第四十五節 決意と、覚悟と
酒場を出てすぐ、アレクはまだ少し遠い黒岩の城に目を向けながら、ぴたりと足を止めた。
「このまま皇帝の元へ乗り込む。先に進めばもう引き返せないが……皆の覚悟は?」
いつになく張った声で問いかけたアレクに怯むことなく、クレイグは平然と騎士の礼で返す。
「元より、できております」
打てば響く頼もしさに、アレクは少し頬を緩めた。
「もうそんな傅かれる立場でもないのに……ありがとう、クレイグ」
「勿体なきお言葉。私の主人は生涯アレク様だけです」
クレイグは短い茶髪が下に垂れるまで、深々と頭を下げた。
そんなアレクとクレイグの間を、スカーレットの瞳が馬の尻尾が揺れるくらいの速さで往復する。
「まぁお前がそうなら、私に選択肢はないな」
クレイグがもの凄い勢いでばっと頭を上げ、噛みつきそうな顔つきでスカーレットを見た。それを「冗談だ」と面倒くさそうに流し、スカーレットはアレクの正面で直立不動の姿勢をとる。腰に携えた剣を逆手で引き抜くと、まるで誓いを立てるように胸に掲げた。
「覚悟などとっくに決まっている。お前の志に、この剣を捧げよう」
帝国式の敬礼なのだろうか。スカーレットの凛々しい立ち姿に、少し和らいでいたアレクの頬が引き締まった。
「謹んで受け取ろう。頼りにしてるよ、スカーレット」
「俺もいけるぜ! さっさと倒してやりたいってウズウズしてるくらいだ!」
ロディは腕を回しながら肩をバキバキ鳴らして……聞かずもがな、といった感じだ。
「一緒に来てくれて本当に感謝してるよ、ロディ」
そこで会話が止まり、少しの沈黙が流れた。
……もう一人、返事がない。
全員の視線がニーナに集まった。当の本人は俯いたまま何かを考え込んでいて、見られているのに気づいていない。
「ニーナ」
「え? あ……」
アレクが声をかけると慌てて顔を上げ、きょろきょろと皆を見回した。
「……えと、私も大丈夫?です」
取り繕った返事にいつもの元気はない。
アレクは酒場でのニーナを思い返した。
ノアと絡んだあたりから様子がおかしかった。話の途中に声を荒らげたかと思えば、すぐ下を向いて黙り込んでいた。
「あまり大丈夫そうには見えないな……」
「そんなことないですよ!」
ニーナは慌てて首を左右に振る。
「お腹いっぱいでぼーっとしてただけです! 本当に、大丈夫……」
口ではいつも通りを装おうとするが、この先に進む躊躇いは振り切れない。不安は否応なく体を小刻みに揺さぶって……ニーナは力いっぱい拳を握りしめた。
その動きを、アレクは見逃さなかった。
……気のせいではなく、震えてる。
ニーナの動揺を目の当たりにしたのははじめてだった。そのせいか、アレクの胸にも不安がよぎる。無理もない。これまでどんな酷い状況でも、ニーナが怯えることなどなかったのだから。
どうするかとアレクは少し首を傾げたあと……皆に向け、「ごめん!」と合わせた両手を目線に掲げた。
「決戦前だし……俺、ニーナに言っておきたいことがあるんだ。ちょっとだけ二人っきりにしてもらってもいいかな?」
「かしこまりました。では、街でも見ています」
クレイグは素直に頷くと、背筋を伸ばしたまま立つスカーレットの腕を強引に引っ張る。
「ほら、貴女もですよ! スカーレット」
「わかっている。そこまで無粋ではない……腕を離せ!」
「何がわかってるんですか! 貴女、動く気なかったでしょう!?」
二人は口論を続けながら、見世物の家屋の合間へと消えていった。
ロディは……二人が去ったあとも、しばらくもの悲しげに兄を眺めていた。
が、
「俺もその辺ぶらついてくるわ」
と吹っ切るように踵を返す。弟の視線の意味を捉えきれず、
「あ……ロディも、一緒に……」
アレクの口から情けない声がもれた。ロディは足を止めるも、
「いや、いい。兄貴に任せる」
背中を向けたまま首を横に振り、酒場から離れていった。
ロディは家屋の角を曲がる前に、兄とニーナをちらりと盗み見る。
ニーナの様子が変だと、ロディもとっくに気付いていた。今の手の震えだけじゃなく、パンケーキを残した本当の理由だって気になって仕方がない。
おそらく、兄はニーナに留まるよう説得するつもりだろう。ロディだってそうしたい……が、夜月国で武器の整備を待つ間のことを思い出す。
もともと彼女は自分たちと違い、戦う必要がないのだ。生きて帰れるか分からない戦いになど連れて行きたくない。
その思いはすでにぶつけた。震えるほど怯えているなら、今もう一度、ぶつけたい。
うだうだ湧いてくる未練がましさを握りつぶすように、ロディは拳を固めた。
ニーナの意思が固いのは、あの時すでに思い知らされている。今だっていくら本気で止めたとしても、きっと絶対最後までついてくると言うだろう。
己の信念を貫こうとする彼女の青い眼差しを思い浮かべれば、場違いにも胸が高鳴ってしまう。
……俺じゃ、敵わないな。
歯がゆさに歪んだ口元を手で覆いながら、ロディはもう見えなくなったクレイグの背中を追った。
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アレクの意味深な言葉ですんなりと場を離れた皆にニーナは慌てる。
「え? 皆? ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
「ニーナ」
耳に馴染んだ少し高い声が、ニーナを呼んだ。アレクの話したいことが何か分からず、冷や汗が止まらない。
動揺を悟られないように、ニーナはいつも通りっぽい笑みをアレクに晒した。
眉尻が垂れ下がり頬を引きつらせるニーナに、アレクはため息をつく。多分、本人はいつも通り振る舞えていると思っているのだろう。
アレクが呆れながら口を開こうとした矢先、
「な、なんですか? こんな時に話したいことって。まさか……愛の告白ですか?」
ニーナは震えながらも必死に冗談を口にする。アレクは思わず「ははっ」と笑いをもらした。
「愛を囁く方が嬉しいなら、そうしようか?」
「え?」
いたずらっぽく目配せで返すと、ニーナが固まってしまった。
さっきまで最愛の人を偲んでいたからか、その魂を継ぐ人の冗談は軽く受け流せない。
「えと……いや、それは」
「なぁ、ニーナ」
しどろもどろになったニーナを見るアレクの瞳が、急に鋭くなった。
「……怖いか?」
その一言で……ニーナの胸をざわつかせる言い知れぬ躊躇いが「恐怖」だと、気づかされてしまった。
アレクの言う「怖い」は、皇帝との戦いを指しているのだろう。
アドバンに関しては、これっぽっちも不安を抱いていない。よぼよぼの老体のうえ、港でみた魔力を取り込む魔法も不完全だ。ニーナが聖法しか使えずとも、英雄の魂を持つアレクたちなら苦もなく倒せるだろう。
そんなことより……アドバンが封印を解いてしまったら。
暴虐の王が皆の前で、自分の正体を明かしてしまったら……その瞬間、築いてきたかけがえのない信頼が壊れ、彼らとともに生きられなくなる。それを目の当たりにするのが……たまらなく、怖い。
封印から感じる魔力が、その最悪の予感を現実へと押し上げていた。
「怖く、ない……ということはないですね」
どうやっても誤魔化せそうにない恐れを虚勢で薄めながら、ニーナは胸の内を吐き出す。
「でも、ほんと、大丈夫ですから!」
アレクと目を合わす勇気はないが、多分こちらを見てるだろうアレクに向けて、口の端を勝気に上げた。
ふいに、ぽんとニーナの頭に温かいものが乗った。
ニーナがおそるおそる視線を上げると……アレクはまるで子供をあやすようによしよしと頭を撫でながら、柔らかい笑みを浮かべている。
「ああ、ここまでこれたのはニーナのおかげだよ。本当に、よく頑張ったな。だから、」
労いの先に続く言葉は、聞かなくても分かる。嫌だと思うやいなや、ニーナの口が動いた。
「ニーナはこ」
「嫌です」
二人の声が重なる。ぴたっと、頭を撫でるアレクの手が止まった。続けようとした言葉はどこかに逃げてしまった。
「嫌って、まだ何も言ってないし……それに、そんなに震えているのに?」
「これは……武者震いですよ!」
顔をこわばらせながら威張るニーナに、もう苦笑するしかない。
「それは無理ありすぎだ」
「無理なんてありません」
ニーナは大きく息を吸って、吐いて。
そして覚悟を決めたように大きく瞳を開くと、視線でまっすぐアレクを射抜いた。
「私は絶対に、最後まであなたたちとともに行きます」
黄昏の魔女だとばれるのは怖い。
でも、置いていかれるのは……もっと怖い。
暴虐の王が復活してしまったら、アレクたちを守れるのは……自分しかいない。
ニーナの焼け付くような眼差しに今度はアレクがたじろいで、青い髪から手を浮かせた。
「どうして、そこまで一緒に行こうとするんだ?」
「ね、アレク」
その問いを遮り、ニーナは宙でさまようアレクの手を両手でぎゅっと掴む。
「不安な時は手を握るのがいいらしいですよ? 誰もいませんし……ちょっとだけ、手を握ってくれませんか?」
そう言って、にっと笑う。
「唐突だな……」
アレクはしばらく目を瞬かせていたが、ふっと口元を緩め「いいよ」とニーナに掴まれていた手を引き抜いた。
「じゃあ、手のひらを俺に向けてごらん」
どうするのかと首をひねりつつ、ニーナは素直に両手のひらをアレクにかざす。アレクは自分の両手のひらをそれぞれニーナの手のひらに合わせ、指を絡めながらぎゅっと握りこんだ。
「……なんだか、手馴れてますね……」
「せっかく女性と二人きり、なんだしさ」
この軟派男め、と思う気持ちは、大きくてごつい手の温かさに溶けてしまった。
「アレクの手、おっきいですね。それに、温かい……」
手を包む温もりに、ニーナは目を細める。
「ああ、生きてる証だな」
その言葉が、手の施しようもなかった胸のもやを一瞬で吹き飛ばした。
ただでさえ静かな街で、聞こえるのは繋いだ手の鼓動だけ。
ニーナは目を閉じ、アレクの命を確かめるように握り返す。
――そうだ、ここで怖気づいてどうする。自分は、この温もりを守りたいのだ。だから、どうか、最後の瞬間まで……あなたたちの傍にいさせて下さい――
言葉にはできない願いを、指の先に込めた。
「……ありがとう、アレク」
ニーナは瞼を開け、ぱっとアレクの手を離す。
「もう大丈夫です! なんかすごい元気出ました!」
「ああ、そう……?」
アレクは少し寂しげに、宙ぶらりんな自分の手とニーナの手を交互に目で追った。
「なぁ……せっかくだし、もうちょっと繋がない?」
「何言ってるんですか。もう皆帰ってきますよ?」
心に余裕ができると、この抑圧された街では絶対に響かない騒がしい話し声が耳をかすめる。
「そっか……」
がくんと項垂れたアレクに、ニーナは思わずふふっとこぼした。
「なぁ、ニーナ」
と、急にアレクの顔が正面に戻る。
「何があっても、ニーナは俺が守る。だから、ひとつ、約束してくれないか?」
さっきまでの優しい表情とは打って変わり、切羽詰まった、縋るような面差しをニーナへと近づけた。
「なんですか?」
「……危なくなったら、真っ先に逃げてくれ。ニーナだけは……ちゃんと生きて、帰ってくれ」
「前も聞きましたよ、それ」
ザフィーラの時とは違い、浅黄色の目は切に訴えてくる。それは涙が溢れそうなほど嬉しくて……残酷な約束だ。
「ありがとうございます」
でも、もうニーナは瞳を逸らさない。
「大丈夫ですよ。私がいる限り、アレクたちを危険に晒したりなんかしませんから……絶対に」
覚悟は決まった。
――それが、最悪の結果になろうとも。




