第三十九節 邂逅
光からやや遅れて、轟音が耳をつんざいた。
視界を奪う閃光に目を覆う隙もなかった。びりびりと肌を刺す振動に身構える暇さえない。
……光が、途絶えた。
再び薄暗がりが舞い戻ると、船から湧いた獣は……いや、船ごと全て、アレクとロディの視界から消え去っていた。
二人は静まり返った港の跡に呆然と立ち尽くす。
「今の光は……攻撃か……? 倒した……のか?」
アレクはまだちかちかする目を薄暗がりに凝らすが、どれだけ見ても戦うべき獣はいない。そもそも眼前に広がる光景に理解が追いつかない。
ロディは自分の頬をつねって「痛っ!」とこぼす。
「全部消えちまった!? あの光、一体なんなんだよ!」
目眩と耳鳴と現実に放心する二人の耳に、二足で地を蹴るような音がぼんやり入ってくる。大きくなるにつれ、ようやく人の足音と聞き取れたそれを振り返れば……こちらに向かってよく知った茶色の騎士服と、小ぶりに揺れる金髪と、やや遅れて白の法衣が走ってきた。
「アレク様! ロディ様! 大丈夫でしたか!?」
クレイグは二人に近づくと、二人の頭頂からつま先までくまなく視線を這わせる。怪我の心配もあるだろうが、概ねは先ほどの光の影響を気にしてだろう。
「ああ、俺たちはなんともない。クレイグの方は……あそこにいた人たちは、ちゃんと避難できたか?」
「ええ。街の入り口が見えたところであの光が……後は神官に任せましたが、問題ないでしょう」
その言葉に頷き、アレクは後ろにいる白い法衣に顔を向ける。
「ニーナは、大丈夫か?」
「はい! ご心配をおかけしました」
ニーナは元気よく、でも、ちょっとだけ申し訳なさそうに眉尻を下げて微笑んだ。そしてすぐ静まり返った港に気を移す。
「それより、今のは何ですか……? 凄い大きな魔力の塊が、魔獣の魔力を全部、飲み込んだように感じました……」
その言葉で全員が耳を疑い、ニーナを見た。
「あの光は魔力なのか!?」
アレクは驚く素振りをしたものの、頭の中では不思議と腑に落ちる。
聖法『天罰〈アカー〉』の神々しい光が慈神ユグラディールの施しなら、それ以上だったあの絶望的な光は、衡神タルダディールの裁きといわれても頷ける。
……きっと、あれが『魔法』だ。
その一方で、ロディは戸惑いを隠せず、港と船があった辺りに何度も繰り返し目を滑らせる。
「なぁそれ、魔力が見えた、のか? これ、夢か?」
一瞬で切り取られた現実に立ちすくむロディの頭上で……ごぉんと、聞きなれない重い音がひと響き、降り落ちた。
ロディはとっさに空を仰いで、音がした遠くの気配に目を凝らす。
すっかり闇を纏った雲の中から、人工的な直線で形作られた物体がゆっくり降りてくる。
「なんか、きた」
五人がぽかんと見上げているうちに、それはどんどん地面に近づき、はっきりと全貌を晒した。
鈍色の光沢を放つ角張った台形の張殼には履帯が備わり、上部の砲塔から二門の砲が進行方向に伸びる。
アレクはそれに見覚えがあった。昔、座学で教わった帝国の戦闘車両だ。
『……そんな我々を追ってきたのは……弾を撒き散らしながら空を飛ぶ、陸用戦闘車両でした』
――謁見室でのレグの言葉が頭を過った。
ぐんぐんと陸に迫るそれは燃えた倉庫よりも大きくなり……意志を持って埠頭の端の開けた空間に着地する。ずんと地面を揺らす衝撃は、気味が悪いほど靴の底にまとわりついた。
むず痒さともどかしさで居ても立ってもいられない衝動に駆られ、
「……行くぞ!」
言うが早いか、アレクは着陸したそれを目指して走り出していた。
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アレクの後を追い、皆で戦闘車両らしきものに近づく。距離が縮まると遠目で捉えていたより遥かに大きい。圧倒され、少し離れたところで足を止めた。
ちょうど視界に入れていた砲塔の上部で蓋が開き、中から銅製の胸当てをつけた男たちが一人、二人、三人と履帯を足場にしながら降りてくる。
四人目は履帯に留まり、開く蓋に手を伸ばす。その手を掴みながら出てきたのは、黒い外套を纏った壮年の男だった。
四人の男たちの防具は、森で襲ってきた刺客……そして会ってすぐのスカーレットがつけていたものと同じ。間違いなく、彼らは帝国の兵だ。
「あれは……」
その呟きを追ってアレクが振り返れば、スカーレットの顔は一点を捉えたまま激しく歪んでいた。アレクはその視線を辿り、降りてきた黒い外套の男をじっと見澄ます。
白髪混じりの髪を後ろに流し、小ぶりな髭を顎に蓄えた糸のように細い目は……以前、どこかで見た気がする。
アレクは記憶を巡らせながらも、槍を握り直し慎重に歩みを進める。地面に足をつけた兵たちがアレクたちに気づき、一斉に腰に下げていた銃を突きつけた。
アレクは立ち止まると、後ろにいる四人を制するように腕を横に伸ばす。スカーレットは黒い外套の男を睨んだまま、ニーナの前に体を割り込ませた。
「ほうほう、これはこれは」
黒い外套の男は銃を構える兵たちの前に出て、軽く片手を上げる。兵たちが銃口を下ろした。
黒い外套の男だけがそのままアレクの正面まで歩み寄り、すっと片手を差し出す。
「昼日国の英雄殿ではありませんか。最後に見たのは十五、六年前でしたが……ご立派になられましたな」
その挨拶とくっくと笑ったその声で、アレクは目の前の男が誰なのかをはっきりと思い出した。
「兄貴、知ってんのか?」
ロディがこそっと兄に耳打つ。アレクは差し出されたしわしわの手を鋭く見据えながら、口を開いた。
「……アドバン皇帝陛下、で間違いないですね?」
とたん、全員の顔が険しくなった。アレクは握手を返さない。とてもじゃないが、返す気になれない。
「覚えていていただけて何よりだ」
アドバンは特に気を悪くした様子もなく、差し出した手を引っ込めた。
「こんなところで……何を行っていたのです」
しばしの沈黙を、アレクが破る。
アドバンがくっくともらし、後ろの戦闘車両に顔を向けた。
「新兵器の試運転を。ちょうど燃料が溜まりましたのでな」
そう言ってまた喉の奥で短く笑うと、荒れ果てた港に気を巡らす。
「しかし……良い機でしたな」
「これを、偶然と仰ると……?」
アレクは努めて平静を装うも、浅黄色の瞳だけは堪らず、かっと吊りあがった。そのすぐ後ろで、じゃり、と足が地面を強く擦る音が聞こえる。
アドバンは何食わぬ顔で顎髭を撫でながら、また癇に障る笑い声を低く響かせた。
「神なら全てをご覧になられているが……我らには偶然、と思う他ないのでは?」
「このっ!」
憤りを抑えきれず前に飛び出そうとしたロディを、アレクは前を見たまま腕で止める。
「やめろ、ロディ」
「だって兄貴!」
振り上げた拳でアレクの腕を退けようとしたロディだが、ちらりと見えた兄の横顔からは有無を言わさぬ圧が放たれていた。ロディはしぶしぶと腕を下げる。
アドバンはふっと鼻で嘲ると、踵を返し戦闘車両へと戻っていく。
「さて、しばし燃料の補給をさせていただこうか」
銃を控えて立つ兵にアドバンが手を一振りすると、兵の一人が戦闘車両の脇から黒光りする赤子ほどの筒を取り出し、アドバンの前に置いた。
アドバンはそれに手を乗せ、『ヤラ〈摂取〉』と呟く。ニーナの口から「うっ……」と嗚咽が漏れると同時に、アドバンが大きくむせ返った。
四人の兵が、筒にもたれかかるように蹲り咳込む君主を静かに囲む。しばらく激しい咳を繰り返したあと、アドバンは肩を上下させながら口を拭った。
「……風が少々体に障るようだ。まぁ、もう充分だな。失礼する」
その言葉で兵が一人、また一人と戦闘車両に乗り込んでいく。最後の一人は履帯の上に立ち、登ろうとするアドバンを引っ張りあげた。
乗り込む寸前……ふいに振り返ったアドバンが、五人を眼下に収める。
「またお会いしましょう、英雄殿」
そう言って満足げな嗤いを残し、戦闘車両の中へと姿を消した。蓋が閉まると、巨体は耳障りな轟音を上げ軽々と浮き上がる。そして滑らかな動きでぐんぐん高度を上げ、闇に溶けていった。
戦闘車両と入れ替わるように、夜のしじまが港に舞い降りる。
何もない暗い空をまだ仰いだままのアレクの視界を、激昂したロディが遮った。
「兄貴! なんで止めたんだよ! あいつぶっ飛ばすんだろ!」
アレクは諌めるようにロディの肩に手を置く。
「ロディ、もし俺たちが手を出して……もう一発、さっきの光を打たれたらどうする?」
「打てねぇかも知んねぇだろ!」
「打てたらどうする!」
怒鳴ったと同時に、アレクの手がぐっとロディの肩に食いこんだ。ロディがびくっと固まり……しゅんと首を落とす。
アレクはふっと頬を緩めると、縮こまってしまった弟の肩を、自省の念も込めて優しく撫ぜた。
「それに賭けるには、分が悪すぎるさ」
「絶望しか感じない威力でしたね……人を逃がしていたのが不幸中の幸い、でしょうか」
アレクの言葉に頷くと、クレイグは剣を抜く。
そして……その先をスカーレットの喉元を目掛けて突きつけた。
「スカーレット、貴女はあの兵器の存在を知っていたのですか?」
スカーレットは自ら、剣の先に擦り寄るように項垂れる。
「あれが新兵器だということは、全ての兵に知らされていた。が、あれは……あんな力は、知らない」
「しらばっくれるおつもりで?」
「そんなつもりはない!」
スカーレットがばっと顔を上げた。
「数年前から、戦争になるとは伝えられていた。だから、新しい兵器を開発しているのも当然だと思っていた。しかしあれは! あんなもの……」
力強く紡いでいた言葉は重ねる度に勢いを失い、また剣の先に身を委ねるように項垂れる。
「人などに、太刀打ちできるはずがない……」
「……そこだけは同意しましょう」
クレイグは目を閉じると、そっと剣を収めた。
そんな二人のやりとりをアレクは黙って眺める。
皇帝との賭けには乗れなかったが……スカーレットになら、賭けてもいい。
「ニーナ。ここにいる全員で、女王様に会いたい」
ごく小さなその声を聞き逃さず、ニーナはこくんと首を縦に振った。
「……わかりました。すぐ、女王様に申し出ます」
会話が途切れたのを見計らい、クレイグが続ける。
「とりあえず、街に戻りましょう」
五人は街へと続く林へと足を向けた。
林に入る直前、ロディは足を止めて港を振り返る。
……誰もいない。ぽつりぽつりと灯る明かりが、瓦礫の散らばる埠頭をぼんやり浮かび上がらせた。
「この状況じゃ、船出せねぇな」
「ここまで来れば、陸を回ってもそこまで遠くありません」
独りごちたロディをクレイグが宥める。
「……くそっ! まだ回り道させられんのかよ! それがむかつく!」
まだ少しだけ燻っていた怒りを吐き捨てて、ロディも林の中へと入っていった。
夜の海をそよぐ潮風が、焦げた臭いを吹き流していく。それは港を優しく包むようでいて、荒れ果てた残骸にべたりとまとわりついていた。