナの口から思わず気の抜けきった声が漏れて、ごほんと咳払いで濁した。


 そんなニーナに構わず、アレクは己の美学を熱く語り続ける。

「私にとって、女性は美術品と同じです。その美しさを褒め称え、その華奢な体を懇切丁寧に扱うことは、呼吸をするのと違わないほど()()()()なのですよ。特に貴女様は、お姿も気高さも私なとが触れてもいいのかと躊躇うくらい麗しくて……今までになく気合いが入ります」

「え、あ、どうも」

 仰々しい賛辞にぎこちなく相槌を返せば、頬がぴくりと引きつってしまった。

「お分かりいただけたなら、失礼します」

 それに気づかないアレクの押し付けが、もう一度膝の裏側に回ろうとして――

「だから! 抱っこは結構です!」

 ニーナは迫り来る胸のあたりを思いっきり押し返した。アレクはビクともしないが、反動でうまい具合にニーナの体が後ろに下がる。



 ニーナははーはーと肩を上下させながらも、膝を自分の腕で抱き込みアレクからじっと目を離さない。アレクもアレクで頑なに断られ続け、さすがにむっと顔をしかめる。

 もう意地でも抱き上げてやる、と負けん気が湧いてきた。

「なぜ、そこまで拒まれるのですか?」

「望んでいないからです。手か肩を借りれば十分ですし」

「それなら抱き上げても問題ないでしょう?」

「……これ以上の説明、要ります?」

 真顔で力強く頷いたアレクに、ニーナはわざとらしくため息をつく。

「えと……女性を丁寧に扱う男性は、大変……すばらしい……と思います……」

 言わされているような前置きをぼそぼそ唱えたかと思えば、

「で! す! が!」

 と、急に声を大きくし、指先を勢いよく頭の硬いわからずやに突きつけた。


「私はちやほやされに来たんじゃなく、昼日国が危機だと聞いて力を貸しに来たんです! そりゃあ、日頃から鍛錬されている騎士様たちと比べるのはおこがましいかもしれませんが……それでも、同志として扱ってほしいんです!」

「……は? 同志?」

 胸の辺りで力んでいたアレクの拳が、すとんと床に落ちた。

「……同士って、何かご存知ですか? 志をともにする者のことを言うんですよ?」

 怒りで声を震わせながら、アレクはニーナを睨む。

「貴女は陛下がお招きした貴賓であり、聖女様であり、紛うことなき女性です!  同志だなんて……そんな風にみれるわけないでしょう!」

 さすがは騎士と言うべきか、怒りの気迫は遠巻きに見守るリアムをも圧倒する。しかし、正面からそれを受けるニーナに怯む素振りはない。それどころか曲げっぱなしの膝をさする余裕すらみせる。

「貴賓なんてそんな大層な……ほら、狩人とか傭兵とか、お金払って助っ人を雇うじゃないですか。それと似たような者ですし、他よりお高いですよ、私。魔力も見えるし聖法も使えるんですから、特等席でふんぞり返らせとく、なんてもったいないですって」

「何を馬鹿なことを……」

 一方でアレクは、例えニーナが正論を述べようが受け入れる隙がないほど頭に血が上っていた。


 騎士としての立場もある。が、それ以上にアレクが(いだ)く女性は、美しく、優しく、品があり、淑やかで、柔らかく、いい匂いがして。そして、あざとく、わがままで、打算的で……甘く、浅ましい心の隙を満たしてくれる。

 ――そう、女性とは()()()()()()なのだ。


 アレクの理想像から逸脱するだけでなく、それを容赦なくかき乱すニーナへの憤りが沸点を超えた。

「どう言われようが貴女は国賓であり聖女で間違いありませんし、女性であることを抜きになどできるわけない!」

 いま目の前で苛立ちをぶつけているのが、まさしくその「女性」なのだが……怒りで思考を吹き飛ばしたアレクはそれに一切気づいていない。

「だいたい私の手ひとつ止められなかった貴女に、何ができるというのです! 貴女は聖女様だ! 同志は騎士でなく、他の聖女様でしょう! それなら敬われて当然とふんぞり返って、もったいぶりながら聖法を使って、城の中で大人しく持て囃されててくれればいいんですよ!」

 鬱憤を洗いざらいぶちまけて……熱くなっていた頭が冷えてくる。それにつれ、肝も冷えた。アレクは今さら口に手を押し当てる。


 おそるおそる、座り込んだままの女性に焦点を合わせると……うるうると潤ませた青い瞳でアレクを見上げ、

「私では、お役に立ちませんか……?」

 消え入りそうな声で鳴いたかと思えば、両手で顔を覆ってしまった。

「あ……いや、その……」

 アレクは焦ってニーナに近寄ると、ふるふる小刻みに揺れる華奢な背中をおっかなびっくり擦りながら顔を覗き込もうとする。と、いきなり「ばぁ!」とニーナが顔を上げた。

「あはは、冗談ですよ!」

 びっくりしたまま固まるアレクをみて、してやったりと愉快そうに笑う。

「でも、今までの聖女と一緒にされるのは心外ですね……どうしたらわかっていただけるかしら? 英雄様の足元に額づいて、靴先に口づけでもしましょうか」

 そう言ってきりっと眉根を寄せると、ニーナは土下座をするように顔をぐっとアレクの足元に近づけた。

「ちょ! いやいや待ってください! それ駄目です!」

 慌ててアレクがニーナの肩を掴んで持ち上げる。


 あたふたするアレクにくすくす笑いながら、そっと肩を掴む手に自分の手を重ねた。

「すみません、アレク様の誇りを蔑ろにするつもりではなかったんです。それに、今までの聖女の悪行を考えれば反感を抱くのもわかります。でも、昼日国を守りたい気持ちは同じなんです。だからこそ、特別扱いじゃなく隣に並びたいのです」

 何か苦いものを飲み込んだようにアレクはぐっと眉間を寄せ、はぁ、と息を吐く。

「……わかりました。少し時間はかかるかもしれませんが、ご希望に添えるよう善処しましょう……」

 口ごもりながらも言い切ってから、未練がましくニーナに視線を向ける。

「……でも、やはり女性であることだけは譲れません。どうか、来賓室まで運ばせてもらえませんか?」

「ごめんなさい。他人に体を任せるのが怖いので遠慮させてください」

 ニーナがにっこり笑って肩の手を払いのけたことで、完全にアレクが折れた。



 ふと気づけば、リアムが玉座から転げ落ちそうなほど大笑いしている。ニーナは恥ずかしそうに玉座を見上げ、ぺこりと頭を下げた。

「お待たせしてすみません。では行きましょうか」

「ご案内いたします」

 笑いのおさまらない王に代わり、扉で控えていた近衛兵がニーナに近づきさっと手を差し出す。その手を借りて立ち上がると、ニーナはぎこちなく足を動かして謁見室を出ていった。


 二人を見送ってから席を立ち大きく深呼吸したリアムは、呆然としたままのアレクに歩み寄りその肩をポンポンと叩く。

「いやー、凄いねぇ! 派手にやり込められてたねぇ!」

 滲んだ目を擦りながら従弟の背を見れば、思い出してまた笑いが込み上げてきた。

「……なんだ、あれは……」

 アレクは面白がる従兄のこらえ笑いにも無反応で、がっくりと項垂れたまま立ち尽くしている。

「君の扱いが上手いなんて、本当に頼もしいなぁ!」

 リアムは笑いながら、しょげるアレクの背中をばしばし叩く。

「……これは、ぜひ付き添っていただかねば」

 そう力強く呟くと、されるがままの背中を押しながら部屋を後にした。

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