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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第二章
19/63

第零節 であいのはじまり

 時は創造歴996年。

 時節は創造神ラグナディールの節、上月の第一日目。

 今日は新しい一年の始まりだ。



 帝国城にある来賓用のホールでは、伝統行事である三国が集まり新年を祝う催しが執り行われていた。


 高い天井にはオーナメント柄の刺繍が施された光沢のある赤い布が張り込まれ、数多にも垂れる螺旋状のシャンデリアが煌びやかに輝いている。

 ホールの下手に造られた舞台の上では、音楽隊が弦を優雅にかき鳴らしている。中央に並んだいくつものテーブルには、立ったまま楽しめる料理とワインがところ狭しと供されていた。

 そして、飾り上げられた会場をさらに華やかに彩る装いの者たちが、思い思いに語らい合っている。


 そんな中、歳若き女性たちの視線は上手にある帝国の皇族席から離れ、近くのテーブルへと向かって歩く男に集まっていた。

 金の刺繍が施された赤い細身の礼服を着こなし、絹糸のようになめらかな長い金髪をなびかせる彼の名は、ザムルーズ。まだ若くありながら人々を魅了する存在感と斬新な発想で、自国を飛躍的に発展させた昼日国の王である。


 ザムルーズはワインを片手に取り、彼の懐に飛び込みたいと機会をうかがう周りの熱い視線を楽しそうに物色する。

 今日一番の大仕事である皇帝イーサーとの挨拶はすんだ。めでたい新年だし、久しぶりに花と戯れるのも悪くない……など考えていると、

「ご無沙汰しております、昼日国王」

 後ろから声がかかる。振り向けば、最近知り合ったばかりの帝国の貴族が立っていた。

 つい先日、帝国へ向かう昼日国の貿易船が座礁した。その時、たまたま通りかかった彼の船が乗組員を助けてくれたのだ。


「これはこれは……先日はご助力頂き、ありがとうございました」

 ザムルーズはワインを置き、貴族と向き合うと丁寧に頭を下げた。すでに昼日国からの謝礼は済ませてある。だが、どんな褒賞より彼が望むのは、こうした公の場で言葉を交わし合える縁だと理解していた。


「とんでもございません。またお困り事がございましたら、なんなりとお申し付けください」

 貴族は周囲から向けられる渇望の視線に満足気な笑みを浮かべ、白髪混じりの顎髭を撫でる。

「王はおひとりで?」

「従者が席で待機してます」

「左様でございますか。私は娘と来ておりまして……」

 ザムルーズを見る目が一層ぎらりと光ったかと思えば、恰幅の良い体の陰に隠れていた年頃の娘を自分の前に引っ張り出した。


 娘は自らザムルーズに歩み寄ると、膨らんだスカートの裾を少し持ち上げてお辞儀する。

「お久しゅうございます、昼日国王。覚えておいでてすか?」

「もちろんだとも」

 名前はすっかり忘れたが、謝礼のため彼の屋敷を訪れた際に紹介されたのは覚えている。

 その時も化粧が濃いなと思ったが、今日はさらに唇も瞼も真っ赤だ。その上、胸元が大きく開いたフリルたっぷりの赤いドレスに、体を鍛えているのかと思うほどたくさんぶら下がった装飾品……屋敷で見た時よりも一段と派手派手しい。

「今日はより輝いておられる……いやはや、お父上もお目が高いだろう」

 本音を聞こえのいい言葉で装って、ザムルーズは娘ににこりと笑いかける。

「あら、嬉しいですわ」

 賛辞の含みなど気づかず娘は頬を染め、後ろの貴族も嬉しそうに目を細めた。


「王」

 娘はさらに歩み寄り、ザムルーズの腕にそっと両手を添えるとしなだれかかる。それでいて、力強く胸元を押しつけ、物欲しそうに潤んだ目でザムルーズを見上げた。

「宜しければ後ほどダンスを一曲、ご一緒してくださいませんか?」

「ああ、喜んで」

 ザムルーズは娘に微笑んで、腕に添えられた手を優しくとると甲に軽く唇を当てる。娘が肌まで真っ赤にして身もだえた隙に手を離し、一礼するとその場を辞した。



 貴族と別れ、足早に帝国から用意された国賓席に戻る。ホールの上手寄りに設けられた国賓席は天吊りのカーテンがひざを隠すくらいに下がり、下から覗き込まなければ中の様子はうかがえない造りだ。


 戻るやいなや、ザムルーズは先ほどまでの笑みを消ししかめっ面で大きなため息をつく。そのまま椅子にどかっと座り込んだ。

「……あれはねぇな……」

 小声で呟き礼服の首元を緩めようとするザムルーズを、席で待機していた従者が手で遮る。

「王」

「分かってるって。ちゃんとしますよ」

 ザムルーズは不貞腐れながら首元から手を離した。

「……ったく、ランハートを連れてくるんじゃなかった」

「……何かおっしゃいましたか?」

「なんでもありませーん」

 ぷいっとそっぽを向いた主人に、従者ランハートがやれやれとため息をつく。


「でもさ、出会う貴族は取り入るための探り合い、娘は俺の妻の座争い。マジめんどくさい」

「王はそれだけの力をお持ちなのですよ」

 ランハートの言葉をザムルーズは馬鹿にするよう笑う。

「権力ってやつ? 権力なんかの何がいいんだ」

「それはお持ちだから言えることです。持たない者は欲するのですよ」



 突然、ホール内の演奏の調子が厳かなものに変わった。


 あんなに騒がしかった話し声が嘘のように静まり返る。ランハートがカーテンをたくし上げホールの様子を確かめると、入口の開いた扉から誰かがホールの中心に歩みを進めていた。

「あ、今年のお披露目が来ましたね」


 この世界では十五歳の仮成人を迎えると、役職につくことを認められる。特に身分の高い者は、年に一度のこの場で就任のお披露目をするのが習わしだ。


「先ほどちらりと耳にしましたが、今年のお披露目は夜月国の大聖女様だそうですよ」

「仮成人で大聖女? 若過ぎない?」

「これでも待ったのだとか。なんでも底なしの聖力をお持ちで、聖女になった時からすぐにでも大聖女に、との声が上がっていたようです」

「聖女って確か十歳からなれるんだっけか? そんな早いうちから権力に巻かれるのが決まってたなんて……可哀想な子猫ちゃんだな」

 ザムルーズは興味なさそうに呟いて、ぐっと伸びをする。


「勝手なこと言ってないで、立ってください!」

「なんで?」

「なんで、じゃありません! 挨拶に行くんですよ! 大聖女様ということは、夜月国の新しい女王なのですよ! さっさと行ってください!」

「はぁ……しゃーないなぁ……」

 ランハートに尻を叩かれ、ザムルーズはのそのそと重い腰を上げる。


 カーテンを上げると、貴族たちがもの凄い勢いで目の前を通り過ぎていった。現れたのは、癒しという神に近い力を束ねる夜月国の最高権力者だ。この催しが終わるまでに、なんとか一言でも言葉を交わしたいと焦っているのだろう。

 ザムルーズはホールの中心にできた人だかりに目を向けて……息を飲んだ。



 ……なんだ、こりゃ……



 群がった貴族の垣根で件の人物は見えない。しかも、新しい大聖女と面識はない。

 それなのに、探さなくても、見えなくても、そこにいると分かった。



 ザムルーズは生まれつき不思議な目を持っていた。人の本質が光として見えるのだ。

 王族という立場から様々な人と出会ううちに、強欲で野心の強い者は濁って薄ぼやけで、志の高い者は澄んで輝いているとも分かった。特定の聖女は魂の持つ輝きが見えるらしいが、それに近いものなのだろうと自分では認識している。



 ――そして今、貴族たちのくすんだ光が囲う中に、目を細めてしまうほど強烈に輝く光があった。最初から居れば気づかないはずがない。


 あれが、新しい女王……ザムルーズは今まで見たことがない強い輝きに吸い寄せられ、ふらふらとホールの人だかりに入る。群がる淀みをかき分けた先には、燃えるように鮮やかな長い赤髪を揺らす女性が輝きを撒き散らしていた。


 ちょうど挨拶を終えた貴族が離れ、ザムルーズは空いた正面に体を滑り込ませると間髪入れず頭を下げる。

「初めまして。昼日国マルティネスを治めるザムルーズと申します。どうぞお見知りおきを」

 頭を上げ、眩しくてよく見えなかった女性の顔をまじまじと見つめる。強引に割り込んだザムルーズを見て丸くなった赤い瞳は潤んでいて、闇夜を照らす炎のように温かく揺らめいていた。


 女性は少しの間、目をぱちくりさせていたが、はっと気を取りなおすと慌てて礼をする。

「ご紹介ありがとうございます。私は夜月国大聖女のエミーナと申します。若き賢王とのお噂は、かねがねおうかがいしておりました。お会いできて光栄です」

 そう言ってにこりと微笑んだ笑顔は、放つ輝き以上に眩しくて……握手を求めて差し出した彼女の手が、ザムルーズの魂をぎゅっと掴みあげた気がした。



 ――ああ、これが運命ってやつか。



 そう自覚すると居ても立ってもいられなくなり、ザムルーズは差し出された白い手を両手で包み込んだ。

「貴女にお会いできて良かった……突然ですが惚れました」

「は?」

 エミーナは一瞬呆気に取られるも、すぐさま「ご冗談を」と笑顔を作り手を解こうとする。が、ザムルーズは離すまいと力を入れて握りしめた。


「冗談なものですか。結婚を前提にお付き合いして頂けませんか? むしろ、もうこの場で結婚しませんか?」

 一瞬だけ見開いたエミーナの目に、内心で「わかる」と呟く――自分でも驚くほど、本気だ。

「えっと、今お会いしたばかりなんですが」

「そうですね」

 エミーナは頑張って手を引っぱってみるも、握る力が強すぎて引き抜けない。周りの目を気にしてなるべく笑顔を崩さないまま、ザムルーズを睨む。

「昼日国では……そういった求婚が流行っているのでしょうか?」

「まさか。こんな非常識なことしませんよ」

「今自分で非常識って言った!?」

 しれっと口にして悪びれもなく笑うザムルーズに、取り繕うのを忘れて思いっきり顔をしかめてしまった。


 目の前の笑顔がどうしようもなく軽薄に映って、エミーナは道端に落ちたゴミを見るような蔑んだ目を向ける。が、そんな視線すら嬉しそうに、ザムルーズはまっすぐ赤い瞳を見たままだ。

「こうやって貴女の興味を引けるなら、道化にだってなりますよ」

「あら、賢王とお伺いしておりましたのに、随分幼稚な考えだこと」

「ははっ! 利口に振舞っていたら、そんな素敵な声を聞くこともできませんからね」

 嫌味を言うも手応えがなく、エミーナは助けを求めるように周りを見回し……気づいた。

「……そろそろご遠慮頂けますかしら。私は他の方にも挨拶せねばなりませんし……それに、あちらの美しいお嬢様があなたをお待ちですわよ?」

 ザムルーズはエミーナの視線の先をちらっと見やる。いつの間にか大聖女を囲う輪に紛れて、さっきの貴族の娘が熱っぽい瞳をザムルーズに向けていた。


 ザムルーズは大きなため息をついて、握りこんでいた手を名残惜しそうに離す。

「仕方ありませんね……では、今日のところはこれで」

 ようやく自由になった手を胸に当てほっとするエミーナに、突然ザムルーズがぐっと顔を近づけた。昼日国の陽の光を宿したかのような金色の目が、まっすぐエミーナを覗く。

「でも、覚えておいてください。俺が欲しいのは、()()貴女だけだ。必ず、惚れさせてみせますから」

 自信に満ちた笑みでそう囁くと、くるりと背を向け娘の方へ歩いていった。




 貴族の輪の中に残されたエミーナは、バクバクと大きな音を立てる心臓を鎮めようと何度も深呼吸する。

 びっくりした……政略婚を持ち出す貴族はいるだろうと覚悟していたが、まさかこんな大勢の前でいきなり求婚されるとは思ってもいなかった。しかも、賢王と名高い一国の王に。


 エミーナは握られてちょっと赤くなった手を擦りながら、娘を伴って離れていくザムルーズの背をじっと目で追った。

 艶のある長い金の髪を後ろで纏め、ぴたりとした服の上からでも分かる引き締まった体つき。切れ長の目に整った顔立ちで背も高く、華やかな赤の礼服がよく似合っている。女ばかりの夜月国で育ち、異性にかなり疎いエミーナから見ても相当な美男子だ。

 しかも昼日国王、地位も権力も金もある。娘の腰にさりげなく添える手で、女性の扱いも慣れていると分かった。


 あんないい男に口説かれて悪い気になる女性はいないでしょうね……と思い、そのいい男に言い寄られた事実にエミーナは少し頬を熱くする。

 ……けれど、ザムルーズから目を離せなかったのは、それだけが理由ではなかった。



 ……魂が、見たことないくらい眩しい……



 そう、エミーナは魂の輝きを感じる力を持っていた。ザムルーズの外見、立場、性格はさておき、彼の魂の輝きは目が離せなくなるほど強く、美しい。

 魂の輝きは、その魂がもつ可能性を示す。可能性が大きいほど、輝きを増すのだ。そして、それが見えていようがいなかろうが、光り輝く魂ほど人を魅せ惹きつける。


 ……まぁ、今のところお付き合いする気はないし、もし受け入れたとしてもあの調子じゃ、周りの視線を払うのが面倒臭そうね……


 二人の背中が踊りを楽しむ人の中に消えるのを冷めた瞳で見送って、エミーナは正面で待つ貴族へと視線を戻した。

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