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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第二章
21/63

第十九節 喰らうもの

 聞こえた悲鳴を頼りに、ロディは村の奥へと続く道を全力で走る。


 倒壊した家屋を抜けると、道はまた木々に囲まれた。見通しを阻む木の頭から、傾いた太い柱がちらりとみえる。それを目指してさらに進めば、視界の端を狭めていた薄暗がりがふと晴れた。



 たどり着いたのは大きく切り開かれた広場だ。走っている時に見えた柱は、大きな建物の一部だったと分かった。原型を留めないほど壊された壁材の一角に、大量の干し草と折れた木材が散らばっている。

 ここにはおそらく、馬車の馬を休ませるための施設があったのだろう。


 建物の跡を除いても広々とした地面は村と同じように、血肉で赤黒く染まる。そこには、食べ終えた魚よろしく頭と足だけを残したたくさんの馬と、横転する潰れたいくつかの客車と、人だった欠片に紛れたわずかな生き残りと……それを囲う、十体ほどのエラフィがいた。


 現れたロディには目もくれず、エラフィたちは一人の女を狙っている。肉片をかき分けて這う女の姿は、さながら活き餌のように獣らを色めかせた。

「いやだ……いやー!」

 一体が泣き喚く女に馬乗りになると、丈夫そうな蹄を高く上げる。そのままうるさいと言わんばかりに踏み下ろした。

「ぎゃっ!」

 蹄が頭にめり込み、血しぶきが舞う。女の息が絶えると、待ちかねていたように一斉にかぶりついた。


 その隙に、御者と思わしき身なりの男が客車から這いでた。新鮮な肉に夢中な魔獣も、それを唖然と見るロディも気づいていない。御者はこの地獄から少しでも離れようと必死に地面を掴むが、恐怖で手がわななきまともに進めずにいる。


 それでも逃れたくて忙しなく顔を動かし……立ちつくしていたロディを見つけた。

「あおぅ! あうえぇうぇ!」

 開けっぱなしの口から助けを呼ぼうとする。が、恐怖で噛み合わない歯では言葉を作れない。


 しかし、助かりたいと振り絞ったその声にロディが……そして、肉に食らいついていた魔獣が、気づいた。


 最初に首を向けた魔獣が御者に飛びかかる。

「やべぇ!」

 ロディは御者の前に滑り込むと、向かってきていた魔獣を思いっきり殴り飛ばした。

「お前らの相手は俺だ!」

 わざと大声を出して止まらない御者の呻きをかき消し、襲いかかろうとする魔獣の意識を自分に引きつける。


 まんまと誘いにのった二体が、頭のこぶを突き出しながら突進してきた。

「わざわざ自分から殴られに来たのかよ!」

 無防備な頭頂に両拳を叩きつけると、二体仲良く後ろに吹っ飛んでいく。それでも残りの魔獣は怯むことなく、ロディに狙いを定める。

「いいぃィ!」

 が、恐怖に耐えきれなくなった御者のひときわ大きな叫びに、再び顔を戻した。


 ロディが小さく舌打ちしたところへ、

「ロディ!」

 力強い声が届く。広場に姿を現したのは、ロディを追いかけてきたアレクだ。

「兄貴! いいところに!」

 アレクは十体以上いるエラフィに向き合うロディと、後ろではいつくばる御者を見てすぐ槍を構える。

「兄貴はこの人を頼む! ばかみたいに声出すから、すぐ狙われんだ!」

「……わかった」

 そう乱暴に言い放ってロディは魔獣に突っ込んでいった。アレクは苦笑しながら、まず言われた通り御者に駆け寄った。


 とたん、御者がもの凄い勢いでアレクにしがみつく。

「大丈夫か?」

 声をかけてもいやいやと激しく頭を振り続けるばかりだ。この状況なら混乱するのも無理はないか、ひとまず後ろの茂みまで下がらせよう……と、御者の体に目をやったアレクが固まった。

 赤黒く染まった外套の裾から、見えるはずの足がない。そこにあるのはえぐれた肉と、もぞもぞ動く二本の砕けた骨だけだった。


「兄貴! そっち三体行った!」

 ロディの呼び声にはっと気を戻すと、アレクは優しく御者を肩を掴む。

「すまない、すぐ終わらすから……少しの間だけ耐えてくれ」

 錯乱した御者にやはりアレクの声は届かない。呻きやまない御者をやや強引に引き剥がし背に庇うと、アレクは立て続けに向かってきた三体を槍で薙ぎ払う。


「お前らはこっちだよ!」

 ロディもわざと怒鳴りながら、魔獣を引きつけてはひたすら殴り続ける。拳を重ねるにつれ、向かってくる速度も鈍ってきた。確実にダメージは蓄積されていると分かる。が、数が多くて攻撃を捌くだけで手一杯だ。とどめをさす隙がない。


 ふと、ひとつの客車が大きく揺れる。


 がたっという音を魔獣が一斉に顔で追った。

「おい! そっちにいくんじゃねぇ!」

 ロディが叫んだのも虚しく、魔獣たちは客車に飛びかかる。いくつもの足でむちゃくちゃに踏み荒らすと、中から短い断末魔がもれた。それを探し当てて口で引きずり出すと、取り合いながら貪りはじめる。



「なんなんですかこれは!」

 不意に聞きなれた声が、手をこまねくアレクの耳に飛び込んだ。出処を辿って広場の入り口を見ると、クレイグとニーナが血みどろの光景に呆然として足を止めている。


「クレイグ! ニーナ! 大丈夫か!?」

「私たちは問題ありません。アレク様は!?」

「俺たちは大丈夫だ……それよりニーナ!」

「……は、はい!」

 惨状に釘付けだったニーナは、アレクの呼びかけで気を戻す。

「頼む! この人たちに聖域を!」

 言われずともそうするつもりだったようで、アレクが言い終わる前に両手を御者へと突き出していた。

『聖域〈カグ〉』


 その手をそのまま、魔獣の集まっている方へと向ける。

『束縛〈オトム〉』

 血まみれの地面から一斉に生えた光の縄は、倒れたものから暴れるものまで全ての魔獣に絡みついた。

 アレクとロディの前に倒れた五体は地面に縫い付けられ、苦しげに呻く。その声に応えるように、客車の周りで引き据えられた十体は各々唸りながら、激しく身をよじった。

 さすが魔力の恩恵を受けるだけあってか、すぐにでも引きちぎりそうな勢いだ。それでも、先ほどまでのすばしっこさはなんとか抑えられている。

「十三、十四、十五……体。ニーナの言ったとおりですね」

 忌々しげに吐き捨てると、クレイグはニーナを隠すように前に出た。


 客車を囲む十体の魔獣は光の縄ごと引きずって、御者の呻き声を目指す。アレクは、さっき薙ぎ払ったダメージのせいで地面に縫いつけられたままの一体、二体……三体に槍を突き立てると、ニーナの方をちらりと見た。幸いにも近づく魔獣はいない。

「ニーナ! 魔獣に見つからないよう身を隠していてくれ!」

「分かりました!」

 ニーナは素直に頷いて、再び両手を突きだす。

『聖域〈カグ〉』

『活性〈ミガド〉』

 アレクとクレイグ、そして少し離れていたロディの体を光の膜が覆って消えた。


「どうか、お気をつけて」

 そう言い残し木の陰に隠れたのを見届けたあと、アレクは広場をぐるりと見回す。


 ちょうどロディが転がっていた二体にとどめをさしたようだ。立っているのは……あと十体。

 光の縄はまだ魔獣の動きを抑えており、うまい具合に客車とロディの近くにかたまっている。

 ただ、束縛はここに来るまでにも使っていたが、効果はさほど長くなかった。

 残りの魔獣全てにとどめを刺すにはまだ時間がかかる。束縛が切れたあとも動きを止める手が必要だ。


「クレイグ!」

「はい!」

 クレイグが弾かれたようにアレクを見た。

「聖法が効いてる間に、できるだけあいつらの腱を切ってくれ!」

「仰せのままに!」

 頷くやいなや剣を構え、ロディと向き合う魔獣の集まりに駆け出す。その勢いを保ったまま、片っ端から足首と膝の間を切りつけた。


 英雄の力を持たないクレイグ一人の力では、とどめを刺すどころか足を切り落とすことさえできない。

 しかし、彼の剣さばきは実に精確だ。その上、聖法に頼らずとも身のこなしが軽い。余裕のある彼の表情から、足の腱を裂くだけなら自分が適任だという自負もあるのだろう。

 それがクレイグの危機感を麻痺させたのか、剣を振るたびどんどん魔獣たちの輪に入り込んでいく。


「おい! クレイグ!」

 平衡を崩した魔獣の一体を殴りつけたロディが、それに気づいて呼び止める。が、主から与えられた役割を全うするのに夢中で聞こえていない。


 ニーナの活性が効いていていつもより体が軽い。束縛もまだ有効で、あと二体のところまできた。あと二体の腱を切ってしまえば、束縛がとけてもまともに動けまい。しかも、この場には魔獣を一撃で屠れる人間が二人もいる。すぐに片がつくはずだ。


 その考えが、九体目と一緒に緊張の糸まで切ってしまったのかもしれない。最後の一体へと体の向きを変えた際、背後でよろめいた魔獣に気づけなかった。そのまま背中にぶつかり突き飛ばされたクレイグは、標的の前でのめり込む。


 地面に手をついた瞬間、ニーナの束縛が消えた。



 魔獣が一斉に新しい餌を見た。

「しまった……!」

 腱を切っていない最後の一体が、クレイグの目の前で足を大きく振り上げた。逃げなければという焦りに加え、普段は犯さない過ちで気が動転して、足にうまく力が入らない。

「クレイグ!」

 アレクが早く逃げろと煽るように叫ぶ。すぐにでも助けに駆けつけたいが、束縛がとけた今は御者から離れるわけにいかない。


「あのバカ!」

 動けない兄に代わり、制約のないロディがクレイグに向かって走りだした。しかし、腱を切られた魔獣たちが足を引きずりながら、とろとろと鈍い動きで行く先を塞ぐ。クレイグを狙う邪魔な図体を片っ端から殴り散らし、

「おい! おい! こっち見ろ!」

 足を上げた魔獣の意識を逸らそうと必死に叫んだ。ただ、もう目下の肉にご執心な魔獣は一瞥もしない。


 恐怖で足がすくむとはこういうことか……と他人事のように考えながら、クレイグの虚ろな目は蹄を見上げていた。現実が捉えられなくなると、血生臭さが鼻いっぱいに広がる。それはまるで、数秒後の自分が放つ臭いを嗅いでいるようだった。

 頭上にあった蹄が振り下ろされ、クレイグは反射的に目を閉じる。

 その瞬間、



『天罰<アカー>』



 澄んでいて、なおかつ凄みのある声が響いて、周り一面が真っ白になった。視界を奪ったのは凄まじい光だ。

 眩しさに思わず目をつぶったアレクとロディの耳に、落雷によく似た激しく爆ぜる音が轟く。音はすぐ止んで……アレクはおそるおそる目を開けた。


 眩んでちかちかする瞳に映ったのは、怖気付いて動きを止めた魔獣だった。魔獣は痛みなど感じないはずなのに、苦しげな声で鳴きわめきぞろぞろと森の中へ逃げていく。



 広場がしいんと静まりかえった。



 何が起きたのかは分からないが、ひとまずロディはクレイグの元へ急ぐ。目をつぶったままの肩を叩くと、面白いくらいびくっと死に損ないの体を震わせてぱっと目を開けた。

「……はっ! 生きてる!」

「大丈夫か?」

「……ええ。すみません、注意を欠いてしまったようです」

 クレイグが冷や汗を拭うのと同時に、ロディも大きく安堵の息を吐いた。

「まったく。寿命が縮んだぜ」

 

 クレイグは立ち上がってロディに頭を下げる。

「申し訳ございません。助かりました。ありがとうございます、ロディ様」

「助けたのは俺じゃねぇよ。それに、俺はクレイグの主でも上司でもねぇ。謝るんなら自分の主に謝ってくれ」

 ロディは兄に視線を向けた。



 クレイグが無事だと分かり、アレクは先にニーナが隠れた木まで急ぐ。霹靂の前に聞こえたのは、間違いなくニーナの声だった。

 木陰を覗き込むと、地面に両手をついてへたりこむニーナがいた。ひどく疲れきった様子に、アレクは慌てて正面から大きく揺れる肩を抱く。

「ニーナ! 大丈夫か!」

「ええ……うまく、いきましたね……」

 はぁはぁと息を荒らげながらも、ニーナは得意げににやりと笑った。

「今のは、ニーナが?」

「ええ、私の、奥の手です」

「すまない。無茶をさせた」

「いえ、そんな……」


「お前、すげぇな!」

 いつの間にかロディとクレイグも、アレクの後ろからニーナの様子を見守っている。

「俺と兄貴以外の攻撃で魔獣が痛がるなんて、はじめて見たぜ! あれも聖法なのか?」

「ええ。天罰という聖法です。魔獣に効くか分かりませんでしたが……上手くいって、よかった」

「聖女ってなんでもできんだな!」

「いえ……あれ、攻撃じゃないんで、魔獣どころか野獣も倒せないんですけどね」

 興奮するロディに苦笑いしながらニーナが答える。


「音と光は派手ですが、実際に与えるのは『痛い』という感覚だけ。びっくりさせて散らしただけなんです。今の私にできるのはこれしかなくて……ごめんなさい」

「謝らないで下さい。謝るべきは私なのです」

 黙って聞いていたクレイグが膝を地面につけて、座り込んだニーナより低く頭を下げた。

「ご負担をおかけして申し訳ございません。ニーナのおかげで命拾いしました。このご恩は必ず返します」

「そんな大層な! 負担なんかないですよ! ……ただ、この聖法を使うには、私の体力がちょーっとばかし足りないだけですから!」

「なんだ、足りないのは聖力じゃなくて体力なのか? 俺が鍛えてやろうか?」

 ロディがにやつき調子に合わせてニーナの背をぽんぽんと叩く。

 ちょっとは労ってよと見上げた先で、思いのほか真剣な瞳とぶつかった。街で兄が言った通り、軽口は彼流の気遣いらしい。不器用な口と素直な視線のちぐはぐさがおかしくて、睨もうと上げた眉が垂れてしまった。

「ロディに指導してもらうとムッキムキになりそうなんで……遠慮しときます」



 ニーナの体力が回復するのを待つ間、アレクは広場を見渡す。痛覚だけを与えるとは不可思議だが、確かにあれだけ激しい音が鳴ったのにもかかわらず、地面には焦げ跡のひとつもなかった。空さえ何事もなかったかのようにひっそりと暮れゆく。


「もう大丈夫。ありがとうごさいます、アレク」

 両肩に置かれた手を外すと、ニーナは立ち上がった。と、足がもつれてふらついたのをロディが慌てて支える。

「おい、無理すんなよ」

「ありがとうございます。でも、これからが本番なので」

 ロディの手を借りたまま、ニーナは倒れている御者に目をやった。

 その横顔を見ながら唇をかみ締めていたアレクだったが、腹を括ったように口を開く。

「……ニーナ。負担かけてばかりですまないが、彼に癒しを施してもらえるだろうか?」

 いつの間にか御者の呻き声は止んでいた。だが、まだわずかに動いている。死の淵へと沈みそうな彼に手を差し出せるのは、癒しを施せるニーナだけだ。


「もちろんです。それが私の役目なのですから」

 にこやかに頷いたその笑顔に不甲斐なさを感じ、アレクはまたそっと唇を噛んだ。


 足でまといだとあれだけ本人の前で拒否したにも関わらず、嫌な顔ひとつせず進んでアレクの力になってくれる。今だってそうだ。予定通り一人で昼日国を旅立っていたなら、魔獣を追い払うどころか気づきさえしなかっただろう。

 自分の無力さに打ちひしがれそうになって、今はその時じゃないと左右に強く頭を振り払う。


 そのままロディとクレイグに視線を移した。

「ロディとクレイグは、まだまだいけるよな?」

「もちろん! ニーナに分けてやれるくらい有り余ってるぜ!」

「私も問題なく」

 二人の返事を聞いたあと、アレクは周囲の音に耳をすませる。虫の鳴き声に木の葉が擦れる音と、御者のかすかなぜい音以外は何も聞こえない。悲鳴も、獣の声も……静かすぎる。

「今のところは大丈夫そうだが、さっきの魔獣が戻ってくる可能性はある。ニーナが聖法を使ってる間、二人はこの周りを警戒していてくれるか?」

 ロディとクレイグが大きく頷いた。


 アレクは潰れた客車に顔を向ける。

「俺は、馬車を調べてくる。まだ息のある人がいる……かもしれない、からな」

 もう微動だにしないそれをじっと睨んだまま、拳を握りしめた。

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