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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第五章
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第五十五節 ルイハトモヲヨブ

 封印の間(ここ)を離れてどこに行こうか。

 『ラド〈転移〉』を唱えようとして、ニーナは言葉を飲んだ。

 ……行き先が、浮かばない。


 さすがに夜月国は顔を知られすぎている。それなら昼日国は、と思えば……「来いよ」と誘ったロディの声がニーナの思考を止めた。一人では、行きたくない。

 帝国以外に、行ける場所がなかった。


 ぱっと浮かんだのは酒場と劇場だった。しかし、酒場はあの吟遊詩人のせいで気が向かない。劇場にも良い印象はないが、他に行くあてもなかった。


 『ラド〈転移〉』と呟いて、石壁が視界からふっと消える。

 ――次の瞬間、柔らかくて硬い何かが鼻を押し弾いた。


「んわっ!」

 ニーナはそのまま後ろにひっくり返る。投げ出した足の下に白い石畳が見えた。頭上から降り注ぐ陽の光が、ここは外だと教えてくれる。


「うわわっ!」

 ニーナの前方から驚く男の声が聞こえた。多分、ぶつかったのはこの声の体だ。

 じんじんする鼻を押さえながら、ニーナはぶつかった相手を見た。


 その人も向かいで尻もちをつき、腰をさすっている。

 つばの広い帽子のせいで顔が見えない。旅人然とした外衣、地面に広がる長い銀髪、落ちた荷物からかすかに響く弦の音……嫌な予感しかしない。

 ふいに帽子のつばが上がり、赤灰色の瞳がニーナを捉えた。

「あ! あなた!」

「……あれ? 貴女は、酒場にいた……?」

 見まごうことなく()()吟遊詩人、ノアだった。


 ノアは目を見開き、青い髪のてっぺんからつま先まで何度も視線を往復させる。

「貴女は一体どこから現れたのですか!?」

「え、と」

 ニーナはその質問から逃げるように顔を逸らした。


 昨日、魔女への思慕を盲目に語っていたノアの印象は、最悪に近い。正直、一番関わりたくない相手だ。

 「黄昏の魔女」と名乗れば、普通の人なら飛んで逃げるだろう。しかし、この男だと話は別だ。


 立ち上がりたいが、言い知れぬ悪寒がニーナの体をこわばらせる。魔法でこの場を去ろうにも、劇場(ここ)以外の行き先など思い浮かばなかった。

「……どこもなにも、ここにいるじゃない」

 ニーナは苦し紛れのごまかしで逃れようとする。

「その声!」

 すでに見開かれていた赤灰色の瞳が、ひとまわり大きくなった。

「先ほどの魔女様の声と同じだ。魔女様……貴女が魔女様だったのですね!」

 この吟遊詩人、さすが魔女への敬愛を歌うだけある。ごまかしたつもりが、逆にばれてしまった。


 黄昏の魔女だと確信したとたん、ノアは嬉々と瞳を輝かせニーナに迫ってくる。

 ニーナが顔をしかめるのなどお構いなしに、ノアは四つん這いでニーナの足元まで這い寄ると、額を地面に擦りつけた。

「どうか、昨日の無礼をお許しください!」


 ニーナは勢い余って脱げたノアの帽子にちらりと目をやり、石畳の上に散らばる長い銀髪に気を戻す。

 ……ノアの異常さが、イーサーを上回った。


 ニーナは大きく息を吸い込み、声を変えるため鼻をつまむ。

「ヒトチガイ、デス!」

 間の抜けた鼻声が建物の壁にこだました。


 その声が壁から去るのを待って、ノアがそっと顔を上げる。

「声だけではありません。私が調べた限り、その青い髪は魔力を得た証です。貴女は間違いなく、魔女様です」

 ニーナは罠にかかった獣の気持ちを思い知った。


 尻も足も地面に預け、為す術もなく空を見上げると、太陽は空に高い。劇場の壁は清々しいほど白く、無慈悲だ。味気ない風がさぁっと吹き抜けた。なぜか、しょっぱい。


 他に視線を逃がす場もなく、ニーナは再びノアを見る。さっきまで喜びに満ち溢れていた赤灰色の瞳が、今は涙をいっぱいに湛えていた。


 ほんのわずかな間に何があったのか分からず、ニーナは目をぱちくりさせる。

「えっ? ちょ、ちょっと!? 何泣いてるの!?」

「やはり、僕の読み通りだった。魔女様が……いま、目の前に……感無量です!」

「ちょっと、やめてよ! こんなとこで泣かないでくれる!?」

 膝立ちで慌てて詰め寄ったが、ノアは嗚咽を漏らしながら突っ伏してしまった。無論、泣き止む気配もない。

「あーあ、どうしよう……」

 声をかけようにも、おそらくニーナの倍は歳を重ねているだろう男の慰め方など知らない。

 それに加え、泣きじゃくるノアの気持ちが全く理解できなかった。


 そもそも、なぜこんなに崇拝されているのかさっぱりわからない。その名を聞いた仲間たちの信頼が呆気なく崩れるほど、「黄昏の魔女」は脅威のはずなのに。


 ……そうだ。ちゃんと脅威だと実感させれば、彼の心を折ることが出来るのかもしれない。

 思いつくやいなやニーナは『ケン〈獄炎〉』と呟き、拳ほどの炎を出す。

「顔を上げなさい」

 その声で素直に顔を上げたノアの涙まみれの顔に、炎をぐっと近づけた。


「ほら……これ、わかる? これが人を嬲る力よ。怖いでしょ? 怖がりなさいよ!」

 いつでも命を奪えると主張するように、炎をできるだけノアの眼前に突きつける。


 ノアの濡れた瞳が、きらきらと輝きはじめた。


 ……思った反応と違う。

 さっきの土下座で頭でも打ったのか。


 ニーナは炎を引っ込めようとする。だが、ノアはその手首を掴み、自ら炎に顔を近づけた。

「はい! 魔女様に殺されるなら本望です!」

「だめだこりゃ」

 信仰もここまで来ると、もはや病気だ。

 ニーナはさっさと炎を消し、大きなため息をついた。


 ノアはゆっくり掴んだ手を離す。そして困り果てるニーナを慈しむように目を細めた。

 優しげな赤灰色の瞳は、やはり誰かに似ている。

「しかしながら、魔女様に命を奪う気はないのでしょう? ミレニアムの夜明けでも、そうだったではありませんか」

 その言葉で考えていたことが全て吹き飛んだ。

 ニーナは大きく目を見張る。


 ノアの発言は正しい。

 正しいがゆえに、600年前に飲み込んだ真実がニーナの胸を掻き乱した。



 当時のエミーナがしたことは、ただひとつ。

 ザムルーズを救うために「魔力をこの世に顕在させた」――それだけ。

 その魔力でイーサーは昼日国を、世界を、己の欲望の赴くまま焼き払っていった。


 未だに忘れられない。

 あの時こっそり覗いた、打ちひしがれたザムルーズの顔。

 思い出して、胸がじくじくと疼いた。


 しかし、身を焼かれる者にとって()()炎を放ったかなど、どうでもいい。

 黄昏の魔女と暴虐の王は手を組んだ。そして、その暴君が魔力を用いて人々を虐殺していった。

 それが全てだ。

 イーサーが魔力で人を脅かすほど、魔力の源であるエミーナを脅威へと押し上げる。

 本当の自分は、命を奪う力も意思もなかった。


 無力だった自分への苛立ちが、今さら募る。

「知ったふうな口きかないで!」

 それは勢いよくニーナの口をついて出た。

 なぜノアが自分(エミーナ)の真実を語れるのかが見当もつかない。

「……あなた、一体何者なの?」

 逸る気持ちを抑えながら、ニーナはノアの答えを待った。



 疑いと期待が入り交じる青い瞳の輝きを受け止め、ノアは口元を緩める。

「僕は、ある理由で夜月国の歴史を研究していました。その過程でミレニアムの夜明けに関する史料に触れ、心を奪われたのです」

 それは何者なのかという問いに答えるものでもなければ、なるほどと頷ける話でもなかった。

 確かに夜月国なら、当時を記す文献や資料が豊富に残っている。ただ、ミレニアムの夜明けに関する資料には厳しい閲覧制限が設けられていた。

 それを掻い潜れる、ましてや男など……と考えたところで、ふとニーナは思い当たる。


 条件を全て満たす人物がひとり、いる。

 夜月国の恥とされ存在を消されたが、大聖堂に上がる聖女で知らない者はいない。


 どこかで見た気がする赤灰色の優しい瞳が、見知った誰とぴたり重なった。

「あなたまさか……女王様のお兄様……?」

「様!? 僕のような者に様など!」

 ノアは勢いよくニーナの肩をわし掴み、青い瞳の真ん前で力いっぱい首を横に振る。

「おやめ下さい! 魔女様が敬称を付けるような人間などこの世に存在しません!」

「めんどくさいなこの人」

 暑苦しい眼差しを逃れたニーナの口から、思わず本音が洩れた。


 ノアはそっとニーナから手を離し、膝をついたまま深く頭を下げた。

「名乗り遅れました。僕はノア・サンチェス。ご明察のとおり、夜月国現女王ノエルの兄です。僕が誰か分かるなら、なぜ魔女様に詳しいのかもご存知かと」

 ノアが夜月国を出たのは、ニーナが大聖堂に上がる大分前のこと。会ったこともなければ、詳しい話も知らない。

 聖女の間で囁かれるのは、立場を顧みず夜月国の女性優位に異を唱えたうえ、危険な思想に傾倒して追放された、というくらいだ。


 地面に垂れた銀髪を一切気にかけないこの男に、ニーナは少しの哀れみが湧く。

「……私が知ってるのは、根も葉もない噂だけよ」

「僕のことは、それで十分です」

 ノアは面を起こし、隠しきれない憂いを織り交ぜ小さく笑った。


 とりあえずノアが何者かは分かった。が、エミーナの胸の内を知っているのはまだ解せない。

「じゃあ、私のことはどの文献から知ったの? 黄昏の魔女を好意的に記した史料なんて、聞いたこともないわよ」

 ニーナはもう含みなく疑問を問う。

「僕が見たのは魔女様の手記ですよ。他にも、帝国の庭の端にラジアータを植えたことや、馬が居なくて残念などと書かれていましたね」

 ノアが何の気なしに口にする日々の記録を聞き……ニーナの顔がみるみる青くなった。

「手記って……それただの日記じゃない!?」

「とんでもない!」

 ノアは咄嗟にニーナの手を握りしめる。

「あれは聖書たるものです!」

「馬鹿にしてるでしょ!」

 ニーナは即、ノアの手を払い除けた。青ざめていた頬が、みるみる真っ赤に染まる。

「なんであんなの読んだの? そもそも何で夜月国にあるのよ!」

 ニーナは痛いほど熱くなった頬を、両手で力いっぱい押し込んだ。


 魔力を得てからザムルーズに倒されるまでの約一ヶ月、帝国に身を寄せたエミーナは日々を書き留めていた。

 世界からは疎まれ、帝国でも腫れ物のように扱われ、唯一心を許せた人ももういない。

 一人きりの寂しさを紛らわそうと、毎晩色んなことを書き殴った。


 何を書いたか……と思い返し、ニーナは頬に当てた手で頭を掻きむしる。

 思い出したくもない記憶が、次から次へと顔を出した。

 ザムルーズへの未練。吐き出せなかった本音。許されない泣き言。

 どれもが恥じらう胸をちくちく突いて、口が開いたまま塞がらない。


 ノアはそんなニーナを眺め、くすっと声をもらす。からかうような態度を怒る気力もなく、ニーナは地面にへたりこんだ。

「なぜ夜月国にあるかは、さすがにわかりかねます。ちなみに今もギタレス枢機卿の禁書庫にありますよ」

 それを聞いたとたん、青い瞳が恨めしそうにノアを射る。

「……あなたのおかげで遺す方が悪いと学んだわ。絶対、死ぬまでに燃やすから」

 ぼそりと呟き、抱え込んだ膝に顔を埋めた。



 劇場の周りは……いや、見世物に作られたこの街全体が、忘れ去られたかのように静まりかえる。黄昏の魔女の宣戦布告も手伝ってか、機械的に挨拶を繰り返す人の気配すらない。


 ノアは項垂れたニーナを見守るように、その場で膝を折って座り込んだ。

「これで、なぜ僕が魔女様の真実を知っているか、お分かりいただけましたね」

 とりあえず悟られたくないことまで知られているのが悔しくて、ニーナは素直に頷けない。

 特に返事を待たず、ノアはふいっと空を見上げた。

「最初は夜月国の女尊男卑を変える手がかりを探していました。そこで偶然、魔女様の手記を見つけたのです。魔女様の気持ちを知れば知るほど、噛み合わなかった歴史の矛盾が補填されていき……気がつけば、魔女様の虜となっておりました」


「それ、全部嘘かもしれないわよ?」

 気がつけばニーナがじと目をノアに投げている。半ば拗ねたようなその仕草に、ノアは笑いを噛み殺した。

「ふふ、裏が取れることは全部調べ尽くしました。それに、今の魔女様の反応が真実だと物語っていますよ」

 ニーナがふいとそっぽを向く。耳を赤く染めながら、視線だけをノアに戻した。

「なんで吟遊詩人になんかなったの? あなた、凄く頭良さそうなのに。他に選択肢があったんじゃない?」

「魔女様の真実を皆に語りたかったのですよ」

 ノアは戸惑いながら頭をかく。

「夜月国では、エミーナ様の名を表に出すことすらできません。私が得た真実はすべて、元の闇に還されました。ならば歌おうと。歌は自由です。貴女を讃えても、誰も咎めませんし」

 少し微笑みながら柔らかく、まっすぐ語るその言葉に、ニーナは段々むず痒くなってきた。

 蔑まれるのに慣れた心は、手放しに讃えられるとどうにも落ち着かない。

「あなたの歌、酒場で聞いたけど……美化しすぎじゃない?」

 話題を変えたくてニーナが茶々を入れた。ノアは「全く!」と激しく首を振る。

「むしろ全然伝えきれていないです!」

 左様ですかとニーナはため息で応えた。


 ただ、このくすぐったさが、不思議と嫌ではない。


 本音を押し殺し、ずっと誰にも理解されずにきた。それを汲み取り、肯定してくれる人は初めてだ。


 ノアは魔女を讃えたせいで存在を消された。いわばニーナの被害者だ。それでもなお、信じる心を曲げず魔女を慕い続けている。


 ニーナにとってアレクたちは、旅を通してたくさんの信頼を積み上げ、築いた大切な「仲間」だ。

 ノアはそうじゃない。ただ、彼と話すと、感じたことのない心強さを覚える。

 誰にも理解されない本心と、誰からも受け入れられない孤独……この世界にたった二人だけ、同じ思いを交わらせられる「同士」なのかもしれない。


 目の前でノアが微笑んでいる。

 ――どこにも居場所を持てなかった、この世界のはみ出し者。

 そんな彼が、自分と重なる。


 ニーナはそっと頬を緩めた。

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