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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第四章
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第四十四節 聖女はひとり語りき

 私の名前はニーナ・クラーク。

 夜月国生まれ夜月国育ちの、花も恥じらう十七歳。


 ……これは、今の人生の私。


 体と名前が何度変わっても、私の魂は600年前から変わらない。

 一番最初に授かった名前は、エミーナ・ヴァレンタイン。

 だけど、この名でぴんとくる人は減ってしまった気がする。



 今、一緒にテーブルを囲むのは、とても頼りになる仲間だ。彼らは『黄昏の魔女』の存在に顔をしかめている。


 黄昏の魔女エミーナ――そう、それが私なのだ。


 皆の顔をこれ以上曇らせたくはない。けど、知らぬ存ぜぬを通すしかない。


 ……言えるわけないじゃない。私が諸悪の根源でした、なんて。


 でも、大切な人たちを欺き続けるのは覚悟してたより遥かに辛くて……口からため息が止まらない。やるせなさを悟られないように、置いたナイフとフォークを持ち、またパンケーキを切る。

 あの吟遊詩人が余計なことを言ったせいで、嫌でもあの頃の私を思い出してしまう。



 600年前、私は英雄ザムルーズに倒されてこの世から去った。でも、滅んだのはエミーナという肉体だけ。魔力は、私の魂に今も残っている。


 うん?ちょっと違うな。

 そもそも、私の魂が魔力を生み出す元凶なのだ。



 創造神の愛する大地の均衡を保つため、衡神タルダディールは度を越えた人々の負の感情を吸い上げ、天災に変えて世界に散らしていた。

 でも、人の邪な思いは留まるところを知らず……とうとう人の胎に宿り、イーサーという肉の化け物を産んでしまった。

 その化け物と、衡神の処理しきれない負の感情を吸収する受け皿として創られたのが……私の魂だ。


 ただ、神の思惑から外れ、吸い上げた感情を神の力――魔力に変換し、この世界に顕在させてしまったのは……私がその力を望んでしまったから。


 そう。あの時の私には、力が必要だった。



 パンケーキを切る手が上手く動かない。仕方ないとナイフを置いて、切ったのをひと口、口に運んでみる。けど、なんだかぱさぱさするだけで……甘いかどうかも分からない。水で無理やり流し込んで、次のひと口……なんて、手も口も到底動かない。


 放たれる匂いだけはやたら甘くて、胃がむかむかしてきた。顔を上げてぐるりと皆を見回すと、アレクとクレイグ、スカーレットに……ロディまで、誰も口を開かず怖い顔して考え込んでいる。

 まったく、あの吟遊詩人……本当に余計なことを言ってくれちゃって。大体、魔女(わたし)のことなんてどうやって調べたのかしら。エミーナの史料なんて夜月国にしか残ってないだろうに。


 でも、さすがに全部知ってるって訳ではないみたい。「復活」なんて言い残したけど、そんな概念、私にはないの。私の魂に終わりはない。思い返せば夜月国ばかりだけど……世界の片隅でずっと、ひっそりと転生を繰り返してきた。


 英雄に倒されたおかげというか……今、この世界と私の魂の繋がりは断たれている。魂の中で溢れかえる魔力は、まだこの世に解き放っていない。

 解放するのはとても簡単。『魔法』を使えばいい。そうすれば衡神の力を生み出す機構が理として顕在し、この世界に満ちる負の感情は自ずと魔力に変わる。

 それをしなかったのは、今まで力が必要なかったから。これからも……したくない。


 ただ、封印された魔力は、私が死んでも封印に残ったままだった。アドバンが封印に手を出し……図らずも遺言通りの状況ができあがってしまった。


 封印を解き切る前に皇帝を倒せば、私は聖女のままでアレクたちと残りの人生を過ごせる。解放すれば……あの時の茶番をもう一度、演じなければならない。


 向き合って剣を構えたザムルーズの険しい表情を思い出し……せっかく置いたナイフをまた握ってしまった。


 あんな過去は、もう繰り返したくない。

 今世の私はニーナ。魔女じゃなく、聖女として生きたい。アレクたちの脅威ではなく、アレクたちの力になるためにここにいる。


 倒すべき悪は皇帝ひとり……それじゃ、だめなの?



 パンケーキを口に運ぶ気にもならず……かといって、ナイフを握った手もじっとしない。どんどん小さく切り分けられるパンケーキを他人事みたいにぼんやりと眺める。



 この600年、何度転生したかも何に転生したかもあまり覚えていない。確かなのは、どの生でも会いたい人に会えなかったこと。

 逆に、エミーナとして生きた記憶、そしてザムルーズと過ごした時間だけははっきりと覚えている。

 夜月国の人たちが手に負えない美術品みたいな扱いをする中で、唯一私を愛してくれて、大切にしてくれて、間違いを正してくれた……忘れられない最愛の人。


 眩しいほどの輝きを持つ魂は、世界を変える宿命を背負っている。

 それなら、強い輝きを放っていた彼の魂は必ず次の宿命を受ける……そう思って、ずっと探し続けていた。あんまり覚えていないけど、きっと、生まれ変わる度にずっと。

 もし次に出会えたなら、彼を助け、彼を守り、彼とともにありたいと願っていた。



 ――ようやく、出会えた。



「うだうだ悩んでても仕方ねぇや。ようするに、封印解く前に皇帝ぶっ飛ばしゃいいんだろ?」

 ロディの声でふと気を戻す。いつの間にか皿の上は、もうパンケーキと呼べない親指くらいの小麦の屑でいっぱいになっていた。


 ちょっと、考え込みすぎてたみたい……またため息をついてナイフを置き、横目でロディを盗み見た。


 妙に吹っ切れた顔してる。考えるのに飽きたのかしら。でも、彼はいつだって的外れなことは言わない。自分の正しさを主張するように力強く、真っ直ぐな黄土色の瞳がきらきらと輝いていて……なんだか、昼日国の話をする時のザムルーズに似てる。


「それもそうだな。黄昏の魔女が復活しようとも、俺たちが今からやるべきことはひとつだ」

 ロディの言葉にアレクが頷いた。私もそっとアレクに視線を移す。


 普段は優男みたいな甘ったるい笑みを崩さないのに、真剣になると眉間にしわを寄せて、浅黄色の瞳がきりっと凛々しくなる。ここぞと言う時は決して視線をはぐらかさない。それは、最後の瞬間に見たザムルーズを思い出してしまう。


 魂がふたつに分かれてしまったのは意外だったけど、やっぱり二人ともザムルーズの血と魂を継いでいるんだなって、嬉しくもなるし……悲しくもなる。


 今度こそは悲劇で終わらせず、ちゃんとザムルーズの……ううん、アレクとロディの力になりたい。彼らが目指す理想をともに成し遂げたい。そうして彼らがもたらした平穏な世界で、一緒に生きたい。

 それがエミーナの人生で果たせなかった願い……今はまだ聖女である私の、一縷の望みなの。



 またため息が出そうになった口に、無理やり水を流し込んだ。

「しかし、もし封印が解けてしまえば……暴虐の王も復活を果たしてしまうのでしょう? 黄昏の魔女に暴虐の王……完全に600年前の再来です。そうなれば、アレク様が英雄の魂を持つとはいえ、果たして我々四人だけで立ち向かえるのでしょうか……?」

 クレイグが漏らした不安に思わずむせてしまう。



 ――暴虐の王(イーサー)


 それは、人の形をした本当の化け物。私が与えるまで魔力こそ持っていなかったものの、その残忍で嗜虐的な思考は人と思えない。

 そして、それをまかり通す腕力もある。武術のことは全然分からないけど、多分ロディより全然強い。だって、容赦ないから。

 もし、封印が解かれ、イーサーが復活してしまえば……聖遺物もないアレクたちに勝ち目は全くない。そして、イーサーは私の魂が()であるかを一瞬で見抜くだろう。


「それならなお、あいつ(ロディ)の言う通りだ。皇帝に封印を解かさなければいい」

 スカーレットはもう涼しい顔して布巾で口を拭っている。

 


 ……そう、封印。


 この世界で600年振りに魔力を感じてから、ずっと密かに封印の様子をうかがってたの。

 それなのに……私がうっかり魔獣の出現について口にしちゃったから、「魔力が見える」なんて誤魔化す羽目になったのよね。


 でも、噂になってよかったのかも。そのお陰で昼日国からの要請を受け、ザムルーズの魂……アレクとロディに出会えた。


 あらためてアレクに顔を向けると、まだ眉間に深いしわを寄せている。


 黄昏の魔女と暴虐の王……彼らにとってそれは予想外でも、復活を果たしてしまえば倒さなければならない最大の敵、避けて通れない脅威になる。


 あの時、魔力を得る選択をしなければ……なんて思わない。その力で大切な人を救うことができた。でもそれは私の中だけの話で、きっと彼らは黄昏の魔女である私を受け入れることはできないはずだ。


 その時は……倒すべき敵として対立する。

 覚悟は決まってる……ようで、決まっていない。


 ……だってまだ、少しくらい夢をみたいじゃない。



 ノアの話は漠然としていて、なのに確実に胸を曇らせる。別れの予感はアレクを見る目を曇らせて……私はパンケーキに視線を戻す。


 今まで魔女の存在なんてなかったのに……あと少しなのに、なんでここまできて魔女の存在をほじくり返すの?

 正体が明るみになれば、ザムルーズが向けた嫌悪の眼差しをまた、今度はアレクたちから向けられるのだろう……もう、顔を上げるのが怖い。



 ふいに、誰かが私の肩を触った。思わず肩に乗った手を見ると、隣でスカーレットが心配そうにこっちを見ている。

「……大丈夫か?」

「……ええ。大丈夫ですよ」

 とりあえず限界まで頬を釣り上げてみた。スカーレットは困ったように眉尻を下げたまま。笑ってるつもり、なんだけどな。

「なんだ。全然食ってねぇじゃん! 本当に大丈夫か?」

 私の皿をみたロディが驚いている。一緒にしないでよって言いたいけど……パンケーキがこの有様じゃ仕方ないか。

「ちょっと考え込んじゃっただけですよ。多感なお年頃なんですから、私にだってそんな時くらいありますよーだ」

 ロディに思いっきり舌を出して、

「でも、私たちがやらないといけないのはひとつですね」

 と、話を逸らした。視界の端で、アレクがしっかり頷く。

「皇帝を倒す。絶対に封印は解かせない」

 私とアレクの呟きが重なった。


 多分、考えていることは少し違う。でも、結論は彼らと変わらない。


 ……それぞれが望む、未来のために。




「話を聞いて下さって、ありがとうございました。そろそろ私はお暇します」

 ノアがいつの間にか楽器の入った鞄を背負っていた。正直、ちょっと存在を忘れていた。まぁ、もう歌う雰囲気ではないよね。


 ノアは綺麗にお辞儀をして微笑む。笑った赤灰色の瞳は絶対よく知る誰かと同じなのに……その誰かが頭から出てこない。

「またお会いしたら、その時は朝まで……」

「機会があれば、で」

 クレイグの顔には、次がないことを祈りますと思いっきり出ている。ふふっと笑って、ノアは帽子を被った。

「黄昏の魔女様のお導きがありますよ。あなた方が魔力を追うつもりであるなら」

「そうか……それなら、また会うかもしれないな」


 魔女を追いかけるノアと、魔力をなくしたいアレク。それぞれがこの世界でいちばん強い魔力を目指して動いている。ならば、最後にたどり着く先は同じかもしれない。

 ……私はもう会いたくないけど。変な話されたら困るし。


「ええ。ではまた」

 ノアはまた一礼すると、静かに酒場の扉をくぐっていった。



「変わったやつだったな」

 扉が閉まるのを見届けてから、ロディがぽつりと呟く。アレクはふぅと一息ついて、水をひと口飲んだ。 

「ああ……でも、無視はできない話だった」

「そうですね。たかが吟遊詩人の話とはいえ、現状は全て彼の理論に適っています。慎重に考えるべきですね」

「あら? クレイグまで魔女様のお話に感化されたのですか?」

 あんまり掘り下げて欲しくなくて、小難しそうに顔をしかめるクレイグをわざと茶化す。

「まさか」

 一瞬、鼻で笑ったかと思えば、クレイグは真剣な目を私に向けた。


「しかし、無視するには懸念が大きすぎます。私たちは最悪に立ち向かおうとしているのですから、最悪に備えるべきでしょう」

 アレクが賛成と言わんばかりに大きく頷く。

「ノアの話を鵜呑みにはできないが……もし、皇帝と同時に黄昏の魔女とまで対峙してしまえば、俺たちに勝ち目はないだろう」

 険しい顔でテーブルを囲う皆を見渡すアレクに、私以外の全員が頷き返した。

「これ以上世界に魔力が溢れないように、何としてでも今のうちに皇帝を倒して封印を守らなくては」

 やや遅れて、私もとりあえず首を縦に振った。



 アレクもさすがにミレニアムの夜明けの元凶に敵うとは思っていないみたいだ。そりゃそうか。アドバンの兵器の光を見た後だもんね。

 彼らの魔力に対抗できるのは、私の魔法しかない。

 もし封印が解かれてしまえば……私は皆を守るために魔力を解放せざるを得なくなるだろう。


 ――そうなってしまえば、もう知らぬ存ぜぬは通らない。


 いつの間にかナイフもフォークも置いて腿の上に逃げた手が、ぎゅっと軋む音を立てた。手のひらがべとっとして気持ち悪い。


「我々もそろそろ……」

 クレイグが席を立ちかけて……私の皿を見て目を丸くした。パンケーキは粉々で、半分以上残っている。

「ニーナ、貴女ほとんど食べていないのではありませんか? 食べるのを待つ時間くらいはありますよ?」

「えっ? ああ、ちゃんと食べましたよ! お腹いっぱいです」

 とてもじゃないけど、もう食べられない。でも、お腹いっぱいなのはあながち嘘でもない。

 パンケーキの入る隙間がないほどいっぱいに腹を、胸を、頭を、もやもやとしたものが満たしている。


 テーブルを見回すと皆はちゃんと食べ終わっていた。いつの間に食べたんだろう。でも、食事の話題にはもう触れて欲しくないから、さっさと椅子から立ち上がった。つられてロディも席を立ち、にまにまと意地悪そうに目口を細める。

「後で腹減ったって言うなよ」

「言いませんよ、ロディじゃあるまいし」

 今はそんな憎まれ口もありがたい。いつもの調子で言い返すと、皆がほっとしたように席を離れた。


 クレイグが会計をしに先に扉に向かい、アレク、ロディ、スカーレットの後ろに続いて……残したパンケーキをちらりと見た。

 ぐちゃぐちゃに崩れきったパンケーキが、この先で待つ不安の残骸にしか見えない。



 ……吐きそうな悪寒が込み上げて、皆に気づかれないよう、そっと、強く、胸に手を押し当てた。

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