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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第五章
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第五十六節 キミノミカタ

「さて、と……」

 ニーナがようやく地面から腰を上げた。

 衣服の汚れを叩きながら、空を見上げた。


 雲の切れ間から覗く太陽は、相変わらず眩しい。その光は天頂から、長い尾を引くように街の白さを突き刺していた。

 希望を信じた昨日も、絶望を受け入れた今日も……空の明るさは変わらない。


 帝国に入ってから、ちょうど一日経ったくらいか。

 アレクたちは今、どのあたりにいるのだろう。


 ニーナは劇場の側面に回ると、大きな白い壁に手をついた。


『ベオーク〈遠望〉』


 その声が面白みのない白一面の壁に、鬱蒼とした森の景色を映し出す。

「おお……!」

 ノアが目を輝かせて立ち上がり、壁の景色を食い入るように見つめた。

「このキャスタ樹が密集するのは……アスタの村辺りですか?」

「ん、そうなの?」

 魔力まかせで魂の気配を捉えたので、ニーナ自身があまりどこかを把握していない。

 おざなりに返し、自分の視線のように、森の中の道に沿って景色の焦点をくるくると動かす。ふと、映った木陰の合間に、見知った後ろ姿をみつけた。

 そこにぐっと映像を寄せる。


 森に囲まれた村の入口で、ちょうど馬を降りたのは……アレクだ。

 後ろにいた三人も馬を降り、それを引きながら大きな建物の裏へと消えていく。しばらくして、クレイグを先頭に再び姿を現した。

 建物の正面に回り、扉を開けたクレイグ、大あくびをするロディ、首を回すスカーレット、険しい顔のアレク……どの顔にも疲労の色が浮かんでいる。

 四人は順に中へと入っていった。


 建物の扉が閉まると同時に、ニーナも景色を消す。白いだけに戻った壁にくるりと背を向け、もたれかかった。


 ノアの推したとおり、アレクたちがいるのはアスタの村の宿屋だ。昼日国の国境から首都アータミスまでを直線で繋ぐ道の途中にあるその村には、旅の途中に一度訪れている。

 あの時は、帝国からの刺客のせいでろくに寝れなかった。今となっては、それも忘れられない思い出だ。


 ニーナが物思いにふける傍で、ノアはまだ何も映らない壁をじっと見ている。

「国境の方から来たということは、英雄様は首都(アータミス)を目指しているのでしょうね」

 そうね、と受け流して……ニーナはふと気づいた。

「ノアはアレクのことを知っていたのね」

「まぁ、魔女様との結びつきが一番強い方ですから、一応は。魔獣に脅かされる昼日国では、酒のおともに聞かされることも多いですしね」

 ノアは気疎そうに鼻で笑ったあと、急にぱっと目を輝かせる。

「それに、実は僕、先代大聖女の補佐として彼らの洗礼式に立ち会っているんですよ!」

 そう誇らしげに言ったかと思えば、ふいにノアの視線が地面に落ちた。

「そういえば、僕の記憶では双子だったと思うのです。英雄の魂を持ってしても、権力の闇は払えなかったのでしょうか……」

 ノアの言い様からすると、アレクでない方は()されたと思っているのだろう。

 それほどロディの存在は徹底して隠されてきた。

 膨大な情報を得たノアでさえ、その痕跡にたどり着けなかったのだから。


 ニーナは口を開くのを躊躇う。わざわざ昼日国の秘匿を明かす必要はない。

 ただノアは、脅威と恐れられる存在(エミーナ)さえ正しく語る。それならこの人には、英雄(ロディ)も正しく語ってほしい。

「……ほら。酒場で一番先にノアに声をかけた、短髪で……ちょっと失礼な物言いの人。あの人がもう一人の英雄よ」

 ノアはまた少し宙を仰ぎ、「ああ」と頷いた。

「なるほど、お察ししました。彼も苦労の人、なのですね」


 自分と重ねてため息をついた夜月国のはみ出し者を、ニーナはあやすように覗き込む。

「ふふ、近親感が湧いた?」

「……どうでしょうか?」

 ノアはしぶしぶ唇の両端だけを持ち上げた。

「彼ほどではありませんが、望まれない肩身の狭さはよく分かります。国の事情で、母は子を成しても大聖女を務める羽目になりました。夜月国史上初の王子になった僕への風当たりは、なかなか酷いものでしたよ。特にギタレス枢機卿には、ずっと目の敵にされてきましたしね」

 それはニーナが生まれる前の話だ。ノアとノエルの母親……先代大聖女のことはよく知らない。一度退任し家庭を築いていたところを、次代に不幸が重なり、空位を避けるため呼び戻されたと聞いていた。

 純潔を掲げる聖女が子持ちなど、通常は起こり得ない。特に、急に現れた王子(ノア)の存在は、国の実権を代々握ってきたギタレス家にとって、黄昏の魔女以上の脅威だったのだろう。


 夜月国の老害ギタレス家は、エミーナの時代から存在する。当時も彼らに苦汁を飲まされてきた。

 その憂き目があるからか――あの老練が悔しがるさまを想像すれば、笑いが込み上げてくる。

「ふふっ。そのまま老害を蹴落とせば……」

 小気味がよくなり、つい話を膨らまそうとして……ニーナはぴたりと言葉を止めた。


 ニーナは黄昏の魔女として、人類を滅ぼすと宣言したばかり。このまま一緒にいれば、ノアまで世界の敵と見なされてしまう。

 正直なところ、この魔女の狂信者は熱量が高すぎて面倒くさいと思っている。ただそれ以上に、自分の存在を肯定してくれる、初めての味方だ。

 この先に待つ終焉に、彼を巻き込みたくはない。


 ニーナはそっとノアの正面に歩み寄った。立ち並ぶと今まで出会った人の中では、群を抜いて背が高い。同じ歳の女性と比べてもかなり小さいニーナは、ノアの影にすっぽり収まってしまう。

 だけど、この男の影など簡単に飲み込むほど、魔女という存在は闇深く強大なのだ。

 

 ニーナはノアに別れの手を差し出した。

「……ありがとう、ノア。私を肯定してくれたのは、あなただけだった。嬉しかったわ」

 ノアは差し出された手をすかさず、強く握りしめる。

「何をおっしゃってるんですか。僕もお供しますよ」

「……は?」

 ニーナは思わず手を離そうとして……離せない。力いっぱい腕を振ろうがびくともしない。このひょろっと細長い吟遊詩人を、ニーナは恨めしげに見上げた。

「何言ってんのよ。私と一緒にいたら、あなたも」

「分かっていますよ」

 最後まで言わせまいとノアが言葉を被せる。

「それでも、僕は魔女様を最後まで見届けたいのです」


 さぁっとそよぐ風に、銀髪がなびいた。まっすぐ向けられた赤灰色の瞳が、ニーナの胸をそわそわと揺らす。


 視線がノアから逃げたがる。

 ニーナはそっぽを向いた。

「……後悔するわよ?」

 答えるより先に、ニーナの手を握る力がさらに強くなる。どんな感情を向けているのか気になって、ニーナは横目でちらりとノアを見た。

 赤灰色の瞳は、まっすぐニーナを見つめていた。

 その顔には、しわひとつの迷いもない。

「ここでお供できない以上の後悔はありません。僕の人生は全て、貴女に捧げたのですから」

 柔らかくもはっきりと口にして、ノアは目一杯に微笑んだ。


 ニーナの手を包み込む温かさが、アレクの命の温もりを思い出させる。

 昨日までは手を伸ばせば届いた――けれど、守るために自ら手放してしまった。もう一度、払い除ける勇気は……ない。


「……好きにして」

 ニーナは前を見ないまま、言い捨てた。



 許しを得て満足したのか、ノアの手の力が緩む。その隙にさっと手を引っこ抜くと、ニーナは誰一人通り過ぎない街をぐるりと見渡した。


 アレクたちが再び封印の間まで辿り着くのは、いつになるだろうか。

 ノアの読み通り、あの村にいるなら目指しているのは首都。目的はきっと、聖遺物だ。それを手にしてから、帝国に向かうとなれば――この劇場を通り過ぎるのは、たぶん明日の今頃だろう。

 それまでは、立ちはだかるつもりはない。少なくとも――イーサーが倒れるまでは。


「これからどうしようかな」

 まだ時間があると分かったとたん、きゅうとニーナの腹が鳴った。思えば、昨日パンケーキを口にしたのが最後だ。

 腹の虫を聞いたノアがくすくすと声を漏らしている。ニーナが睨むと、ノアは気まずそうに目を泳がせた。

「……仕方ないじゃない。食欲がなくてもお腹は空くんだから」

「生きていれば当然ですよ。ひとまず、酒場で何か食べますか。そのあと、少し横になった方がいいでしょう」

 横になると聞いてニーナは首をひねる。この見世物の街には一切の看板がなく、商いの存在など全く意識にのぼらなかった。

「この街に宿屋があるの?」

 劇場の向かいに並ぶ同じ形の建物も、よく見ればどこか違うのかもしれない。ニーナは目を凝らしてそれらを見比べる。

「一応ありますが、あそこは避けた方がいいです。宿泊客が消えたという噂が絶えませんから」

 ノアの不穏すぎる話のせいで、整った建物の白さが人を食うようなおぞましさを醸しはじめた。一気に鳥肌がたち、ニーナは慌てて壁から目を背ける。

「じゃあ、どこで寝るのよ」

「あの酒場の店主に頼めば提供してくれますよ」

 昨日、酒場にいたのは……前掛けで覆えないほど逞しく育った筋肉の店員だ。


 街に入る前、スカーレットは「この街にいる人は演技者で監視者だ」と言っていた。それもあり、ニーナはあの店員を帝国の兵士だと思っていた。まだ、そう思っている。

「それ、信用できるの? この街の人は帝国の手先じゃないの?」

「彼も表向きは、そう振舞っています。魔女様とはいえ、詳しい事情はお教えできませんが……彼は、信用して大丈夫です」

 もの悲しげに瞬くノアの瞳が、ふいに劇場を見上げた。

「この劇場では、たくさんの悲劇が演じられてきました。そこから生まれた行き場のない感情たちは、この国の見えないところでひしめき合っているんです。溢れそうになるのを、ぎりぎりで押し殺しながら」

 そう呟くと落としたままだった帽子を拾い、「行きましょう」とニーナに背を向ける。歩く歩調に合わせて無言で揺れる銀髪を、ニーナは追った。



 酒場に着き、扉を開けた先にいたのは……やはり前掛けの似合わない筋肉質の男だ。この男が店主らしい。

 この時間は客が来ないのか、二人はすぐ席に通され、店主はそのまま横で注文を待っている。

 ニーナはお品書きを眺める。パンケーキは……食べれそうにない。「あなたと同じで」と任せると、ノアはパンとスープを二つずつ頼み……店主に何やら耳打ちした。


 注文を待つ間、ノアが当事者ニーナに向けて「ミレニアムの夜明け」を|講じはじめる。誰もいない店内に響くそれをうるさいと聞き流し、ニーナは運ばれてきた食事を胃に詰め込んだ。


 二人とも食べ終えると、店主が空いた皿を下げに来る。食器を積み重ねたあと、慎重に店内を見回し……二人を手招いた。店主の後をついて調理場を抜け、裏口から繋がる倉庫に通される。


 酒樽と食材の箱が積み上げられた奥に、カーテンよろしく布で区切られた空間があった。中を覗くと、薄暗いそこには簡素な二段ベッドと、大型の獣が捌けそうなほど広い洗い場が据えられていた。


 店主が去ったあと、ニーナは試しに洗い場の蛇口をひねる。水ではなくお湯が出た。

「あら、ここで体が流せるじゃない。至れり尽くせりね」

 ほんの些細な喜びでも、今は素直に声が弾む。

「臭いは追跡されやすいですから。虫も湧きますし」

 ノアは背負っていた鞄を壁に立てかけると、選ぶでもなく自然に下のベッドに腰掛けた。


「ふぁ……」

 上のベッドを見たとたん、ニーナの口からあくびがこぼれる。人間って本当に欲深い……とぼんやり考えながら、梯子をするする登っていく。

 布団は薄く、少しかび臭いが、気にする気も起きない。ニーナは上掛けも捲らず、そのままぽすんと横たわった。


「どのくらいで起こしましょう?」

 ノアがベッドの縁からニーナを覗き込む。

「まだ丸一日くらいあるから、適当に……」

 横になれば、抗いようのない眠気が一気に襲ってきた。ただ、目を閉じようにも、ノアはまだ何か言いたげに見ている。

「……どうしたの?」

 なんとか半眼を開き、呂律の回らない口から声を絞り出す。

「あの、魔女様……」

「……なぁに?」

「魔女様は魔力で空間を移動できるのですか?」

「……できるわよ」

「それならば、魔女様に折り入ってお願いがあるのです」

「……起きたら聞くわ」

 扉の隙間くらいの細い視界から、ノアの顔が消えた。


 ニーナは微睡みながら、わずかに聞こえる布擦れの音にぼんやり耳を傾ける。


 部屋が静かだ。

 いつもうるさかったいびきが聞こえない。


 ……そっか、ひとりになったんだっけ。


 もう、ロディは……大切な仲間たちはいないんだ。

 そう思えば、鼻から目頭に向かってしょっぱいものがつんと抜けた。涙が伝うのは眠気のせいなのか、悲しみなのか、わかりたくない。

 ニーナは考えるのを止め、静かに目を閉じた。



 ……もう、夢は見ない。

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