第三節 帝国の要求
謁見室は人目もなく静かだ。
リアムは玉座に寄りかかってぐーっと体を伸ばした。
思考がうまく巡らないのは問題が大きすぎるのか、それとも十年悩み続けた反動なのか……いや、きっとどちらも、だろう。
こりゃだめだと回らない頭を背もたれに投げ出した。空っぽにしたい頭に、レグとのやりとりが繰り返される。
空飛ぶ兵器……いまだ動く姿は想像できない。だが、レグたちの傷をみればその恐ろしさは嫌になるほど思い知る。
レグが最初に見た火器が、最後に追われた陸用戦闘車両に代わるまで、わずか三ヶ月足らず。その三ヶ月が何に必要だったのかは分からない。
ひとつ言えるのは、帝国は空飛ぶ兵器の力を確信してしまった。すでにその数、その種類を増しているだろう。
仮にまだ一台しかないとしても、正面から攻め込まれれば太刀打ちできる術はない。なんとか先回りして兵器を使えないよう阻止したい。
とはいえ、使われたのが封じられた力ならば、昼日国が全力を投じようが人の力ではどうしようもない。
打つ手なし、だ。
――アレクサンダーという唯一の例外を除いては。
現状を覆せるのは彼しかいない。だからこそ早く伝えなくては……と思いながらも、リアムの背は背もたれから離れたがらない。話すのをためらおうが、彼を動かさなくては昼日国に未来はないのだ。それでも、急くのが憂鬱でしかたなかった。
責任と躊躇の間にうだうだ挟まれていると、はしたないほど大きな足音が耳に飛び込んでくる。ばしばしと廊下を踏み鳴らす足は、驟雨に伴う雷のごとく謁見室へと迫っていた。
リアムは慌てて姿勢を正す。と、同時に扉が激しく揺れ、返事をする間もなくばんっと扉が開いた。
「陛下! 陛下! 緊急の報告がございます!」
飛び込んできたのが大臣のローガンで、リアムは目を丸くする。
ローガンは前王の時代から行政補佐を任されてきた、信頼できる宿老のひとりだ。培ってきた経験と豊富な知識で、未熟なリアムを支えてくれている。
が、長く城にいるせいか、とにかく礼儀作法にうるさい。王に対しても求める品格や威厳の及第点が高く、今だ玉座に坐す際の顎の位置までとりあげてねちねちと説いてくる。
――その礼儀作法の塊が。あられもない歩き方で、乱暴に扉を叩き、返事もないのに扉を開け、挙句に挨拶まで無視して用件を切りだした。
嫌な予感を覚えずにはいられない。
「どうした?」
ローガンは話すより早く拳を目線に上げた。手の中で握りつぶされる封筒が、歩く礼儀と称されるこの男をここまで不作法にした元凶だろう。
「帝国より通達が届きました」
「通達? この時機に……?」
リアムは眉をひそめる。
まるで間者が帰還するのを狙ったかのようだ。いや、狙ったのだろう。リアムの嫌な予感はさらに強まる。
「目は通したのか?」
ローガンは返事の代わりに封筒の中からくしゃくしゃになった紙を取り出すと、破れそうなほど強く引き伸ばした。
「『聖遺物の提出について。マルティネス国、国王リアム・マルティネス殿。マルティネス国で保管している聖遺物を徴収したし。速やかに帝国へ提出するよう申し上げる。尚、提出の拒否は帝国への宣戦布告と捉える』」
「……は?」
苛立ちが息に漏れた。血が沸き、こめかみに太い筋が浮かぶ。リアムは破裂しそうな思いを、視線ごと通達に叩きつけた。
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『聖遺物』――それは、神の力に対抗できた宝器の総称だ。
ミレニアムの夜明けが始まる前に夜月国の女王が創ったと当時の史料に綴られており、世界にたった三つしかない。
ミレニアムの夜明けが幕を下ろしたあと、それらを所有していた昼日国王の提案により、三国がひとつずつ保管する運びとなった。その際、玉座につく者だけが宝器とその詳細を引き継ぐ決まりを設けている。
リアムも王位を継いだ時に前王より宝器を引き継いだ。しかし詳細は、リアムの前の、さらに前のどこかの代で途切れしまったらしい。昼日国王しか知りえないそれはもはや探りようもなく、今の昼日国に伝わるのは宝器だけだ。
現物を知るリアムからすれば「これが?」と疑ってしまうほど、何の変哲もないありふれた物だった。実は本物の聖遺物もとっくに失われており、用意した代品です、と言われても信じてしまいそうだ。
それでも、聖遺物を持つという事実には絶大な効果があった。唯一無二の力を秘める聖遺物を所有するからこそ、戦力に差がある三国が互いをけん制しあえる。いわば、国を守るために必要不可欠な盾だった。
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その聖遺物を寄越せ、と帝国は言う。
「ふざけるな……」
リアムの奥歯がぎりっと唸った。
「何の権限があって聖遺物を差し出せなどとと言えるのだ! 我々は対等な立場だということを帝国は忘れたのか!」
怒りに任せて胸の内を吐きだし、その勢いで立ち上がる。
帝国に寄越せと言われる筋合いも、差し出す義理もない。そんな理不尽な要求など叩き返してやると息巻いて……リアムはふと、レグの言葉を思い出した。
「そうか……」
真っ赤だったリアムの顔からすぅと血の気が引いた。
「……もう、とっくにはじまっていたんだったな」
うわ言のように呟いて、尻からすとんと玉座に落ちる。背もたれがないと後ろに倒れてしまいそうなほど、体に力が入らない。重たい頭が支えきれず、かくんと天を仰いだ。
「いかが……なされましたか……?」
あまりの放心ぶりに、ローガンが柄にもなくうろたえている。
「通達はもしもの保険ということだ」
「……話が見えません」
「間者が帰れば宣戦は成り立つ。ただ、彼らが帰りつけなかった場合を考え、これを寄越したのだろう」
ローガンはまだ飲み込めない様子で首を傾げている。いつものリアムなら小姑の前では絶対にやらないが、今日ばかりはついくせ毛に手が伸びた。
タルダント大陸に恵みを与える神の名は衡神タルダディール、闇と均衡を司る神だ。その神の恩恵をうける帝国は世界の均衡を保つという名分を掲げ、強い軍事力を有していた。
対して、マールディア大陸は輝神マールディールが太陽と力の恵みを与えている。陽の光に惹かれ獣たちが多く集まるため、狩猟を生業とする者は多い。だが、彼らの腕が通じるのは、あくまで獣に限られる。兵器に対抗する術はない。
その差を埋めるのが『聖遺物』なのだ。
「結局、聖遺物を渡そうが渡すまいが昼日国への攻撃は避けられない」
リアムのそのひと言で、思考どころか体まで押し潰しそうな重い空気が二人にのしかかる。
「……どうなされる、おつもりですか……?」
ローガンは息苦しさから逃れようと、吸っては吐いてを忙しなく繰り返す。それはこちらが教えていただきたい……と嘆く心は片隅に押しやり、今できる最良とは何かを考える。
しばらく天井のひびを見つめていたリアムだが、ゆっくりローガンに視線を戻した。
「……ひとまず、検討に時間を要する、と返しておいてくれ。さっさと開戦すればいいものを、間者を返すだの書面を送り付けるだの、回りくどいことをしてきたんだ。おそらく昼日国が混乱するさまを傍観して楽しみたいんだろう。こちらとしても都合がいい」
そもそも皇帝はレグたちを二年も泳がせていた。性根の悪さに嫌気がさすが、時間が稼げるなら乗らない手はない。
「かしこまりました」
ローガンはふぅとひと息ついて、通達を元通り封筒へ戻す。
「では、頃合いを計りそのように返答いたします」
すぐ返さないのはリアムに便乗したローガンなりの抵抗なのだろう。
「任せた。見極めをよろしく頼む」
リアムはその心遣いをありがたく受け取る。
「では、御前失礼いたします」
ローガンは一礼を忘れず、部屋を辞した。
謁見室から嵐が去って、再び静寂が訪れる。
「さて」
リアムはまたぐーっと伸びをして、背をだらしなく後ろに倒した。大して柔らかくない玉座の背もたれも、緊張で固まった今は心地よい。体がほぐれれば霞んだ頭も少し冴えた。指が猫っ毛と思考をくるくる回す。
帝国は三国間の安定を保つ要を要求してきた。すんなり応じるはずがないと分かっているだろうから、挑発の意も込められているのだろう。
ただ、封印された力に対抗できる物を取り上げようとするのは、その通りの理由があるのではないかとも推測できる。
いずれにせよ賽は投げられた。今はまだ水面下の争いでも、遠からず表立って熱を生む戦いになる。もう後には引けない。
「帝国が戦う気なら……やってやろうじゃないか」
リアムは髪の中で踊る指を止めた。