第五十節 ふりだしには戻らない
時は創造歴1600年。
新しい始まりを告げる、創造神ラグナディールの節――上月の三十日。
皇帝アドバンが、600年にも及ぶ封印を解いた。復活を遂げたのは、かつての世界を混沌の底に陥れた脅威のひとり、暴虐の王イーサー。
そしてもうひとり。魔力の根源であり、脅威の元凶である黄昏の魔女も、今の世に蘇った。
その正体は、アレクたちが何よりも信頼を寄せていた仲間……ニーナだった。
アレクは帝国に渡ってから起きたこと――まだ文で伝えられていないそれらを、リアムに報告する。
つい先ほど目の前で起こった最悪の事態から、ニーナの魔法により昼日国の謁見室に飛ばされた、そこまでを。
言葉にして重ねれば、何も成し遂げられなかった自分に絶望が、募っていく。
「封印は解かれ、暴虐の王……そして黄昏の魔女は蘇った、と」
報告を聞き終えると、リアムは項垂れたアレクを心配げに覗き込んだ。
アレクは下を向いたまま、うわ言のように呟く。
「英雄の力なんて、全く歯が立たなかった。何一つ成果を残せず、こんな最悪を招いて……俺は……」
「君たちは生きて帰ってきた」
リアムがそっと首を横に振った。
「これに勝るほど嬉しい報告があるかい?」
「リアム、俺は」
焦燥に駆られて顔を上げたアレクの肩に、リアムがそっと手を置く。
「アレク……君は今、かなり混乱してるだろう?」
何か言いかけたアレクを遮ったまま、ロディ、クレイグ……そして、スカーレットの顔を順番に見回した。
「君たちもそう、だろう」
強ばった四人の表情を確かめ、リアムはふっと頬を緩める。
「体も頭も疲れていては、悪いことしか浮かばないんだよ。ひとまず、お茶を飲む間だけでもいいから……休むんだ。いいね?」
ゆっくりと、柔らかに……しかし、有無を言わさぬ凄みを含めた声で、リアムは全員に語りかけた。
付き合いの長い昼日国の王は、命令にかこつけないとアレクが休まないのをよく分かっている。
その気遣いは、痛いほどアレクに伝わっていた。
こんな事態に申し訳なく思うが、リアムの言う通り……今は自分を責める以外は考えられない。
「……ありがとう、リアム」
アレクは素直に礼を告げた。
****
昼日国城を発つ前、ニーナとお茶をした来賓室に通される。陽の光をいっぱいに明かしていた窓は、宵の闇にどっぷりと浸されていた。
お茶とひと口ほどの菓子をテーブルの上に整え、侍女は部屋を辞す。
四人以外いなくなった瞬間……ぶつけ損ねた怒りが、ロディの中で爆発した。
「くそ! くそ! くそっ!」
拳に血が滲むほど……何度も、強く、来賓室の壁を殴りつける。
「あいつ! あんな楽しそうに旅してたのも! 必死に怪我人癒してたのも! 悩んでたのも! 全部俺たちを騙すための演技だったのかよ!」
頭の中に思い出される全てが偽りだと告げられた。
……敬服すら抱くほどの強さも、全て。
悲しみと失意は、ロディの中で怒りへと変わり続ける。
それでもなお、ニーナの楽しそうな顔が次から次へと頭に浮かび……振り払えない記憶が、余計にロディを苛立たせていた。
「絶対、許さねぇぞ!」
自分たちを騙していたニーナに、そして騙されたと認識しても眩しい思い出だけが浮かぶ自分自身に……ロディは叫ばずにいられなかった。
部屋にこだました怒りの声が途切れれば、重苦しい静寂が居座る。
スカーレットは正面の空いた椅子をじっと見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……凄まじかった。あれが魔力という力、なのだな……今思い出しても鳥肌が立つ」
イーサーの魔力を破壊した力、火柱、氷の礫……ニーナの見せた魔法を思い出し、身震いする自身の体を抱き込む。
「あれが脅威、か。このままでは、世界は再び蹂躙されるだろう……」
スカーレットはその先を口にしなかった。
それは、スカーレットの迷いだった。倒すべき敵だとは分かっている。しかし、かつては捨て駒だった自分を拾い、ここまで導いてくれたのは……「倒すべき敵」の一言だった。
ニーナはいつだって自分のすべきことを偽らず、ただまっすぐ突き進んでいた。知り合って間もない自分ですらそう思い、躊躇いが生まれているのだ。
その日の差がわずかだとしても、自分より長くニーナといた彼らの葛藤は計り知れない……険しい顔で黙り込んだ三人の表情をそっと見渡し、スカーレットはお茶を啜った。
スカーレットの隣で、アレクはコーヒーのカップを両手で握りしめる。
「八方塞がりってやつだな……全く、勝てる気がしない」
ぽつりと呟き、カップを満たすどす黒い水面をぼんやりと見つめた。そこには何も、映らない。
初めて見た魔法は、理解を超える凄まじい威力だった。
なぜ、あの力でさっさと自分たちを殺さなかったのか。
なぜ、イーサーの魔法からアレクを守ってくれたのか。
あのままでは勝ち目がなかったアレクたちを、昼日国に移動させたのもニーナだ。
考えれば考えるほど、ニーナの行動は辻褄が合わなくなっていく……都合のいい解釈なのか、真実なのか、もう分からない。
アレクは考えるのをやめ、椅子にのけぞった。
ニーナに黄昏の魔女だと告げられ……心が碎けるほどの衝撃を受けているのは違いない。
偽られたのは事実だ。ただ不思議と、裏切られた気がしない。そう感じてしまうのは、今、自分が生きているから、だろう。
アレクは天井を仰ぎ、目を閉じる。
浮かぶのは……出会った時の柔らかい笑みと、アレクの迷いを払ってくれたまっすぐな青い瞳。
近くにいた大切な存在が、倒すべき存在へと変わった現実に気持ちが追いつかない。一緒に居た時間が、受け入れるのを拒んでいるかのようだった。
黄昏の魔女は、倒すべき敵だ。
しかしそれは……ニーナの存在をこの世から消す、ということ。
この先もずっと一緒に生きれると疑わなかった。
この世界からいなくなるなんて……ましてや自分たちの手で倒さなければならないなんて、考えたくもない。
……ずっと、俺のそばで、笑っていて欲しかったんだ……
アレクは瞼の裏側でじわじわと湧き上がる悲しみに、強く腕を押し当てる。混乱すればするほど、ニーナの存在はただひとつと極まっていった。
「……皆さま」
それぞれの思いが空気までをも黙らせた部屋に、アレクの向かいからクレイグの声が響く。
「皆さまの混乱はとてもよく分かります。私自身も複雑で……気持ちが収まりそうにありません。ただ、ここであれこれ悩もうが、答えなど出ないと思いませんか?」
しばしの沈黙のあと、
「……ごもっともだ」
アレクが反らせていた背を伸ばし、椅子に深くかけなおした。
そう切り出してはみたものの、クレイグの心中も穏やかではない。壁を殴るロディに自身を重ねられるほど、動揺の大きさは変わらないとすら感じていた。
しかし、今まで主人がニーナに寄せてきた信頼の大きさを目の当たりにしている。アレクの葛藤は、自分以上の耐え難いものだろう。
この旅を振り返れば、自分はわざわざ同行させてくれたアレクの期待に至れていなかった。ならばこんな時くらい……いや、今こそアレクの力になりたい。
クレイグは自分の感傷を無理やりしまい込んだ。
「ひとまず自分たちの感情はさて置き、これからどうするかを考えましょう」
クレイグの提案に四人が互いの顔を見渡した瞬間――大きな爆撃音が耳を襲った。
謁見室ごとびりびりと震わす強烈な音に驚いて、全員が立ち上がる。
「なんだ今の音は!」
ロディが街を一望できる窓に駆け寄った。同様に三人も窓に近づき街の様子と音の正体を探る。
音の元はすぐに分かった。
少し遠いところで、赤黄色の光が大きな旗のように暗がりをゆらめいている。
「外門が……」
明かりを放つのは……燃え立つ炎。
闇を舐めるように照らす激しい炎火の中で、門の輪郭は黒く揺れ踊り、すり減っていった。
続けてまた、大きな爆撃の音がひびきわたる。
門のすぐ近くにぱっと火の手があがり、瞬く間に燃え上がった。
火を放った元は暗くて確認できないが……今、間違いなく城下街は攻撃されている。
「これは……帝国か!?」
頭上からは喇叭が、ギルドの物見やぐらからは鐘の音が――けたたましく緊張を撒き散らした。
アレクはふと、帝国からの通達を思い出す。
――聖遺物を引き渡さなければ、それを宣戦布告と捉える――
これが帝国の攻撃で聖遺物が狙いなら、奴らは昼日国城に来る。標的は、帝国の通達を無視できる決定権を持ち、唯一、聖遺物の在処を知る……昼日国王。
「リアム! リアムは無事か!?」
来賓室に来る前の心配そうな笑顔を思い出すやいなや、アレクはひとり部屋を飛び出す。
「ちょ、兄貴!? 待ってくれよ!」
ロディたちも慌てて後を追った。
****
アレクは城の階段を息せき切って駆け下りる。謁見室にたどり着くと、ノックもせず扉を開け放った。
「リアム!」
リアムは……玉座で兵からの報告を受けている最中だった。
「アレク! 無事かい!?」
顔面蒼白で肩を上下させるアレクに驚き、リアムは兵を制して駆け寄る。リアムと謁見室に異変がないのを確かめて……アレクはほっと胸をなでおろした。
アレクの後を追ってきた三人も、自分の足でしゃんと立つリアムに安心して足を止める。
「俺たちは何もない。リアムは?」
「僕もまぁ……怪我はないよ」
リアムは笑顔で応えるが、眉尻は下がったままだ。
その表情は隠しきれない苦悩が、否応なく伝わってくる。
アレクは話の続きに構えて、眉をひそめた。
「着弾したのは人気のない場所だったから……怪我人はいないと聞いた。城も攻め込まれていない。しかし、帝国の遣いが先日の返事を促しに来た」
リアムの言葉は予想した通りで、アレクは奥歯を噛み締める。
「やはり、聖遺物か」
「ああ……今のは威嚇砲だと。ずっと返事を保留していたけど……これ以上待つ気はないようだね」
「くそっ! やりたい放題やりやがって!」
「王! 緊急のご報告です!」
ロディが帝国への怒りを口にすると同時に、騎士団長のジルベルトがドアを開け放ち飛び込んできた。
ジルベルトはアレク、そしてロディに一瞬目を留め、驚きを露わにしていたが……すぐに険しく引き締めた顔をリアムに向ける。
「どうした!」
「外門を確認しに行かせた兵から、三体の魔獣を確認したと報せがございました!」
「被害は!」
「数人が負傷した模様です。すでにギルドの招集を受けた狩人も合流しており、街に被害はでておりません。ですが、仕留めるには、まだ時間を要します」
「なんてこった……」
リアムはがくんと項垂れた……が、瞬時に顔を上げ、諦めなど微塵もない鋭い視線をジルベルトに返した。
「援護の兵は増やせるのか!?」
「すでに半数を投入いたしました。これ以上増やせば、城の警備が疎かになります」
「構わない! 可能な限り、援護と住民の避難に騎士を回せ!」
「御意!」
幼く見えようが、リアムの十年という月日は伊達ではない。突然舞い込んだ凶報を流れるように取り回した。
用は済んだとばかりに踵を返したジルベルトの前を……ロディが立ち塞ぐ。
「義理父! 俺たちも加勢するぜ!」
ジルベルトはわずかに目を見張った。だが、さっさと首を横に振る。
「なぜお前がここにいるかは分からんが、必要ない」
「でも、魔獣だろ!? ほっとけねぇよ!」
「馬鹿者!」
ジルベルトの、さっきの爆撃より大きな怒声が飛んだ。
「……お前はこんな一時しのぎが出来れば満足か?」
「で、でもさ」
その威圧感に身を引きながらも、ロディは食らいつく。
「でもも糞もあるか!」
もう一度、謁見室の壁を震わせるほどの大喝がロディに落ちた。ロディは言い返したくなる唇をぐっと噛む。
「いつも言っておろう! すべきことを見極めるのが強さであり、力を得た責だと!」
――言い訳が、すっと消えた。
英雄にしか、できないことがある……いつかの兄にも説いた。わかっていたはずだ。
なのに、気持ちの余裕が失せれば、愚直なほど目の前しか見えなくなる。
そんな心の未熟さを窘めてくれるのは、成長を見守ってくれた聞き馴染んだ声……ロディは逸らしそうになった顔を、まっすぐジルベルトに向ける。
「くたばんなよ、義理父」
未来を見据えた黄土色の瞳が、強い輝きを放った。
ジルベルトはそれに気づき、一瞬だけ頬を緩める。
「それはわしの台詞だ……ロディ」
さっき怒鳴ったとは思えない柔らかな口調で言うと……すぐ厳しく眉を釣り上げ、ロディに向けて拳を突き出した。
「ローガンからくすねた取っておきの酒がある。帰ってきたら、祝杯に付き合え」
「ああ」
ロディはにっと口の端を上げ、自分の拳を突き合わせる。
騎士団では見せないジルベルトの父親としての姿……血ではなく信頼で繋がる二人を眺めれば、アレクの抉れた心が羨ましさで疼いた。
ふいにジルベルトがアレクに視線をやる。
「……アレクサンダーもな」
急に名前を呼ばれ、アレクは緊張で背筋を伸ばした。だが……妙にくすぐったく、心地良い。悴んだ指を湯につけたような痛みと……温もりが、じんわり胸に広がって、強ばる頬を溶かした。
「……はい」
アレクが頷いたのを見届けて、ジルベルトはリアムに恐ろしいほどの笑みを振りまく。
「まぁ、城の護衛などわしとカールデンで十分だ。ここに来たうつけどもを、存分に後悔させてやろう」
「……え……」
リアムの目が泳いだのは、不安からではない。おそらく――笑う鬼団長への畏れゆえだ。
固まったリアムに構わず、自信に満ち溢れる豪快な笑い声を轟かせながらジルベルトは部屋を出ていった。
扉が閉まる音を合図に、城内は段々と闘士に包まれていく。それはアレクの中で燻っていた志にも飛び火した。一度火がつけば……恐れも迷いも包み込み、覚悟はふつふつと燃え上がる。
「やってやろうじゃないか……!」
……アレクは静かに、拳を握りしめた。




