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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第三章
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第三十八節 長閑が燃ゆる

 薄暗い林の道の前方が異様に明るい。その光はみるみるうちに身構える五人へと近づいてきた。ニーナがもう一度、『聖域〈カグ〉』と唱える。

 明るさよりも距離の縮まりが勝り、ようやく目に捉えたそれは――


 人の頭ほどの、燃え盛る火の塊だった。


 馬が駆ける勢いで迫り来るそれを打ち落とそうと、ロディが拳を振り上げる。が、先に聖域に弾かれ、少し離れた林の中に着弾した。

 とたん、大きな火柱が上がる。


 炎は一向に消える気配がなく……気を取られていた隙に、前方に大型の鳥のような獣が五体、横一列に立ちはだかった。


 体長はロディよりも少し高く、白い体毛に覆われた楕円の胴から馬のように長くしなやかな二本足が伸びる。その足にそぐわない鋭い爪先で地面を引っ掻きながら、胴から生えたような長い首をこちらに向けていた。

 首の上にちょこんと乗った小さい頭と、おまけのような短い羽が忙しなく動き、妙に愛らしい。しかし、野獣のいない夜月国で、しかも魔力を纏って立ちはだかるのを考えれば、愛嬌さえも不気味だ。


「な、なんです? この魔獣……」

 卵から孵るのに失敗したような滑稽な見た目に、ニーナは必死に笑いを噛み殺す。が、残る四人の反応は正反対で、嫌悪の象徴とでもいうように酷く顔を歪めていた。

「やっぱり、カソアーリオか……厄介だな」

「そのようですね。なぜ、こんなところに……?」

「こいつやけに小せぇな……幼体か?」

 アレクもクレイグもロディも……同じく顔をしかめるスカーレットも、この魔獣がどんな魔獣かをよく知っているようだ。しかもアレクは真っ先に「やっぱり」と口にしていた。


 獣のいない夜月国生まれだから仕方ないと思いつつ、ニーナだけ状況を共有できないのは寂しい……もとい、戦いに支障がでるかもしれない。

「この変な鳥?さん、カソアーリオというのですね。どんな獣なのですか?」

 ニーナの問いに全員がちらりと視線を寄せ、すぐ魔獣に戻した。


「羽はあるけど飛べねぇ。その分、足の力が強くて跳躍力は高ぇ。と言っても、野獣のままならそんな獰猛じゃねぇが、魔獣になると、こいつは特別だ」

 先頭で前を睨んだまま拳を構えたロディの後ろで、アレクが火柱に向けて槍を薙ぎ払う。

「野獣の時に吐くのは毛玉だけだ。だが、魔獣になると今みたいに毛玉が炎を纏う。そして、この火を消せるのは……俺だけだ。おそらく魔力を含んでいるからだろう」

 炎が掻き消えたのを確認すると、剣を握り直したクレイグが一歩、アレクの前に出た。

「成体は我々の倍くらいの大きさがあります……が、この個体は随分小さいですね。少数で群れをなし行動するのは変わらないようですが」

 スカーレットはそっとニーナを庇うように立ち、皆の説明を真剣に聞くニーナを振り返る。

「……なるほど、聖法は魔力を防げるのか。口ぶりに違わず、頼もしいな」


 地面に食い込む鋭い爪に反して、カソアーリオはその場に留まったまま、とぼけたように頭をひねるばかりだ。ただ、一斉に長い首を揺らし、うっうっと嘔吐くような仕草をみせる。

「おい! 来るぞ!」

 ロディの怒号に焦ったニーナが、唱えようとした法術を言い損ね――瞬間、真ん中にいたカソアーリオが火の玉を吐き出した。


 今度はロディが火の玉へと躍り出て、「おらよっ!」と振りかぶった拳で殴り払う。触れた先から炎が削れ、火の粉を散らして消えた。

「は?」

 それを目の当たりにしたスカーレットが、ぎょっと目を見開く。

「なんでお前(ロディ)は火を払えるんだ!?」

 その一言でロディがぎくっ、と動きを止める。

 訳知り者しかいない旅のくせで、つい()()()()()()ってしまった。

 一瞬、言い訳を考えようとしたが……すぐ諦め、ロディはスカーレットに立てた親指を向ける。

「はは、そりゃ鍛えてるからな!」

「そんなわけあるか!」

 さすがに誤魔化されてはくれない。正直、これからを考えると、今の機に英雄の魂を持つとばれた方がいい気さえしてきた。

「説明は後だ! また来るぞ!」

 ロディは何事もなかったかのように、再び拳を胸の前に突き出す。


 一発目を追うように、他のカソアーリオも口々に炎の玉を吐き出した。ロディとアレクが飛んでくるできる限りの火の玉を捌き、打ちもれたものをクレイグとスカーレットが躱す。

 ニーナは自分に聖域を張り、火の玉を防いでいるが……守られた域のすぐ下に落ちた火の玉が燃え上がり、聖域ごとぐるりと炎に囲まれてしまった。

「わわ……っ!」

 近くにいたスカーレットがすかさず炎を越えて聖域の中に飛び込む。熱気に煽られ聖域の真ん中で縮こまるニーナを抱えあげ、そのまま炎の外へ飛んだ。


 熱気の届かないところまで離れると、ニーナをそっと地面に下ろす。

「大丈夫か?」

「ありがとうございます……ほんと厄介ですね、この火」

 地面に尻をつけたままスカーレットを見上げると、隠しきれない誇らしさがわずかに彼女の口元を押し上げていた。ニーナはくすりと笑って、掴みっぱなしの腕に視線を落とす。せっかく買ったばかりの黒い上着がところどころ焼け焦げ、覗いた肌は赤みを帯びていた。

 すぐさま『癒し〈イェシュア〉』を施すとニーナはひとつ息を吐き、皆に向けて『聖域〈カグ〉』と唱える。

「皆さんそれぞれに聖域を張りましたので、火に焼かれることはありません。でも、そんなにもたないと思うので、無茶はしないでくださいね」

「心得た」

 スカーレットは立ち上がり、

「……なら、一体くらいは私がやらねば、な」

 と、ニーナを抱えるため鞘に収めた剣を再び抜く。それを拳上りに携えながら、ロディの横を通り過ぎて前に出た。

「おい! スカーレット!」

 英雄の力も持たないのに単身で魔獣に向かおうとするスカーレットを、ロディが慌てて呼び止める。が、

「大丈夫だ」

 スカーレットは涼しい顔でロディに向け親指を立てる。そして、剣を構えると、また嘔吐き出した真ん中のカソアーリオを目掛け駆けだした。


 吐き出される炎を最小限の動きで避け、スカーレットは魔獣の正面にたどり着くと地面を強く蹴る。

 カソアーリオの頭の上までひらりと飛び上がると、落ちながら首の付け根の一点をめがけ、何度も剣を振る。その剣先の動きは、まるで舞を舞うように美しく滑らかで……そして素早く正確に、魔獣の喉元を滑った。


 カソアーリオの首が、胴体から滑り落ちる。

 どしっと地面を打つ音が地を伝った。

 残された体も平衡を失い、首を追うように倒れる。


 着地したスカーレットはすぐ後ろに飛び退いた。手を出さず見守っていたアレクとクレイグの目が点になる。

「え……」

「一人で首を落とした……」

「そんなに驚くことでもない」

 スカーレットは平然と剣についた血を振り払った。

「魔力を得ようがこいつは獣だ。しかも幼体のようだしな。生物である限り、必ず構造のどこかに脆いところがある。こいつの場合、それが首の根元だと知っていれば誰にでもできる」

 そう言って、落ちた首に目をやる。

 もう炎の玉は吐かない。しかし、首も足もまだ地面をのたうち回り、生命にダメージがないのはみてとれる。

 スカーレットは呆れたように鼻で息を吐いた。

「まぁ、私にできるのはここまで、だがな」


「いや……期待以上だ」

 呆然と開いていたアレクの口の端が、わずかに持ち上がる。

「スカーレット、すっごくかっこいいですよ!」

「はっ! なかなかやるじゃねぇか!」

 興奮するニーナとロディの声を聞きながら、

「そうですね……」

 クレイグだけがひとり、額に汗を滲ませていた。


 スカーレットは事もなげに言い放ったが、剣技、身のこなし、判断力、度胸……その全てが完璧に備わっていなければ、魔獣の首など落とせない。スカーレットは確かに強かった。

「……敵に回らなくてよかったです」

 自分の呟いた事実に安心しつつも、クレイグの胸は酷くざわつく。

 強い味方が増えるのはいいこと――のはずなのに、自分との技量の差をはっきりと見せつけられた焦りで、素直に喜べなかった。



 一体がやられたのに触発されたのか、残りの四体が足を激しく踏みならす。助走をつけるようなその動きは、すぐアレクたちに突っ込む勢いに変わった。

 迫るカソアーリオを見据えロディは不敵に笑いながら、よし!と胸の前で拳を付き合わせる。

「俺も負けてらんねぇな!」

「さっさと片付けてしまおうか」

 アレクも槍を構えると、魔獣を迎え打つ前に自ら飛び込んでいった。



 ――しばらくして。


 アレクが最後の一体に槍を突き立てる。首と足がぴんと硬直して、力なく地面に崩れ落ちた。

「……第一陣はこれで全部か」

 ロディはふぅと額の汗を拭い、横倒しになった五体の死骸に視線を滑らせる。

「いつもみたく、ひっくり返さなくて済んだから楽だったな」

 そう、カソアーリオの対処は当てやすい大きな胴体を下から殴り上げ、腹を上にしてから足を切るのが通例になっている。だがそれも、英雄の魂とロディの強さがあってこそ。普通の狩人ならその状態へ持っていくにも犠牲が絶えない。


 クレイグは剣についた血を拭きながら、魔獣の切り落とした足をじっと睨んでいた。

「幼体の魔獣と戦ったのは初めてですが、思った以上に柔らかかったですね……かなり幼いのでしょうか」

 いつものように腱を切ろうと剣を振ったら、足が切れてしまった。成体だと絶対にこうはいかない。

 クレイグと一緒に魔獣の首を刈っていたスカーレットは、すでにニーナの隣にいた。


 煙はさっきより大きく、もうもうと暮れかけ空に上る。

「これで終わりじゃない。急ぐぞ!」

 アレクの声に頷き、一行は先を急いだ。


 しばらく走ると木々が途切れる境目が目に入った。林から抜ける一歩手前で立ち止まり、開けた先を見渡す。

 白い石畳で舗装された埠頭の岸壁沿いには、首都と違って木造の建物が立ち並んでいる。遠くから見えた煙を上げていたのは、その中でひときわ大きな建物だった。

 崩れた壁の内側にある、積み上げられた木箱を包むように火柱が上がり、周りへとどんどん燃え移っていく。

「……港が……」

 ニーナがうわ言のように呟いた。

 獣たちは火の手の上がる港を縦横無尽に暴れ回る。建物に体当たりしては壊したり、倒れている人に群がったり……薄雲を染める赤が、まるで血のように目の前の光景を照らし出した。

「ひでぇな」

「これは全部魔獣か?」

 アレクの言葉を受け、ニーナは港に隈なく気を配る。

「ええ……いま目に入る個体は魔力をまとっています」

 ロディとクレイグが数を把握しようと、動く魔獣に目を走らせた。

「あれ? スキーゾケイロスだ。昼日国から連れてきたのか?」

「二十体少々、といったところですね。やはり、どれも体躯が小さい……」


 木製の壁を破る荒々しい音の中に、ふと泣き叫ぶ声が混じった。アレクが声の聞こえた方に視線をやると……遠目で分かりにくいが、ひとつの建物を囲うように白い衣を纏う人たちが立っている。獣が群がるその建物はまだ壊されていない。おそらく逃げた人たちがそこにいて、白い衣たちは聖域を張る聖女だろう。


「クレイグとニーナ、それにスカーレット! 一般人の避難を任せた!」

「かしこまりました」

「頼まれた」

 アレクの指示に即答した二人をニーナが驚いて振り返る。そして、そのままの顔をアレクとロディに向けた。

「さすがにお二人だけだと数が多すぎませんか!?」

「成体だったらちょっと厳しいけど、ガキなら問題ねぇや!」

「ロディの言う通り、大丈夫だ。むしろ俺たち以上に適任はいないさ」

 二人の勝気な笑みを見ても、ニーナは眉尻を下げたままアレクの腕をぎゅっと掴む。そんなニーナの肩に、クレイグがそっと手を置いた。

「ニーナ、私たちだけではどこに誘導していいのかわかりません」

「……わかりました。でもちょっとだけ……」

 ニーナは諦めたように項垂れ、腕を掴む手を離す。その手をアレクとロディにかざし、彼らの身を守るための聖法を二つ、続けて唱えた。


 彼らを包んだ光が消えるのを見届け……ニーナは木々が囲う道から抜け出ると、港を全身で受け止めるように立つ。

 ――夜月国は、守るべき私の礎。

「ここは私の国です。勝手は許しません」

 静かに言い放ち、指を天に振りかざした。


『天罰〈アカー〉』


 暮れかけの空が光に包まれた。


 稲光というより閃光に近い光の筋が幾重にも赤い薄雲の上を走る。同時に、凄まじい音と光の柱が魔獣目掛けて降り注いだ。


 突き刺すような眩しさに全員が腕で目を覆う。辺りに暗がりが戻ったのを感じ、おそるおそる腕を下ろすと……見渡す限り、全ての魔獣がその場に転がっていた。痛みだけを与える聖法のはずだから、死んではいないのだろう……が、起き上がる様子もない。

「まじかよ」

 目の前の光景に、ロディがぽつりと呟いた。


 ふいにふらりと、ニーナが体をかたむける。

「ニーナ! 大丈夫か!?」

 傍にいたアレクが慌てて背中を抱きとめた。全員が心配してニーナに近づき顔を覗き込む。

「ええ……これくらいは……貢献、しときたい、ですもの」

 ニーナは荒い息を繰り返しながらも、やりきったぞと満面の笑みを見せびらかした。アレクは顔をしかめ、何かを言おうとして……隣にいたスカーレットにニーナの体を託す。

「……行ってくれ。街の人と……ニーナを頼んだぞ」

「ああ」

 スカーレットがニーナを抱き上げ、クレイグとともに白い人たちが守る建物へと向かっていった。



 アレクとロディは倒れた魔獣の息の根を止めてまわる。見分けがつかなくなるので、とどめを刺した個体は一箇所にまとめることにした。その合間にカソアーリオが撒き散らした炎を消していく。

 ひととおり炎を消し止め、無事だったいくつかの外灯に明かりが点る頃には――積み重なった死骸はロディの背の高さほどになっていた。

 ロディがその山から死骸を片手で掴んでは戻し、掴んでは戻しを何度か繰り返す。

「ウルシデにカニスルプス、パンテラレオまで。一体なんなんだ? これ」

「どれもこれも幼い……しかも、昼日国にしか生息しない獣ばかり、か。妙だな」

 アレクも一緒に死骸を確かめる後ろで、獣の咆哮が聞こえる。急いで振り向けば、停泊していた船から獣がぞろぞろと飛び出してきた。

「おい、兄貴! 新手がきやがった!」

 アレクの目では出てきた獣が魔獣かどうかは見分けられない。ただ、流れからして、もれなく全て魔獣だろう。

 ――それなら、ここで食い止められるのは俺たちしかいない。

「何体来ようとも……全部叩き潰す!」


 獣に向けて拳を掲げようとしたロディが、空の一点を見上げ立ち尽くす。

「なぁ、兄貴」

「どうした?」

 ロディは呆気にとられた顔で、見ているものをゆっくり指さした。

「なんだ、あれ?」


 アレクが空を仰いだ瞬間。



 視界が、一瞬で光に塗り潰された。

 ――この世が、そこで途切れたかのように。

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