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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第二章
31/63

第二十九節 平穏までの距離

 アレクとニーナが宿に帰り着く頃には、陽はすっかり落ちていた。



 ロディとクレイグはもう帰っているかなと部屋の取っ手を握れば、すんなり回る。

 そのまま扉を開いたアレクの目に入ったのは……腰掛けているベッドの脚を折りそうな勢いでそわそわと体を揺するロディだ。食い入るように一点を見つめ、兄が帰ってきたのに全く気づかない。

 弟を虜にしているのが何かは、漂う匂いで想像がつく。このまましばらくおあずけする姿を眺めていようかと意地の悪さも生まれたが、何度もよだれを飲み込む必死さに、待たせている申し訳なさが上回った。


 アレクは手の甲の硬いところで、開いた扉をとんとんと響かせる。

「ただいま。何やってんだ?」

「お!」

 ロディがはっと兄に顔を向けて、

「遅いよ兄貴!」

 おかえりすらすっ飛ばしてすぐ視線を元に戻した。

 アレクが笑いを噛み殺しながら弟の視線を辿れば、テーブルを埋め尽くす料理の向こう側で、椅子に掛けたクレイグがロディを睨みつけている。


 クレイグは振り向き、

「おかえりなさいませ……」

 アレク様、と言いかけ……その後ろから「ただいま」と顔を覗かせたニーナに少し驚いたようだ。

「……本当にお二人で戻られましたね」

「な、言ったろう?」

 ロディは得意げにクレイグをちら見したものの、すぐテーブルの上に視線を戻した。


「そんなことよりさ、俺もう腹と背中がくっついちまいそうだよ! 早く食おうぜ!」

「ははは、待たせてすまなかったな」

 急かすロディに従い、アレクはクレイグの隣に座る。

 ニーナがその向かいに腰を下ろすと、ロディがそそくさと空いている席に飛んできた。

「あらあら、食いしん坊がこの御馳走を前によく我慢できましたね」

「はんっ! 俺の忍耐力舐めんなよ!」

 ロディは鼻高々に組んだ腕を思いっきり隣に見せつける。


 向かいのクレイグが、ニーナに大威張りする狩人を薄ら笑いで睨んだ。

「何が忍耐力、です。何度手をつけようとして私に咎められたか、お忘れですか?」

「ばっ、ばかっ! 言うなよ!」

 クレイグの言葉を追い払うように慌てて両手をばたつかせるロディの姿が、皆の笑いを誘う。

 ニーナとクレイグに混ざり可笑しいと素直に顔を綻ばせる兄を見て、決まり悪そうに頭をかきながらロディも頬を緩めた。


 笑いがおさまると、アレクは改めて机上を見回す。大皿に盛られた肉と魚にサラダやスープ、果物や菓子の数々、さらには選べるほどの飲み物まである。スープから湯気が立ち上り、厚めに切った肉からは甘い脂の匂いが漂う。

「美味しそう……だけど、凄い量だな。食べ切れるのか?」

「いけるっしょ!」

「大丈夫ですよ!」

 アレクの心配を食い意地の張った二人が無用と遮り、

「まぁ、残ったら包んで明日の昼にでも……」

 と、几帳面な従者までもが、晩餐を楽しむ前にはいらん気だと投げた。



 さすがは祭事を司る聖女なだけあって、ニーナはお腹をぐーぐー鳴らしながらも食前の祈りを欠かさない。三人もそれに倣い、大人しく手を合わせる。

 が、次の瞬間、食欲のままそれぞれの手が伸びた。


 クレイグは彩りよく盛り付けた取り皿をどうぞ、とアレクに差し出し、新しい皿を取る。お二人にも……と向かいの席を見れば、ロディは肉、ニーナは焼き菓子を手前に引き寄せ一心不乱に頬張っていた。


 目の据わったクレイグが、黙って二人のコップに野菜入りの飲み物を注ぐ。そばから二人が同時にコップに口をつけ「にがっ!」と揃って声を上げた。

 アレクは吹き出しそうになり、慌てて自分のコップを手に取る。


「アレク様、果実酒もいただいておりますが……お注ぎしましょうか?」

「いや、何があるか分からないから酒は止めておくよ」

 首を横に振ったアレクに頷き、クレイグは自分とアレクのコップに水を注ぐと、ようやくフォークを手にした。

「それと、ギルドから頂いた物資の目録をつけました。後でお渡ししますね」

「ああ、ありがとう」

「消耗したものは概ね補填できましたので、この街で買い足す必要はなさそうです」


 アレクは従者の報告を聞き、まだ口の中でふた噛みしかしていない魚の切り身を水で流し込む。

「なら、明朝にはこの街を発ちたいな」

「はい。ただ……」

 話を進めながらサラダを取り分けていたクレイグが、ぴたりと手を止めた。


「ここに帰る途中、貸馬屋を覗いてみたのですが、馬の空きがないのです」

「まぁ、これだけ人がいればそうなるか。しかし、首都までどうやって移動しよう……夜月国に乗合馬車はないんだよな?」

「ええ。その代わり、国境を越えた街から出ている観光用の船が、首都まで走るそうですよ。ただ、明日の出発分はすでに満席で、明後日の朝発になります。首都まで三日かかると聞きました」


「あの船、ユグラニア大陸の外周に沿って進むから凄く大回りだし、色んなところに止まるからかなり遅いですよ」

 皿に取った焼き菓子を食べ終えたニーナが、コップに水を注ぎがてら二人の話に口を挟む。

「あれに乗るくらいなら歩きませんか? 首都までまっすぐ通ってる道があるんです。整地されてなくて歩きづらいし結局三日かかっちゃいますけど、一日潰して船の出航を待たなくてもいいし、道中に村が二つあるので野宿は避けられますよ」

「それは助かるな。道案内を頼めるか?」

「もちろん。まぁ、道なりなんで迷いようないんですけどね」

 ニーナは快く頷くと、豪快に切り分けたケーキを手元の皿に乗せた。


 一口運ぶごとに顔をとろけさせるニーナの隣で、山盛り乗せていた取り皿の肉を平らげたロディがふぅと一息つく。次の肉を……と大皿に手を出しかけて、ふと止めた。

「それにしてもさ。あのザインってやつ、何でいきりなりああなっちまったんだろ?」

「魔力を取り込んだから、でしょう」

「それくらい分かってるよ! そうじゃなくて、折り良すぎってこと!」

 クレイグの嫌味ったらしい言い方に、ロディが持っていたフォークの先をびっ、と向ける。

 食いしん坊がクレイグに食いついている隙に、アレクは自分の皿へ肉を取り分けた。


 皿の底が見えるほど肉が減ったのに気づいて、ニーナは立派なクリームの口髭をたくわえた顔を上げる。

「ザインさんは遅かれ早かれ暴走していたと思います。私たちがいる時に対処できて幸運だった、と捉えておきましょうよ」

「ニーナは彼がああなると分かっていたのですか?」

「分かってた、というと語弊があるんですが……」

 クレイグが見かねて差し出した紙ふきんで口を拭い、ニーナはうーんと唸った。


「街に入る前に感じた二つの魔力のうち、ひとつはそう大きくありませんでしたが、もうひとつは魔獣と変わりませんでした。そしてそれは、ザインさんから放たれていました。バパスさんは以前からザインさんが薬物を使っていた、と言っていましたよね? つまり、私たちと会う前から、彼の体にはかなりの魔力が蓄積されていたんです」

「では、あの薬物が暴走する引き金になった、というわけですか」

「ええ。私たちに止められた苛立ちで一気に使ったんでしょうね」

「本当に色々な偶然が重なったんだな。俺たちが居なかったら、と考えたらぞっとする」

 アレクもクレイグもニーナの言わんとしていたことを上手く汲み取ってくれる。おかげで頷くだけですんだニーナは、使わなかった口にまたすぐケーキを頬張った。


 三人が話しているあいだ大皿の肉を全て手中の皿へとおさめたのに、ロディは浮かない顔をしている。

「やっぱ、やり切れねぇや。もうやめられなくて、こそこそ使ってたんだろうな。あの井戸だって、水使う人以外わざわざ来ねぇだろうし」

 井戸、に強い既視感を覚え……アレクは口に入れる寸前の肉を止めた。

 フォークを置いた手でコップを持ち上げ、握り込んではゆらゆらと遊ばせる。


 井戸。


 ライラックの村では、井戸水に微量の魔力が含まれていた。ニーナがザインの去った後に井戸水を確かめたのは、それを懸念したからなのだろう。薬物を使うのに人気のない所を探し、たまたまあそこにいたのかとも考えるが、やはり井戸に居たのがひっかかる。

 そういえば……あの時ザインは、井戸を覗き込んでいるように見えた。


 この水もあの井戸から汲んだものかもしれないなと、手の中で揺らめく水面をじっと見つめていたアレクの頭の中で……ひとつのもしもが気泡のように浮かぶ。

 それは思わずコップを机に叩きつけてしまうほど、虫酸の走る可能性だった。


「ど、どうしたんだよ、兄貴」

「……なぁ、ザインは薬物から魔力を摂取したんだよな?」

「ニーナが薬物から魔力を感じ取っていますし、そういうことだと理解していますが……」

「もし、この水に魔力が含まれていたら……いや、水に限らず、例えば……家畜の餌に混ぜられていたとしたら……?」

 クレイグはスープをすくおうとした匙を落とし、凄い勢いでアレクに顔を向ける。

「まさか! 森で戦ったエラフィは、ライラック村で養畜されていた個体が魔獣化したもの、ということですか!?」

「そう考えれば、森で出会った魔獣が全てエラフィだった説明がつく……ザインが薬物から魔力を得たなら、エラフィも同様に水や餌から魔力を取り込み、一斉に魔獣化した可能性が高い」

「そういうことかよ!」

 ロディの怒号とともに、がん!とテーブルが揺れた。

「あの村の周り、野獣が多いからそこそこ腕のいい狩人もいたはずなんだ。それなのに、なんであんなむちゃくちゃにされたんだろって、すげぇ気になってた。外からじゃなく内から、しかもあの数がザインみたく突然暴れだしたんじゃ、どうしようもねぇじゃん」

 肉に突き立てたフォークを、苛立ちに任せてぐりぐりと押し込む。綺麗に焼けた身から滲み出る肉汁が、あの村の惨状を思い起こさせ……アレクはそっと目を逸らせた。


「間違いなく……()()の仕業ですね」

「口に入れるもん狙って魔力を入れるなんて、そんなん帝国にしか出来ねぇじゃんか!」

 ロディの怒りは留まらず、テーブルに身を乗り出して兄に顔を近づける。

「なぁ! 今もその辺で帝国のヤツらが魔力ばらまいてんじゃねぇのか! 早く見つけて絞めてやんなきゃ!」

「落ち着けロディ。闇雲に動いても状況は変わらない」

 鼻息を荒くする弟を窘めるように、アレクはゆっくりと左右に首を滑らせた。


「それに、不自然な魔獣化はまだエラフィとザインだけだ。しかも、俺たちの行く手を阻むように起きている。おそらくこれは複数の手によるものじゃない。現時点で魔力を得ていると考えられる者……つまり、皇帝ひとりで動いているんじゃないだろうか」

「皇帝が自ら、ですか?」

「ああ。そもそも考えてみてくれ。神に成り代われるような途方もない力を、自分以外の者に与えたりするだろうか? 俺が皇帝なら、絶対に渡さない」

 最初は目を丸めていたクレイグだが、アレクの話を聞くにつれ腑に落ちたと何度も頷いた。

「なるほど、人手に渡れば自分に牙を剥く懸念も生まれます。封印を解こうとしているのも、皇帝の独断専行かもしれませんね」


 ロディが大人しく椅子に戻ったのをみて、アレクも熱くなった気を冷まそうと視線を上げれば……ロディの皿からこっそり肉を取ろうとしていたニーナと目が合う。そして、ふと気になった。

「そういえば、ニーナは封印の魔力を感じれるのか?」

「え」

 ばれた!と慌てて手を引っ込めたニーナは、しらばっくれるように体ごと扉の方に向ける。

「うーん……多分、あっちが帝国ですよね? 意識すればぼんやり魔力を感じるんですけど……なんかすっごく広範囲にもやがかかったような感じで、魔獣のようなまとまった力は感じはしないんですよ」


「そもそも封印ってどういうもんなんだ?」

 ニーナの取り損ねた肉を口に放り込み、ロディは向かいの席に問うように首をひねった。

「俺も詳しくは知らない。そもそも昼日国には、ミレニアムの夜明けに関する史料がほとんど残されてないんだ。世界から存在を隔離するもの、ってくらいの認識だな……ニーナは知っていたりするのか?」

「えっと、どういうものかは知っています」

 言い終えたとたん集まった三人の視線をぱちくりしながら見回し、ニーナはしゅんと項垂れる。


「……けど、ミレニアムの夜明けに関わる情報は箝口令を敷かれてますので、さすがに女王様の許可なくお話する訳には……とりあえずお伝えできるのは、今日明日にでも解けるほどやわなものじゃないってことくらいです……すみません」

「いや、大丈夫だ。すまないな、困らせるつもりじゃなかったんだ」

 負担に感じないよう視線を逃がしたアレクを追って、ニーナがぱっと顔を上げた。

「首都に行くのですから、女王様に謁見されていってはいかがでしょう? 夜月国には様々な史料が残されていますし、何か良いお話が聞けるかもしれませんよ」

「元々そのつもりだった。帝国からの接触があったかも気になるしな」

 アレクは紙ふきんで口元を拭いながら、追いかけてきた視線を見ずに頷く。その横顔が自分を気遣ってだと察し、ニーナはにっこり微笑んだ。

「なら、この街を発つ前に女王様に鳩を飛ばしておきますね。お忙しい方なので、先に予定を押さえとかないと」


 そして、あと一口でなくなるケーキにフォークをさして、大きなため息をつく。

「あーあ、結局馬には乗れないし、ほとんど昼日国にいれませんでした……」

「お前ってホントおめでたいやつだよなー」

 ロディはせっせと空いた皿を片付けていたクレイグとニーナを見比べ、残念だと言わんばかりの目を隣に向けた。

「ロディに言われたくありませんー」

 ニーナは尖らせたその口で最後のケーキを頬張る。


 ちくちくとねちっこい視線などものともせず、口の中いっぱいに広がる濃厚な甘みをじっくり楽しんで、満足気にごくんと飲み込んだ。

「私、昼日国に来るの、すごく楽しみにしてたんです。だって……あの、偉大な英雄ザムルーズ様の生まれた地なんですよ! ……きっと、強くて、優しくて……素敵なお方だったんでしょうね……」

「あー、お前もそういうのに浮かれたりすんだな」

 にやにやするロディをきっと睨んだあと、ニーナはケーキを頬張った時と同じうっとりとした表情で宙を見つめる。そしてもう一度、隣の無神経な子孫を睨んだ。

「……ロディとは違って」

「最後のそれ、余計だよ!」


 アレクとクレイグが吹き出したのにつられて、ふくれっ面だったニーナとロディの口元も緩む。食事の片付いたテーブルに、今度は四人の笑い声が溢れた。



****



 最後に風呂を使ったアレクが、髪を乾かし終えて浴室の戸を開けた。長湯したいから先に寝てくれと伝えたとおり、三人はすでにベッドにおさまっている。

 ニーナの寝息を聞きながら忍び足で自分のベッドまでたどり着くと、アレクは枕元の明かりに手を伸ばした。


「兄貴、あのさ」

 ふと隣から聞こえた声に手を止める。


「まだ起きてたのか。どうしたんだ、ロディ?」

 少しの沈黙を経たあと、ロディは毛布にくるまったまま体をくるりと兄に向けた。

「俺、思ったんだ。皆が魔力魔力って言うけど、結局さ、それを使って悪さすんのって人じゃん」

 皆が起きていた時とは違う小さな声でも、静かな部屋にはよく通る。

「人がいる限り、平穏って来ねぇのかなぁって」

 そこまで言うと、ロディは兄の答えを期待するように口を閉じた。


 アレクは明かりを落とし、毛布に潜り込む。

「そうだな……人って欲深いよな。ロディの言うとおり、これからも人は争い続けるだろうな」

 薄暗がりの天井を眺めれば、リアムや騎士団長、バパスや自衛団の面々が次々に浮かんでは、消えた。

「でも、人同士の争いなら人の力で解決できるんだ。対話を重ねたり……時には、力で訴える必要もあるかもしれない。それでも、人はひとりじゃないからな。平穏を目指す人も、ひとりじゃないさ」

 アレクは寝返りを打って、寝たままロディと向かい合う。

「でもそこに、人がどうにもできない力が入り込んでしまった。だから、俺たちが行くんだろう? 英雄の魂は、きっとそのためにあるんだ」

 自らの言葉で噛み砕けばよく分かる。ニーナが伝えたかったのは、そういうことだ。


 そうひしひしと感じるアレクの耳に、くしゅん、と相槌を打つようなニーナのくしゃみが聞こえ、たまらずふっと笑いがもれた。

「……って偉そうに言うけど、俺もニーナに諭されたばかりなんだよ。でも、そういうことだと、今は思う」

 ロディから返事はない。ただ、窓からの月明かりを受けきらきら輝く瞳は、じっと兄を見ていた。


 何かに迷っても信じるものは決して疑わない、まっすぐな黄土色の瞳。そんな純粋で揺らがない眼差しを、弟として縁が繋がってからずっと……たった今も変わらず、ロディは向けてくれる。

 アレクにとってそれは、どんな名誉を賜るよりも遥かに誇らしかった。


「……ありがとうな、ロディ」

 ロディがびっくりしたように、その目を見開いた。

「礼を言うのは俺なんだけど、どうしたの?」

「お前がこうやって共にいてくれるだけで、俺は本当に救われてる。だから、ありがとう」

 裏も上辺もないありのままの心の声を受け止め、ロディはぎゅっと瞼を閉じる。

「そりゃこっちのセリフだよ。どんなに周りに人がいて、みんなどれだけ優しくても、兄貴がいなきゃ、俺は今も孤独なままだった。俺の方こそ、ありがと」

 微かに上擦った声でそう言って、伝えきれない高ぶりをふーっと、長い息に変えた。


 向かいで横たわる頼もしい弟も、自分と同じように兄の存在を心強く感じている――そう分かれば、この先にあるどんな困難も取るに足らないと思えるほど、アレクの心は奮い立つ。

「……なら、どういたしましてもお互い様だな。じゃあ、寝るか」

「あ! あのさ」

 浮き立つ気持ちを無理やり枕におさめようとしたアレクを、焦った声が引き止めた。


「ん? どうした?」

「あ、あの、あのさ。兄貴は、その、もしかして、さ」

 ロディはそのままずっとあのそのを繰り返し、話が進む気配がない。

「なんだかロディらしくないな。そんなに言いにくいことなのか?」

 アレクがあやすように促しても、ごにょごにょと言いあぐねていたが、

「やっぱいいや! おやすみっ!」

 急にそう言い捨てて、ロディはがばっと布団にくるまってしまった。


 アレクがきょとんとしているうちに、高らかないびきが響いてくる。ゆっくり上がり下がりする毛布の膨らみにくすっと笑って、アレクも目を閉じた。



****



 明るいうちは多くの人で賑わっていたザフィーラの街も、暗くなれば相応しい静けさを纏う。ましてや、昼間でも出入りの少ないギルド内の倉庫は、この世界から隔たれたと思うほど、なんの音もない。


 耳が痛くなる静寂の中、こつこつとひとつの足音が響く。それは得意先ごとに仕分けられた野獣の素材の合間を迷わず進み、倉庫の隅で止まった。壁際で雑に積み上げられているのは、布でしっかり包まれたいくつかの塊だ。


 足音の主はその前で屈んで、ぽんぽんと塊を撫でる。

「……予想通り、自分で使ったな。残念だったねえ……身の丈に合わない欲は身を滅ぼすのだよ。思い知ったろう?」

 くっく……と厭らしい笑いで締めくくったあと、

『ヤラ〈摂取〉』

 と小さく呟いた。


 とたん、大きな呻き声をあげ、足音の主は自分の体を抱き込んで床に倒れ込む。その拍子に被っていたフードが脱げ、深いしわが刻まれた表情の乏しい男の顔があらわになった。

「ぐっ……英雄の力で葬られたはずなのに、残り滓でこれか! これは……少々……いや、想定以上の魔力量だ、な……」

 上体を起こすのもそこそこに、男は口元から垂れた涎を拭い、その手をもう一度塊に置く。

 が、ためらいがちにひとつ息をつき、首を垂れた。

「しかたない、持ち帰るか……」


 男は立ち上がり衣服の汚れを払うと、左の手を塊にかざす。

『エオロー〈神の手〉』

 男の低い声に従って、塊がふわりと床を離れた。


 ふわふわと宙に浮かぶそれを気分良さげに眺めていた男だが、何かを思い出し倉庫の扉をみる。

「しかし……あの小娘、目障りだが興味深い」


 男の目に映るのは暗闇で固く閉ざされた扉ではなく、先日の騒動にいた白い法衣だ。

「聖力が魔力に干渉できるのは知っていたが……真逆の性質をもった力をあれほど明確に感じ取れるなど、本来はありえない」

 文献にない、変異か特性かあるいは……など、しばらくひとりでぶつぶつと意見を重ねていたが、

「まぁどうせ、遠からずわしの元に来るだろう。その時にじっくりと……研究させていただくとするか」


 再び塊を見てくっくと笑うと、『ラド〈転移〉』と言い残し……倉庫から消えた。

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