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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第一章
15/63

第十四節 必然の遭遇

 だんっ!

 地面を蹴る重くて鋭い音が響いた直後、何かが駆け抜けたような土煙が舞い――

「うわっ!」

「ぎゃっ!」

 続いて痛みを訴える甲高い悲鳴が上がった。


 それまでのろのろ街に戻るふりをしながら柱の外に出る隙をうかがっていた人々が、

「うわっ! 出た!」

「逃げろー!」

 一斉に叫ぶと一目散に建物が並ぶ方へ走り去っていく。



 何事かとニーナが確認する間もなく、男性の背後に大きな影がかかった。

「危ない!」

 ニーナは咄嗟に男の拳を掴む。体が大きいし絶対重いはず!と、華奢なりに全体重をかけて、思いっきり自分の方へ引っ張った。


 しかし、

「うわっ!」

 怒りに気をとられていた男は子供の手を引くよりも素直に寄って……余った力が男の足まで地面から浮かせる。そして、そのままニーナに突っ込んできた。

「えっ! ええっ!」

 驚いて受け止めようとするも、当然支えきれるわけがない。覆いかぶさってきた男と仲良く倒れ込んでしまった。



 あいたたた……と背中を起こす二人のすぐ後ろで、ドガッと硬いものが削れた音が響く。ニーナが男の肩越しに目をやると……元いた場所に深々と突き刺さる大きな爪と、それを生やした太い脚があった。


 爪は道にするため頑丈に固めた土を、まるでクリームをすくうように容易く抉りとって巨体に戻っていく。地面に大きく空いた穴が、その一撃の威力を物語っていた。



「くそっ! すっかり忘れてた!」

 男は瞬時に起き上がる。すぐ尻もちをついたままのニーナを背に庇うと、一旦後ろにひいた獣に向けて拳を構えた。

「おい! 大丈夫か!」

 無事を確認する男の言葉が意外で、ニーナは獣までの視界に立ちはだかる男の背中を見上げた。


 勝手にしろとあんなに怒って突っぱねたにも関わらず、いざとなるとちゃんと野獣から庇って気遣ってくれる。口は荒いけど、根は優しい人なんだな……そう解ると、急にその背が頼もしく見えた。


「はい、私は大丈夫です」

 ニーナも急いで立ち上がり、男の背中から巨体に視線を移す。



 二人の前に立ちはだかるのは、背の高い男のさらに二倍以上はある巨大な四足獣だ。恐ろしいのに見惚れてしまうほど、美しく流れる金色の毛並みの凛々しい立ち姿、そして、鋭く大きな三本の鉤爪……ニーナがあ、と声を上げた。

「これって、金獅子……ですか?」

「ああ、スキーゾケイロスだ。ギルドで聞いたとおりだな。しかし、なんだってこんなところまで」


 スキーゾケイロス……俗称「金獅子」は、昼日国にしか棲息しない野獣である。

 縄張り意識が非常に強く、普段は森の奥深くに引きこもっているため、お目にかかれるのはかなり稀だ。しかし、一歩でも彼らの領域に踏み入れば……手練の狩人でも無傷では帰れない。

 

 強い野獣というのに加え、その勇猛な姿と希少さから昼日国を表す紋章にも用いられている。野獣の知識に乏しいニーナでも、姿を見れば名前が出るほどだ。



 スキーゾケイロスはブーッと苛立ったように喉を鳴らす。その後ろには、ニーナの周りを走り回っていた三人の狩人たちが呻き声をあげ地面に倒れていた。少し距離があるにも関わらず赤が目立つ背中は、あの鋭い爪を食らったと分かる。



 スキーゾケイロスは次の攻撃に移ろうと、ぐっと前足を屈めて頭を低くした。爪が来る!と、男は拳を握りしめる。

 獣との距離はざっとみて男の足で大きく三歩ほど。先に攻撃を仕掛けたいが、後ろには戦えない人(ニーナ)がいる。避けられた時を考えると、動くわけにはいかない。

 なら、こちらに向けて振り下ろした爪を狙って、弾くしかない……だが、経験から力の差を考えると、弾いた時に受けるダメージも大きいだろう。


 男の頬を汗が伝った。危険だと分かっているが、引く気は一歩もない。

「おい、もっと後下がれ! 巻き込まれるぞ!」

 獣から目を離さず、背中越しに突っ立ったままのニーナを叱り飛ばす。



 男の声に急き立てられたのか、スキーゾケイロスが地面を蹴った。ほんの一飛びで獲物を仕留める間合いまで詰めると、腕を頭上まで勢いよく振り上げる。


「来てみな! そのご自慢の爪へし折ってやるよ!」

 男は力を込めた拳をぐっと後ろに引いた。叩きつけるように振り下ろされた爪に合わせて、男が拳を突き出そうとした――その時。

 戦いの場にそぐわない、凛と透き通った声が聞こえた。


『聖域<カグ>』


 ――かと思えば、それをかき消すようにガギン!とぶつかる音がして、触れてもいない爪が弾かれた。


 スキーゾケイロスは仕留められなかった苛立ちからぐわっと大きく唸って、元いた位置まで身を引く。

 男は男で、ダメージどころか突き出してすらいない拳を見て、目をぱちくりとさせていた。

「なんだ……?」


 首をひねる男に構わず、ニーナは獣に向けて広げた手をかざす。

『束縛<オトム>』

 握るように指を曲げたとたん、スキーゾケイロスの足元から縄状の光が一斉に伸び上がった。それは蛇のように巨体の足から胴を経て、首元にまで絡みつくと全身を締め上げる。

 獣は逃れようと体をよじるが、縄は動く度に強く巻きつき、半分も開けない口から苦しげな呻きが漏れた。



 動けなくなった獣を唖然と眺めていた男がはっとする。

「これって、まさか聖法か!? 使ったのはお前か!」

 そう言ってニーナを振り返った顔は、なぜかとても不服そうだ。

「……なんだよ。観光客じゃなかったのかよ」

「勝手に誤解したくせに。そんな目で見られても……」

 ニーナはため息交じりにそうです、と頷いた。



 男も同じようにため息をついて、まぁいいや、と再びスキーゾケイロスに視線を戻す。

 動けない巨体に近づいてみると、光の縄は獣の体をがんじがらめにしていた。これでは関節を曲げる隙もない。

「はー、すげぇな。こりゃ動けねぇわ」

 スキーゾケイロスは金色の瞳をぐっと歪めて唸るが、男は全く気にするでもなく、むしろどこか楽しげにもがく様子を眺めている。



 しかし……少し離れてそれを見るニーナは冷や汗が止まらない。

 束縛を維持するのは問題ない。が、そもそも野獣を見るのすら初めてなのに、こんな目と鼻の先で……しかも強いと名高いスキーゾケイロスなのだ。気持ちに余裕など持てるはずがない。


 さっさといなくなって欲しいが、追い払うにも倒すにも、この場でそれができるのは男のみ。早くなんとかして!と叫びたいのをぐっと堪えて、男の背後に歩み寄った。



「魔獣ならここまで動きを止めれません。なんだか気が立ってるご様子なんで、いつもより凶暴なのかもしれませんが……この金獅子ちゃんは野獣です」

 スキーゾケイロスを眺める背中が、ぴくりと揺れる。

「聖法使ったってことは、お前、聖女サマだろ? 聖女サマには魔獣と野獣を見分けられるってのか?」

「他の聖女にはできません。けど、私は見分ける力を持ってます。それで昼日国に呼ばれたんです」

「ふーん」

 男は振り返らないが、先ほどのように否定もしない。今も獣の動きを封じる強力な聖法を見て、どうやら少し話を聞く気になったようだ。


「……あの、これ……今は束縛してますが、このままにしておけません。どうにかしてもらえませんか?」

 ニーナはここぞとばかりにお願いし、ついでに獣を視界から消したくて思いっきり頭を下げる。


 ようやく男が振り返った。


 下げた頭をわしゃわしゃ撫でられ、ニーナはびっくりして顔を上げる。目が合うと男は黄土色の瞳をにっと細め、拳のナックルをはめなおした。

「もちろんだ。ほんとに野獣なら、動けない獲物なんぞすぐ終わる。安心して下がってな」

「……あら?」

 ニーナはぐしゃぐしゃになった髪を直そうと伸ばした手を止める。

 また嫌味のひとつでも言われるかなと覚悟していたのに、返ってきたのは驚くほど屈託のない頼もしい答えだ。

 悪く考えていたのが逆に申し訳なくなった。



「おっし!」

「あ、ちょっと待ってください」

 ニーナは踏み出そうとした男を引き止め、指を三本立てる。

『活性<ミガド>』

 淡い光がふわりと男にまとわりつき……染み込んで消えた。男が驚いて腕をぐるぐると回す。


「なんだこれ? 体が軽くなった?」

「あなたの身体能力を聖法で一時的に高めました」

「へー! 聖法って色々あるんだな。こんなしてもらっていいのか?」

「ええと……お礼と言いますか……お詫びと言いますか……せめてこれくらいは……ね」

 やましい気持ちは笑ってごまかして、後はよろしくお願いします、と野獣から離れた。


 男はちょっとの間、何度も拳を突き出したりして身体の軽さを楽しんでいたが、

「よっしゃ! 任せとけ!」

 ひと声上げるとぐっとかがみ、強く地面を蹴った。


 その一蹴で獣の頭まで飛び上がると、拳を眉間に叩きつける。ゴキっ!と骨の砕ける音が響いた。

 同時に光の拘束が解けて、巨体は大きく後ろに吹き飛ぶ。その勢いのまま柱に叩きつけられ、どさっと地面に落ち……そのまま動かなくなった。


「頭一発で逝っちまった。ほんとに魔獣じゃなかったんだな」

 男は獣の首元に手を当てて、呼吸も脈も止まっているのを確かめると、ようやくニーナの言葉を完全に信用した。


 ニーナはニーナで、男の拳の威力に驚愕していた。

 魔獣ではなかったし、活性もかけてた……それでも一撃だなんて!……と、獣から男に視線を移す。


 あれだけ重い一撃を繰り出しながら、汗の一滴、息のひとつも切らしていない。本気ですらなかったのだろう。

 英雄の魂とか関係なく、この人強いんだ……驚嘆して目を離せないでいると、視線に気づいた男が拳を上げて小気味よく笑う。つられてニーナも頬を緩めた。




「お見事でした」

 ニーナが近づいて拍手を送る。男性は少し照れながら頭をかいた。

「色々と決めつけてすまなかったな。おかげで助かったよ、ありがとな」

「お礼を言うのはこちらです。倒してくださって、ありがとうございます」

「いや、最初の爪を受けてたら、こう簡単にはいかなかったさ。倒せたのは、あれを防いでくれた聖女サマのおかげだ」

「そうなんですか? なら、お役に立ててよかったです」


 男がふと目頭を寄せ、ニーナの頭から足のつま先まで何度も目玉を上げ下げする。

「にしても、女の割には肝座ってんなぁ。スキーゾケイロスなんて狩人ですら逃げ出すヤツもいるってのに、全然ビビってなかったし」

「ほら、女は度胸!って言うじゃないですか」

 本当は汗で濡れた背中が冷たい……けど、そこは何食わぬ顔で得意げに袖をまくりあげ、力こぶを作るように腕を曲げた。華奢で筋肉もない細い腕に、力強さは微塵もない。


 それを見たとたん、男が派手に噴き出した。

「ハハハッ! ほっせぇ腕! それに、度胸は男。女は愛嬌だろ?」

「んもう、ノってくださいよ!」

 男性に笑われてニーナはさっと袖を下ろすと、思いっきり口をへの字に曲げる。

「愛嬌は……前世にでも置き忘れてきたみたいです」



 ふくれながら男性を睨んだ視界の端っこで、ちらりと赤く染まった人たちがうごめいた。

「やば……忘れてた……」

 ニーナは血相を変えて彼らに駆け寄る。


 倒れていた狩人は三人とも、防具ごと背肉を抉られていた。

「すみません! 大丈夫ですか!?」

「ああ……なんとか、生きてる……」

 ニーナの呼びかけに三人ともがしっかり頷く。真っ赤に濡れる衣服を見るからに出血は多いが、どうやら致命傷は避けたようだ。


 さすが狩人、と一息つくと、ニーナは三人の背中を向けて両手を差し出す。

『癒し<イェシュア>』

 手のひらからこぼれた淡い光は傷口に染み込み、みるみる傷を癒していく。ものの数秒で、光とともに三人の傷も消えた。


 服の裾をめくり傷が塞がったのを確認すると、ニーナは狩人たちに微笑みかける。

「もう大丈夫ですよ。他はどこか痛みませんか?」

「ああ……あの、ありがとう……ございます……」

 狩人たちはたどたどしく礼を述べた。が、三人とも大きく目を剥いて、微笑むニーナに怯えて凍りついている。


 思わぬ反応にニーナは首をひねった。

「あの、何かまずいことでも?」

 狩人たちはお互いに顔を見合わせ……そのうちの一人が目にも止まらぬ速さで膝を正し頭を垂れると、おずおず口を開く。

「聖女様……この癒しの対価は、どのようにすれば……」

 残りの二人も慌てて倣う。

「俺のところは子供が生まれたばかりで……どうか、ご慈悲を……」

「自分は先月も聖女様の世話になり、もう手元に財は何も……」

「えっと、皆さんの中の聖女って、借金取りかなんかでしょうか」

 身ぐるみ剥がすのを止めて欲しいと言わんばかりに地面に頭を擦りつける狩人を見て、ニーナは思わず苦笑をもらした。


「顔を上げてください。対価はいりませんよ、大したことはしていませんから」

 三人は揃って勢いよく顔を上げ……絶句している。その様子から聖女の悪行を思い知ったニーナは、呆れて深いため息をついた。


 一方、狩人を癒す様子を感心して見守っていた男は、対価を求めないニーナに訝しむような視線を向ける。

「……あんた、ほんとに聖女サマなのか?」

「え、聖法見た後でそこ疑うの!?」

 今さらすぎて思わず突っ込んでしまった。

「いや、だってさ」

 男も分かっているのか、気まずそうにニーナから視線を泳がせる。


「聖女サマってのはふんぞり返ってて、話しかけても無視だしさ。自分が満足するまで俺たちに拝ませて、癒しの対価をたんまり要求して。そんで満足したらようやく聖法使ってくれるような、自尊心の固まりみたいなやつらばっかだと思ってたからさ」

 今まで会った聖女と重ねながら男がちらちらとニーナを見る度に、どんどんニーナの眉間にしわが寄っていく。話し終わっても、もう相槌すらでない。


 渋い顔でだんまりしてしまったニーナに、男がふっと笑った。

「でもさ、あんた話しやすいし、見返りなしにポンポン聖法使ってくれるし。俺らはそっちの方がいいけど、あまりに聖女サマらしくないなーって」

「……あ、見返りはちゃんといただきましたよ?」

 我に返ったニーナは、申し訳なさそうに男を見上げる。

「野獣をどうにかしてもらいましたもの」

 思いもよらない一言に男が目を丸くした。

「は? そんなん対価になんねぇだろ。野獣を一撃殴っただけだぜ? どう考えたって釣り合わねぇじゃん」

「そんなことありませんよ。私にはどう転んだってできませんから、対価としては十分です」

 ニーナはしれっと答える。


 スキーゾケイロスより遥かに大きな度量は、小さな体に平然と収まっていて……そのちぐはぐさが滑稽で、男は堪えきれずにくくっと笑い声を漏らした。

「あんた面白いなぁ。癒しも見たことないくらい効力高かったし、違う聖法を四つも使ったところをみると、そこそこ強い聖女サマだろ?」

「強いかどうかはさておいて、四つ使いましたね」

 聖域、束縛、活性、癒し……ニーナは使った聖法を口にしながら指折り四つ数えて、ぱっと開くと手のひらを見つめる。

「困っている人を助ける力があるなら、必要に応じて使うのが当たり前と思うんですよね」

 そう言って、手のひらから男性に視線を移した。

「しかも、求められているのにもったいぶって使わないなんて……そんなの、持ってないのと同じじゃないですか」

 目の前の華奢で面白い聖女の言い分は、まるで驕り高ぶる他の聖女を遠回しに批判しているように聞こえる。男はさらに目を丸めた。


「なんか、兄貴みたいなこと言うんだな。そんな考えの聖女サマに会ったことないや」

「今、あなたの目の前にいますよ! やりましたね! 私が記念すべき第一号です!」

 ちょっとでも聖女に対する嫌な印象が変わればいいな、とニーナはない胸を痛いくらい張る。


 男性は豪快に笑い、得意げなニーナを見て眩しそうに目を細めた。

「やっぱり、あんた面白いな」

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