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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第一章
14/63

第十三節 偶然の遭遇

 人の波にのまれ、しばらく前の人の汗臭い上着に眼前を覆われていたニーナだが……

「んっ! ふはぁー……」

 ようやく抜け出して詰めていた息を大きく吐くと、すっかり変わってしまった辺りの景色を見渡す。



 だだっ広い芝地の奥はぐるりと高い木の柵で囲われ、その間を分つように柱が二本、門に見立てて据えられていた。柱からむこうは、のびのびと生い茂った草木でよく見通せない。きっとあの柱が街の境目だろう。

 ニーナが流されてきた方を振り返ると、立ち並ぶ建物は遠く、辛うじて見張り台の頭が見える。

「だいぶ流されちゃったんだなぁ……」


 人の波は途切れはじめたとはいえ、まだ多くが列をなし柱の外へと向かっていた。土地勘のないニーナが迷わず中心部に戻るには、この流れを逆行するしかなさそうだ。

 ぞろぞろと連なっては揺れる人々の頭を眺めながら、他に何か方法はないかともう一度柱を振り返る。そうして、気づいた。


 街の外に出ようとする人たちが直前で折り返し、それぞれ違う方向へと散っていくのだ。先頭に目をこらすと、どうやら数人の男が柱の間を塞いで、やってきた人々が外へ出ないよう追い返している。

 中には男たちの隙間を縫い街の外へと駆けだす者もいたが、間髪入れず捕まって連れ戻されていた。


 柱に立ちはだかる男たちの鍛えられた体つきと手にした武器で、戦いに身を置く者だと分かる。その様子をまじまじと観察していたニーナは、他の聖女との会話でよく耳にしたある単語をふと思い出した。

「もしかして……あれが『狩人』という人たちなのかしら?」



 昼日国には「狩人」と呼ばれる者たちがいる。

 野獣を狩って得た素材で暮らしを立てる、狩の業に秀でた者だ。

 誰でもなれるわけでなく、「ギルド」と呼ばれる組織に実力を認められなければならない。


 狩人に選ばれれば、獲物の素材はギルドが定額で買い取ってくれる。交渉の手間や不当な値切りもなく、狩りにだけ集中できる機構は野獣の多い昼日国ならではだろう。


 ギルドは街の安全を守る役割も担っており、国内に棲息する獣の調査や駆除を一任されていた。

 人に害をなす獣には多額の懸賞金がかかる。狩人にとっては腕試しの場でもあり、野心が強い狩人ほど高額の獣に群がる。だが、身の丈に合わない依頼を受け、命を落とす者も少なくなかった。


 実は、聖女に癒しを求める依頼のほとんどがギルドを介した狩人なのだ。それゆえ、夜月国から出たことのない聖女でも、昼日国にはそういう組織があって、そういう者がいるのは知っていた。

 しかし、実際お目にかかるのは初めてだ。ニーナはわくわくしながら、狩人と思わしき男たちの逞しい体つきを眺める。



「この先の森で魔獣が発生した! 魔獣はこの街に向かっている! この場で迎え討つから、関係のない者は速やかに街の中に戻れ!」

 少し離れたところにいるひとりの男が、辺りに響く大声で門へ向かう人だかりを散らしている。

「魔獣? ここに向かっている……?」

 のんびり好奇心を満たしている場合じゃないと、ニーナは頬を引きしめた。が、すぐ拗ねたように口を突きだす。

「私じゃどうしようもないなぁ。アレクたちを連れてこないと……」

 まずは合流しなきゃと考え、どこに向かっていたか思い返す。

「そう、ギルドだ。ギルドに行かなきゃ」


 ニーナは急いで街を振り返って……来ると戻るでさっきよりもひしめき合う人混みを目にし、忘れてた、と声を漏らした。

「どうやって戻ろうかな……あ、でも、そっか!」

「おい! ここでなにやってんだ!」

 突然後ろから怒鳴られて、ニーナはひゃっと肩を跳ね上げる。ついでに浮かびかけた策もきれいさっぱり飛んだ。


 ニーナが恨めしげに声を振り返ると、引き締まった体つきの男がひとり、こちらに向かって来る。さっきから大声で人だかりを散らしていた男だ。


 後ろ側を特に短く刈り整えた金の髪、袖のない質素な上着。そこから伸びる、太くはないが見るからに硬く引き締まった腕の筋肉と……近づかなくても目立つ、腕中の痛ましい古傷。

 拳にはめたナックルで、自らの身体を武器に戦っているのだと分かる。おそらく……いや間違いなく、この男は狩人だ。


 さっきの大声といい、近づく姿のいかつさといい、正直この男の方が獣みたいでおっかない。それでも、狩人ならギルドに戻る良い方法を教えてくれるかもしれない。ついでに魔獣についても詳しく知りたくて、ニーナは男が来るのを待った。



 ――が、近づくにつれ見えてきたものに、はっと息を飲む。


 男は大股で、呆然と目を見開くニーナの前まで来ると足を止めた。

「怒鳴ってすまない」

 驚かせたと思ったらしく、まずぺこりと頭を下げる。が、すぐ険しいままの顔を上げた。

「俺は、この先に発生した魔獣の討伐にきた狩人だ。ここは危険だから、街に戻れ」

 小さくない声で告げられた警告にも、ニーナは微動だにしない。他の何にも気を向ける余地がないほど、男が放つあるものに意識の全てを奪われていた。


 ……この人、魂がアレクと同じ……

 あのとき謁見室で見た、心を震わせるほど眩い輝き。間違いない、この人も同じ魂だ。


 しかし、それだとこの男も英雄ということになる。英雄が二人いるなんて、噂ですら聞いたことがない。

 降って湧いた事実は全く飲み込めないが、ニーナはひとつ確信した。アレクの探している「ロディ」は、彼だ。



「ん? お前さん一人か? はぐれたのか?」

 目をまん丸にして固まったニーナを気遣って、男は努めて優しく声をかける。ニーナは……というと、男の魂に気を取られたままで、返事どころか話も聞いていない。

「おーい? おい?」

 あまりの反応のなさに、男は大きく開いた青い瞳の真ん前で手を上下に振ってみる。が、それにも無反応だ。


 男は痺れを切らし、ニーナの耳元までぐっと口を近づけた。

「おい! 聞こえるか!」

「ひゃっ!」

 鼓膜から脳天まで揺さぶる怒鳴り声にびっくりして、ようやくニーナは我に返る。

「あ、ごめんなさい。全く聞いてませんでした」

「おいおいおい。ぼーっとしてる場合じゃないだろ」

 じんじんする耳を撫でながら素直に白状すると、男は呆れて金にも見える黄土色の瞳でニーナを覗き込んだ。


「見ない顔だな。どこから何しに来たんだ?」

「えーと……夜月国から参りまして……」

 どこまで素性を明かしていいのか迷えば、そこでニーナの口が止まる。

「夜月国か。なら、観光に来たんだな」

 が、男は勝手に決めて納得してしまった。ニーナは少しムッとするが、確かに聖女はひとりでこんな所をうろつかないなと思えば、訂正して突っ込まれるのが面倒で言い返すのはやめた。


「しかたない。聞いてなかったのなら、もう一回言うぞ」

 男はごほん、と咳払いで仕切り直す。

「この先の森で魔獣が発生した。騎士団がすぐに動けないらしく、今ギルドで増援を募っているが、助けがくるまでここに居る狩人だけで迎え討つことになった。この人数では戦闘中に周りを気にする余裕がない。早くここから離れてくれ」

「なるほど、よくわかりました」

「観光客だったら、道がわかんねぇか」

 やれやれと言いつつ、男が背を向けた。

「あんま余裕ねぇけど、途中まで連れてってやるよ。どこまで戻りたいんだ?」

 思いがけない好機にギルドまで……と言いかけて、ニーナはふと思い出す。


 はぐれる原因になったあの声は『街外れで魔獣がでた! 討伐の応援に来れる者はいるか!』と叫んでいた。それが男の言う『増援を募っている』声なら、アレクとクレイグはとっくに聞いているはずだ。魔獣と聞けば、昼日国を大切に思うアレクは間違いなく応援に名乗り出る。もしかしたら、もうここに向かっているかもしれない。


 はぐれた自分が悪いのだが、置いてけぼりにされたとちょっと寂しさを覚えつつ、ニーナは男の無骨な背ににこりと笑いかける。

「ありがとうございます。でも、多分今から連れが来るので結構です」

「はぁ?」

 返事を聞いた瞬間、もの凄い勢いで男が振り返り、頬をひくひくわななかせながらニーナを睨んだ。

「俺の話、聞いてたか? 魔獣がでて、ここは危ないんだって!」

「ええ、わかってます」

「なら大人しく街に戻れよ! 連れだって、わざわざこんな危ないとこに来ねぇよ。下手すりゃ魔獣に食われちまうぞ!」

「そう、それなんですけどね……」


 魔獣と聞いた時からニーナは気になっていた。口にする前にもう一度、意識を集中して街の外を念入りに探っていく……が、どれだけ範囲を広げても、魔力のかけらも感じ取れない。

「うん、やっぱり。魔力は毛ほども感じませんし、魔獣特有の禍々しい殺気もありませんね。野獣の間違いではないのですか?」

「はぁ!? 何言ってんだ?」

 ニーナには魔力を感知する力を持っている。しかし、男は当然、目の前にいる小生意気なちびがそんな力を持っているなど知らないわけで、頬だけに留まっていた怒りはあっという間に顔全体から肩までぴくぴくと広がっていった。

「普段からこの辺で狩りしている狩人が魔獣だって言ってんだぞ! 野獣と間違うわけねぇよ!」

「でも、魔力の気配はありませんよ?」

「そんなの、戦う前から分かんねぇだろ!」

「それが、私には分かっちゃうんですよねー」

 ニーナはどやと得意げに無い胸を張る。

「お仕事お忙しいでしょうから、私のことはどうぞお構いなく。野獣なら一人でも逃げ切れますし」

「お前をここから逃がすのも俺の仕事なんだよ! な、周りをよーーく見てみろ。お前以外は皆、素直に従ってんだよ」

 そこは言われた通りに見回すと、連なっていた人の列は散り散りになり、来た方向へと引き返していた。柱からニーナまでの間を忙しなく動き回るのは、武器を構えた男が三人だけだ。

「あら、さすが狩人。皆さん手際がよろしいのですね」

「いい加減にしろ!」

 それでものんびりとした調子を変えず動かないニーナに、とうとう男が切れた。

「丸腰の観光客が『野獣なら逃げきれます』だぁ? しかも、野獣すらいない夜月国からきたくせに、『魔獣なんていません』って、狩人(おれら)をバカにしてんのか!?」

 抑えていた苛立ちをニーナのてっぺんから盛大にぶちまけて、ふんと鼻を鳴らす。


 怒らせるつもりはなく、ただここに残りたいだけなのだが……どうやらそれが一番難しいようだ。

 とりあえず話をしようと視線を合わそうにも、背の低いニーナの上目では届かない。後ろ首をぐぐっと縮めて男の顔を仰ぎ見れば、ぽかんと口が開いた。それを見下ろした男は怒りで歯を剥き出したまま、馬鹿にするように口の片端をくいっと上げる。

「観光の一環に魔獣見学なんてのも入ってんのかぁ? 夜月国に住んでると平和すぎてボケちまうんだな」

 その物言いにさすがのニーナもかちんときた。


「あら、昼日国のお強い狩人さんたちは、野獣如きにもえらい慌てるんですねぇ。さては皆さん新人ですかぁ?」

「こ、このやろ!」

 本日無敗な聖女様のきりっと冴えた一言は、見事に男の癇を抉り、肩が震えるほど拳を力ませる。

「女で観光客と思って下手に出りゃ、調子に乗りやがって!」

「先に嫌味を吹っかけてきたのはそちらでしょ。それに、気を使ってくださいと頼んだ覚えはないですー」

 男の怒りをひらりといなし、ニーナはぷいとそっぽを向いた。

「あー! くっそ腹立つ! くそ可愛くねぇ!」

 振り上げた腕を勢いに任せて振り下ろ……さないくらいの理性は残ってるようで、男は拳に収まりきらない苛立ちを射込むように、びしっとニーナを指さした。


「だから女って嫌いなんだよ! 大した力もないくせにピーピーピーピー言いやがって!」

「鳥になった覚えもないです。まさか……女の子にそんな態度ばっかとってるんですか!? モテないでしょ?」

「がー! かわいくねぇ……ほんとかわいくねぇ! ああ、もう好きにしろよ! そん代わり頼んでも助けてやらないからな!」

「野獣にビビってる弱小狩人なんかには頼みませんよ!」

 男の噛み潰し損ねた声なき怒りは拳と一緒に上がった。べーっと舌を出すニーナになんとか振り下ろさないものの、何もない空をめがけて拳を当て散らしている。さっきまでの威厳は怒りと一緒に全部溢れてしまったようだ。



 荒ぶる男をさらに煽ろうとしたニーナを止めたのは、大きな着地の音だった。

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