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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第四章
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第四十九節 宣戦布告

 まるで自分の眼に強制されるように、アレクたちはニーナから目を離せない。


 集まる彼らの意識に留まるように、ニーナは羽ばたく鳥を真似て誇らしげに両手を広げた。

「みなさん、はじめまして」

 そう言って頭を下げれば、するりと垂れた青い髪も聖女らしい清らかさを漂わせる。


 わずかな間を置き、ゆっくり背を起こして微笑みかける姿は……昼日国の謁見室でアレクが初めて目にしたニーナを、否応なく思い起こさせた。


「さて、改めて名乗りましょうか。私はエミーナ。今では「黄昏の魔女」という名の方が、よく知られているのよね?」

 丁寧だった物言いは砕けても、それは聞き慣れた声に違いなく。細まった瞳の青さは相も変わらず透き通っていて、冷え冷えと四人を刺した。

 彼女を形作るものは同じなのに、醸す雰囲気はまるで異なる。


 そう感じるのは正体を知ったがゆえなのか……などと考える余地は、四人になかった。

「……黄昏の魔女は、英雄に……首を断たれたの、では……?」

 目眩を覚えるほどの違和感に苛まれながらも、クレイグはどうにか声を絞り出す。

「肉体は、そう。でも、魂はずっとこの世界に留まっていたの」

 ニーナはくすくすと肩を揺らし、おわかり?と問うかわりに首を傾けた。

「そんなの、どうだっていい!」

 焦れたロディがニーナだった女を怒鳴りつける。

「お前は結局、ニーナじゃないんだろう!」

「馬鹿なの? ニーナだって言ったじゃない。英雄に葬られた魔女は、ニーナとして新たに生まれ変わったの」


「じゃあ、旅の間も……出会った時からずっと……」

 アレクの口から言葉が途切れた。受け止めたくない事実が、ニーナを信じたい心を口ごと塞いでしまう。


 そんなアレクの迷いを見透かし、ニーナは「ええ」と容易く退けた。

「貴方たちと旅をしたのは、黄昏の魔女だったのよ。倒すべき相手がずっと傍にいたのに、ちっとも気づかなかったなんて……残念だったわね」

 ここまで旅をしてきた記憶の中から、前に、後ろに、隣にいたニーナの姿が次々と浮かんで……アレクは奥歯を噛み締める。


 もう、理解する以外になかった。


 溢れそうな感傷を寸前のところで飲み込み、

「何故、俺たちと……一緒に居たんだ……?」

 アレクは、今は正面で対峙するニーナに問いかける。


 ――ほんの一瞬、息が詰まるほどの無音が訪れた。ただそれはニーナが黙った、本当に一瞬のこと。


「……復讐に、決まってるじゃない」

 ニーナはすぐに、何食わぬ顔で言い放った。


「知ってるでしょ? 貴方の先祖が私を殺したのよ。その代償は命で払ってもらわなきゃ気が済まないわ」

 そう言うと、今まで見たこともない鋭い目つきでアレクとロディを睨みつける。

 いつも向けられていた慈しむような柔らかい眼差しが、はじめて憎悪に歪み……アレクはもう、言葉が出ない。

 突き放されたと悟った瞬間、心の中で積み上げてきたものが、音を立てて崩れた気がした。

 こんな時に……だからこそ、知らず知らずニーナの強さに縋っていた自分に気づき、無力さで気が遠のきそうだった。


 対してロディは……もう、深く考えるのをやめていた。根掘り葉掘り探ろうが、ニーナの本心など覗けない。

 ならば、現実と向き合うしかなかった。

「それが本来のお前か!」

 怒りに突き動かされるまま、ニーナに食らいつく。

「ええそう。これが本当の姿よ。聖女でいるのは本当に不便だったわ」

 その必死さを嘲笑い、ニーナはロディに向ける笑みを一層深めた。

「さっさと魔力を解放してれば、こんなことだってできたのにね」

 ニーナは部屋を見回し……床に散らばる銃火器の残骸に手をかざす。


『ケン〈獄炎〉』


 呪文のような呟きに応え、銃火器の上にいくつも炎が灯る。それらは瞬く間に天井へと噴き上がり……赤々と部屋を染める大きな火の柱となった。

 銃火器は一瞬にして熱に呑まれ、跡形もなく溶けて消えた。身を圧する熱気に誰もが動けず、意識を奪われていた。


 ニーナは火柱から炎を少しすくい取り、手のひらでゆらゆらと遊ばせる。

「皆、この程度の魔力で壊れてしまう脆い存在なのに、どうして楯突こうとするのかしら? 大人しく殺されてしまえば、痛い思いもしないのにねぇ」

 芝居がかった動きは悪役然とした物言いと相まって、言い知れぬ不気味さを増す。

 息を飲む四人に向け、ニーナはまるでおもちゃをねだる子供のようにあざとく首を傾けた。


 ふいに火の粉がぱちっと跳ねる。

 たまたま耳に入ったそれにニーナは視線をやり、


『ハガル〈降雹〉』


 と口にする。


 声に呼ばれた氷の礫が火柱に覆い被さり、一気に凍りつかせた。空気はたちまち熱を失い、足元の感覚を奪っていく。


 背筋を這う冷たいものが冷気か恐怖か……もう四人には分からない。

 肌が痛いほど感じるのは……魔力の脅威だけだった。


『アイン〈破壊〉』


 ニーナが囀ると、氷の柱は体の芯を走り抜けるような澄んだ音を立て、粉々に砕け散った。


 ――これは、意思をもって破壊を成す、逃れようのない力。

 四人はその力の本質を、黙って骨に刻むしかなかった。



「ね、凄いでしょう?」

 アレクたちを脅かした魔法も銃火器も消えた部屋を見回し、ニーナはない胸を張る。


 その仕草は、よく知っている。でも、動く感情は銃火器と一緒に壊れてしまった。


 スカーレットは首を捻れないまま、目だけをぎこちなく床に滑らせる。

「悪い夢を、見てるのか……?」

「……これが、神の力……」

「いいえ」

 アレクがこぼした息まじりの声を、ニーナは耳ざとく拾った。

「この力の名前は、貴方がつけたんでしょう? アレク」

 名前を呼ばれて、アレクは一瞬、肩をびくりと震わせる。

「これが、魔法よ」


 魔法……それは魔獣に滅ぼされた村で夜を明かした時に生まれた言葉だ。魔力を用いた術をアレクがそう名付けた。クレイグも、ロディも、覚えている。


「ま・ほ・う……か。魔法……いい響きね」

 どことなく弾んだ声で、ニーナは何度も呟く。


 しばらく語感を楽しんだあと、ニーナは四人に笑いかけた。

「でも、これを神の力というなら……この力で世界をぶっ壊しちゃっても、文句言えないでしょ?」

 口元は何かを企むように弧を描き、目元は獲物を見定めるような妖しい光を放つ。


 皆の記憶の中のニーナが象徴する仁愛や明朗とは全くかけ離れた――言うなれば、これが「邪悪」と呼ぶのが相応しい笑顔なのだろう。


「私の力に相応しい名前をくれたお礼に、殺すのは一番最後にしてあげる」

「くそっ! ふざけんな……ふざけんなよ!」

 怒り心頭だったロディも、ニーナの披露した魔法に圧倒され悪態をつくことしかできない。


 怖気付いたロディをニーナは鼻で笑った。

「そうやって悪態をつきながら、蹂躙されていく世界を眺めてなさい。次に会った時はどんな顔をしてるかしら? 楽しみね」


 そう言い捨てて、動けない四人を見下しながら――

ニーナはアレクたちをどうするか考えていた。


 今のところ、彼らの中のニーナは狙い通りに黄昏の魔女へと塗り替わっている。信用が崩れるたびに、彼らの瞳が光をなくし、どんどん険しくなるのを感じる。


 ――これだから、裏切るのは辛い。

 彼らの視線が、己の言葉が、沈黙が。

 その全てがニーナの胸に容赦なく突き刺さった。


 皆を苦しめなければならないことに心を痛めつつ、敵として立ちはだかるのをやめるつもりはない。


 ――それでも、この世界に未来を繋ぎたいの。


 ニーナには魔女として叶えたい望みがふたつ、ある。

 ふたつとも、アレクたちの手でしか果たせない。


 そのために……ニーナはともかく、イーサーに抗う手段を手に入れてもらわなければならない。



 ニーナは考えを固め、アレクたちに向けて手をかざした。



 ――魔法を、打つ気だ。

 蘇った脅威が、今まさに、牙を剥く。

 アレクは死を目の当たりにするような絶望を顔面に湛え……それでも、反射的に体を丸めた。ロディも、クレイグも、スカーレットも……戦いで培った経験か、それとも一縷の望みからか、無駄だと思いつつもしっかり身を守る。


 ニーナの手のひらに、黒いもやが集まっていく。


 ――やられる!

 アレクの腕が、強く頭を庇った。


「くっ!」

 皆、それぞれ目を固く閉じた。



『ラド〈転移〉』



 正面から黒いもやもやとした塊が四人を包んだ。



 ニーナはふぅと息を吐き……最後まで張り続けていた聖域を、ようやく消した。


「……さよなら」


 もういない誰かに小さく別れを告げ、沈んだ面持ちで部屋の半分を覆った黒いもやを見つめ続ける。


 ――次に会う時が、私の最期。


 頭の中で四人の笑顔を思い浮かべ……どうか迷わないで、ここに来て欲しいと願った。



 黒いもやがゆっくり晴れていく。

 四人の姿は――跡形もなく消えていた。



****



 ……瞼が、動く。


 アレクは恐る恐る目を開けた。


 構えた腕も動く。足も動く。特に痛むところも、息苦しさもない。

「……生きてる?」

 アレクは両腕を持ち上げてあちこち衣服を確かめてみるも、破れもほつれも見当たらなかった。


 髪の毛から靴の先まで何度も体を確認し、アレクは首をひねる。


 やはり無傷だ。今の魔法はなんだったのか。


「え!? アレク? アレクか!」


 聞き覚えのある声がアレクの思考を止めた。アレクは声の主を見て……愕然とする。


 ――向いた先にいたのは、リアムだ。


 アレクは驚いて周りを見回して、ようやく先程の部屋でないことを把握した。見覚えのある壁、玉座、目の前の茶色い猫っ毛。



 ……ここは、昼日国城の謁見室だ。



 愕然としているのはアレクだけでない。リアムも限界まで目を見開いて、アレクの顔を凝視していた。

「え? どうなってるんだ!? いきなりアレクが現れた!?」

 二人の驚く声にロディも遅れて瞼を開き、真っ先に視界に入ったリアムを指さす。

「は? なんでリアムがいるんだよ!?」

「こっちが聞きたいよ!」

 ロディとほぼ同時に気を戻したクレイグは、謁見室をぐるりと見回し、やっぱり謁見室だと混乱していた。

「一体、どうなっているんですか!?」


 スカーレットは……とっくに目は開けていたが、謁見室もリアムにも見覚えがなく、石像のごとく微動だにしない。

 ずっと帝国で抑圧されてきたと思えば、夜月国で捕虜にされ、脅威が復活する瞬間に立ち会わされ、挙句わけも分からず昼日国に飛ばされて……殺されなかったことで少し頭の余白を得たクレイグは、この帝国兵の怒涛の境遇が少し不憫になってきた。


 クレイグはスカーレットの肩をとんとんと叩き、

「ここは昼日国城の謁見室ですよ。目の前にいるのが国王リアム様です。姿勢を正してくださいね」

 と、こっそり耳打ちする。びくっと肩を震わせ、スカーレットは無の表情のまま、背を一直線に伸ばした。それをみたアレクとロディが、少しだけ頬を緩める。



 生きている……という事実は、皆の心にほんのわずかだけゆとりをもたらした。

 封印の間から昼日国の謁見室に移動したのは、どう考えてもニーナの魔法以外にない。


 なぜ、わざわざ昼日国に送り返したのだろう。

 いま考えられるのは――そこまで。

 黄昏の魔女として立ちはだかったニーナを、今は思い返したくない。


 共に戻った三人の姿を、アレクはただ、目に焼き付けていた。

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