第五十一節 英雄、再び
所用を思い出したと言い、リアムが謁見室を出ていった。
人一人が通れる分だけ開いた扉の向こうは、慌ただしい足音と喚声が飛び交う。帝国からの攻撃に加え、魔獣の出現……護衛の兵すら対処に当たるほど、前代未聞の混乱が広がっていた。
なのに、扉が閉まれば……まるでこの世界から切り離されたような静寂が、謁見室を満たす。
「俺は……帝国に、向かう」
アレクが沈黙を割いた。
扉の向こうから、爆ぜる音がかすかに響く。
それを聞くアレクの顔は、強ばるでも緩むでもない。ただ真剣そのもので、それでいて浅黄色の瞳は陽の光を思わせるほど、強く、鮮やかに煌めいている。
それはまるで、魂の辿り着く先を決めたと雄弁に語りかけるようだった。
「俺も行く」
ロディは迷いなくアレクの決意に続く。
「ロディ……」
「止めんなよ」
名を呼ぶアレクに間髪入れず鋭い黄土色の視線を合わせ、次の言葉を止めた。
「今、義理父にも言われた。俺の心も、もう決まってる」
声なく睨み合う二人に、城内の騒がしさが遠のいていく。
ぶつかる意思の真ん中を分け入るように、クレイグが一歩、アレクに歩み寄った。
「私も、最後までお供させて下さい」
「クレイグ……」
アレクはロディから目を逸らし、クレイグを見る。
続けようとしたのは、おそらく断りの文句だった。しかし、もうアレクの口は開かない。
この戦いに帰り道などないと、アレクは分かっていた。だからこそ、大切な彼らを巻き込みたくなかった。
だが、思い惑う心に喝を入れ、肩を並べて戦えるのは……苦楽を共にしてきた彼らにしかできないのも、痛いほどわかっていた。
アレクの瞳は、ただ真っ直ぐにクレイグを見据える。けれど……その奥で揺れるわずかな迷いを、クレイグは見逃さなかった。
主が迷うなら、それを支え遂げるのが従者の務め。
クレイグは、剣を捧げたあの日から変わらぬ覚悟を胸に刻み、拳を掲げた。
「貴方に捧げた命です。ここで置いていかれては、私が困ります」
言葉に詰まったアレクの視界に、スカーレットがすっと滑り込む。
「では、私も」
前の二人と同じように決意を伝えようとした、そのとき。
「スカーレット」
みなまで言えないうちに、クレイグが呼び止めた。スカーレットは不満そうに振り返る。
いきなり、目の前で茶髪の頭が深々と下がった。
「こんな時ですが……すみませんでした」
スカーレットが目を丸くする。
「いきなりなんだ。乱心したか?」
いつものように茶化してみるも……クレイグは頭を上げない。
「……貴女には、ずっと謝らなければと思っていました。貴女という人格を……そして人生を軽んじて、傷つけてしまったことを」
何に対して謝ったかは、すぐに分かった。帝国の劇場の前で知った、スカーレットの悲惨な過去のことだ。
「謝罪は受け入れる。だが、もう気にするな」
スカーレットが下がったままの肩を優しく叩くと、クレイグはようやく上体を起こした。
しかし、その視線はすぐアレクを向き、決断を下すための許しを乞う。
「アレク様、まだ彼女に対する裁量は私にありますか?」
「……ああ」
アレクは緩やかに頷いた。
クレイグが何をしようとしているか、分かる。この従者は、さっき自分が言えなかったことをスカーレットに伝えるつもりだ。
クレイグはスカーレットの前に立ち、姿勢を正した。
「スカーレット。ここまでの貴女の働きは、我々の期待を裏切りませんでした。恩赦を与えるには十分だと判断します」
そこまで言うと……彼女への敵対心を最後まで緩めなかったあのクレイグが、スカーレットに向けて微笑む。
「だから貴女は、昼日国に残りなさい」
「断る」
あまりの即答ぶりにクレイグが目を丸くした。その反応の良さが喜劇のようで、スカーレットは思わず頬を緩める。
「今さら、水くさいことを言うな……クレイグ」
あまり笑わない彼女の口から出た、その軽い響きの……妙な違和感が、クレイグの胸をざわつかせた。何が引っかかったのかを考え……はっとする。
スカーレットは名前を呼ばない。お前と呼ばれる度に苛つくのも、もはや癖になりつつあった。
……「クレイグ」と、彼女は初めて名前で呼んだ。
驚きで大きく跳ねた鼓動に硬直するクレイグをさておき、スカーレットは英雄たちに視線を飛ばす。
「アレク、ロディ。私も一緒でも構わないだろう?」
答えに詰まるアレクと、兄の反応をちらちらと窺うロディに目を移したあと、固まったままのクレイグにまた戻した。
「この旅の行方を、最後まで見届けたい。それに……」
スカーレットが不意に口を押さえる。
「ニーナがいなくなってから、ずっと口の中が苦いんだ。あの娘は、色んな味をたくさん教えてくれた。でも、これは美味しくない。直接、そう伝えたい」
震える声は口からこぼれ、ゆっくり足元の絨毯へと吸い込まれていった。
……心でも味わえるものが、溢れているんです。
アレクも、ロディも、クレイグも、あの時のニーナの声をはっきりと覚えている。
皆が眉間にしわを寄せ……ほんの少し、思い出を飲み込むための時間が流れた。
「よし!」という掛け声を上げ、ロディがアレクの背を叩く。
「じゃあ、四人でぶちかましてやろうぜ!」
クレイグはちらりとスカーレットに気をやるが、もう止める気はないようだ。
「望むところですよ」
代わりに意気込んだ声を上げ、固めた拳を胸の高さで掲げる。その手に、スカーレットは丸めた拳の甲を当て、唇の片端を勝気に釣り上げた。
「腕が鳴るな」
そんな二人にロディは「ふっ」と鼻息荒く笑い、アレクの背後から肩を抱き込む。
「しっかしさぁ、なんで兄貴はそう一人で背負いたがるかなー? 俺らに信用ない?」
「そんなわけないだろう!」
アレクはからかい調子で頬をつねる弟をぐいっと押しのけると、体ごとロディに向けた。
「……ただ、大切に思えば思うほど、俺のせいで誰かが傷つくのが……怖いんだよ」
「優しすぎんだよな、兄貴は」
「……臆病なだけさ」
「そんなことねぇよ」
ロディは項垂れた兄の肩をぽんと叩く。
「自分の心が強くねぇと、誰かを思いやるなんてできねぇんだ。兄貴は強ぇから、それができんだよ」
アレクの優しさは心根の強さだと、ロディはよく知っていた。その強さが時に、他人を救おうとするあまり、自分自身まですり減らしてしまうことも。
――だから俺は、兄貴を支えるために力を磨いてきたんだ。
弱さをさらけ出すようなアレクの頭を眺めながら、ロディは思い出していた。
かつて、自分を孤独から救ってくれた兄との出会いを――
****
ロディは幼い頃から、自分が養子に出された現昼日国王の第二子だと聞かされていた。
隠しごとが嫌いな養父の方針だろう。
実際、王位になど全く興味はなかった。それに養家族も本当の家族のように受け入れてくれて、現状に不満はなかった。
ただ……実父が双子の兄だけを選んだ。その事実が、ロディの心に影を落としていた。
養子に出された理由を聞けば、後継者争いを避けるためだという。だがそれは、ロディには「跡継ぎは兄さえいればいい」と聞こえた。
自分の存在を断たれるに等しい宣告だった。
義両親も義兄弟も優しい。
だからこそ余計に、血の繋がりを切られ、存在を否定された孤独と苦しみは吐き出せない。
心の中にずっと溜まり続けるこの胸の鈍い痛みは、一生ひとりで抱えなければならないんだと、すでに諦めを覚えていた。
そんな孤独を抱えたまま十歳になったある日、突然、双子の兄と名乗る少年が尋ねてきた。
整った顔の、綺麗な服を着たその少年の名は、アレクサンダーというらしい。
最初は、実親に選ばれた兄が捨てられた弟を嘲笑いに来たのかと思った。
訝しんで何用かを厳しく問えば……兄はいきなり、土下座でもしそうな勢いでロディに頭を下げた。
「十年も一人にしてごめん」と。
詳しく聞けば、双子の弟がいる事を今日初めて知り、その足でここに来たという。
そして……十年も遅れてしまったが、互いを知る機会を与えてくれないかと、泣きそうな顔で懇願された。
ロディは実兄の願いに驚いた。
俺は家族にとって不要な存在だろうと胸の内を吐き出せば……アレクは酷く驚き、全力で否定する。
それは大人たちが勝手に言っているだけだ、他人の癖に自分たちの都合で血の繋がった俺たちを引き離しただけだ、と。
アレクは自分たちが英雄の魂を分け合って継いでいると伝え、血も魂も繋がった、この世にたったひとりの分身が要らないなんて絶対にありえない。
むしろ、実弟以上に大切なものなどない、と。
だから、もし許しを受け入れてくれるなら……これから先はひとりでなく、ふたりで生きていかないかと、再びロディに願った。
実兄の言葉は、一生得ることが出来ないと思っていた……ロディが何よりも欲していたものだった。
呆然としていたロディの手を、アレクはそっと、逃がさないように両手で握り込む。
孤独を包み込むような温かい手が……この上なく嬉しかった。
ロディはアレクの願いを受け入れる。
そして、同じ血が流れる手を感じながら……思った。
――この世に、ふたりだけの絆。
なんと頼もしく、心強い響きなんだろう。それだけで、拭えなかった孤独が嘘のように晴れていく。
兄の望みは、自分の望みだ。
――ならば、世界の全てが敵に回っても、自分だけは絶対に兄の味方であろう。
ロディは強く、アレクの手を握り返した。
****
兄の思いを支えるために何ができるか。
足りない頭なりに、ずっと考えてきた。
それが孤独から救ってくれた兄へ返す、ロディの感謝であり、覚悟なのだ。
「最後まで……一緒に、行こうぜ」
思い出をぐっと噛み締め、ロディは兄に向けて拳を突き出す。
「ありがとう……」
弟の心遣いと覚悟を受け取るように、アレクは己の拳を突き合わせた。
そして……魂が重なる瞬間を眩しそうに見つめていたクレイグとスカーレットも視界に収める。
「一緒に進めるのが君たちで、本当によかった……ありがとう」
ひと言ひと言、噛み締めるように言い終えて三人を見回せば……強い眼差しがアレクに注がれていた。
それは、背中を押す追い風のように優しく、力強く。
先の見えない絶望へ立ち向かおうとするアレクの揺れる心をいっぱいに満たし、吐息に混ざって込み上げてくる。
目頭まで熱くするこの胸の昂りが零れてしまわないよう、アレクはきゅっと瞼を閉じた。
※お知らせ※
この物語を見つけて下さって、本当にありがとうございます。
さて、改稿が追いつかなくなってしまいましたので、次の投稿までお時間頂戴します。
お読みくださる方がいらっしゃるようなので、ご報告まで。
よろしければ、最後までお付き合いいただけると幸いです。




