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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第四章
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第四十八節 君の名前は

 唐突にイーサーが手を打ち鳴らす。

「いやぁ、さすがだ! 君ならそうすると思ってたよ、エミーナ」

 満面に笑みを湛えながら、くいっと扉に向けて顎をしゃくってみせた。その薄っぺらい仕草が、張り詰めた空気を歪にねじ曲げる。


 視覚も知覚もまともに働かず、全員が操られたように顎の示した先を追った。



 そこにいるのは……ニーナだ。

 ……皆の意識から逃げるように、項垂れて。



 アレクは無自覚に身を起こした。全身の痛みも目に映る違和感も、すべてが現実と噛み合わない。

「エミー……ナ……?」

 混乱していても、それが黄昏の魔女の真名だとアレクは理解できた。

 しかし……イーサーが示した先には、ニーナしかいない。


 ロディものろのろと立ち上がり、部屋に居る自分以外の顔をひとつずつ確かめた。やはり、どの顔も名前を知っている。

「エミーナって誰だよ!? どこにいるんだ、そいつは!」

 そう吠えると、ナックルをはめた拳を強く握りイーサーに向けた。

 愚直なほど疑いを混じえないロディの言葉は、ニーナを信じたいアレクの心を後押しする。


 英雄たちの鋭い視線が、張りつめた静けさを引き連れて、イーサーへと突き刺さった。


 しかし、

「はははっ! そうだ……そうだよなぁ!」

 響き渡ったイーサーの高笑いで、一瞬にして空気が厭わしい不安に塗り替わる。アレクのこわばった頬を、一筋の汗がつたった。


 そのやりとりに気を奪われていたスカーレットは、つい支えていたクレイグの背から手を離し、その手を剣の柄にかける。クレイグは後ろに倒れかけて……ようやく弾き飛ばされたままだったのを思い出した。急いで起き上がると、腰の剣を引き抜く。


「何が、そんなに可笑しい?」

 アレクが槍の先をイーサーに突きつけた。

「はっ……そりゃあ、何も聞かされてないよなぁ?」

 嘲るような物言いがアレクの気を逆撫でして、槍を握る手を震わせる。

 ただ……その震えが怒りだけでないと、頭の片隅では気づいていた。


 銃火器を破壊したのが誰なのか、まだはっきりとしない。エミーナと呼ばれる者の姿も正確に捉えていない。

 しかし……うっすらとアレクの意識を過ぎる「まさか」は、信じていた白い法衣の姿を容赦なくかき乱していた。



 敵意を露わにしながら、イーサーの思わせぶりに尽く振り回されるアレクたち――とは違い、ニーナは瞬きもせず自分の足元を見つめていた。


 黄昏の魔女の正体はまだ明らかになっていない。それでも……皆の心に疑いが芽生えたのは、ひしひしと感じとっていた。

 この男(イーサー)がいる限り、もう誤魔化せない。そう分かっていても、まだ自ら名乗り出たく……ない。


 流れる一秒一秒が、聖女という偽りの姿をじわじわ焦がす。

 それが、まるで暗闇に灯る炎に群がる羽虫の愚行にみえても……この身が焼き尽くされるまで、皆の傍(ここ)を離れたくなかった。



 そんなニーナの思考が透けて見えるかのように、イーサーはげんなりと息を吐く。

「まったく……往生際の悪い女だ」

 そう言って……アレクを指差した。


 『イス〈氷槍〉』


 重苦しい沈黙を凝縮したかのような尖った氷の礫が天井を覆い、驟雨のごとくアレクを襲う。


 その攻撃はあまりにも唐突で、アレクに出来たのは驚くだけ。迫る冷気に構える間もなく「殺られる!」と瞼を引き絞った次の瞬間――、


 『アイン〈破壊〉』


 と、蚊の鳴くような……ニーナの声がして、氷の礫は一斉に砕け散った。


「いいねぇ……」

 イーサーは天井を仰ぎ、頭上からぱらぱらと降り注ぐ氷のかけらをうっとりと眺める。

「体は随分小柄になったけど、威力は相変わらず惚れ惚れとするなぁ……エミーナ」

 ……その名を、皆はもう誰だと探さなかった。


 銃火器を壊したのも、エミーナと呼びかけられたのも、氷の針を砕いたのも……全部がひとつに繋がる。


 四つの視線が迷わず辿ったのは……ニーナだった。



「なぁ、ニーナ……?」

 アレクが呆然として足を進めるより早く、ロディが駆け寄りニーナの前に立ちはだかった。青い髪のてっぺんから黒いタイツのつま先まで、じっくり視線でなぞる。

 それは……一緒に旅をしてきた、口が達者で、志の強い、ロディの知る聖女で間違いなかった。


「なぁ、今の、なんだ?」

 動揺して荒くなった呼吸を必死に抑えつつ、ロディは問う。


 ニーナは黙ったまま、顔を上げない。


 微かに震える白い法衣の肩を気に留める余裕は、ロディになかった。

「……やったの、ニーナか?」

 ロディは息がかかるほど顔を近づけ、無理やりニーナを覗き込もうとする。が、ニーナは琥珀色の瞳からさっと顔を背けた。


「おい。なんで、逃げんだ……?」

 ロディが逃げた視線の先へと何度も顔を割り込ませる。が、ニーナも目を合わせまいと逃れ続け……しまいにはこれでもかと顎を引き、目を閉じた。


 このまま開けていれば、間もなく突きつけられるのは……きっと、軽蔑の眼差しだ。魔女だとばれた時の覚悟などとっくに決めたはずが、いざ現実になるとただただ怖くてしかたない。


 口も、瞳も、心までも塞いだニーナに……ロディの募らせていた不安と苛立ちが爆発した。

「黙ってねぇで何とか言えよ!」

 甲高い叫びを上げ、細い肩を両手で鷲掴む。抑えきれない焦りと怒りが、ロディの指をみるみる肩に食い込ませた。


 痛みからか、ロディの手の中でニーナがわずかに動く。逃がすかと、ロディは掴んだ肩を激しく揺さぶった。

 馬鹿力にされるがまま、青い髪が荒く波打ち、華奢な体は翻弄される。首が千切れそうなほど、頭が前後ろに揺れ動いた。


 

「おい、流石に……」

 見ていられなくなったスカーレットが、そっと近づきロディの腕に触れる。が、

「うるせぇ!」

 その手を無造作に振り払い、ロディはニーナを揺さぶり続けた。


 そうしながら……ロディの頭は少しずつ、ニーナの肩へと垂れていく。

「頼むから……違うって言ってくれよ……」

 声が泣きそうなほどに上擦った。それが懇願なのか、悲鳴なのか……ロディ自身にも分からなかった。



「くそっ!」


 ロディが急に顔を上げ、固めた拳を振り上げる。


 どうやっても貝のごとく口を噤むニーナの頬を狙い、震えまで握りしめて振り下ろした……途端、ロディの腕は強い力に掴まれ、止められた。

「ロディ、やめろ」

 止めたのは、アレクだった。

 ロディの意識がニーナへの怒りで占められていくのを……アレクは傍でそっと窺っていた。

「なんで止めんだよ!」

「……殴るなら、先に俺を殴れ」

「兄貴、まさか、こいつを庇うのか!?」

 ロディはニーナの肩を手放し、今度はアレクの胸ぐらを掴む。

「……庇う、わけじゃない……俺だって、分からないんだ。どうすればいいのか……何を信じればいいのかが……」

 ロディの拳に手を添えはしたが、アレクはされるがままに身を委ねた。ただ、浅黄色の瞳は潤みながらも、しっかりと自分に似た黄土色の瞳を見据えていた。

「だから……その拳は先に、俺に向けてくれ」

 ロディは物言いたげに目を凝らしていたが……黙ったまま、アレクの胸元から手を離した。


「やれやれ、今世のザムルーズは随分腑抜けたな」

 大人しく一連のやりとりを眺めていたイーサーは、つまらなそうにため息をついた。

「はっきり言ってやろうか。お前たちの前にいる、その……ニーナ?とかいう女が、エミーナだよ。そいつが、()()()()()、さ」

 正体を告げたイーサーの言葉で、部屋中の視線が自分に注がれたのを痛いほど感じ取り……ニーナは唇を強く噛み締めた。

 頭の中で、ぷつんと、絆が途切れた音がこだまする。


 ずっと会いたかった人と過ごす時間は楽しくて、眩しくて、どこか懐かしくて……卑しくも、最後の最後まで一緒に生きられる未来に縋ってしまった。



 ――それも、もうおしまい。


 ニーナはこぼれそうになる涙を、ぐっとこらえる。


 ――あの時、ロディに言ったじゃない。この力を使えば、自分の大切なものを守れる。


 ――なら、望んで茨の道を進みましょう、と。



 覚悟は、できてる。



「……ふふ、あはは」

 鈴を転がしたような笑い声が響いた。


 アレクも、ロディも、クレイグも、スカーレットも……同時に、無意識に息を飲む。


 いつの間にか、ニーナは顔を上げていた。


「……ばれちゃったら、しょうがないわね」


 この上なくご機嫌に微笑みながら、愕然と目を見開いた四つの面をさっと通り抜ける。この旅で倒すべき標だったアドバンまでもが、ニーナが近づくにつれ、一歩、一歩と身を引いていく。

 そんなことはまったく気にとめず、ニーナはイーサーのすぐ前で立ち止まると……アレクたちを振り返った。


「……ニー、ナ?」

 開いたままのアレクの口から、呼びかけるには足りなすぎる声がこぼれる。


「ええ、それが私の名前」

 ニーナがゆっくりと頷いた。そして、思い出を偲ぶように目を細める。

「でも、それだけじゃない。黄昏の魔女、エミーナ……それも、私よ」


 見知った瞳は相変わらず、底なしに青さを湛えて……首筋から一気に熱が奪われていった。これは、紛れもない恐怖だ。

「ニーナが……黄昏の、魔女……」

 姿も声もそのままなのに、クレイグの呟きひとつで……青髪の(ひと)は、得体の知れない恐怖へと変わった。

 それでも、ニーナを見つめるアレクの目は、まだ虚ろなままだ。


 ニーナの記憶の中にふと、死の間際に見たザムルーズの険しい顔が浮かんだ。ミレニアムの夜明けを繰り返すなら……アレクたちに未練を捨てさせ、あの憎しみを向けてもらわなければならない。


 ――私はミレニアムの夜明けの脅威であり、この世界を破滅に導く魔力の根源。


 魔力をなくし、世界の平穏を取り戻したい彼らにとって……「黄昏の魔女」は、すでに「最悪の敵」なのだ。

 ならば、その印象通りに振る舞えば、たかが十日ほどの情などすぐ冷める。



 ――そんなの、すごく簡単じゃない。



 ……そう思うニーナの目に映る四人の顔が、悲しみの向こうで、霞んでみえた。

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