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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第一章
7/60

第六節 夜月国の聖女様

 苛立って地面を小突いていた槍が弾むような拍子を刻みはじめた。その軽快な調子を聞けば、アレクの鬱憤が晴れたのは明確である。

「君はお気楽でいいね」

「リアムが悩みすぎなんだよ。何がそんなに心配なんだ?」

 何って、心配の種は君なんだよ……と口にする代わりに猫っ毛をくしゃくしゃと掻きむしっては、すっきりした表情のアレクをじとりと睨む。


「アレク、君は確かに強いよ。でも、この間の魔獣の討伐でも肩をばっさり切られて帰ってきただろう?」

 床を突く手が止まった。小言で痛みを思い出したのか、一瞬アレクの口がへの字に曲がる。

「まぁ、あれは……仕方なかったよな」

「仕方なくない」

 リアムは緩い口ぶりで逃げるアレクにすかさず食いついた。

「報告を聞けば、魔獣に襲われた狩人を助けるために突っ込んでいったらしいじゃないか。何度目だよ」

「戦いなんだから、そんなこともある」

「それ。それだよ。なんで分かってくれないかなぁ!」

 今度は猫っ毛をぐしゃぐしゃにするリアムを、アレクは愉快そうに眺める。

「まぁ、俺を説得するより聖女様を説得する方が難関だと思うけどな」

 鼻歌でも歌うようにアレクが口ずさむと、リアムが搔く手を止めた。

 アレクが言う通り、聖女を付き添わせるのは至難の業だろう。


 と言うのも、聖女は昼日国が大嫌いなのだ。その理由をリアムはよく知っている。

 本来は典礼や式事を司るのが務め――にもかかわらず、昼日国に来ると求められるのは『癒し』ばかり。馬車は窮屈で移動も長い。ようやく着いた先には、血と汗にまみれたむさ苦しい男たちが待ち構えている。

 彼女たちの機嫌は夜月国から馬車に乗った地点で、すでに最悪なのだ。


 ……それでも、なんとかして聖女様の助けを借りたい。



 隣でのんびり部屋を見回すアレクに気を割くのはやめ、リアムは玉座脇にある呼び鈴を鳴らす。慌ててやってきた侍女長に、急いで来賓室にもてなしの席を整えるよう指示した。機嫌を取る策のひとつとして、あらかじめ出すものは最上質の物(とっておき)を備えてある。


 あとは滞在する部屋を、お世話する侍女を……と忙しないリアムを横目に、アレクは悠々と壇を降りてすぐ左の壁際まで歩いていく。そこで壁を背に槍を構えれば、ただの護衛にしか見えない。聖女をどうこうする気のない彼は、どうやら当事者として謁見に加わりたくないらしい。


 ようやくそれに気づいたリアムが小言をいう間もなく、ノックの音が響いた。


 一瞬にして二人の顔が強ばる。

 アレクに至っては苦い記憶を散々思い出したせいで、まだ見ぬ聖女への印象はすこぶる悪い。ぎらりと光る浅黄色の視線は、開いてもいない扉に突き刺さっていた。


 リアムが努めて厳かに、入るよう伝える。きぃと開いた隙間から近衛兵が体を滑り込ませ、内側から扉を大きく開け放った。

 遮るもののない謁見室に足を踏み入れた女を一目見たアレクは……刮目し、静かに息を飲む。



 ――青い。



 目に飛び込んできたのは透き通るようで深みのある、海のような優しい青の髪。


 それは玉座に続く赤い絨毯の上を緩やかに波打って、二人の近くまで寄せるとふわりと広がって凪いだ。

 いつもならゴテゴテに飾り立てた祭服に目がいくのだが、目の前の華奢な聖女が纏うのは簡素な白の法衣。その飾り気のなさが、青をより鮮やかに際立たせていた。


 アレクの記憶でふんぞり返る聖女は、濃淡違えど皆赤い髪を揺らしている。髪の色も装いも今までの誰とも重ならない。

 それなのに……どこかで見覚えのあるような懐かしさが込み上げて、ふと胸が疼いた。なぜか心の深いところが叫ぶように痛み、きゅうっと締めつけられる。今まで感じたことのないそのざわめきがどうにも落ち着かず、アレクは胸に拳を押し当てた。



 そんなアレクに気を留めることなく、黒いタイツのせいでひょろひょろにみえる足をすとんと折って、聖女は片膝をつく。

  ニーナはただ一礼をしただけ。それなのに、彼女の肌にもアレクの心にも、緩やかな波が寄せて……返した。


「お初にお目にかかります」

 鈴を転がすような声が静かな室内に響く。リアムに柔らかく笑いかけた聖女の瞳も、青い。まるで昼日国の空のように曇りのない青さだった。

「ご要望に応じ夜月国より参じました。名をニーナ、と申します」

 聖女は名乗ると、もう一度丁寧に頭を下げる。青い髪がまた、ふわりと揺れた。



 正面で構えるリアムも、アレクと同じように聖女を凝視している。ただ、壁際からの熱っぽい視線とは違い、茶色の瞳は恐々と見開かれていた。まるで見てはいけないものを見たように、わなわなと震えていて――そう、リアムは驚いていた。


 この、目の前で跪いて、頭を下げて、自ら名乗って、しかも笑いかける(ひと)は誰だ。あの野放図で名高い聖女様だ。


 今日は色々あったから疲れて夢でも見ているのだろう。このまま覚めなければいいのにと呆けていると「あの……?」と声をかけられる。

 目はずっと覚めていた。

「え、遠方よりご助力、感謝いたします。昼日国を治めるリアムです。よろしきゅ、っ!?」

 急いで名乗り返すも慌てすぎて思いっきり噛んだ。痛みで思わず口を塞ぐが、動揺は収まらず聖女から目が離れない。


「はい、よろしくお願いいたします。微力ですが、ご期待に添えるよう頑張ります」

 言い終えたニーナが頭を上げると、なぜか王は口を手で押さえ込み、涙目を白黒させている。

「……どうかされましたか?」

「あ、いや、失礼!」

 リアムは慌てて手を離した。


 今まで謁見室にきて、自分から何かをした聖女はいない。それが聖女だと脳裏に刷り込まれている。

 逆にリアムが(ぬか)ずいた記憶は、思い出さずとも浮かんで……それがうまい具合に顔の筋肉を元に戻してくれた。


 ただ頭の中はしっちゃかめっちゃかだ。混乱を治めようとすればするほど言うべきことが分からない。ただ、疑いだけはしっかり形を保っていて……

「……貴女、本当に聖女様ですか?」

 表に出してはいけないものがぽろりと口からこぼれた。自分で言ったくせに自分で驚いて、リアムはまた慌てて口を押さえつける。ニーナの反応が恐ろしくて直視できず、勢いよく立ち上がって思いっきり頭を下げた。

「し、失言でございました! どうかご寛恕を!」


 重力に従って落ちた冠がかんっと床を跳ね、からんからんと派手な音を立てながらニーナの足元で止まる。

 それを最後に、さぁと血の気の引く音が聞こえそうなほど謁見室が静まり返った。



 リアムは冠を拾いもせず、頭を下げたままだ。無音の圧力に押しつぶされそうで、額から滲む汗が止まらない。



 そんな沈黙を、澄んだ声が破った。

「頭をあげてください」

 ニーナが冠を拾って立ち上がる。耳障りのよい声遣いに促されて、リアムは恐る恐る顔を上げた。視界に映ったのは、冠を手にくすくす笑う聖女だった。

「……小耳には挟んでおりましたが、今まで来た聖女たちは相当なご無礼を働いていたのですね。ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」

 それでもまだ血の気が引きっぱなしの真っ青な顔をみて、ニーナが申し訳なさげに目を伏せる。


 聖女様の機嫌を損ねなくてよかったと安心するもつかの間、こんな丁寧に対応されたこともなく……リアムの背筋が過度に伸びた。

「いえっ……ご助力いつも感謝しております! 誠に痛み入ります!」

「謝らなければならないのはこちらの方です。きちんと女王様に報告しますね。すぐに良くなる、とは言えませんが、なるべく早く態度を改めさせますから」

「ご、ご配慮いただき、ありがとうございます」

 肩をがちがちに固めたまま礼を述べるリアムににこりと返し、ニーナは地面についた冠の縁をぱっぱと手で払う。

「これ、そちらにお持ちしても?」

「失礼、私がお預かります」

 壁際で控えていたアレクが近づいて、冠を受け取ろうと手を伸ばす。それに応えようと顔を向けたニーナが、はっと息を飲んだ。


 大きく見開かれた青い瞳に、自分の姿が揺れている。まるで水面を覗き込んでいるようで、アレクはつい見とれてしまう。

 その間もニーナは瞬きを忘れ、じっとアレクを見据えている。見つめられるのには慣れているが、さすがにそわそわしてきた。

「あの……私の顔に、何か……?」

「あ、すみません。なんでも……」

 ニーナがはっとして目を逸らす。が、それは一瞬のことで、唐突に冠を突き出しながらアレクに視線を戻した。

「……あなたが英雄の魂を継ぐ方なのですね」

「俺が英雄……? どうして知っているんですか!?」

 受け取ろうとするアレクの手が止まった。


「……どこかで、お会いしたことがありましたか?」

「いいえ。あなたに会うどころか、昼日国に来たのも初めてですよ?」


 俺をよく知らない人は英雄だと気づかないのに……不信をあらわに立ちすくむアレクに、ニーナは口元を緩める。

「騎士様の魂が今まで見た誰よりも眩しくて……間違いなくこの人だ、って思いました」

 固まったままのアレクの手に無理やり冠を握らせると、空いた手でワンピースの裾を持ち上げた。

「お会いできて光栄です、英雄様。私は夜月国サンチェスの聖女ニーナでございます。よろしければ、お名前をお聞かせいただいても?」 


 傍観で終わるつもりが、こうなったからにはもう名乗るしかない。ただ、あれだけ毛嫌いしていた聖女なのに嫌気はしない。それどころか、少し首を傾けながらじっと言葉を待つ仕草が妙に心をくすぐる。

 いやいやまさか……とアレクは小さく首を振り、丁寧に騎士の礼をとった。

「私はマルティネス騎士団騎馬隊所属の騎士、アレクサンダーと申します。長いでしょうから、アレク、とお呼びいただいて結構です」

 アレクの淡々とした受け答えにも、ニーナは嬉しそうに微笑んだ。

「分かりました。では、アレク様とお呼びしますね」


 ちりっと、アレクの胸が後ろめたさで痛む。思ったより、悪くない……いや、絆されるな。

 どうせこの()も聖女だ、すぐ本性を現すだろう。リアムの思惑通り話が進んでも面倒だし、素っ気ないくらいがいい。

 ついでに手渡された冠もさっさと返すかと、アレクが玉座を向いた――瞬間、後ろで「わっ」と声がする。振り返れば、足元をふらつかせたニーナがぺたんと床に座り込んだ。

 アレクは手にしていた冠を雑にリアムへ放り投げ、へたり込むニーナに駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

「あはは……すみません。ありがとうございます」

 ニーナは情けなさそうに笑い、差し伸べられた手をとった。


「膝が言うことを聞かなくて……多分、馬車に座りっぱなしだったからですねぇ」

 そう話しながら、ニーナは手を借りて立ち上がろうとする。が、尻を浮かせたところですぐよろけた。慌ててアレクが背も支え、また床に押し戻す。

「くれぐれもご無理はなさらぬよう」

 少し強めの口調で告げ、アレクは大人しく座るニーナをじっと見つめた。色白な肌にほんのり赤みがさしているのを確かめて、ふぅと詰めていた息を吐く。


 玉座から向けられる心配そうな視線に、アレクは首をゆっくり縦に振って異状なしを伝えた。それをみたリアムもほっとして……とりあえず乱暴に返された冠を頭上に戻した。



 それにしても、夜月国に依頼を飛ばしたのが間者が帰還する報告を受けてからすぐ。馬車で来たなら少なく見積もっても到着はもう半日遅く、今日の陽が落ちる頃になるはずだ。


「ずいぶん早い到着でしたね、驚きました」

「ええ、依頼の文を見た女王様が余計に……あ、特別に手配して下さったんです。馬の方が早いって言ったんですけど、はしたないって却下されちゃったんですよね。馬がいいのに……そう思いません?」

 ぶつぶつ文句を垂れるニーナから馬以降は聞かなかったことにして、リアムは頭の中で逆算する。

 依頼を受けてすぐ用意して、すぐ出発して……

「馬車道を通ってこられましたか?」

「ええ。ちょうど開放される時間だったみたいです」

 それなら国境に差しかかったのは日が暮れてすぐ。だとしても、休憩を最低限に控え夜通し走らせ……確かに辿り着けるが、自分なら絶対にやりたくない。


 なるほど、ニーナの膝が痺れたのもうなずける。夜月国も事態をかなり深刻に捉えてくれたと気づけば、目の前で座り込む聖女に頭が上がらない。むしろ、ニーナを支えるアレクの頭まで高いと思えてきた。

「ずいぶん無理をさせてしまい……申し訳ありません」

「いえいえ、私こそ初対面なのに……こんな格好ですみません」

 リアムが深々と下げた頭に合わせて、ニーナはしゅんと肩を落とした。

「お気になさらず。昼日国を顧みてくださってのことなのですから」

 リアムは慌てて頭を上げるが、代わりにニーナが頭を垂らした。


 聖女の頭を見下ろすのは今日何度目だろう。それでもまだ見慣れない。

 今までなら礼どころか返事すらしない。そんな聖女に一体何を捧げれば、命懸けの旅に送り出せるか……ずっとそれを悩んでいた。たとえ昼日国を差し出しても、彼女たちにすれば道端の石ころと変わらないのだろう。

 ……でも、……

「あの……」

 考えに耽けるリアムを弱々しい声が止める。


 目をやれば、おそるおそるリアムを見上げるニーナと視線が合った。

「手前勝手なお願いですが……ここで座り込んだこと、絶対、女王様には言わないでください」

 リアムは首をひねる。馬車で長時間座っていれば、膝が固まるのは避けられない道だ。今までの謁見でも倒れ込む者はたまにいた。

「わざわざ報告するつもりはありません。たとえ何かの折に知られてしまっても、あの女王様なら咎めたりはしませんよ」

「……私以外なら、そうなんでしょうけど……」

 多くを語らず満面の苦笑いで流そうとするニーナに、

「……聖女様だと何かあるのですか?」

 と、リアムは食いついてみる。


 夜月国から武力を求められることがしばしばあり、女王とは顔を合わす機会も多い。他の聖女はさておき、女王自身は礼儀正しく思慮深い方だった。

 ……だから余計に彼女の恐れようが気になる。


 返事を待つリアムの好奇の目からニーナの視線が逃げた。しばらく小鳥のように謁見室を飛び回ったが、リアムの逸れない瞳に根負けして戻ってきた。

「日頃の行いって、大事なんですね……」

 その言いようにふたつの笑い声が謁見室に響く。


 ――この聖女は気安く振舞っているのではない、普段からこの調子なのだ。リアムは会話を重ねるうちに感じ取っていた。


 自分の笑い声に導かれ、リアムの心に小さな希望が灯る。


 ……この聖女なら――賭けてみる価値はある。

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