第四十九節 宣戦布告
まるで自分の眼に強制されるように、アレクたちはニーナから目を離せない。
集まる彼らの意識に留まるように、ニーナは羽ばたく鳥を真似て誇らしげに両手を広げた。
「みなさん、はじめまして」
そう言って頭を下げれば、するりと垂れた青い髪も聖女らしい清らかさを漂わせる。
わずかな間を置き、ゆっくり背を起こして微笑みかける姿は……昼日国の謁見室でアレクが初めて目にしたニーナを、否応なく思い起こさせた。
「さて、改めて名乗りましょうか。私はエミーナ。今では「黄昏の魔女」という名の方が、よく知られているのよね?」
丁寧だった物言いは砕けても、それは聞き慣れた声に違いなく。細まった瞳の青さは相も変わらず透き通っていて、冷え冷えと四人を刺した。
彼女を形作るものは同じなのに、醸す雰囲気はまるで異なる。
そう感じるのは正体を知ったがゆえなのか……などと考える余地は、四人になかった。
「……黄昏の魔女は、英雄に……首を断たれたの、では……?」
目眩を覚えるほどの違和感に苛まれながらも、クレイグはどうにか声を絞り出す。
「肉体は、そう。でも、魂はずっとこの世界に留まっていたの」
ニーナはくすくすと肩を揺らし、おわかり?と問うかわりに首を傾けた。
「そんなの、どうだっていい!」
焦れたロディがニーナだった女を怒鳴りつける。
「お前は結局、ニーナじゃないんだろう!」
「馬鹿なの? ニーナだって言ったじゃない。英雄に葬られた魔女は、ニーナとして新たに生まれ変わったの」
「じゃあ、旅の間も……出会った時からずっと……」
アレクの口から言葉が途切れた。受け止めたくない事実が、ニーナを信じたい心を口ごと塞いでしまう。
そんなアレクの迷いを見透かし、ニーナは「ええ」と容易く退けた。
「貴方たちと旅をしたのは、黄昏の魔女だったのよ。倒すべき相手がずっと傍にいたのに、ちっとも気づかなかったなんて……残念だったわね」
ここまで旅をしてきた記憶の中から、前に、後ろに、隣にいたニーナの姿が次々と浮かんで……アレクは奥歯を噛み締める。
もう、理解する以外になかった。
溢れそうな感傷を寸前のところで飲み込み、
「何故、俺たちと……一緒に居たんだ……?」
アレクは、今は正面で対峙するニーナに問いかける。
――ほんの一瞬、息が詰まるほどの無音が訪れた。ただそれはニーナが黙った、本当に一瞬のこと。
「……復讐に、決まってるじゃない」
ニーナはすぐに、何食わぬ顔で言い放った。
「知ってるでしょ? 貴方の先祖が私を殺したのよ。その代償は命で払ってもらわなきゃ気が済まないわ」
そう言うと、今まで見たこともない鋭い目つきでアレクとロディを睨みつける。
いつも向けられていた慈しむような柔らかい眼差しが、はじめて憎悪に歪み……アレクはもう、言葉が出ない。
突き放されたと悟った瞬間、心の中で積み上げてきたものが、音を立てて崩れた気がした。
こんな時に……だからこそ、知らず知らずニーナの強さに縋っていた自分に気づき、無力さで気が遠のきそうだった。
対してロディは……もう、深く考えるのをやめていた。根掘り葉掘り探ろうが、ニーナの本心など覗けない。
ならば、現実と向き合うしかなかった。
「それが本来のお前か!」
怒りに突き動かされるまま、ニーナに食らいつく。
「ええそう。これが本当の姿よ。聖女でいるのは本当に不便だったわ」
その必死さを嘲笑い、ニーナはロディに向ける笑みを一層深めた。
「さっさと魔力を解放してれば、こんなことだってできたのにね」
ニーナは部屋を見回し……床に散らばる銃火器の残骸に手をかざす。
『ケン〈獄炎〉』
呪文のような呟きに応え、銃火器の上にいくつも炎が灯る。それらは瞬く間に天井へと噴き上がり……赤々と部屋を染める大きな火の柱となった。
銃火器は一瞬にして熱に呑まれ、跡形もなく溶けて消えた。身を圧する熱気に誰もが動けず、意識を奪われていた。
ニーナは火柱から炎を少しすくい取り、手のひらでゆらゆらと遊ばせる。
「皆、この程度の魔力で壊れてしまう脆い存在なのに、どうして楯突こうとするのかしら? 大人しく殺されてしまえば、痛い思いもしないのにねぇ」
芝居がかった動きは悪役然とした物言いと相まって、言い知れぬ不気味さを増す。
息を飲む四人に向け、ニーナはまるでおもちゃをねだる子供のようにあざとく首を傾けた。
ふいに火の粉がぱちっと跳ねる。
たまたま耳に入ったそれにニーナは視線をやり、
『ハガル〈降雹〉』
と口にする。
声に呼ばれた氷の礫が火柱に覆い被さり、一気に凍りつかせた。空気はたちまち熱を失い、足元の感覚を奪っていく。
背筋を這う冷たいものが冷気か恐怖か……もう四人には分からない。
肌が痛いほど感じるのは……魔力の脅威だけだった。
『アイン〈破壊〉』
ニーナが囀ると、氷の柱は体の芯を走り抜けるような澄んだ音を立て、粉々に砕け散った。
――これは、意思をもって破壊を成す、逃れようのない力。
四人はその力の本質を、黙って骨に刻むしかなかった。
「ね、凄いでしょう?」
アレクたちを脅かした魔法も銃火器も消えた部屋を見回し、ニーナはない胸を張る。
その仕草は、よく知っている。でも、動く感情は銃火器と一緒に壊れてしまった。
スカーレットは首を捻れないまま、目だけをぎこちなく床に滑らせる。
「悪い夢を、見てるのか……?」
「……これが、神の力……」
「いいえ」
アレクがこぼした息まじりの声を、ニーナは耳ざとく拾った。
「この力の名前は、貴方がつけたんでしょう? アレク」
名前を呼ばれて、アレクは一瞬、肩をびくりと震わせる。
「これが、魔法よ」
魔法……それは魔獣に滅ぼされた村で夜を明かした時に生まれた言葉だ。魔力を用いた術をアレクがそう名付けた。クレイグも、ロディも、覚えている。
「ま・ほ・う……か。魔法……いい響きね」
どことなく弾んだ声で、ニーナは何度も呟く。
しばらく語感を楽しんだあと、ニーナは四人に笑いかけた。
「でも、これを神の力というなら……この力で世界をぶっ壊しちゃっても、文句言えないでしょ?」
口元は何かを企むように弧を描き、目元は獲物を見定めるような妖しい光を放つ。
皆の記憶の中のニーナが象徴する仁愛や明朗とは全くかけ離れた――言うなれば、これが「邪悪」と呼ぶのが相応しい笑顔なのだろう。
「私の力に相応しい名前をくれたお礼に、殺すのは一番最後にしてあげる」
「くそっ! ふざけんな……ふざけんなよ!」
怒り心頭だったロディも、ニーナの披露した魔法に圧倒され悪態をつくことしかできない。
怖気付いたロディをニーナは鼻で笑った。
「そうやって悪態をつきながら、蹂躙されていく世界を眺めてなさい。次に会った時はどんな顔をしてるかしら? 楽しみね」
そう言い捨てて、動けない四人を見下しながら――
ニーナはアレクたちをどうするか考えていた。
今のところ、彼らの中のニーナは狙い通りに黄昏の魔女へと塗り替わっている。信用が崩れるたびに、彼らの瞳が光をなくし、どんどん険しくなるのを感じる。
――これだから、裏切るのは辛い。
彼らの視線が、己の言葉が、沈黙が。
その全てがニーナの胸に容赦なく突き刺さった。
皆を苦しめなければならないことに心を痛めつつ、敵として立ちはだかるのをやめるつもりはない。
――それでも、この世界に未来を繋ぎたいの。
ニーナには魔女として叶えたい望みがふたつ、ある。
ふたつとも、アレクたちの手でしか果たせない。
そのために……ニーナはともかく、イーサーに抗う手段を手に入れてもらわなければならない。
ニーナは考えを固め、アレクたちに向けて手をかざした。
――魔法を、打つ気だ。
蘇った脅威が、今まさに、牙を剥く。
アレクは死を目の当たりにするような絶望を顔面に湛え……それでも、反射的に体を丸めた。ロディも、クレイグも、スカーレットも……戦いで培った経験か、それとも一縷の望みからか、無駄だと思いつつもしっかり身を守る。
ニーナの手のひらに、黒いもやが集まっていく。
――やられる!
アレクの腕が、強く頭を庇った。
「くっ!」
皆、それぞれ目を固く閉じた。
『ラド〈転移〉』
正面から黒いもやもやとした塊が四人を包んだ。
ニーナはふぅと息を吐き……最後まで張り続けていた聖域を、ようやく消した。
「……さよなら」
もういない誰かに小さく別れを告げ、沈んだ面持ちで部屋の半分を覆った黒いもやを見つめ続ける。
――次に会う時が、私の最期。
頭の中で四人の笑顔を思い浮かべ……どうか迷わないで、ここに来て欲しいと願った。
黒いもやがゆっくり晴れていく。
四人の姿は――跡形もなく消えていた。
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……瞼が、動く。
アレクは恐る恐る目を開けた。
構えた腕も動く。足も動く。特に痛むところも、息苦しさもない。
「……生きてる?」
アレクは両腕を持ち上げてあちこち衣服を確かめてみるも、破れもほつれも見当たらなかった。
髪の毛から靴の先まで何度も体を確認し、アレクは首をひねる。
やはり無傷だ。今の魔法はなんだったのか。
「え!? アレク? アレクか!」
聞き覚えのある声がアレクの思考を止めた。アレクは声の主を見て……愕然とする。
――向いた先にいたのは、リアムだ。
アレクは驚いて周りを見回して、ようやく先程の部屋でないことを把握した。見覚えのある壁、玉座、目の前の茶色い猫っ毛。
……ここは、昼日国城の謁見室だ。
愕然としているのはアレクだけでない。リアムも限界まで目を見開いて、アレクの顔を凝視していた。
「え? どうなってるんだ!? いきなりアレクが現れた!?」
二人の驚く声にロディも遅れて瞼を開き、真っ先に視界に入ったリアムを指さす。
「は? なんでリアムがいるんだよ!?」
「こっちが聞きたいよ!」
ロディとほぼ同時に気を戻したクレイグは、謁見室をぐるりと見回し、やっぱり謁見室だと混乱していた。
「一体、どうなっているんですか!?」
スカーレットは……とっくに目は開けていたが、謁見室もリアムにも見覚えがなく、石像のごとく微動だにしない。
ずっと帝国で抑圧されてきたと思えば、夜月国で捕虜にされ、脅威が復活する瞬間に立ち会わされ、挙句わけも分からず昼日国に飛ばされて……殺されなかったことで少し頭の余白を得たクレイグは、この帝国兵の怒涛の境遇が少し不憫になってきた。
クレイグはスカーレットの肩をとんとんと叩き、
「ここは昼日国城の謁見室ですよ。目の前にいるのが国王リアム様です。姿勢を正してくださいね」
と、こっそり耳打ちする。びくっと肩を震わせ、スカーレットは無の表情のまま、背を一直線に伸ばした。それをみたアレクとロディが、少しだけ頬を緩める。
生きている……という事実は、皆の心にほんのわずかだけゆとりをもたらした。
封印の間から昼日国の謁見室に移動したのは、どう考えてもニーナの魔法以外にない。
なぜ、わざわざ昼日国に送り返したのだろう。
いま考えられるのは――そこまで。
黄昏の魔女として立ちはだかったニーナを、今は思い返したくない。
共に戻った三人の姿を、アレクはただ、目に焼き付けていた。




