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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第三章
34/63

第三十一節 罠には罠を

 夜月国に入って二日目の早朝。


 白みはじめた空を仰ぐついでに周りを見渡せば、長い歳月を重ねてきたとひと目で分かる立派な木々が、檻さながら今を囲う。

 時の流れを見失いそうになる深い森にまっすぐ伸びる道を、四足の靴が振り子のように進んでいく。



 昨日はあの襲撃以降もひと騒動あり、アレクたちが目指す村に辿りついたのは結局日が沈んでからだった。

 一軒しかない宿は見るからに小さく、泊まりっぱぐれを覚悟して戸を叩いた。だが、半月ぶりの客だとむしろ手厚く迎えられた。

 使われていないのがよく分かる埃っぽい客室は狭い。わずかな隙間さえもったいないと、ぴっちり詰まる質素なベッドが四つあるだけだ。

 それでも野宿とは比べものにならないほど快適で、体はそれなりに休まった。


 ただ、寝る前にクレイグの口からもれた嫌な予想が的中し、夜な夜な刺客と戯れる羽目になった。

 そうして全く気の休まらないまま……夜が明ける前に身支度まで整ってしまった。朝食の時間を待つ気にもならず、さっさと宿を後にして四人は今晩の宿を目指す。



 縦に長いユグラニア大陸は、雨が多く湿潤な気候だ。乾燥して岩地の多いマールディール大陸と異なり、大部分が深い森に覆われている。

 その上、一日の日照時間が約八時間と短い。


 ただでさえ昼が短いのに森の木々が光を遮り薄暗く、ぬかるんだ道が足を取る。獣は出ずとも昨日のことがあり、暗くなる前に森を抜けなければ危険だ。

 次の村までどのくらいか測ろうとクレイグが地図を広げるも、なぜか今歩いている道が載っていない。村の位置で目星をつければ結構な距離があるとわかり、朝食の携帯食料は歩きながら頬張った。


 幸いにも天候は四人に味方して、夜月国では珍しく灰色の雲から晴れ空が覗いている。


 朝露で潤う若葉の匂いに、しっとり頬を撫でる草木の吐息のような風……昼日国では滅多に味わえないみずみずしい空気を楽しめたのは昨日まで。丸一日身を置く羽目になればさすがに飽きてきた。

 足は(せわ)しくとも口は(いとま)で、アレクは歩きがてら夜月国についてニーナに尋ねた。



****



 昼日国とは対象的な特徴から、夜に愛された国――夜月国、という愛称ばかりで呼ばれるがゆえ、忘れられがちな正式名はサンチェス。

 世界創成の一柱である月と死と慈愛を司る慈神ユグラディールを崇拝する、宗教色の濃い国だ。


 ユグラニア大陸の血を継ぐ女性の多くは、慈神の恩恵の一端と囁かれる力をもって生まれてくる。

 聖力と呼ばれるその力を一定量以上もつ女性は聖女として国に召し抱えられ、その中で最も聖力の強い聖女に大聖女の称号と女王の冠が与えられた。


 女王は大聖堂という聖女たちの総本山に住しており、その荘厳な建造物は夜月国きっての観光名所となっている。その周りに聖女やその家族、観光客相手に商いを営む者たちが居を構え、国の要となる都市アータミスが構成されていた。

 男や聖女になれなかった女は居辛さから自然と首都を離れ、馬が合う者同士で寄り集まっては未開の森を拓き、村を興している。


 国境の街を出てすぐ見えた大きな街道は、森に点在するそんな村々を国境の港から首都まで繋ぐために国が作ったものらしい。自給自足が難しい村の流通を助けるためだ。


 しかし、一本でより多くの村を経由させたいと欲張った結果……街道はユグラニア大陸をぐるりと一周し、港から歩くと首都に着くまで一週間もかかる長さになってしまった。


 ……これぞ本末転倒って感じですね、とニーナは一笑に付した。


 いま四人が歩く道は、街道を敷く際に外されてしまった村同士が力を合わせ独自に拓いたもので、だから地図にないのだという。

 生活のために木を切り土を均しただけの道は、快適でなくとも歩くのに不自由はない。だが、遮るもののない森の中でも、アレクとクレイグは眉間のしわを微塵も緩めなかった。



****



「だぁっー! もう! うっとうしいっ!」

 耐えきれず口にしたいらいらを握り込み、ロディは正面から襲ってきた男に向けて拳を繰りだす。

 長く魔獣と戦ってきた癖なのか、ロディの()()()()()()()はもれなく頭からだ。襲ってくる方も把握済みといわんばかりに、ぎりぎりを狙ってかわそうと身をよじる。


 が、そこは狩人の経験と技量が勝り、ロディの拳は男の鼻先から顔面へときれいに吸い込まれていった。

 痛覚を揺さぶるバキッという音が響き、勢いよくすっ飛ばされた男は背後に繁る大きな木に叩きつけられる。その衝撃で折れた木が、崩れ落ちた体の上に追い打ちをかけ……男は動かなくなった。


「あー! これで何回目だよ!」

「四回目ですね」

 全く晴れない怒りを雄叫びで撒き散らすロディに、向かってきた短剣を弾き飛ばしたクレイグがしれっと答える。

「わかってるよ!」

「ではなぜ聞いたんですか」

 苛立ちに突き動かされる狩人の拳を冷めた目で睨みつつ、クレイグも気が立っているのか剣さばきがいつもより荒々しい。

 そんな二人をまぁまぁとたしなめながら、アレクは突っ込んできた男に槍を突き込んでため息をついた。

「確かに、こう何度も畳みかけられると気が滅入るな……」


 森に入ってすぐ襲われてから、村に着く前に一回、さらに宿で就寝中に一回……これまでにもう三回、やはり揃いの防具を身にまとった刺客と剣を交えている。


 そして今、四回目の奇襲を受けている最中だ。



 前の三回は飛ぶ小虫並に素早く身を隠していたニーナだが、今回は出遅れたようだ。皆の荷物と仲良く道端の木にちょこんと寄りかかって座っている。

 男三人が戦う様子から目は離さないものの、締りのない顔でぐっと両手を伸ばしては、だらしなく口を開けた。

「ふわぁ……ねむ……寝込みを襲うのは反則……」

 と言い終える前に、大きなあくびで言葉が途切れる。


 地べたに広がる白い法衣の周りには、張った聖域に阻まれて落ちた矢や短剣が木の葉のように散らばる。

 だが当人は、落ちた武器など目もくれず、のんびりとぼやけた目を擦る。

 ニーナも最初の襲撃こそ気を張っていた……ものの、刺客とアレクたちの圧倒的な実力差を目の当たりにし、心配するのは自身の寝不足で十分と学んだようだ。



 ニーナが三度目のあくびを終えたと同時に、襲ってきた男たちの最後の一人も地面に張りついてしまった。

 ロディは振り回し足りない腕を胸の高い位置で組んで、ふんっと鼻息を吐き捨てる。それをしまいの合図に代えたのか、アレクの槍の先もぽとんと地面に落ちた。

 が、クレイグだけは男たちの息の根を止め終えても、剣を構えたまま森の一点をじっと睨んでいる。

「どうしたんだ、クレイグ」

「……昨日の襲撃からずっと隠れてこちらを窺っている人間がひとり、います」

 それを聞くなりアレクは槍を構えなおす。

「どこだ?」

「あの小さな(うろ)のある木の後ろに……ですが、もう居なくなりました」

 クレイグは小さく首を振って剣を鞘に収めた。


 アレクはクレイグが見ていた辺りに目を向ける。生い茂る若葉の隙間からわずかに宿の屋根が覗くほかは、どこを見ても同じような木が重なるばかり……従者のいう洞すら捉えられない。

 早々に槍先を下ろすと、アレクは従者に視線を戻す。

「そいつも帝国の者か?」

「おそらくは。羽織った外衣の内側に刺客たちと同じ防具が見えました。戦闘が終わるのを見届けて去っていくので、あれが兵を指揮しているのかもしれません。ですが……」

 すでにいないはずの()()()()を見つめたまま、クレイグは考え込むように首をひねった。


「先に受けた奇襲と同じで今回の兵も気配を消すのに長けており、姿を捉えるまで気づけませんでした。彼らはもれなく、常から暗躍を担う位地の者に違いありません」

 そう断言したものの、アレクに向けたクレイグの視線は自信なさげに揺れる。

「ただ……隠れていた一人は、自身を隠す気がまるで感じられないのですよ。いや、身は隠しているんです。でも、気配といいますか、存在感があまりにも揺るぎなすぎて……むしろ居ると分からせたいのでしょうか? あるいは忍ぶ術を知らないのか……どちらにせよ不可解な……」

「それ、なんか変なの?」

 茶色の瞳が右左を行き来するたびにこぼれるクレイグの所感を、ロディの気のない声が遮った。

「見てるだけだったら、別に気配隠せなくてもいいんじゃねぇの?」

 クレイグは話し途中で止めた口のまま、「もう一人」が隠れていた洞を見つけようと脇目も振らず木々に視線を這わせる横顔を、じとっと睨む。


「……では仮に、ロディ様が暗殺の部隊を任されたら……一緒に現場まできて見届けますか?」

「俺?」

 ロディが何言ってんのと馬鹿にしたように質問の主を見た。

「行くわけねぇじゃん。こそこそ隠れるとか無理」

「分かってるじゃないですか、そういうことですよ」

 クレイグは呑み込みの悪い狩人に薄ら笑いで返す。

「周りに気づかれないよう秘密裏に相手を殺す、それが暗殺です。なのに、せっかく消している皆の気配をひとりが台無しにしているのですよ? しかも、自分は混ざらず終始隠れているのですから、理解に苦しむどころの……」

「ふーん、色々あんだな」

 まだ長そうな言い分を生返事でぶった切って、ロディの視線はまた森の中に戻っていった。



 がくんと落ちたクレイグの肩を声なく労うアレクの視界の端に、ふと、もぞもぞ動く白い影が映り込む。目をやれば、いつの間にかニーナが倒れていたひとりの男の脇に屈まって、じっとその顔を覗き込んでいた。

「あ、こらこらニーナ。あまり不用意に近づくな」

 慌てて近寄ったアレクを、ニーナが物言いたげに見上げる。

「……どうしたんだ?」

「この人たち……本当にちょっっぴりだけ、魔力を取り込んでいるみたいです」

 その言葉はまだ生温かくこびりついた悪夢を呼び起こし……聞くやいなやアレクの額に深い溝が刻まれた。

「また、か……あの村と、同じ……」


 あからさまに固くなった声色にはっとして、ニーナは口の端をへらりと緩める。

「あ、でも! ほんとにちょっぴり……あの村の井戸水くらいですよ! ここまで近づかないとわからないくらいちょっぴりですから、多分人体に影響は及ぼしていないと思います」

 それでもアレクは眉間のしわを消さない。

「だとしても、魔力を扱うなんて皇帝にしかできない。わざわざ自国兵に仕込んだのが()()()()()、ではないだろうさ。帝国は何を企んでいるんだ……?」


 再三襲ってくる割には戦力がお粗末で足止めのための捨て駒かと思いきや、帝国の切り札ともいえる魔力をわずかとはいえ与えられている。

 襲撃で感じた違和感を羅列すれば、目的がアレクたちの排除でないことは確かだ。しかし、真意を導き出すための情報は何もない。

 昼日国は諜報に長けた精鋭を用意したにも関わらず、帝国の内情を得るのに十年を費やした。アレクたちたった四人でいま探れることなどたかが知れている。


「あんさ」

 どうしたもんかと頭を抱えるアレクの隣で、ようやく洞を探すのを諦めたロディがぽつりと言った。

「隠れてたやつ、捕まえられねぇかな?」


 森のぬかるみから土臭い風がさぁと吹き抜ける間をおいて、クレイグがこれでもかと顔をしかめる。

「なんだよ?」

「困りました……ロディ様と意見が一致してしまいました……」

「何で困るんだよ!」

 思いっきり口を尖らせるロディをなだめつつ、クレイグに向けたアレクの視線も険しい。

「確かに捕えられれば、俺たちに有益な情報を引き出せるかもしれない。しかし、現時点でその人間の存在を捉えられるのはクレイグだけだ」

「ええ。だから、私が捕らえます」

 さもありなんとクレイグが答えた。論を俟たない言い様にアレクの口元がぐっと歪む。


「この調子でいけば、首都に着くまでまだ数回は奇襲をしかけてくるでしょう。結果を見届けるまでは去りませんから、お二人に刺客を捌いていただいてる隙に捕らえてまいります」

「ちょっとま……」

「おひとりは危険ですよ」

 これ以上は黙っていられないとアレクが口を開いた矢先、それを止めるように青い髪がすっとアレクの前に歩みでた。

「クレイグがお強いのは重々承知してますけど……目的の分からない相手に一人で近づくのはいかがなものかと。それなら私の『束縛〈オトム〉』を使った方が……」

 あからさまに目を泳がせたクレイグが「その手があった……」と小さく漏らし、すぐ咳払いで仕切り直す。


「いえ、戦う術のない聖女は何かあれば恰好の的です。それに聖域を張れるのはニーナだけですから、ニーナはそちらに徹していただきたい。なんといっても貴女の守りは鉄壁ですし、我々も安心して自分の仕事に励めます。捕まえるのは私一人で充分」

 クレイグは相槌の隙すら与えず一気にまくし立てると、ここまでの会話が頭からすっ飛びそうなくらいにこやかに笑いかけた。

 浅黄と青の瞳は一瞬丸くなったものの、なんとか食らいつこうとジト目でクレイグの笑顔をつつく。


 しばらく無言の攻防が続き……アレクとニーナが仲良くため息をついた。


 ただでさえ華奢な白い法衣の肩がしゅんと縮こまるのを後ろで眺めていたロディが、深刻そうに目を細める。

「でも、姿隠してんのに居んのが分かるくらい存在感あんならさ、多分そいつ、それなりに強ぇぜ? 生け捕りは危なかねぇか?」

 ニーナは追い風が吹いたとばかりに勢いよくロディを振り返る。しかし、ぶつかった視線で誰に宛てた心配かを察すると、いーっと思いっきり頬を横に引っ張ってみせた。

「問題ありません! なんたって私の守りは鉄壁ですからね!」

 小柄な聖女の強気な仕草はまるで必死に威嚇する小動物のように可愛らしくて、ロディの頬が思わず「ははっ!」と緩む。

「健気なこった、頼りにしてんぜ」


 一方のアレクは、貢献欲で先走るクレイグとニーナへの不安が拭えず、ずっと眉間にしわを寄せっぱなしだ。

「二人とも、本当に大丈夫なのか?」

「ご心配には及びません。アレク様の従者たるもの、この程度は朝飯前です」

「ふふ。私、なんだかわくわくしてきました!」

 全く晴れない心配に返す言葉もなく、アレクは黙ったまま眉間のしわを指でつまむ。気休めに揉んでみるがほぐれる兆しもなく、諦めて険しいままの目をクレイグに向けた。

「で、どこで捕らえるつもりだ? 次襲われたらか?」

「そうですね……」


 すっかりいつものすまし顔に戻ったクレイグは、主人の問いを受け顎に手を当てる。

「この作戦が通じるのは一度きりですので、逃がしたくありません。物理的に四方が囲まれた今夜の宿で罠を張ろうかと思います。襲撃があるかどうかは賭けになりますが、今の調子ならおそらく、ある、でしょう」

「じゃあ、ちゃっちゃと今夜の宿に着いちまおう! で、とっとと捕まえて洗いざらい吐かせちまおうぜ!」

 ロディがおー!と拳を振り上げ、先頭切って歩き出した。時間が惜しいと刺客の死体はそのままにして、アレクたちも後に続く。



 目印も時間の感覚もない深い森の中。先に進んでいるのは間違いないが、どこまで来たか、あとどのくらいなのかがよく分からない。

 クレイグはそっと上着の内側から懐中時計を引き出した。針は長短揃って天を指そうとしている。ここまでほぼ休まずに歩きっぱなしだ。

 クレイグがアレクに声をかけようとしたその時、それまで黙々と先頭を歩いていたロディが「そういやさ」と後ろを振り向いた。


「気になってたんだけど、クレイグはその隠れてるやつの顔見たのか?」

 急に話しかけられてきょとんとするクレイグだが、昼食の提案をするのに好適だと歩幅を緩める。

「ええ。先の戦いの合間にちらりとですが、特徴は掴めました」

「まじで! どんなやつだった?」

 ロディが目を輝かせてクレイグに詰め寄った。その勢いに圧倒されて身を引きつつ、クレイグは目の前まできたロディとちょうど振り返ったアレクの頭頂部を見比べ、自分のつむじのあたりに軽く手を乗せる。

「背丈は私くらいですかね。鋭い吊り目と顎を隠す長さの金髪がフードの隙から見えました。それに……」

 と、クレイグは二人からニーナの顔に視線を向けた。

「あの頬と唇の感じ……おそらく女ですね」

 女……と呟いて、アレクはきゅっと眉をひそめる。

「……美人、だったか?」


 クレイグは束の間、呆れた目でアレクを睨んでいたが、

「さて皆さま、そろそろお昼ですよ。昼食くらいは座って食べましょうか」

 と、大きなため息を残し、さっさと道の端まで歩いて荷物を下ろした。

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