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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第二章
29/63

第二十七節 勝利という名の苦汁


 目覚めて仰いだ宿屋の窓の外は、いつもと変わらない青空だった。


 部屋に運ばれてきた朝食を取りながら、ニーナが朝のうちに血で汚れたままの法衣を洗いたいと言う。「皆のも一緒に洗いますよ」という申し出にありがたく洗濯物を手渡すと、男三人は揃って街に出た。

 アレクは昨晩認めた文をリアムに送るために、クレイグは書き上げた審査の書類を提出しに、だ。特に用事がなくほっておくと二度寝しそうだったロディには、供花を買うよう頼んだ。


 宿で早めの昼食を終えてから、ロディの買ってきたラジアータを手に駐屯所へ向かう。


 目が赤く腫れ上がったピンスに迎えられ、中に入る。部屋の中央には棺が置かれており、バパスが静かに横たわっていた。

 血まみれだった衣服は替えられ、顔にもうっすら粉がはたかれている。昨晩セスたちが言っていた準備とは、これだったのだろう。

 聖女としてこのまま何もせず見送るのは忍びなく、ニーナはせめてと頼み葬詞を詠ませてもらった。


 弔いの詞に合わせてピンスのすすり泣きが混ざる。


 二つの調べは昨日の悲しみを生々しく呼び起こし、聴く者の手を無意識に合わさせた。セスもじっと尊老の寝顔を目に焼きつけていたが……葬詞が途切れたのを区切りに棺の蓋を閉じる。



 街外れの火葬場に続く道は露店も賑わいもない。

 棺を炉に入れるまで、別れを惜しむ気持ち以外に遮るものはなかった。


 立ち上る煙にそれぞれ思いをめぐらせながら、骨上げを待つ。

「あの、アレクさんにこれを」

 ピンスが目を擦りながら丸まった紙束を差し出した。

「これは?」

 受け取りながらアレクが首をひねると、ピンスは別に四つ折りの小さな紙を渡す。

「今朝、バパスさん宛に届いたものです。こちらがついていましたので、アレクさんのために頼んだものだと思います」


 表に『アレクサンダーへ』と書かれた紙を開けば、中には虫が這った跡のように汚い字で『この貸しは高いぞ。帰ってきっちり返せ』と、のたくってあった。


 さすがに苦笑いが隠せないアレクの後ろから、誰かが炉に近づいてくる。そのどこかで見たような顔は、集まりの中にいるセスを見つけて「昨日はどうも」と声をかけた。


「ギルドの者です。こちらにいらっしゃるとお聞きしました。例の野獣の件でお伝えしたいことが……」

「えらい早いな! なんか分かったのか?」

 驚いてロディが問うと、ギルドの職員は困ったように頭をかく。

「あ、いえ……それが、調査を打ち切ることになりました。種の特定には至れてませんが、調べるほど我々の知る獣とはあまりにもかけ離れており……その……情けない話、四肢をつけたままにしておくのが気味悪くなりまして……」

 歯切れの悪い物言いに頷きながら、四人とも事実は口にしない。

 獣であるのを疑わないなら、それで……いや、それがいい。


「今日中に処分を終わらせます。なので、何もなければ明朝には発って頂いて構いませんと、倒した方にお伝えください。それと、旅の途中だとおうかがいしてましたので、足止めをしたお詫びとして必要そうな物資を駐屯所にお持ちしてます。伝言と一緒にお渡し願えますか?」

「わかった、頼まれよう」

 自分が答えるのが当然と頷いたセスからは、すでに長の風格が感じられる。


 堂々と振る舞う新団長の姿にそわそわしていたピンスが、ふとアレクに顔を向けた。

「今回の件を父……いえ、町長に報告しまして、感謝を伝えるよう頼まれていたのを思い出しました。ザフィーラの街を守ってくださって、本当にありがとうございました。ついでに、礼は何が良いか聞いてくれ、とも」

「そんな……言葉だけで充分だよ」

 大きく手を振り遠慮を示すアレクに、ピンスが昨日ぶりの人懐っこい笑顔をみせる。

「なんだかそうおっしゃいそうな気がしましたので、先に父と相談してささやかな饗膳を宿にお運びしておきました。どうぞ皆さんで召し上がってください」


 そうこうしているうちに遺体が焼き終わった。

 骨を拾い、隣の共同墓地に収める。多くの名が刻まれた大きな墓石の前には、すでに深紅の花がいくつも咲き乱れていた。

 昼日国式に花を手向け終えると、もう一度、全員で黙祷を捧げる。


 最後まで墓石に頭を下げていたセスが、ゆっくりと顔を上げた。

「俺たちはこのまま町長の所へ報告に行く。あなたたちも行くか?」

「いや、遠慮しておくよ」

「そうか……なら、ここでお別れだな」

「色々とありがとう」

 アレクが差し出した手をセスが握る。

「こちらこそ、あなたたちと出会えてよかった。この先の道中も気をつけて。また来ることがあれば声をかけてくれ。その時は酒でも飲もう」

「ああ」

 ぐっと交わして離したアレクの手を、今度はピンスが奪うように両手で握る。


「本当に、本当にありがとうございました。こんなことがあった後ですが、どうかザフィーラを楽しんでください。ここに居れば、きっとバパスさんもそう言ったでしょう」

 話終わってもしばらくぎゅっと掴んでいたが、名残惜しそうに離した。

 その流れで全員と順番に握手を交わし合い、自衛団員たちは遠目でも一際大きいと分かる建物を目指して歩いていった。



 去っていく背を見送ったあと、ひとまずアレクたちも来た道を引き返す。

 華のない赤茶けた建物が並ぶ寂しい通りを抜けたとたん、道を埋める露店と人で一気に騒がしくなった。


 ロディは賑やかになってちかちかする視線を空に逃がし、まだ低くない位置で輝く陽に目を細める。

「晩飯にはちょっと早ぇよなー、どうすっか」

「んー……ふふ、あまーい匂いがしますぅ……」

 考えようとした隙に漂ってきた焼き菓子の匂いに、ニーナはふらふらと吸い寄せられていく。

 クレイグがすかさず、法衣の肩を掴んで止めた。

「ダメですよ、食べ出すと止まらないでしょう? この後ご飯が待ってるんですから」


 ようやく華やかさに目が慣れてきたロディは、通りをきょろきょろと見回す。

 通りを行き交う人は、皆楽しそうだ。悲しみの欠片もない朗らかな声を聞けば、沈んでいた気分も浮き立ってくる。


「じぃさんもピンスもああ言ってたし、街でも見て回るかな」

 落ち着きなく目玉を行ったり来たりさせる大きい子供をみて、クレイグがふふっと笑った。

「せっかくですから、私もご一緒させてください。アレク様はどうなさいますか?」

「俺は……」

 アレクは立ち止まって街ゆく人に目を走らせる。


 そうして通りの端にいる客引きの女性たちを見つけると、アレクは三人に眩しいほど満面の笑みを向けた。

「そうだな、ここ数日ご無沙汰だったから楽しもうかな。ちょっと行ってくる。日が落ちるまでには戻るよ」

 そう言って、ひらひらと手を振りながら人混みに消えていく。

「あ、ちょっと! アレク様!」

 クレイグが慌てて呼び止めるが、すでに背中は人に紛れて見えなくなっていた。


「もう! こんな時まで……」

「こんな時だからこそ、好きにさせてやってくれよ」

 ロディは軽く笑って気苦労の耐えない従者の背中にぽんと手を置くと、そのまま露店を楽しむ人の輪に押し込む。


 通りの脇には様々な屋台がぎっしりと並んでいた。

 焼き菓子の甘く香ばしい匂いに、それを求める客たちの声が入り交じる。陽の光できらりと光る髪飾りにうっとりする女性もいれば、的当ての屋台では大人子どもの歓声が高らかに空を抜けていく。

「賑やかでいい街だな」

「ええ、活気に満ち溢れていますね」

 ロディとクレイグは熱を帯びる人々の合間をのんびり歩く。

 その後ろをついていたニーナが、

「私、あっちの屋台を見てきていいですか?」

 急にそわそわと、女性ばかりが群がる一角を指さした。人の隙間からちらりと見えた台に並ぶ首飾りで、装飾具を扱っているのだと分かる。

「ご一緒しますよ」

「あ、いえ、女物ですし、気兼ねなく見たいので一人で行ってきます。終わったら宿に戻りますね」

 ニーナは笑顔でクレイグの申し出を断ると、いそいそと女の園に紛れていった。



 男二人で歩き出しても、クレイグはまだニーナの去った方を心もとなげに見ている。

「ニーナ、大丈夫でしょうか? 迷子の前科がありますし、もしかしたら誘拐とか……」

 自分の口から出た言葉に焦りだしたクレイグをロディがははっと笑い飛ばした。

「そんな心配ばっかしてっと禿げるぞ! 多分、一緒に帰ってくるって」

 その返しに違和感を感じて首を捻ったクレイグを見ないまま、ロディは話を続ける。

「それよりさ、クレイグは昨日の戦いで気になんなかったか?」

「なにがです?」

「妙に、戦い慣れてんだよな」

「アレク様なら当然でしょう」

「ばか、ニーナだよ」


 ロディの言いように少しむっとしながら、クレイグは謁見室からのニーナを思い返した。

「どうでしょう? ニーナのことをよく知る訳ではありませんが、見てきた限り、状況を掴むのが非常に早い方なのは間違いありません。森であれだけ戦ったのですから、すでに戦闘の要領など理解していそうですけどね」

「そういうもん、でもねぇと思うけどな」

「ロディ様は何がそんなに気になるのです?」

「気になるっちゅーか、なんつーか」

 ゆるゆると人に流れに身を任せていたロディが、ぴたりと足を止める。


「ザインは人だった。しかも、俺らは人だった姿をちゃんと見てんだ。それが急におかしくなっちまって、俺ですら情みたいなもんに足も拳も迷っちまった」


 今思えば、最初の一撃は充分に効いていた。もっと早くにあの化け物の動きを止められただろう。

 しかし、人が魔獣と化すのを目の当たりにした動揺と、人だったという情けが無意識に力を抑えてしまった。


「クレイグに向けて剣を投げた時さ、あいつ聖域張るの早かったろ? あれ、ザインがそうするって分かって構えてなきゃ、あんな風に動けねぇ。俺にかけた癒しもそうだ」


 立ち尽くすロディに、迷惑そうに避ける人の動きも邪魔とぼやく声も聞こえていない。


「俺らには当たり前だけどよ、命のやり合いん中で待ってくれる相手なんかいない。瞬間、瞬間、次の手を選び損ねたら終わりだ。重圧だって半端ねぇ。それなのにニーナは躊躇いもせず、確実に一番いい手を選んでる。夜月国から出たこともない生粋の箱入り聖女様が、だぜ?」

 考えが頭の中では収まらず、溢れた思いがクレイグの肩を勢いよく掴んだ。

「あいつ、自分のすべきことを理解しすぎてんだよ。もう何回もやってきた、ってみたいにさ。一体何をどう考えて生きてきたら、あんな小娘が揺らぎもせず動けんだ?」



 ロディは”強さ”に対して、人一倍深い思い入れがある。

 兄は、英雄の魂を持つ責任をロディの分まで背負い立ち上がった。そんな兄の力になりたくて、何にも負けない力を手に入れようと足掻いてきたからだ。


 望んだのは、立ちはだかる全てをねじ伏せる腕力と、何があっても折れない心。

 そうして心体ともに鍛錬を重ねた結果……物理的な力は兄を除けば他者の追従を許さないほど極まったという自負もできた。

 ただ、精神的な力は思うように得られない。心とは厄介なもので、自分の想定できない事態の数だけ新たな動揺を生んだ。

 様々な経験を積んできた今でさえ、未知との遭遇は力を振るう判断を鈍らせる葛藤の連続だ。


 なのに、ニーナはぶれない。

 普段の脳天気さとは裏腹に、いざという時の判断は迷いがなく最善なのだ。

 ……経験を伴わないのが不自然な程に。


「おや、随分と気に入られてるのですね」

 眉間にしわを寄せるロディを、クレイグがからかうように笑う。

「ロディ様がそこまで人を強いと褒めるのは、アレク様以来じゃないですか。なんだか羨んでるように聞こえますよ?」

「んな訳ねぇじゃん! 誰があいつに」

 言い返そうとして……ロディはふと、ニーナとの出会いを思い出した。


 初対面の印象はすこぶる悪い。口の利き方も世間も知らない、向こう見ずで生意気な小娘だと思っていた。

 しかし、野獣との戦いでその印象はすぐ変わる。


 聖女なのに偉ぶりもせず、惜しみなく聖法を使う。対価も求めない。聖法の効力も見たことがないくらい高い。

 そして、自分がやると決めたことを貫き通す。


 その姿は、物理的な力を一切持たないのにロディが背中を預けても不安がないほど、頼もしかった。認めたくはないがクレイグの言う通り、彼女の揺るがなさは羨ましくもある。

 けど、それ以上に自分でもよく分からない胸の高鳴りを覚えていた。


 ニーナがいれば、聖法などなくても心地好いほど思い通りに体が動く。



 ――もっと、一緒に戦いたい。



 そう思えば、知らずのうちロディの口元は緩んでいた。

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