第五節 はじまりの訪れ
「そうだ、アレクに……」
リアムが口を開いたと同時に、謁見室の扉がとんとんと鳴る。リアムは話を止め、玉座の背から首をもたげた。
羽織の内懐に忍ばせていた懐中時計をちらり見る。まだ太陽は空の高い位置を目指している最中だ。
今日は謁見の予定を入れていない。
騎士団長といい、大臣といい……先ほどまでのノックはろくでもないことばかりだ。これ以上の厄介事は断固拒否だと願いながら、リアムは真ん丸な目で扉を呪う。残念ながらノックはやまない。「入れ」と答えればため息が出ていった。
「失礼いたします」
扉を開けたのは、いつもはリアムを護衛する近衛兵のひとりだ。すぐ正面にいたアレクに一瞬驚く素振りを見せたが、何もなかったように表情を消すと奥のリアムに視線を移す。
「陛下、夜月国より使者が参っております」
「この機に? 一体誰だ?」
リアム――を差し置いて、アレクが聞き返した。
今、謁見室は非常事態で立て込んでいる。そんな折に謁見の予定もない来客と聞けば、嫌な予感しか覚えない。
リアムもアレクも目まぐるしさで胸が焼けて、胃から上がってきた酸っぱいものを抑えるのについ顔が強ばってしまう。
もううんざりだと二人仲良く扉に向けた視線がさも居心地悪いのだろう。近衛兵は縮こまって申し訳なさそうに頭を下げた。それでも、おずおずと口を開く。
「それが、陛下からの要望を受けた、と仰る聖女様なのですが……いかがされますか?」
「は? もう着いたのか!?」
知らせを聞いたとたん、リアムだけが歪めていた顔のしわを干す前のシーツのようにぱんと伸ばした。
夜月国には慈愛の念を『聖力』に変え、その力で人を助ける『聖女』が存在した。
夜月国にしか生まれないため、その籍を厳しく管理されている。ただ、夜月国女王の承認さえ得られれば、他国でも一時的に聖女の恩恵を受けれた。
「その聖女は私が招いた客人で間違いない。丁重に謁見室までお通ししてくれ」
リアムだけがほっと息をつき、頭をこてんと玉座にあずける。
一方で、話の見えないアレクはまだうんざりとしたままだ。部屋を出ていく近衛兵をじっと見送り、扉が閉まるやいなや足音を荒らげて玉座へと歩み寄る。
そこで余裕しゃくしゃくとふんぞり返るリアムの正面に睨みをきかせて立ちはだかり、物申したげに腕を組んだ。
「おいリアム! 一人で納得してないで、どういうことか説明してくれ」
「説明も何も……招いた聖女様が来てくれたんだ」
「あらかじめ夜月国に依頼していたのか?」
「まぁね。僕だって君に何もかも頼りっぱなしってわけじゃないよ」
アレクの苛立ちなどどこ吹く風で、リアムは玉座にもたれたまましれっと返す。
帝国の企みを探る試みはリアムが担ってきた。だが、実際に帝国が封印を解き魔力を得ていた場合、先頭に立つのはアレクである。それを考慮したリアムは帝国に関する情報のほとんどをアレクと共有してきた。
だからこそ、アレクは全く聞かされていない話があると思っていなかった。もちろん、ただの騎士に話せないこともあるだろう。ただ、知ってしまえばなぜ隠していたのか気になる。
「これから戦争が起こるのを想定して呼んでたのか?」
「さすがに早すぎるよ。それに、戦争になってしまえば聖女ひとりじゃ間に合わないさ」
「それもそうだな……なら、間者の治療か?」
「そっちは想定外だったから、さっき依頼したばかりだよ。あちらも一刻を争うからお願いしたいのはやまやまだけど、そうすると本来の目的を果たせなくなりそうだからね」
考えられそうな理由がことごとく打ち消され、アレクは腕を組んだままうんうんと唸る。
子供のおもちゃみたいに揺れるアレクの頭をしばし眺めて楽しんだあと、リアムは玉座に姿勢を正した。
「……今来た聖女はアレク、君に同行させるつもりだ」
なるほど、そういうことか……と、アレクはわざとらしくため息をつく。
「……俺は誰かを連れていく気はないんだけど」
不服だと目で訴える騎士に向けて、リアムも取ってつけたかのように息を吐いた。
「知ってるよ。残念だったね」
お互いが自らの主張を盾にして、黙ったまま視線だけをぶつけ合う。
「……リアムは俺の力も腕もよく知ってるだろう?」
先に顔を逸らしたのはアレクだ。
「それに、一人の方が身軽に動けるってもんだ。しかも、温室育ちのお嬢ちゃんを同行させるなんて、悪手でしかない」
「全部承知の上で、必ず役に立つと思って呼んだんだよ。その反応だと、アレクは夜月国で噂になっている聖女を知らないんだな」
「ない。興味ない」
目を合わせる素振りすらなく即答だった。
全く話を聞く気のないアレクに、リアムは一瞬むっとして口を歪める。が、何かを思いついたのか「おやぁ?」とからかうような憎たらしい笑みを浮かべた。
「君ほどの手練が知らないなんてねぇ」
「聖女様は埒外なんでな」
アレクは組んだ腕を二度見せつけるだけで、リアムを見ない。
アレクは女性が大好きだ。それは仲の良いリアムだけが知るわけでなく、城中の……いや、おそらく城下街の大半が知るほど隠れない事実である。
見目の良いアレクは、もともと昼日国の女性の間でよく話題に上がるほど人気の騎士だった。その上、腕の立つと評判も高い。そんなアレクがところ構わず女性を口説く姿は、否が応でも人目を引くのだ。
そしてアレク自身、女性が関わる巷談にはかなり耳聡い自負がある。リアムの耳に入るほどの噂なら、興味がなくとも掠りくらいしそうなのに全く心当たりがない。
横目にちらつく従兄のにやけ顔に苛立ちを覚えつつ、強く興味をそそられる。
「……で、どんな聖女なんだよ?」
「魔力を感知できる」
「は!?」
思わず組んでいた腕がほどけた。
聖力を持つ聖女が操るのは、『聖法』と呼ばれる、人を守り、人を癒す術だ。聖女だけが使える癒しの力は非常に希少で、この世界では慈神の使いと崇められていた。
しかし、魔力を感じ取れる聖女……いや、人など、今まで聞いたことがない。
「その聖女は、魔獣の発生を何度も言い当てているそうだ。新たな力を持つ聖女様が現れたと、夜月国ではかなり噂になっているんだと」
「へぇ……初耳だ……」
魔力は不可侵の力。当然、目にも見えない。英雄の魂をもつアレクでさえ、視覚はもちろん、感覚ですら魔力の存在を捉えることはできない。
昼日国を脅かす魔獣も、野獣と目に見える違いはほとんどない。ただし、攻撃力と生命力は全く別物だ。交戦すればその差は歴然だが、剣を交えたのが魔獣だったら……わかった瞬間、死の覚悟より早くあの世行きが決まる。
「それは凄いな。戦う前から魔獣を見分けられるってことだろ?」
「見分けるどころか、姿なんて見えなくても魔獣の居場所を特定できるんだよ!」
「魔獣探知機ってわけか」
「……稀有な力を道具みたいに言わないでくれるかい」
「悪い悪い。しかし、本当に凄い力だ」
魔獣発生の原理や法則は掴めていない。神出鬼没なうえ遠目から判断の決め手がないのは、被害拡大を防げない大きな要因でもあった。
その魔獣を出会わずとも把握できる力があるなら、奴らに脅かされて暮らす昼日国の民は誰もが欲するだろう。そして――
「俺だって欲しい」
そう呟いてつい綻んだ口元に、アレクは慌てて手を押し当てた。
「だろう?」
リアムはそれを見逃さず、平静を装おうとする従弟を嬉しそうに眺める。
「だから駄目元でお願いしたんだ。思いのほかあっさり承諾してくれたよ」
「貴重な力なのに……ありがたいな」
「夜月国とて、他人事だとは思ってないんだろうね。ただ……」
そこでふと、リアムが申し訳なさそうに眉を下げた。
「力を貸してほしいとは伝えたけど、具体的なことはまだ何一つ提示していないんだ。もちろん交渉はする。けど、どうするかは聖女の意思次第になる」
「俺のことはどうでもいい。こんな状況の昼日国に来てくれただけで、十分に心強いよ」
魔力を察する力……それは間違いなく、魔獣によって失われる命を減らせるだろう。最悪だらけの現状に差し込んだ一筋の救いは、アレクの胸を高鳴らせる。槍を握る手に自然と力がこもった。
……が、
「……聖女様、ねぇ……」
自分で発した「聖女」という響きに高まっていた気分が一瞬で冷め、一気に拳の力が抜けた。
「まぁ、絶っっっ対! 俺について行くとは言わないな」
「言い切るね……」
「リアムだってそう思うだろう?」
「……僕の意見は差し控えるよ……」
苦笑いするリアムに仏頂面で返し、先ほどまでの胸の高ぶりを追い出すようにまた腕を組む。
「そもそも、俺はこんな危険な任務に他人を巻き込む気はないと、前から何度も言ってるじゃないか。ましてや……聖女様、なんだろう? それ以前の問題だ」
「君の大好きな女の子と一緒に旅ができるんだよ、もっと喜んだらどうだい」
「聖女を女性の括りに入れないでくれ!」
「紛うことなき女性だよ!」
思わず突っ込むリアムだが、至極真剣な顔をこれでもかと拉げるアレクを見てまた苦笑いを浮かべる。
「まぁ……君が嫌がるのはよく分かるけどさ」
リアムはアレクが顔をしかめる理由をよく知っていた。が、君の好き嫌いは置いといて、と先を続ける。
「今の昼日国は野獣だけでなく魔獣も頻発するから、聖女の癒しは必要不可欠だ」
「それは認める」
「この国で戦いに身を置く者なら、必ず一度は癒しの世話になっているはずだよ。アレクだって、何度も助けられただろう?」
「それも認める。でもさ……」
アレクがいまいましげに口をとがらせる。
「絶対『自分は神様と同格で、崇められて当然』って思ってるような尊大な立ち振る舞いでさ……そんでもって、癒しの対価とかぬかして金に装飾品、あげくは城の廊下にあった花瓶まで……根こそぎ持っていきやがる!」
「こらこら、金品で命が救えるのなら安いもんじゃないか」
リアムがやんわり宥めるも、もうアレクの苛立ちは止まらない。
「限度があるだろ! あれじゃ質の悪い高利貸し……いや、追い剥ぎ以下だ。大体、それを受け入れるから調子に乗るんだよ、あいつら!」
とうとうあいつら呼ばわりになってしまった。
アレクが聖女を嫌う理由――それは彼女たちの増長ぶりにある。
聖女は聖力を振るうたび、過剰な見返りを要求した。気に召さなければ何もしない。だから癒しを乞う人は必死に貢物を捧げる。
さらに、見目の良い男への要求は金品だけでない。
「さすがに言い過ぎだ。けど、アレクが特に大変だったのは聞いてるよ……」
「こっちは傷の痛みで朦朧としてるのに、抱きついてきたり、『愛してるって言え』って迫ってきたり……」
挙句の果てには結婚を強請られ必死に逃げ回った過去が、アレクの脳裏に蘇る。
「ああもう! 思い出したくもない! 何が神の使いだ、ただの色情魔だよ!」
苛立ちを撒き散らすつま先の音に、リアムは大きなため息をついた。
「アレク」
猫っ毛をがしがしかいて、咎めるような視線をアレクに寄せる。
「今からここに、僕がお願いして来てもらった聖女様がきます」
「分かっています」
釘を刺されたアレクは、ひとまずぴたりと足を止めた。
「なぁ、ほんっっと頼むから、滅多なこと言わないでくれよ……」
王という立場から支援や配慮はいくら回せても、直接の戦力にはなれない。だからこそ、噂を聞いた時からどんな手を使ってでも件の聖女を招こうと決めていた。それがアレクの力になれる、最良かつ無二の手立てだと考え至ったからだ。
……なのに、「聖女嫌い」というだけでおじゃんにされてはたまったもんじゃない。
しかも今来た聖女は王が直々に招いた客人、つまりは国賓にあたる。無礼を働いて夜月国とまで摩擦を生んでしまっては元も子もない。
「はいはい、善処しますよー」
そんなリアムの気苦労を知ってか知らでか、口ではそう言う。しかし、じっとりまとわりつく視線に気付かぬふりでそっぽを向き、今度は石突で地面をトントンと小突きだした。重い頭に音がガンガンと響いて、リアムは猫っ毛ごと抑え込む。
「……そんな気皆無でしょ?」
「そんなことないさ。できる範囲で、ね」
そんな気が心にもないと丸わかりなアレクに、リアムは今日だけで何度ついたか分からないため息をついた。