表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第五章
62/63

第五十七節 狂気の源流へと

 アレクたちは、ノエルが用意してくれていた船で帝国へと向かっていた。



 到着まで四時間ほど。ここが休める最後の場だと、皆は船室で仮眠をとっている。アレクだけ、ひとり寝付けず甲板から空を眺めていた。


 快晴……とは言えないが、空は十分に晴れている。高く輝く太陽と戯れるように、綿雲が陽の光を横切っていく。

 船の速度が早いせいか、顔を打つ風が強い。鼻をつんと刺す潮の匂いを感じながら、アレクはそっと腰の袋から杯を取り出した。


 聖遺物はふたつ。アレクの手にある「杯」と、ロディに持たせた「杭」。


 「杭」の使い方は分からないままだ。しかし「杯」だけでも、アレクが想像していた以上に希望となり得るものだった。


 「鍵」はアドバンが封印に押し込んだ時に、消えてしまったようだった。もし本当にそうならば、封印を再び施すことはできない。

 しかし、魔力に対抗する術ができた。まだ、勝機がある。


 アドバン、イーサーを倒し、そして、そして――

 その先は、まだ考えたくない。


 アレクは手の中の杯を強く握りしめた。



****



「これはまた……たった二日で、ずいぶん寂れてしまいましたね」

 船を降りたクレイグが港を見回す。


 初めて足を踏み入れた時は、荷積みや荷降ろしの商人らで賑わっていた。

 しかし今は、人どころか停泊する船すらない。埠頭の白さが、不気味なほど眩しかった。


 アレクを先頭に、四人は街へと続く石畳を辿る。


 街は白さも形も変わらず、そこにあった。ただ、玩具みたく同じ挨拶を繰り返す人には、もうすれ違わない。

 もともと温もりなど微塵も感じない街だった。それでも、この間までは、確かに()を歩いていた。

 今はただ、絵画の中を通り抜けるようだった。

 街は、人がいてこそ命が宿るのだと痛感させられる。


 街の人がどこに行ってしまったのか、気になった。だが、ここで足を止めてはいられない。ニーナが見つけた劇場への脇道も、脅威の存在を想起させた酒場も通り過ぎる。


 そして、並んだ建物が途切れるところまで来た。足元の石畳は、目の前に広がる林へと伸びている。その先には遠目に黒岩の城が見えた。


「このまま行くぞ」

 アレクが一歩、林に向けて石畳を踏み出す。

「まさか、正門から入るおつもりですか!?」

 焦って止めるクレイグを振り返ると、アレクは寂しげに笑った。

「……もう、抜け道なんてないんだ」



 林の中の登り道を四人はまっすぐ進む。一度追い払われた城は、再びどんどん視界に大きく迫ってくる。

 敵の本拠地はもう近い。


「そういえば……」

 アレクの後ろを歩くスカーレットが、ロディを振り向いた。

「ロディも英雄なのだな」

 ロディが英雄の力を持つことは昼日国の秘匿だ。だが、帝国に入ってからはその事情を知った者ばかりだったため、特に言及するもなく事が進んだ。

 誰もスカーレットに説明していない。


 ロディは両手のひらをぱしっと顔の前で合わせた。

「ごめん! さすがに言うわけにゃいかなくてさ!」

「気にしていない。むしろ当然だ」

 スカーレットが前を向き、すぐまたロディに振り返る。

「……そうと踏まえて見比べれば、確かによく似ているな。双子か?」

「その通り!」

 アレクが誇らしげに目を細め、思わずスカーレットを振り返った。


 血と魂を分けた分身(ロディ)の存在は、アレクにとって何よりも心強い。それが他者にも伝わる瞬間が、この上なく嬉しい。

「こんなに似てるのに、なんで皆気づかないかなぁ?」

 アレクは不貞腐れて進む先に視線を戻す。一番後ろのクレイグが「ふっ」と鼻で笑い、すぐぽつりと呟いた。

「本当に……なぜ、気づかなかったんでしょうね」

 独り言にしてははっきりと声に出たそれは、昼日国を出る前のこと。三人で話すなか、双子と気づかなかったのはニーナだ。

 クレイグの言葉は、暗にアレクへと向けられていた。


 アレクは目を丸くしたニーナを思い出す。ひとつの魂をずっと追いかけていたと分かったいま、彼女の驚きようは腑に落ちた。

「多分さ……魂が二つに分かれたって、思わなかったんだろうな」

 そう言うと、これ以上の会話を拒むようにアレクの足取りが速くなった。



 ほどなくして、城の正門にたどり着く。

 門の落とし格子は上がったままだ。


 正門だというのに見張りの姿はなく、道中も兵影ひとつなかった。

 昼日国に戦力を割いたとしても、ここまで誰もいないのは異常だ。


 何かおかしい。


 アレクは周囲の気配をうかがいながら、そっと門の中に足を踏み入れた。庭と呼ぶには殺風景な広場の奥に、主塔へ続く厳しい扉が見える。


 植え込みが、わずかな風でさらさら揺れた。

 静かだ。

 そしてやはり、誰もいない。


 クレイグは、死角になりそうな木や建屋の影に注意を巡らせる。

「まだ立入禁止と聞いた時間には早いはずですが……

静かすぎませんか?」

 スカーレットは頷き、剣を抜いた。

「ああ。おかしい」

 四人は主塔に向け、足音を抑えながら進む。


 扉にたどり着く少し手前で……ふとクレイグの目が、植え込みからはみ出た鉄靴の足を捉えた。

「アレク様! あそこに人が!」

 クレイグの呼び掛けで、他の三人もすぐそれに気づき、足早に植え込みへと近寄る。


 全員で覗き込むと……そこには、帝国兵の鎧を纏った男が倒れていた。目を見開き、大口を開けたその表情は、絶望を語る。

 アレクがそっと首筋に手を当てた。

「……脈がないな」

 クレイグは喉元をちらりと見て、鎧の胸の部分を外す。血の跡も、服の破れもない。

「外傷が見当たりませんね。持病か何かでしょうか? それとも、魔力のせい……?」

 スカーレットが植え込みの周りを見渡した。この城を元々知る彼女にも、一目で分かる異変はないようだ。


 ふと、ロディが空を仰ぐ。

「なぁ、なんか音しない?」


 そう言われて耳を澄ませば……風の音に紛れて、かすかに吠えるような低い声が聞こえる。

「この声は……人か?」

 スカーレットの言葉で四人は顔を見合せ……声を辿って主塔の扉まで急いだ。


 アレクがそっと、扉に耳を当てる。

 ……小さいが確実に、この中で何かが唸っている。

「……行くぞ」

 アレクはそっと、主塔の扉を押した。


 きぃっと音を立て……扉が中に吸い込まれていく。

 むわっと、鉄の錆びた臭いが鼻を塞いだ。


「うっ!?」

 クレイグが口を押さえながら顔を背ける。

「これは……!」



 アレクたちの目に飛び込んだのは、赤。



 床から天井まで、赤い液体が飛び散らかす。

 それは魔獣に滅ぼされた村と同じ、血の赤だった。


 躊躇いながら、アレクは城内に足を踏み出す。


 進む廊下の脇には、おびただしい数の死体が無造作に積み重なっていた。

 ロディがそのうちの一体に目を向ける。脇腹が鎧ごと、大きく抉られていた。まるで、何かにかぶりつかれたように、ごっそりと。

「ひでぇな」

 さすがのロディも顔をしかめた。けれども、スカーレットは眉根こそ寄せつつ、死体の状態にまじまじと目を向けている。

「一体、何にやられたんだ」

 どの死体も、壊すために弄ばれた人形のようだった。頭を、手を、足を……まるで気まぐれに、もがれていた。それらは奥の階段へと近づくにつれ、人の形すら保たない肉の塊へと変わっていく。

 かすかだった唸り声は大きくなり、アレクたちを階下に誘っていた。


 アレクは槍を構え、階段を下りる。一段一段下りるたびに、恐れが足を絡めとった。それでも、後ろに続くロディとスカーレットの足取りは、力強く揺るぎない。

 一番後ろで青い顔をしていたクレイグも、ようやく剣を抜いた。

 階段を降り切って、四人は廊下に出る。


 探すまでもなく、アレクが目を向けたその先……封印の間の近くに、唸り声の主はいた。


 小柄な人型の()()


 その外皮は黒く、膿んだような湿り気を放つ。目も鼻も窪んでいて、おぞましいと呼ぶに相応しい化け物。

 それは顔よりも大きく口を開き……ちょうど、兵にかぶりついたところだった。


 ばりっ、ぼきっ、と咀嚼音が響く。

 全員が息を飲み、立ち尽くした。

「こいつは……魔獣か?」

 ぼそっと呟いたスカーレットの言葉に、アレクは眉間を寄せる。獣……にしては違和感がある。

 人に似た輪郭を持ち、二本の足で立つ。二本の黒い手が、食べ残した兵の体を放り投げた。

 頭には、白髪らしきものが張り付いている。


 帝国にいるその白髪に、覚えがある。

「あれはおそらく……アドバンだ……」

「は?」

 全員がアレクに視線を向けた。


「封印の間にいた白髪の、魔力を持つ人なんて……他にいない、だろう?」

 アレクは黒い化け物から目を離さない。その視界の中で、かつて彼が魔獣化させたあの青年(ザイン)が重なっていた。


 ロディもアレクの見ているものを睨む。

「魔獣化しちまったってことか!」

「そんな! なぜ!?」

 クレイグがその結論を拒むように声を上げた。

「皇帝は、自分で魔力を操っていたのでは……」


 アドバンは魔力を得るために、たくさんの命を犠牲にしてきた。その果てに、今、自らの命までも喰われようとしている。それが当然の報いであっても、奇妙な哀れみがクレイグの胸に湧いた。

 やるせなさに、クレイグはそっと目を伏せる。



「おや、おかえり。早かったね」

 唐突に、奥から気の抜けた声が響いた。


 黒い化け物を視界に収めつつ、アレクたちは封印の間に目を向ける。

 そこから軽い足取りで出てきたのは、イーサーだ。

「でも、惜しい。あと一刻早ければいいとこ見れたのにねぇ」

「イーサー!」

 ロディが苛立ちを込めて叫ぶ。


 イーサーはにやつきながら、ロディを手招いた。易い挑発とわかっていても、ロディの体はぐっと前に傾く。

「だめだ、ロディ」

 すかさずアレクが手で遮った。踏み込む寸前で、ロディの足は止まる。


 イーサーがへぇ、と感嘆の声を漏らした。

「よくしつけてあるね」

 そう言うとイーサーは、黒い化け物を視線で射抜く。


 ――その瞬間、押し潰されるような圧迫感がアレクたちを襲った。アレクの頬が一瞬にしてこわばる。

 これは、魔力なのか……動悸が、汗が、止まらない。

 隣でじりっと、後ずさる音が聞こえた。


 化け物は、怯えるように彼からじりじり離れる。その様子を眺め、イーサーは満足げに唇の端を吊り上げた。

「こっちもようやく、だ。もう誰彼構わずかぶりつくから鬱陶しくてさ。俺の餌まで食っちまいやがって……」

 まるで獣を飼育する主人の言いざまだ。ロディはもう鼻で笑うしかない。

「はっ! 仲間割れでもしたのかよ?」

「仲間割れ?」

 イーサーが不思議そうに首をひねった。

「何言ってんだ。そりゃ君たちだろう?」

 それはいま、四人が一番触れられたくないことだ。

 ロディが小さく舌打ちした。


 イーサーが一歩、アレクたちに足を向ける。それから逃れようと、黒い化け物もアレクたちとの距離を縮めた。


「彼はね、もう餌にしか興味がないんだ。これはただの欲望の塊さ」

 にやりと笑ったイーサーは、何の前触れもなく化け物を蹴り飛ばす。


 うおぉぉん! と、黒い化け物が吠えた。


 急に、冷気が肌を刺す。

 アレクの口から、白い息が漏れた。

 皆が見守るなか、化け物の頭上にみるみる氷が塊となり、鋭く尖っていく。

 そして、再びの咆哮とともに――アレクたちへと振り下ろされた。


 その氷の塊は、紛うことなく魔力の賜物だ。ならば、打ち砕けるのは英雄の魂を持つ者のみ。

「ロディ!」

「おうよ!」

 アレクとロディが、クレイグたちの前に躍り出る。槍と拳が、同時に飛んできた氷の塊を捉えた。

 ぱりんと透き通るような音を響かせ、それは粉々に砕け散った。

 ロディは軽く手を振り払い、化け物を睨む。

「こいつ!? こんなんなっても魔法使いやがる。たちが悪ぃな!」

 きらきらと舞う氷の欠片を眺め、イーサーがぴゅうと口笛を吹いた。

「なんだ。君たち二人とも英雄の力を持つのか」

「へへっ。懐かしい顔が二つもあって嬉しいだろ?」

 ロディの軽口に、イーサーの眉尻がかすかに跳ねた。


 アレクはイーサーにちらりと目をやる。

 一瞬見えた不快の兆しはもうない。壁に背をもたせかけたまま、まるで遊びたい子供のように瞳を黒く光らせていた。

 気味の悪さも手伝い、すぐ黒い化け物に注意を戻す。

 こんな姿になっても、まだ魔力を振るう。いや、もう魔力しか残されていないのだろう。

 いずれにせよ、アレクたちにとっては不利だ。


 化け物を気配で捉えつつ、今度は目だけを後ろに流した。ちょうどクレイグが一歩、身を引く。スカーレットも剣の先を自分に引き寄せ、己を守るように構えていた。

 二人とも、魔力に対して手の出しようがないと理解している。

 アドバンを倒しても……まだイーサーがいる。

 ここで長引かせるわけにはいかない。


 アレクは腰の袋に手を突っ込む。

 聖遺物を使うなら――今だ。

 ロディを見た。

 目が合った。


「兄貴!」

 いいな、この感覚……アレクは思わず頬を緩めた。

「ああ!」

 力強く頷き、袋から杯を取り出す。


 杯をどうすればいいか。魔力を吸い込んでくれるなら、きっと、こうするのが正しい。


 アレクは黒い化け物に向けて、杯を掲げた。


「杯よ、頼む……!」


 びしっ! と。


 ガラスが砕けるような、鋭い音が響いた。

 全身に絡みついた不快な空気がすっと肌を滑り、杯へと吸い込まれていく。


 黒い化け物は杯を奪おうと手を伸ばす。


 ……その手が、崩れて、落ちた。


 化け物は唸りながら反対の手を出そうとする。その手も、黒い雨粒のようにこぼれ落ちた。

 それを皮切りに、化け物の黒い外皮がぼろぼろと剥がれていく。


 もがくたびに、黒い塵が舞い散い、儚く消えた。

 黒い外皮のその下には、人の顔があったのか――確かめる間もなく、崩れ去った。

「……人が、神の力に手を出した末路、なのか」

 アレクは思わず槍を下げ、息を飲む。

 目の前で終わりを迎える者の姿は、異様でおぞましく、でもどこか侘しさを帯びて……幻のようなその光景に、ただただ目を奪われるしかなかった。


「あー! 俺の玩具が!」

 そんな情緒など微塵もなく、イーサーは慌てて手を突き出す。

『ヤラ〈摂取〉』

 と唱えて……自分の手のひらをみた。

「魔力が……使えないな」

 そう呟いて、ゆっくりアレクの手の中をねめつける。

「……なるほど。お前も、その杯を使うか」

 イーサーは低く、淡々と言い放ち、視線を床に落とした。


 イーサーも魔法が使えないと、今の言葉で分かる。

 アレクは杯を袋に戻し、再び槍を構えた。

「これで終わりだ、イーサー」

 アレクの隣で、ロディも拳を突き出す。

 後ろの二人もすでに、イーサーに剣を向けていた。


「はっ……」

 下を向いたイーサーの口が、ふいに歪む。


 出し抜けにアレクの足がすくんだ。

 もうイーサーは魔力は使えない。

 それなのに、目の前の男から放たれた言い知れぬ悪寒が、四人の体を貫いた。


 イーサーがどんっ! と大きな音を立て、床を踏み抜く。

 土埃と一緒に上がったその顔は……酷く歪に押し広げられていた。

「ははははは! 笑わせてくれる!」


 この状況で何がおかしいのか分からない。気が触れたかと、アレクたちは唖然と立ちすくむ。

 イーサーはひとしきり笑うと、ふぅと息を吐いた。


「……君たちは知ってるか? なぜ俺が暴虐の王と言われていたかを」

「知らねぇよ!」

 ロディがなんとか絞り出した言葉に、イーサーは一瞬だけ口角をつり上げる。

「仕方ない……その名の由来、600年ぶりに知らしめてやろうか」

 飄々と言い捨て、イーサーは封印の間へと姿を消した。


 迷いが胸をかすめる間もなく、イーサーが戻ってくる。その手には身長と同じ長さの太い剣が二本、握られていた。


 黒い刀身が絶望を放つように、鈍くきらめく。

 彼の限りなく闇に近い瞳が、ぎらりと瞬いた。

 それは獲物を定めた、獣のように。



 イーサーは両手の剣を四人に向けた。

 鋭い先が、弛んだ空気を裂く。

「さぁ! 俺を楽しませてくれ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ