第二十一節 たとえばこんな村の最期
幸い野獣に出くわすこともなく、四人は無事、馬車道の分かれ道まで戻ってこられた。
村に着くと、放りだしてきた荷物が出迎えてくれる。幸い、袋が転がる地面は血で汚れていない。ここなら、とロディは背負っていたアレクを下ろした。
まだ顔色の優れない兄をニーナとクレイグに託し、自分はひとりで村の中に危険が潜んでいないか見回りに行こうとする。だが、その足をアレクが「俺も一緒に行く」と掴んで離そうとしない。
結局ロディが折れてもう一度肩を貸すと、二人で村の奥へと歩いていった。
残ったクレイグとニーナは、荷物から遠ざからない範囲の建物を見て回る。戦いずくめで気を張りっぱなしの二人が戻る前に、休めそうな場所を探しておきたかったからだ。
しかし、人が住んでいたであろう家はどこも酷く壊されていて、床を借りるどころか中に入るすらままならない。進むにつれ増えていく血肉に耐えきれず、結局すぐ戻ってきてしまった。
口元を押さえてうずくまるクレイグの背をニーナがさする。休ませなければならない人が増えてしまったなと周囲を泳いだニーナの視界に、建屋と思わしき輪郭がぼんやり映った。
灯りを借りて近づいてみると、ちゃんと形を保っている平屋がある。すぐ隣に広がる建物と同じくらいの牧草地とそれらをまとめて囲う柵、両開きの大きな扉や外壁に積まれた藁から、畜舎だろうと推測できた。
少しの期待とともに扉を押してみる。足を踏み入れた瞬間、糞尿と獣特有の嫌な臭いがむわっと鼻を覆った。屋根壁あってもここで夜を過ごすのはきつい。
急いで外に出て深呼吸を繰り返すうち気づいたが、牧草地は血濡れの跡もなく、さほど荒れていない。草の青々しい匂いのおかげで獣臭も気にならず、四人分の寝袋を敷いても広さは十分だ。村にいて野宿というのも損な気分だが、今この村でここより良い寝床を見つけられそうにない。
吐き気を抑えつつ後を追ってきたクレイグも賛同し、今夜はここに床を据えると決めた。なら次は灯りをとふらつきながらも意気込んで、クレイグはそこかしこに散らばる木材を井形に組み上げ火をつける。
視界がぱっと明るくなれば不思議と心が落ち着くもので、ようやく周りをしっかり見回す余裕ができた。
畜舎と柵を共有するラジアータ畑はめちゃくちゃに荒らされていて、牧草の上にまで赤い花が飛び散らかっている。このまま横になったら葬儀の遺体ですよ……とクレイグは顔をしかめ、せっせと仏花を片付けはじめた。
ニーナも手伝おうとして……くぅ、とお腹が呼び止める。そういえば昼にお菓子を食べたっきりだ。二人が戻ったらすぐ食べれるように携帯食料を出そうと荷物を開いて……街で買った携帯鍋が目に入った。
まだタルダディール節は明けたばかりで、じっとしているとほんのり肌寒い。ぱさぱさして硬いものでなく、何かしっとりとして温かいものが食べたい。
火も鍋もあるのだから汁物がいいなと考え、街で買った野菜を取りだした。そして、一緒に買った肉に手を伸ばし……止める。
今日はたくさん、肉を見た。別物だとは分かっていても、あの惨状を思い出してしまうかもしれない。
手に取るか迷っていると、くぅとまた小さくお腹が鳴った。何度目をやっても、やっぱりニーナには美味しそうな肉だ。
栄養もあるし、お腹にも溜まるし、腹が減っては戦は出来ぬって言うじゃない……といない誰かに言い訳をして、肉も取り出した。
切り分けた具材を鍋に入れ蓋をしたところで、寝床を整え終えたクレイグがやってきて食器の用意を手伝ってくれる。しばらくするとかたかたと踊りだした蓋の隙間から、ほっとするような優しい匂いがあたりに漂ってきた。
かき混ぜようと蓋を開ければ湯気と一緒に、
「すげー! いいにおいがするー」
と、声がする。
ちょうど帰ってきたロディが匂いに吸い寄せられ、ニーナの後ろからひょいと鍋の中をのぞきこんだ。
「こらこら、ただいまが先だろう」
さらにその後ろでアレクが苦笑いしている。
「おかえりなさい、アレク様。体調はいかがですか?」
「ああ、夜風に当たったらすっかり良くなったよ。ありがとう、クレイグ」
そう言って笑う顔はまだ少し青いが、受け答えはいつものアレクだ。
揃えば全員が示し合わせるでもなく自然と火を囲んだ。皆が座ったのを見計らって、ニーナが汁の入った器を配る。それぞれ受け取ると、いただきますと祈りを捧げた。
「村の中はどうでしたか?」
汁をひとくちすすってニーナが問う。アレクは口に入れようとした匙を止めて、唇をかみしめた。
「……酷い有り様だったよ。まともに形を残しているものは、ほとんどなかった……」
「そう、ですか……」
「このままにはできない……しておきたくない。明日の出発までに、なんとか土に還すだけでもしてやりたい」
「アレク様、我々はちゃんと体を休めましょう」
クレイグがふぅふぅと汁を冷ましながら、アレクをたしなめる。
「でも……」
「馬車駅の駅員が城に報告しているはずですから、じきに騎士団が来ますよ。身元の確認も必要ですし、後のことは彼らに任せましょう。正直、まだ来ないのは不安ですが、我々は信じ」
「うめぇ! おかわり!」
それまで一心不乱に汁をかきこんでいたロディが、空になった器をニーナに向けて突き出した。話の腰を折られたクレイグがロディを睨む。その視線にロディはきょとんと首をひねった。
「なんだ? クレイグもおかわりしたかったのか?」
「違いますよ……」
話を止めたことにすら気づいていない。クレイグはがっくり肩を落とした。
そんなクレイグを微塵も気に止めることなく、ロディは「そうそう」と受け取ったおかわりの器からニーナの法衣に視線を移す。
「あっちの方に使える井戸があったからさ、洗いもんとか体拭きたけりゃ使えよ」
「わぁ、ありがとうございます!」
ニーナは嬉しそうに礼を述べ、黒ずんだ白い法衣の裾をみて……ふいっとアレクの上半身に目をやった。
「私も大概ですけど、アレクもすごいですね」
血まみれの地面に膝をついた法衣の汚れもひどいが、彼の上着も魔獣の返り血でなかなかのものだ。
「ああ、俺も後で使わせてもらうよ。それと、壊されてなかった外灯も灯してきた。火さえ絶やさなければ、野獣は寄ってこないと思う」
「それは助かります。ありがと……うっ!」
突然、クレイグがお礼を言いかけた口に手を押し当てた。
「どうしたクレイグ!?」
慌てて腰を浮かせたアレクに涙目で手元の器を指さす。
「に……肉が……」
かき混ぜた拍子に具が浮いてきて、ようやく汁に肉が入っていると気づいたらしい。その一言にロディがまたきょとんとした。
「あれ? クレイグ、肉嫌いか?」
「……ロディ様はなんとも思わないのですか……?」
「んー?」
自分の器から肉をすくってじーっとみたあと、ぱくっと口に入れる。
「肉、うまいじゃん」
「……聞いた私が馬鹿でした……」
美味しそうにもぐもぐと口を動かすロディに反論するのを諦めて、クレイグはため息をついた。それから、恨めしそうに諸悪の根源を睨む。
「……まさか、ニーナ、貴女も……」
「一応迷ったんですけどね。生肉だから使わないと腐っちゃいますし、栄養もありますし……何より美味しいじゃないですか」
申し訳なさげに謝ったあと、その口でためらいなく汁をすすったニーナをみて、
「ニーナもそういう人種でしたか……」
と、さらに大きなため息をついた。
情けない顔で器とにらめっこするクレイグに大笑いして、ロディは自分の汁を一気にかき込む。腹が満ちたのか、空になった器をあぐらの上に置いた。
「しかしさ、あの大量の魔獣、結局全部エラフィだったな。一体なんだったんだ?」
暇になった口を何となく動かすと、気になっていたことが真っ先にこぼれる。それを聞いて、アレクも匙を動かす手を止めた。
「確かに、エラフィであることも気になる。が、あの数の魔獣が発生していたことも問題だ」
「魔獣って、野獣が魔力をとりこむと発生するんだっけか?」
「ああ。俺もあまり詳しい仕組みは知らないけどな」
ロディがふと、火を囲む面々を見回す。
「ってかさぁ、魔力ってなんなの?」
「は? 今さらですか?」
「英雄の魂を継いでる人の発言とは思えませんね」
「ロディも神話くらい読んだことあるだろう?」
クレイグとニーナに続き兄にまで諭されて、質問の主はむっと口を尖らせた。
「あんなんガキの頃聞いたっきりだし覚えてねぇよ。そもそも魔力って封印されてんじゃねぇの?」
「その通りです」
むくれるロディを凝視するクレイグのぱっちり開いた横目は、もはや呆れを通り越して明も彩もない。
「しかし、魔力がなければ現れるはずのない魔獣が現れ、調査のすえ帝国が封印を解こうとしているのが明らかになり……そうして我々が今こうして帝国に向かっているのですよ、お分かりですか?」
「あ、そうだっけ?」
それでも己の肉体を武器にするロディだけあって、心身ともに強靭だ。突き刺すような視線さえものともしない。
「で、魔力ってなんなの?」
クレイグは諦めてまぶたを閉じた。
「神の言葉を読み解こうと研究する者たちによれば、『調和を乱す者を無に帰す衡神タルダディールの力』らしいですよ」
何も言わなくても何それ?と宣う弟の表情を見て、アレクが苦笑いする。
「そうだなぁ……聖力に似た力って考えればいいんだよ。人を慈しむ思いを力に変えたのが聖力だろう? それとは逆で、人を妬んだり憎んだりする思いが力を呼ぶ……いや、生んでるんだ」
ふーんと分かったように相槌を打つも、まだ理解するに足りず口は止まらない。
「でも、そんな感情なんて誰にでもあるじゃん。それじゃ、人間のほとんどが魔力を持ってるってことになっちまう」
「そうだな、感情だけなら誰でも持ってる。ただ、そういったよくない感情に集う力を魔力に変え扱えるのが、壊神タルダディール……と、黄昏の魔女だけなんだろう」
「あー、なるほどなー。だから脅威ってわけか」
ようやく合点のいったロディに代わり、今度はクレイグがもの問いたげにアレクを見ていた。
「どうした?」
「……失礼ですが、アレク様はどこでその話を?」
「ああ、以前リアムに見せてもらった資料に書いてあったんだ。誰かの論文っぽかったけど。それがどうした?」
「いえ、はじめて耳にする論理だなと思いまして……」
普段から知識を得るのに貪欲なこの従者は、聞いたこともない説に目を見張る。ただ、それと同時に新しい視点が探究心をくすぐったようで、口の端は水を得た魚のようにはねた。
「しかし、しっくりきますね」
クレイグが感心する横で、あぐらにあった空の器がニーナに向けてひょいと上がる。
「おかわりある?」
「まだ食べるんですか……」
「頭回すのに腹ん中のもん全部使っちまったんだよ」
手渡った器を呆れて見送るクレイグ……の手元を、ロディが覗き込んだ。
「つーか、クレイグは食わねぇのか? 食わねぇんなら、それくれよ」
「食べますよ! ロディ様と違って、心の準備が必要なんです!」
クレイグは獲物を狙うような視線から慌てて器を庇う。ロディがちぇっと舌打ちして反対側に顔を向ければ、ちょうどアレクが食べ終えたところで……なんだか自分だけ食いっぱぐれた気分になる。腹の虫も、そうだ!と音を立てた。
「魔力がうす汚い感情に寄ってくるってのはわかったけどさ、なんで獣が凶暴になっちまうんだ?」
気を紛らわすため、ロディはクレイグ……の手元にある器の中身をじーっとみる。食べようとして匙を握ったクレイグの手は、肉と飢えた視線のせいで金縛りのように動かせない。
「魔力について解き明かそうとする学者たちの間では、魔力に本能的な欲求を増長させる働きがあるのではないかと言われています。取り込めば取り込むほど、食欲であったり、闘争心であったり、獣が生きる上で切り離せない欲求を際限なく増幅させるのでしょう」
仕方ないので腹いせとばかりに口を動かせば、手元を食らいそうな視線がふとあさっての方向を向いた。
「なるほど、頭ん中が『食べたい!』とか『戦いたい!』でいっぱいになっちまうってわけか」
どうやら好奇心が満たされたおかげで、空腹の憂さが少し晴れたようだ。
そうこうしてるうちに、おかわりもやってきた。
「お待たせしました。はい、ロディ」
「お、あんがとさん」
礼と同時に伸びたロディの手が、ニーナから器を受け取ったままふと止まる。
「俺も食欲が止まんなくなっちまうことあるけど、それってまさか魔力のせい?」
「絶対違いますよ。ロディのはただの食いしん坊でしょ。あ、おかわり、それで最後ですから」
ジト目で釘を刺すニーナにははっと笑って、器を抱え込んだ。
「なーんだ。じゃ、人は魔力を取り込んでも魔獣みたいにならないんだな」
「今のところ前例はありませんね。人が取り込めるかどうかは分かりませんが、仮に取り込んでいるとしても、理性があるぶん抑制できるのでしょう」
「ま、そうじゃなきゃ狩人同士で殺し合いになっちまう。腹減ると余計な心配しちまうな」
「……あの、私はそう思わないんですよね」
鍋を火から下ろしたあと、元の場所に腰を下ろしたニーナがぽつりと呟いてアレクを見る。
「御者を看取った時、アレクは腹立たしく思っていましたか?」
「……ああ」
「でもクレイグは、あれほど怒りをあらわにするアレクをはじめて見たと言っていました。ということは、普段は自制されているのですよね?」
「もちろん。他人にも自分にもいい影響はないからな」
言いたいことが読めず怪訝な面持ちのアレクを穴のあくほど見つめ、ニーナは眉をひそめた。
「さきほど、槍を振り上げていたアレクの周りには……たくさんの魔力が集まっていました」
「「「は!?」」」
その言葉で呆気に取られたのはアレクだけでない。
「ロディが腕を掴んだ瞬間、ぱっと消えてしまいましたが……」
全員の視線を受け止めながら、ニーナは続ける。
「おそらく、魔獣の血が魔力を帯びていたのでしょう。アレクは英雄の魂を持っていますから魔力に侵されることはありませんが、それでも怒りを抑えきれなかったんです。これが普通の人だったら、どうなっていたのか……」
「「し、しかし!」」
騎士二人の声が被った。クレイグが隣にちらりと視線を流し……その先はアレクに譲った。
「魔獣の討伐なら何度も……返り血だって……!」
「今までの討伐でこんなにたくさんの血を浴びることがありましたか?」
冷静なニーナの問いにアレクが押し黙る。そもそも問いてすらないのだろう。なぜなら、村に入る前から、こんな数の魔獣が一度に発生したことがない、と嘆いていたのだから。
さあっと吹き込んだ風が、血生臭さを運ぶ。
「じゃあさ、帝国が昼日国にケンカ売ってきたのは、皇帝が魔力を取り込んでおかしくなっちまったからなのか?」
俯いてしまったアレクに代わり、ロディが沈黙を追い払った。
「それは違う気がします。皇帝が夜月国に対してまだ何もしていないのを踏まえると、自分で膳立てした手筈に沿って事を進めようとする落ち着きが感じ取れます」
ニーナはそれに、と続けた。
「さっきアレクが『魔力は聖力に似てる』って言いましたよね。私たち聖女は聖力を持っていますが、それだけでは聖法を使えません。聖女の印を入れてもらって、はじめて聖法を使えるようになるんです」
話の途中で急に下っ腹をさすって、印はお見せできませんが……と、勝手に顔を赤らめる。
「もしかしたら、そういった特別なもので魔力を操れるのかもしれませんね」
「なるほど……理にかなっています」
そんな間の抜けた仕草には構わず、クレイグは真剣な顔で大きく頷いた。
確証などない、ただの閑談だ。それでも、今まで謎に包まれてきた魔力の姿が少し見えたようで、気が昂ったロディは前のめりになる。
「だったらさ! 聖法みたいに魔力を使った術とかもあったりすんのかな?」
「あるはずだ」
アレクも顔を上げて、力強く首を縦に振った。
「神話には戒めの炎雷をもたらしたと記されているし、600年前に綴られた資料にも黄昏の魔女が神話同様の事象を引き起こしたとある。現に、皇帝は人ならざる力を見せた、と間者から報告を受けている。これらが術の可能性も……いや、むしろ術であるほうが違和感ない」
そこまで言うと、アレクは肩の力を抜いてロディの言葉を反芻する。
「なるほどな、『魔力を使った術』か。聖力を使った術を聖法と言うわけだし、それに倣えば魔力を使った術は魔法と呼ぶべきか」
「魔法……」
ニーナが小さな声で繰り返した。
「なんか変かな?」
「……いえ、言い得て妙だなって」
また「魔法」と呟いて、ニーナはほんの少し頬を緩めた。
「じゃあ、この森で大量にでてきた魔獣は、その魔法ってやつで生み出されたかもしんねぇってことか?」
まほう、とだけ声の調子が強くなる。出来たての言葉はロディの心をときめかせたようだ。
そしてその問いは、奇しくもアレクの最初の疑念に対する仮説となった。アレクは少しあいだ思考と一緒に視線を巡らせるが、すっきりしない様子でロディに戻す。
「可能性はある……しかし、今のところ魔力に関わっているのは魔獣と帝国だけで、俺たちには知る由もないな」
ぱちっと大きく、火の中で木が爆ぜる。辺りはすっかり闇に包まれ、話を止めれば虫の鳴き声、木々のざわめきが耳に響いた。
ニーナが器と鍋を抱えて立ち上がる。
「さて、土に埋めるのは騎士の方にお任せするにしても、食べ終えたら弔いの祈りだけでもしましょうか」
「そうだな」
アレクがこくんと頷く。
「せめて、彼らの冥福だけでも、祈りたい」
周りを見渡せば、明かりに照らされた四人を除いて、夜は今日の村を覆い隠していた。