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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第三章
43/63

第四十節 封印の真実

 街は昼間の賑わいを忘れたかのように静まり返っていた。避難が進んだからか、これが夜月国の日常なのかはわからない。ただ、大聖堂に向かう途中、時折すれ違った神官の焦りようで、まだ街は混乱の最中にあると窺える。


 林から街へ戻る道標にした大聖堂は、すっかり暮れた空に白く輝いていた。すぐ側まで近づけば、その明るさは、建物全ての明かりが灯っていたからだと分かる。神官たちが険しい顔で駆け回る中でも、煌々たるその姿は悠然として頼もしかった。


 礼拝堂に入ると、避難した人々が静かに祈りを捧げていた。五人はそっとその中を抜け、奥の執務室へと続く扉の前で立ち止まる。謁見を申し出るため、ニーナひとりが先に扉の向こうに消えた。

 それを待つ間、アレクたちは礼拝堂の様子に気を配る。


 さすが癒し手の本拠地だけあり、怪我をしている人はいない。皆一様に不安そうな顔をしているが、街も、この大聖堂も壊された形跡はなかった。


 さすがのロディもこの静けさの中では口を開かず、それぞれ思い思いに礼拝堂を眺める。


 しばらくすると扉が開き、遣いの聖女が「こちらへ」とアレクたちを招き入れた。



****



 執務室の扉を開くと、昼間より紙の湿った匂いが強く漂う。正面奥の大きな机には、すでにノエルが腰掛けていた。

 相変わらず女王と呼ぶに相応しい威厳と気品を放つが、その目元には焦燥の痕がわずかに浮かぶ。昼間は袖を通していた羽織も、今は肩から掛けるだけだ。

 きっと、対処に追われてあちこち動き回っていたのだろう。

 その脇にニーナがちょこんと控えている。今回の謁見は夜月国側として臨むようだ。


 アレクが騎士の礼の姿勢を取る。その後ろで、クレイグとスカーレットは片膝をつき深々と頭を下げた。ロディはそんな三人をちらりとみて……何もしない。


「ようこそいらっしゃいました」

 ノエルはやや掠れた声でアレクたちを迎え入れ、待ちかねたかのようにすくっと立ち上がる。

「魔獣の討伐に力をお貸しいただき、心より感謝いたします」

 まずノエルが、続いてニーナが、アレクたちに向かって深く頭を下げた。

 だからニーナはそっちに居たのか……と、アレクが納得したところに、ノエルが頭を上げ、

「そちらのお二人の名をうかがっても?」

 膝をつく二人に向けて声をかける。


 先にクレイグが背中をまっすぐ立てた。

「昼日国騎士団近衛隊のクレイグ・ロスと申します」

 それに続こうとスカーレットも前を向き……怯んだように視線を足元に落とす。

「……元、帝国軍兵站部のスカーレット・ベイリーでございます」

 ノエルの頬が一瞬だけ、ほんのわずかにぴくりと引きつった。


「あの」

 ニーナが口を挟もうとして……飛んできたノエルの目力に押し黙った。

 ノエルはその刺すような眼差しを元帝国兵に向ける。

 垂れ下がった金髪に注意を傾ければ、わずかに肩が震えているのが見えた。

 帝国兵と名乗れば角が立つのは当然だ。でも、彼女は偽らなかった。それが彼女なりの誠意と覚悟なのだと悟り、ノエルは目尻を緩めた。

「英雄様がここに連れてきたのですから、大丈夫と信じます。どうぞ、楽にしてください」

 スカーレットが顔を上げる。彼女の愁眉はすっかり開いていた。促したノエル自身もそれなりに神経を張り詰めていたのか、気が抜けたように腰を下ろした。



 ふぅと一息挟み、ノエルは机の一番上にそれだけ乱雑に置かれた書類を手に取る。書かれた内容に目を走らせ、やっぱりとため息をもらした。

「魔獣の現れた船は、帝国籍のもので……二日ほど前から停泊していたようです」

 ロディが「なぁ」と呼びかけようとして、アレクに肘で小突かれる。ロディは「あ」と自分の口を押さえ……難解な問題を前にした学者のように顔をしかめた。

「あの、今まで戦う奴――いや、人がいなかったのに、何も起きなかったって、すごくないですかね」

 ノエルは畏まるのに慣れないロディにふふっと笑い、

「それは後からニーナからお聞きください」

 と、机の脇に立つ青い髪に委ねる。

「もう悠長に構えている暇はなさそうですから、私が話すべきことを優先しましょう」

 慈愛の国を象徴する彼女の、優しさ溢れる口元が――ふいに固く引き締まった。


「ではまず、ニーナから頼まれていたことをお話します。ミレニアムの夜明けでどうやって暴虐の王を封印したか……そして、その封印が何なのかを」

 そういえばザフィーラで封印の話に触れた時、ニーナが言い淀んでいたのを思い出す。

 アレクは覚えていてくれた彼女に、視線で感謝の意を込める。青い髪の聖女様は、もっと褒めてと言わんばかりに輝かせた顔をアレクにひけらかしていた。

 ……見なかったことにしてノエルに気を戻す。


「もうご存知とは思いますが、聖法は魔力に干渉する力を持っています。帝国の封印……それは、聖法なのです」

 告げられた真実に揃って眉を上げる。が、旅の間に何度も聖法で魔獣の攻撃から守られてきた。すんなり納得できる。

「今はもう使い手のいない聖法のひとつに、『封印〈キー・イー〉』という術があります。己の生命力全てを使い、対象を閉じ込める……捨て身の聖法。暴虐の王を封じるため、三十名の聖女がその身を散らしたと伝わっております。封印の間にある封印とは、三十にも及ぶ聖女の命が重なったものなのです」

 さすがにその事実には、訳知りの聖女二人を除いた全員が息を飲んだ。


 600年の平穏は、多くの犠牲の上に成り立っていたと改めて思い知らされる。もはや封印という言葉を口にするのもはばかられた。弔意を述べても今さらで、今を語ろうにも声は出ない。

 重すぎる沈黙は、アレクたちの胸の奥で渦巻く悲しみまで押し潰した。


 些細な音さえ生まない刻が、長いようで短く流れる。


「……なら、この聖法はどうすれば解けるか」

 そうしめやかに切り出したのは、ノエルだった。


「話は少し飛びますが、皆様は聖遺物というものをご存知ですか?」

 その問いかけに、ぽかんとしたロディ以外が顔を見合わせる。今の世界に生きるなら、知らない者は()()()()いない。

「国同士の均衡を保つための宝器、と聞いておりますが……」

 二人の意見を取りまとめるようにアレクが答える。

「ええ、概ねその通りです。帝国の聖遺物は『鍵』。たとえ対象が物、自然、魔力……聖法であっても、差し込んだもの全てを開閉できるものなのです」

「なぜ、それをご存知なのですか……?」

 その内容と述べた人物に、アレクは満面で動揺を顕にした。


 昼日国の聖遺物を知るのは、王位を継承したリアムただひとり。前王の実子であるアレクさえ知り得ないことだ。しかも、帝国の聖遺物について口にしたのは、夜月国の女王である。


「聖遺物の詳細は、その国を治める者にしか継がれないはず……?」

 驚きを隠せないアレクを、この場を統べる馴れ者は「あら?」といたずらっぽく見やり、

「聖遺物を作ったのはどこの誰でしょう?」

 と、もったいぶったような問いで返す。


 そうか、黄昏の魔女は夜月国の大聖女だ……と答えに辿り着いた浅黄色の瞳が、鋭く光った。その通りと言わんばかりにノエルは軽く目配せする。

「夜月国には各々の聖遺物の詳細が残されています。本来なら他言するなどもってのほかですが、私たちが滅ぼされるかの瀬戸際に隠す必要もないでしょう」


 アレクがなるほどと縦に振った首を……すぐ何故と横にひねった。計り知れない不可解の中の小さな真実は、必ず次の疑問を連れてくる。

「皇帝が聖遺物を用いて封印を解いているのは理解しました……が」

「ではなぜ、十年もの時間をかける必要があったのでしょうか?」

 アレクの疑問をクレイグが繋いだ。思うところがあるのはアレクひとりでないと主張するように。

「おそらく、というほど不確かでもありませんが、聖遺物も形なす限り必滅なのです。使用を重ねるうちに……もしくは元より壊れる兆しがあり、そう軽々しく使えなかったのでしょう」

「慎重に事を進めた結果がこの十年、なのですね……」

「年々増える昼日国の魔獣は、封印のひとつが解けた影響と考えれば、合点はいきます……」

 ノエルの言い分に二人はぎこちなく応じるも、物分りの良い口とは裏腹に、腑に落ちれば落ちるほど握った拳は固くなる。


 昼日国が辛酸を舐め続けた十年は、皇帝にとって確実に事を進める余裕だったのを再び痛感すれば……腸が煮えくり返りそうだ。


 二人のそんな胸の内を知ってか知らずか、

「此度、帝国が表立って動き始めました。それは、封印を解き切る目処が立ったと推測しています」

 夜月国の長は淡々と過去を締めた。



 重苦しい空気が謁見室をのさばるなか、

「さて」

 急にノエルが朗らかな声を響かせる。

「皆様はお若いのでご存知ないかも知れませんが……皇帝の座に着く前のアドバンは高名な神学者でした。特に衡神タルダディールについての論文を数多く発表していまして……そこにもありますよ。興味があればお見せしますが」

 そう投げかけ、机のすぐ横の壁に据わる本棚をすっと指さした。

 興味はさておき、先ほどの皇帝との対面が思い起こされ、とてもじゃないが彼の思想を読みたいと思えない。示し合わせるでもなく、全員がそっと首を横に振った。


 ノエルは察していたように潔く指を引き、取り繕った頬をそのまま掻く。

「私はひととおり目を通しましたが……特に衡神の力、すなわち魔力についての興味が強かったようで、暴虐の王やミレニアムの夜明けについてもかなり事細かに調べあげていました」

 有識者がそう言い及ぶということは、アドバンの持つ知識は相当なものだと受け取れる。比べてミレニアムの夜明けや魔力に関しては無知に等しい自分たちの状況の悪さに、アレクはそっと唇を噛んだ。

 その心を見透かしたのか、ノエルは勇ましく口の端を持ち上げる。

「ここ夜月国は黄昏の魔女が生まれ育った地。この国にしか残らない史料と知識は、皇帝の調べに引けを取らない自負があります。そして、私が今からお伝えするのは漠然としながらも希望であり、きっとアドバンは知らない話です」

 四人の目がぱっと輝いた。

 ……と同時に、この夜月国を統べる御人はどこまで真実を収めているのだろうと不思議にもなる。女王でなければ連れていきたい……と憧れを抱くように半眼が垂れたのは、アレクだけではないようだ。

 「ごほん」と存在を主張したニーナの咳払いで、皆は気まずさを覚えつつノエルの話に意識を戻す。


「夜月国に残る、聖遺物の使い方を記した手記によれば……『鍵』を使い封印を元に戻せる可能性があります」

「まじか!」

 思わずロディが素で叫んだ。そんな弟を咎める余裕もなく、アレクは同じ衝撃を受け固まっている。

 何も知らないところから一気に真実の奥まで押し込まれ……未来への道標も、弟の無礼も、ただそこにあるとしか感じられないほど、アレクは動けずにいた。


「鍵の本来の効力は『開閉』、開けることも出来れば閉めることも可能です。『鍵』を使って開けた封印は、失われようが確かに存在した……なら、もう一度『鍵』を用いて閉めることができるはずです」

「……それは、『鍵』さえあれば、また魔力を封印できる、ということですか……?」

 クレイグはノエルの話を噛み砕き、一節ごと確かめるように言いなおす。ノエルが静かに息を整えた。

「憶測ではありますが、可能性は高いです」


 皇帝を倒して魔力を断つ……それは目指すべき、大雑把な目的だ。皇帝を倒せば――残された封印は?放たれた魔力はどうなる?という疑問は常に、ぼんやりと付きまとっていた。

 皇帝が知らない女王の話は、それらに対し明確な解決策を与えている。


 知識だけでも、行動だけでも成し得ない具体的な突破口が……その二つが束なることにより開いた。

「これ、いけんじゃね?」

「ええ、希望が見えてきました」

 興奮して握りこぶしを前に突き出したロディに、珍しくクレイグが応える。


「早速、帝国に乗り込もうぜ!」

 ロディが意気揚々と踵を返そうとして……

「陸路を行かれるおつもりですか?」

 不意にノエルが止めた。

「それ以外に道はないでしょう」

 クレイグすら急くように言い返す。


 ノエルはやる気に満ちた四人の顔を、まるで子を慈しむ母のような優しい眼差しで包んだ。

「私が移動の際に使う船が、少し離れた別の船着場に停めてあります。ただ、こちらに回すのに時間がかかりますので、離れでお休みになっていってください。皆様が起きるまでには準備を整えておきます」

 夜月国から陸続きで帝国に入るには、地図で近道を見積もっても二日はかかる。それに対し、夜月国の首都から出る定期船は四時間ほどで帝国の首都に着くと、買い出しの際にクレイグが確認していた。しかし、港があの状態では船は無い、と自然に選択肢から外していた。

 女王の申し出は千載一遇の好機だ。

 

「それは非常にありがたいです。お言葉に甘えてもよろしいのですか?」

 アレクを差し置きクレイグが前のめりに食らいつく。従うのを忘れた従者の浮かれっぷりにノエルはくすくすと笑い声をもらした。

「もちろんです。夜月国の闇を払っていただいた英雄様にもてなしも出来ず、挙句の果てにまたお力をお借りしてしまったのですから……せめて、これくらいはさせていただかないと。そうと決まれば、すぐ離れに食事を運ばせます」

 そう告げると、机の端にある手持ちの呼び鐘を軽く鳴らす。すぐ扉が開いて遣いの聖女が入ってきた。聖女は机の側まで小走りに寄り、女王の指示に耳を傾ける。

 それを脇で聞いていたニーナが、

「あ、女王様。英雄様が肉を所望です」

 と、自らの希望をしれっとアレクに転嫁した。


 ノエルは遣いを送り出したあと、ニーナに向けて「貴女って人は……」と長いため息をつく。それから何事もなかったかのように笑みをこしらえると、その面をアレクたちに向けた。

「昼日国の方はお肉がお好きと聞いていましたので、ちゃんと用意してありますよ」

「よっしゃー!」

 ロディが拳を突き上げて小躍りする。それをたしなめるアレクの面持ちも柔らかい。呆れて小言を飛ばすクレイグの声はいつもより高く、冷ややかに眺めるスカーレットの肩は笑いを堪えて揺れていた。


 四者違った態度の中に、通じ合う嬉々を滲ませていて……見るに忍びなくなり、ノエルはやんわり瞼を下ろした。


 部屋の中に、騒々しくて軽やかな声が飛び交う。和やかな時間は急ぐことも遅れることもなく、ただ確かに流れていた。

 ……帝国に入れば、そんなささやかな愉しみを感じる余地さえなくなってしまうだろう。



「どうか、今宵くらいはゆるりとお過ごしください」

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