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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第三章
35/63

第三十二節 不適材不適所

 夜月国に入って二日目の夜。

 首都を目前に控えた村の宿の一室では、人知れず様々な思惑が絡んだ争いが繰り広げられていた。


 戦っているのはアレクとロディだ。

 対するは、寝首を掻こうと短剣片手に押し入った刺客が六人。大して広くもない四人部屋に男が合計八人。それだけいれば、動き回るのに手狭どころの騒ぎではない。

 しかし、うち二人を早々と床に叩きつけ、攻撃を避ける程度の余裕はこしらえた。残る刺客は四人。


 当然、槍を振り回す間隔などないため、アレクは普段あまりお披露目する機会のない体術で短剣をひとつ、またひとつと落としていく。刺客が丸腰になったそばから、ロディが後頭部に手刀を食らわせ意識を奪う。

 ニーナの姿は見えないが、わずかに開いた浴室の扉から明かりが漏れていた。


 そんな部屋の様子を……外からひとり。

 フードを被った人が、アレクたちに見つからないよう外壁に背をぴたりと沿わせ、窓からうかがっている。中で入り乱れるひとりひとりを目で確かめては……何か気になるのか、焦れたように少しだけ窓枠を越えて頭を伸ばす。


 ――その喉元に、冷たくて固いものがぴたりと押し当たった。


「……誰をお探しでしょうか?」

 とっさに身を引こうとして首にわずかな痛みが走り、フードの人間は琥珀色の瞳だけを声がした方へ転がす。


 そこにいたのは、見るものを凍てつかせるような冷たい視線で剣を突きつける茶髪の男――クレイグだった。



****



 クレイグがフードの人間を後ろ手にひねりあげ、部屋に戻ってきた。

 襲ってきた刺客はすでにアレクとロディで鎮めたが、部屋を血で汚したくなくて気絶させただけに留めている。このまま転がしておくのは不安だし、隅に寄せたとはいえ四人部屋に男の図体六つは邪魔でしかない。

 「外に放り出してこよう」と一気に四体抱えたロディに便乗し、「ついでにとどめを刺してくる」とアレクが残り二体を担いで部屋から出ていった。


 じっと待つのは手持ち無沙汰と、ニーナは先の戦いでくしゃくしゃに捲れ上がったベッドのシーツを直そうとして、部屋の真ん中で動けないクレイグに呼び止められる。

 フードの人間を押さえつけるのに両手が塞がっているので、代わりに()()を縄で縛ってほしいと頼まれた。

 されるがままを受け入れるフードの人間に目をやろうとするも直視できず、結局ニーナは『束縛〈オトム〉』で後ろ手に上半身ごと絡めとる。クレイグがようやく解放された手で荷物から縄を取りだし、念のためと両足首も括った。


 フードの人間は膝立ちで項垂れたまま動く気配がない。それを視界の端で捉えつつ、クレイグはシーツが上手く敷けなくて悪戦苦闘するニーナに手を貸す。

 二人がかりでベッド四台を整え一息ついたところに、アレクとロディが戻ってきた。綺麗にしたシーツの上に腰を下ろそうとしたロディをニーナが阻止し、四人でフードの人間をぐるりと囲む。


 アレクが頷いたのを合図に、クレイグがフードに手をかけた。

「さて、顔をじっくり拝見させて頂きましょうか」

 言い終えるやいなや、乱暴に外套ごと剥ぎ取る。


 艶のある淡い金髪がさらりとこぼれ、滑らかな白い肌に三白眼が刃物よろしく光る眉目秀麗な女の顔が現れた。


 アレクがひゅうと口笛で冷やかし、女にうやうやしく一礼する。

「これはこれは……貴女みたいな美しい人が帝国兵とは、今宵の出会いを神に感謝せねばなりませんね」

「アレク様」

「冗談だよ、冗談」

 アレクはわざとらしく肩をすくめると、近い壁に立て掛けていた槍を手に取った。ロディは女の顔をじっと網膜に焼きつけてから、扉の前に移り鍵をかけたあと背で塞ぐようにもたれかかる。

 打ち合わせずとも自らの役割に務める三人を羨ましげに見届けたあと、ニーナは女に視線を戻した。


 アレクが女の正面で槍を構えたのを見計らって、クレイグは手早く女の胸当てを外し身分章を引っ張り出す。

「名前はスカーレット・ベイリー。他の刺客たちと同じ兵站部のようですね」

「ふーん、兵站、ねぇ……」

 おざなりに口にして受け流し、アレクは顕になった白い喉元に槍の先を突きつけた。

「さて、答えてもらおうスカーレット。なぜ殺す気もない刺客を送り込んでくる? 貴女は何を任されていた? そして、帝国の目的はなんだ?」

 スカーレットは眉ひとつ動かさず鋭い目でじっとアレクを見上げたまま、固く結ばれた口を開こうとはしない。


 指先を引きつらすのすら憚られる沈黙が部屋いっぱいに満ちる。

「まぁ言わないよなー」

 そんな中、開口を誘おうとしてかロディがわざと軽い口調で呟いた。ほんのわずか緩んだ空気に紛れ……スカーレットの口が閉じたままもぞもぞ動く。頬の肉がぐっと力んだ刹那、ニーナが青ざめた顔で叫んだ。

「それ! だめ!」

 クレイグも気づいていたのか、ニーナが叫んだのと同時にスカーレットの顎を掴み、片手を無理やり口に押し込む。

「くっ!?」

 加減なく噛みつかれて顔をしかめるも、ぐいぐい奥に突っ込んで……口の中から白い錠剤を取りだすと、ニーナに差しだした。

「間に合いました……これですよね、どうぞ」

「ありがとうございます、クレイグ」

 ニーナは歯型がくっきり残ったクレイグの手を癒してから、錠剤を受け取る。それを手の中に包み込むと、『解毒〈キーテ〉』と唱え……不満そうに手を開いた。


「やはり、聖法ではどうにもなりませんね。アレク、後で握り潰してもらえませんか?」

 アレクは槍を突きつけたまま、横目でニーナの手の中のものをちらり見る。

「それはいいけど……なんだそれは。自決用の毒か?」

「毒ならまだよかったんですが……」

 ニーナが静かに首を横に振った。

「これ多分、ザフィーラで言ってたクスリじゃないでしょうか。かなりの魔力を含んでいます。それこそ……ザインさんが使ったのと同じくらいの」

 全員がぎょっとしてニーナに目を向ける。中でも一番目を見開いたのはスカーレットだ。

「毒、じゃないのか……?」

「なんだ? お前も知らねぇのか?」

 スカーレットはロディの問いかけにはっとして、突きつけられた槍の先すれすれまで俯いた。


「……もし捕まったら、それを飲むように言われていた」

「ダメですよ! こんなの飲んだら一気に魔獣化しちゃいますよ!」

 必死の形相で訴えかけるニーナに、スカーレットはきょとんと顔を上げる。

「魔獣化とはなんだ?」

「言葉のとおり、魔獣になっちゃうんです! 人の姿も、理性も、全部なくなって、ただ本能の欲求のまま行動する獣になっちゃうんです!」

 ニーナが顔を強ばらせる理由を察するにつれ、丸まっていたスカーレットの目は元の三角より険しく絞られていった。

「……他の者はそんなことなかった」

「貴女だけ()()()()を与えられたのですね」

 スカーレットはクレイグの嫌味に反応しない。

 ただ、睨んでいるような、呆然としているような……あるいは最初から諦めているような、いま思い知らされたようにもみえる表情で、

「……どう足掻いても捨て駒、か」

 と、部屋が静かだからこそ聞こえる程度の声で言い捨てた。


「帝国に尽くしてきた貴女を、あっさり捨てるとは……忠誠とは滑稽なものですね」

 クレイグは嘲るようにスカーレットを見下ろし、棘だらけの同情を浴びせかける。スカーレットは上げたままの顔を特に乱すでもなく、

「忠誠など誓っていない。ただ、飢えたくないだけだ」

 一聴では先ほどから変わらない平坦な声で返す。

 ただ、クレイグに向けた琥珀色の瞳は、もう部屋の明かりすら映さなかった。


 アレクは二人のやりとりを聞きすごしながら、赤裸々に動く薄桃色の玉唇を視線でなぞる。

 槍の先は喉元にぴたりと当たっているが、スカーレットのやや低い声はわずかにも震えない。儚げな容姿とは裏腹に、剣を持つ者としての剛勇さは目を見張るものがある。


 アレクは自分の唇を舌でちろりと潤して、よし、と呟いた。

「美しいお嬢さん……スカーレットと呼んでいいかな?」

「……好きにしろ」

 自分を見もしないスカーレットにふっと笑って、アレクはふいと槍を下げる。

「おい、兄貴! いいのか!?」

「アレク様! 何をするのですか!?」

 ロディとクレイグの叫びが重なった。

「俺たちとひとつ、取引をしないか?」

 アレクは慌てて駆け寄ろうとする二人を手で制し、ようやく自分を向いた三角の瞳をじっと捉えた。


「先に言っておくが、貴女の境遇に哀れみは微塵もない。帝国に加担している時点で、貴女は俺たちの憎むべき敵だ」

 そう言って、スカーレットの形よく締まった顎に指を添え軽く持ち上げると、嫌でもその視界を満たすようにぐっと顔を近づける。

「でも、どうせこのまま帝国に戻ったところで、処分されてしまうんだろう? なら、俺たちの側につかないか? なぁに、難しいことは求めない。貴女の知っていることを全部、俺たちに提供してくれればいい。ついでに戦力になってくれると、なおよし、だな」

「それをして、私になんの得がある?」

 あとわずかで唇同士が触れる距離にも琥珀の瞳は全く揺らがない。結構へこむなぁ……とアレクは苦笑いで上体を起こした。


「そうだな……俺たちに害をなさない間は、貴女の衣食を保証しよう。貢献度次第では昼日国籍を与えてもいい。剣の腕が立つなら、昼日国で食いっぱぐれないしな」

 スカーレットは離れていくアレクをじっと見送りながら、何かを発しようと唇を動かす。

 しかし、声にはならず……力尽きたようにかくんと頭を前に垂れた。


 黙って見ていたニーナが、そっとスカーレットの隣まで歩み寄る。

「えと、スカーレットさん、は……帝国にいたいのですか?」

「……別に、飢えなければどこだっていい」

 答えるのすら億劫だといわんばかりに床を向いたままのスカーレットの顔を覗き込み、ニーナは丸まった肩にそっと手を添えた。

「でしたら、自ら死を選ぶより私たちと一緒に来てくれたらいいなって思います。でも、もし帝国に心残りがあるなら……」

「そんなものあるわけない!」

 唐突に声を荒らげ、スカーレットは肩に触れた手を乱暴に振り払う。

 驚いて少し身を引いたニーナを、スカーレットは憎らしげに睨んだ。

「お前は聖女だったな……だったら、味わったことないだろう! 頼れる者も生きる糧も何もなく、地面に這いつくばって雨水を啜り、朦朧としながら指の皮をかじり……今を生きる以外何も考えられない絶望なんて……!」


 ニーナは武器を構えようとするアレクとクレイグに向けて静かに頭を振り、

「ありません」

 と、事もなげに答える。

「スカーレットさんが帝国でどう生きてきたかはわかりません。聞いたとして、きっとスカーレットさんの苦しみを理解できないでしょう」

 そうはっきりと言い切って、懲りずにまたスカーレットの顔をずいと覗き込んだ。

「でも、だからこそ飢えしか知らないで終わってしまうのは、あまりにも惜しいと思うんです。ここで死ぬ覚悟があるなら、私たちと来てスカーレットさんの未来を探しませんか?」

「……甘っちょろい戯言だな」

「そうです、とっても甘いんですよ。ね、そう感じたでしょう?」

 鼻で嗤ったスカーレットの肩にまた手を置いて、ニーナはいたずらっぽく笑う。

 スカーレットが何かに気づいたように目を見開いた。


「飢えているのはお腹だけじゃないんです。スカーレットさんが今まで覗けなかった世界には、そうやって心でも味わえるものが溢れているんです。もちろん口でもね。もっとたくさん、味わってみませんか? 私たちの手さえ握ってくれれば、どっちもいっぱいご馳走しますよ」

 目の前で穏やかに揺れる青の瞳に照らされて、仄暗い琥珀の瞳はきらきらと光を蓄えはじめる。


 少しの間じっとニーナを見ていたスカーレットが、急にアレクに顔を向けた。

「……さっきの話、信じていいのだな?」

 面食らって言葉に詰まりながら、アレクはこくこくと首を縦に振る。それを待っていたかのように、スカーレットを絡めていた光の縄が消えた。

「おい! ニーナ! なにやってんだ!」

「大丈夫ですよ」

 ニーナは慌てて駆け寄ってきたロディに微笑みながら、ぱちりと目配せをする。

 スカーレットは自由になった手を床について、その手をじっと見ていた。

「私は……死にたくない。死にたくないから、飢えながらも必死に生きてきた。なのに、飢えはおそらく死よりも苦しくて、辛い……」

 手首の先からがまるで別人のような、ひび割れ、黒ずんだごつごつの手。その手で、吐き出した心の膿を握りつぶすように丸めた。


 スカーレットはゆっくり両膝で起き上がり、床についていた手をアレクに差し出した。

「私をこの苦しみから解放してくれるなら、私の持っているものは全て渡そう。そこにお前たちの望むものがあるかはわからないが、それでいいか?」

「取引成立、だな」

 アレクは差し出された手を躊躇いなく握った。



 その様子を見守りながらニーナはぱしぱしとロディの背を叩いて、無言でスカーレットの足を縛る縄を指さす。ロディがはいはいと頷いて縄に手をかけるが、結び目が固くて解けず結局引きちぎった。

 スカーレットは自由になった足で立ち上が――るかと思いきや、そのままストンとふくらはぎの上にお尻を下ろす。逃げるんじゃないかとちぎった縄を持ったまま腕を構えていたロディは、拍子抜けしたとばかりに縄をぽいと放り投げた。

「つーかさ、やけにあっさりしてんな?」

「今までに何の未練もないからだ」

「いや、まぁ、うん、そっか」

 あっさりしすぎる答えが物足りないのか、ロディは何度も首を捻る。が、最後はわかったと飲み込んだ。


「で、何が……」

 スカーレットが話を切り出したとたん、ぎゅるるるるる……と今日この部屋で一番大きな音が響き渡る。


 本人も含めた全員が、スカーレットのお腹を見た。

「……の前に、何か食わせてくれないか?」

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