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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第五章
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第五十二節 ひと握りの希望

「アレク様……ひとつ、よろしいでしょうか?」

 クレイグのなだらかな声が、一言重ねるごとに鋭くなる。

 その口調は、アレクの昂る胸を鎮めるほどの緊張感を帯びていた。


 アレクは閉じていた瞼を開き、顔を強ばらせた従者に険しい視線を投げる。

「どうした?」

「我々は魔法により、昼日国に戻されました。もし、あの時の魔法が火柱だったら……命はなかったでしょう……」

 クレイグの途切れた言葉の余韻は、封印の間での最後の瞬間を皆の頭に過ぎらせた。

 殺される覚悟さえままならなかった恐怖は、生き延びた実感にかき消されつつある。

「あの脅威的な力と、どうやり合う……おつもりですか?」

 アレクを見つめ返す茶色の瞳が、ぎらりと光を放った。

 むざむざ死ぬ気はないと、責を迫るように。


 束の間の沈黙が、部屋を覆う。


「……聖遺物」

 アレクがぽつりと呟いた。


 誰に向けたか分からない一言。それでも、閉め切った窓もない部屋の静けさに、聞き逃れなどできない。

 ロディとスカーレットも、アレクに視線を向けた。


 アレクは戸惑う三人の眼差しを受け止め、静かに口を開く。

「聖遺物の力に、賭けようと思っている」


 『聖遺物(せいいぶつ)』――それは世界に三つしかない、魔力に対抗する力を持つと言い伝えられた宝器だ。

 ミレニアムの夜明けで英雄が用い、その後は三国で一つずつ保有していた。


 ロディが一瞬ぽかんとして、すぐぱっと目を輝かせる。

「それってさ、どの国もひとつずつ持ってる、なんかすげぇやつだろ!」

 ロディの認識は間違っていない。が、語彙が安直すぎて一気に超越感が薄れてしまう。

 幼子の憧れくらい大雑把な弟の語り口に、アレクは困ったように頬を緩めた。

「はは……まぁ、ロディはそれでいいか、な」


 張り詰めた空気がわずかに和らぐ。ただ、クレイグの頬は微塵も緩まない。

「しかし、それはあまりに不確かすぎませんか?」

「それは否めない」

 クレイグに倣い、アレクも再び頬を引き締めた。

「でも帝国はこの機になってもまだ、聖遺物に執着している。俺は、それだけの理由があると思っている」

「攻め込む口実かも知れませんよ?」

 すぐクレイグが畳み掛ける。

 これから赴くのは……最後かつ、最も危険な戦いだ。主人を守るためにも、疑う余地があるなら妥協はできない。


「……帝国は、目的があればそれに忠実だ」

 議論を重ねる二人をただ静かに眺めていたスカーレットが、ふいに口を挟んだ。

「攻撃が目的ならば、この街はすでに火の海だっただろう。それだけの武力と……魔力が、帝国にはある。だが、現状はそうなっていない。ならば、やつらは本当に聖遺物を求めている」

「俺も全く同じ意見だ」

 スカーレットの見解にアレクが頷く。

「ミレニアムの夜明けから伝えられている通り、聖遺物は魔力を得た彼らにとっての「脅威」と成り得るんだろう」

 不確かでも期待を隠せないほど、語る声は熱を帯びた。だが、

「まぁ……切り札になるのかは、今のところわからないけどな」

 自らその期待をからかうように締めて、アレクは肩をすくめた。


「でもさ、どんな力があるか分からなかったら、意味なくない?」

 兄の言葉だけを素直に捉え、ロディが首をひねる。

「そんなことはないさ」

 アレクはきっぱりと言い切った。

「魔力に対抗できる可能性を持つ物など、言い伝えや噂ですら聖遺物以外に存在しないんだ。決して、無駄にはならない」

 そう言うと、アレクは誰もいない玉座に目を向ける。


 聖遺物に、最悪を打破する希望があるかもしれない。ただ、それを得るためには……国にたったひとつしかない赤い椅子を背に構える人の、いくつかの許しが必要だった。



 とんとん、と。

 時機よくノックの音が響き、間も置かず扉が開く。


 謁見室に足を踏み入れたのは、やや疲れた顔をしたリアムだ。

 まったく、こんな時までローガンは……と何やらぶつくさぼやきながら、リアムは玉座にどかっと腰を下ろす。

「すまない、待たせたね」

 アレクはすぐリアムを追って玉座に歩み寄った。

 しかし、玉座の据わる壇を登らず、謁見の礼儀に即した正面の定置で足を止める。

「話がある」

 リアムは黙って玉座に姿勢を正した。


「俺たちは」

「行くんだろう? 帝国に」

 アレクの続きを、リアムは自分の言葉に変えた。


 アレクは不意を食らったように、少しばかり目を見開いた。

 ただ、それもほんの瞬く間。

「ああ」

 短く強く、答えた。


 迷いのないまっすぐな浅黄色の瞳をまじまじと見つめ、リアムはため息をもらす。

 付き合いの長い従兄弟の考えは、手に取るように分かった。予想通りすぎて、口から出ていく息が止まない。

 そんなリアムに構わず、

「昼日国王、頼みがあります」

 アレクは深く頭を下げた。

「昼日国の聖遺物を、譲り受けたい」


 リアムは垂れ下がる淡い金髪を眺めながら、肺の中身を吐き切るような仰々しい息を吐く。

「そう言うと思ってたよ」

 言いながら軽く右手を持ち上げた。


 白い布に包まれた何かを握っている。


 リアムはちょいちょいとアレクを手招く。そそくさと玉座の傍まできたアレクの手のひらに、白い布ごと何かを乗せた。


 アレクが白い布を捲る。

 包まれていたのは……手のひらにぎりぎり収まる長さの、光沢のない銀の杭だった。


「これ、は……?」

 ぎこちなく戸惑うアレクが気になり、三人も玉座に集まる。アレクの背後から白い布の中身を覗き込んだ。

「……杭ですか?」

「……杭だな」

 クレイグとスカーレットは目を点にして、ありのままを口にする。

 ロディは杭とリアムを何度も交互に見比べ、目をしばたたかせた。

「城のどっかが壊れたのか?」

「違うよ!」

 空気の読めないロディに、リアムが声を張った。

「これが昼日国の聖遺物だよ!」


 ……この杭が、聖遺物。

 アレクも場の流れから、そうだろうと察していた。

 決して崇高な代物を期待していたわけではない。ただ、その見た目があまりにもありふれていて、希望を託すには頼りなさすぎた。


「……なんだか、思ってたのと違うな」

 アレクが半ば呆れ気味に杭を掲げ、部屋の光に晒す。飾り気のないざらりとした曲面が、集まる光を拡げ散らしていた。

「これは……どんな力を秘めてる?」

 リアムはきっぱり首を横に振る。

「残念ながら、この聖遺物の力は何も伝わっていない。残っているのはこの杭だけ、だ」

 その答えに、アレクがしゅんと眉尻を下げた。

「こんなもの、って思っただろう?」

 落胆を晒すその表情を、リアムは険しい目付きで咎める。

「でも間違いなくこれが、600年もの間、この世界の均衡を保っていたんだ」


 アレクの手の中が、急にずっしり重くなった。

 増したのは、600年分の平穏の重みだろう。


「昼日国の安寧を……アレクに、託す」


 今、帝国は聖遺物(これ)を求めている。昼日国王の決断が示すのは……帝国への静かな抵抗であり、反撃の狼煙なのだ。


「……有難く、拝受します」

 アレクは手の中の未知なる物を、強く握りしめた。



「杭だし、やっぱ打ち込んで使うもんなんかな?」

 兄の手の中に収まった杭を見ながら、ロディが使い方に頭を巡らせる。

 そして、「あ」と小さく声をもらした。

「あの人なら知ってんじゃねぇか?」

 クレイグが無言で訝しげな視線を投げる。ロディは鼻息を荒くして、クレイグを睨み返した。

「夜月国の女王様だよ!」

 今度はクレイグの口から「あ」ともれる。

「ロディ様はたまに冴えますね」

「るせぇ」

 ロディは恨みを中指に込めて、クレイグの額を弾いた。


 膨大な史料を有する夜月国の女王、ノエル。

 帝国の聖遺物は鍵だと教えてくれた彼女なら、何らかの手掛かりを持っているかもしれない。


「ならば、夜月国に向かおうか。どのみち、夜月国の聖遺物も借り受けたいしな」

 アレクは杭を包み……不意にロディへと差し出した。

「ロディ。この杭、お前が持っていてくれないか?」

「いいけど、なんで?」

 きょとんとするロディに、ほんの一瞬、アレクが言葉を詰まらせる。


 さっきロディが何気なく言った「打ち込む」という響き。アレクはそれに、白い法衣から繁吹く血を思い浮かべてしまった。

 己の悲観的な発想を恨みつつ、その映像が、頭から離れない。

「……見た目通り、突き刺して使うものなら、俺より力の強いロディの方が適しているかなと、思っただけだ……」


 ロディは後ろめたさを隠しきれない兄をじっと見据えていたが、

「わかった」

 素直に頷いて、布に包まれた杭を受け取った。


 ロディが杭を仕舞うのを見届けると、アレクは再びリアムを向く。

「リアム、馬車道を使う許可が欲しい。こんな状況で国民の不安を煽るのは心苦しいが、ことは一刻を争う。緊急事態を宣言して道を譲ってくれないか?」

 躊躇いがちに申し出たアレクに、リアムは得意げな笑みを満面に湛えた。

「もうとっくに出してあるよ。馬車道は空けてある。それと、厩舎に馬を用意してある。使ってくれ」

「有能すぎる王様だ、昼日国の未来は明るいな」

 アレクは眩しそうに目を細める。

「……後のこと、よろしく頼むよ」

 そう言って、アレクは微笑んだ。


 もし、アレクサンダーという男を偲ぶ日が来たら、何をさておき真っ先に浮かぶ……そんな、記憶に焼き付きそうなほど、美しい笑顔だった。

 まるで……最期を飾ろうとするように。



 リアムは思わず腰を浮かせかけ……ぐっと肘掛を握ると尻を座面に押し付ける。


 そんなリアムに気づかないまま、四人は互いに頷き合い、玉座に背を向けた。


 ……その背を、引き止める力はない。

 ならば、王として、リアムとして――いま贈れる、最良の(はなむけ)を。


 リアムは大きく息を吸い込んだ。


「アレクサンダー!」

 突然、リアムの声が謁見室中に響き渡る。


「ロデリック! クレイグ! それと……スカーレット!」

 その声に驚き、全員がリアムを振り返った。

 スカーレットは、名乗りすらしていない王に自分の名を呼ばれ、ぽかんと口まで開いている。


「昼日国王より命ずる!」

 リアムの口調は先程までとは打って変わり、堂々とした威厳を轟かせた。

 四人の背が、自然と伸びる。


 ……そして。


「必ず、絶対、生きて昼日国に帰ってこい!」



 その言葉は……それぞれの心の、人生で積み上げた喜びを全部引き剥がした奥底に、深く食い込んだ。


 死を覚悟した四人に、王命としてまで生きて帰ることを強く望む人がいる。

 それは何よりも心を奮い立たせ、生への執着を抱かせる……尊ぶべき命令だった。



 アレクが静かに姿勢を正し、リアムに騎士の礼をとる。アレクに続き、ロディも、クレイグも、スカーレットも、深々と腰を折った。



 表情を悟らせまいと深く頭を下げたままで、アレクは声を絞り出す。


「……王命、承りました……」


 それでも、震える声は隠しきれなかった。

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