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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第一章
13/63

第十二節 迷える聖女様

 三人が街へと続く坂を下りきった頃には、太陽は天頂より少し地面へと傾いていた。



 小石混じりの土道と石畳の境目には、二頭立ての馬車でも余裕で通れそうなほど大きな門が設けられている。そこから見える広場の中央に、ニーナの倍ほど大きくて艶のある白い石の英雄像が陽の光を受け輝いていた。


 三人は揃って、門も潜らず立ち尽くしている。それは英雄の威厳を振りまくザムルーズの石像に圧倒されているから……ではない。


 お祭りや曲芸、なんなら馬でかけっこもできそうなほど広々とした広場を埋める人、人、人、人……また、人。

 老若男女、おひとりさまから家族連れまで、目指す場所もそれぞれ違って、もはや満足に身動きもとれないほどぎゅうぎゅうとひしめきあっていた。



「さすが城下街。賑わっているのですねぇ……」

「いえいえ! 普段はこんなにいませんよ」

 目に映るがままを受け入れるニーナに、普段の街を知るクレイグが慌てて否定する。

「催しの予定もないのに、なぜこんなに人が? 何かあったのでしょうか?」

 今朝クレイグが家を出た時とも違う、どこかぴりぴりとした雰囲気に首を傾げていると、門を通りたい街人がクレイグを無言で睨んでいる。萎縮して脇に避ける従順な従者を横目で見ながら、アレクは意識せずとも聞こえる人のざわめきに耳を傾けた。


『帝国が攻めてくるまでに出れるのか……?』

『おい! 後がつっかえてんだ! 早く進め!』

『早く……早く街から出よう!』

『なんで今日に限って、城が開放されてないんだ!』

『どいてくれ! 港に行きたいんだ!』

 話を聞きつつ人の流れを注視すると、大半の手には大きな荷物が握られており、それがさらに混雑を助長している。

 行きたい方向を互いで塞ぎあい、焦りと進まない苛立ちからか誰を見ても浮かべる表情は険しかった。



「帝国が、攻めてくる……?」

 ひととおり会話を拾って、アレクが眉をひそめる。

 どうやら街の中で、帝国が攻めてくるという話が広まっているようだ。噂を聞いた人々が急いで街から逃れようとして、この混乱が起きているらしい。


「確かに攻撃の準備を進めているとは聞いたが……もう仕掛けてきたのか?」

「まさか!」

 ありえません、とクレイグが大きく首を振った。

「帝国の動向には細心の注意を払っております。ましてやそんな大きな動きがあったなら、とっくに騎士団が動いているはずです」

 確かに、ここまで来る途中、城の見張り塔の上でなびく、赤地に金の刺繍が施された昼日国の国旗を見ている。有事なら違う旗が掲げられるはずだ。なら、この話の出処はどこだと考えて……アレクがはっとする。


「もしかして、あれが噂の発端か……?」

 さらにぎゅっと寄せたアレクの眉間を真似るように、クレイグが眉をひそめた。

「何か、思い当たることがおありですか?」

「ああ……」

 それは、先ほど謁見室に持ち込まれた帝国からの通達だ。その内容を知るのはリアムと大臣と……隠れて聞いていたアレクのみ。


「……でも、さすがにあそこから漏れることはないな」

 アレクは首を振って、ならば通達通りに攻めてきたのかと考えるも、いま目に入るのは逃げる人だけで兵器も帝国兵の姿もない。

 ただ、街の人々の様子をみるからに、何かきっかけがあったのは間違いなさそうだ。

「一体、何があったんだ?」

 アレクは手がかりを探そうと、逃げ惑う人々から街の中へ視線をねじ込ませていく。



「ほうほう、なるほど」

 そんなアレクの隣で、剣を高らかに掲げる像を物珍しげに眺めていたニーナがひとりで納得している。

「皆さんは帝国が攻めてくると聞いて、この街を離れようとしているのですね」

 いまさらなことをのんびりと呟いては、像から人の流れ、やや遠目に見える建物の並びに沿って視線を移す。そうしてくるりと一周景色を見渡し、不思議そうに首をひねった。

「でも、帝国兵はいないし、硝煙の匂いもしない……攻められているようには見えませんね。それなのに、どうして皆さんこうなったんでしょう?」

 ニーナはよし!と意気込んで、街の喧騒に耳をそばだてる。


『……が欠……たらしい……』

 あ、今の気になる……と耳だけ突き出したつもりが、首も体も前に出ていく。ニーナは話を聞き取るのに夢中で気づいていない。それを繰り返すうち、どんどん人のごった返す方に寄っていって……混雑を抜けようとした人にぶつかった。

「わっ! すみません!」

 ぺこりと謝りながら体を横にずらせば、さらに混み合う中に入り込んで、

「あ! ごめんなさい!」

 またぶつかる。


 身を引いてはぶつかって謝って、その傍からまたぶつかって謝って……とうとう頭を下げる隙間がなくなった。あれ?っと気づいた時には後の祭り、四方八方みっちり囲まれてもう自力では抜け出せない。

 慌てて門の方へ手を伸ばし、助けを呼ぼうとして、

「ぁああアレクー、く、クレイグぅぅぅー」

 口から漏れたのは腰の抜けた老人が発したのかと思うほどか弱い悲鳴で、二人に届くどころか周囲のざわめきに呆気なく散った。


 他に手は……ないなと諦めかけた瞬間、引っ込めようとしたニーナの手を誰かがぐっと掴む。強い力でぐんぐん手繰り寄せられて、人混みから抜けた先にいたのは……呆れ顔のアレクだった。

「なにやってんの……」

 クレイグもニーナの隣にきて、

「大丈夫ですか?」

 と、もみくちゃにされてめくれ上がった法衣の後ろを整える。

「はい……大丈夫です。ありがとうございます……」

「まったく……気づいてなかったらどうなっていたやら。頼むから、軽率に動かないでくれよ」

 アレクはニーナの手をそっと離しながら、さっきまでやり込められっぱなしだった鬱憤を嫌味に混じえた。顔を真っ赤にしたニーナが何か言い返してくるかと思いきや、

「はい、すみません……」

 意外にも素直に頭を下げる。そのままぷるぷると肩が震えだし、アレクはぎょっとしてニーナの顔を覗き込んだ。

「ご、ごめん! 言いすぎた……かな……?」

 おろおろと眉を下げるアレクに、顔を赤くしたままのニーナがくすくすと笑う。

「大丈夫、泣いてませんよ。ただ、みっともないところを見られたのが、ちょっとばかし恥ずかしくって……」

 そう言いながら思い出したのか、今度は耳まで赤くしてまた俯いた。泣いていないと分かって安心すれば、産まれたての子馬みたく体を揺らすのが妙に可愛らしく見えてしまう。

「次は気をつけてくれよ」

 ほんの少しの悔しさを覚えながらも、アレクは笑ってぽんぽんとニーナの肩を叩いた。



 そんな二人を微笑ましく見届けて、クレイグは再び広場を埋める人々に視線を戻す。

「それにしても、この人の多さではロディ様を訪ねるどころではありませんね」

 嘆きに混じって聞こえた名前にニーナがきょとんと顔を上げ……あ!と閃く。アレクの連れていきたい狩人の名が「ロディ」だ。

「そうだなぁ……」

 アレクも街の少し遠いところをぼんやり眺めている。その様子にクレイグは、主人を煩わせるなんてけしからんと牽制するように目をつり上げる。だが、人の流れは一向に絶えない。


「一か八か、だけど」

 ふと、遠くを見たままアレクが呟いた。

「ギルドに向かってみようと思う。あいつ、だいたい朝から討伐に出て、昼にはギルドに戻っていることが多いんだ」

「なるほど。ここで立っているだけより、可能性は広がりますね。賛同します」

「よし」

 アレクは頷いて、ニーナの横からわざと視界に入るよう腕を伸ばす。

「ニーナ。あのひとつだけやたら高い建物が見えるかい?」

 指を差した先には、他の建物より頭抜けて高い物見やぐらが見えた。少し距離はあるが、今いる場所からもよく目立っている。

「ええ、見えます」

「あの見張り台の真下がギルドなんだ。ついでに、さっきクレイグが言っていた総合商店もギルドの向かいにある。ひとまずあそこまで行こうと思うんだけど……ついてこれそうか?」

「頑張ります!」

 正直ついていける自信はあまりないが、あれだけ目立つなら目的地だけは見失わずにすみそうだ。




 街をよく知るクレイグが先頭になり、その後ろでニーナがついてこれるようにアレクが人混みをさばく。見張り台に近づくにつれ、男の大きな声が少しずつ耳に届いてきた。

「なんでしょう? ギルドのあたりで叫んでる男が居ますね」

 先頭のクレイグには、人混みの合間からの視界がひらけているようだ。後ろのアレクに声の主は見えない。ただ、クレイグの話を聞く限り良い光景は浮かばない。

「それ、ギルドの人間か? まさか……その男が混乱を煽っているのか?」


 ギルドは狩猟を生業とする狩人と商人を繋ぐ組織だ。同時に、外敵を退け街の安全を保つ役割も担っていた。

 街の人がギルドに置く信頼の大きさを考えれば、街の混乱は当然だろう。

 が、その外敵が帝国ならば管轄は騎士団だ。そこを介さずギルドの独断で対処しているなら、大問題どころじゃないぞ……アレクは見えない声の出処を睨む。


「男は多分ギルドの職員でしょう。しかし、何かを煽っている感じではありません。むしろ、何かを募っているような……」

 周りのざわめきが叫ぶ声に重なりうまく聞き取れないが、クレイグはひとつ気づいたことがあった。

「それに、どうも街の人々は彼を避けているようなのです」

 そう、この混雑の中で叫ぶ男が見えるのは、彼の周りに人が少ないからだ。クレイグはもっと男に近づこうと人の合間をすり抜け、見張り台との距離を確実に縮めていく。



 前にいる騎士が道をひらいてくれているので人混みを気にしなくていいニーナは、ギルドの方から響く声にじっと耳をすませていた。

「んー……もう少し、もう少しで聞き取れそうなのに、周りが騒がしくて……」

 声量は十分なのに、聞き取れそうで聞き取れない。それがもどかしくて、さらに注意を傾ける。



『街……で――た! ……に来れる――いるか!』

 あ、もうちょっと、もう一歩で……




『街外れで――がでた! ――の応援に来れる者はいるか!』

「あ! 分かった!」

 ようやく概ね聞き取れて、やった!とニーナは興奮気味に自分の周りを見渡して……



「……あれ?」



 目の前にあった赤い制服の背中が消えているのに気づいた。

「アレク、いない」

 どうやら声に集中しすぎて、()()()()()()()しまったらしい。



「嬢ちゃん邪魔だよ!」

「きゃっ!」

 アレクという防波堤がなくなったことで、あっさり人波にのまれた。

「突っ立ってないで動いてくれ!」

「え? あ、すみません」

 後ろにいた人に怒鳴られて背を押される。思わず足が動いて、人が流れる方向に無理やり乗せられてしまった。

「あ。ねぇ……ちょっと……まって……」

 流れから抜けようと周りを見渡すも、隙間など見当たらない。完全に人混みにのまれ、身動きが取れなくなってしまった。


 抗えないニーナの視界から、どんどん見張り台が遠ざかっていく。こりゃどうしようもないやと早々に観念して、ニーナは流れに身を任せた。




 一方。




 クレイグがようやく見張り台のふもとへ身を寄せて、ほっと一息つく。後ろで「やっと抜けたな……」と呟いたアレクを振り向いて……アレクしかいないことにきょとんとした。

「どうした?」

 アレクも振り返って、自分の後ろにいるはずのニーナがいないのに気づく。

「……いないな」

「……いませんね」

「またか……」

「探しますか?」

 アレクは自分たちが抜けてきた人混みをちらりと見やって、渋い顔で首を振った。


「いや、これじゃ無理だ。先に目的地を教えといてよかっ」「街外れで魔獣が出た! 討伐の応援に来れる者はいるか!」

 先ほどまで聞き取れなかったギルド前の叫び声が、アレクの言葉をかき消した。


「魔獣か」

 アレクとクレイグの背に緊張が走る。

「こんな時に……厄介ですね」

「ロディが向かっていればいいが、普通の狩人だけでは少々荷が重いな」

「ええ。援助に入りますか?」

「ああ」

 間髪をいれず首を縦に振って、

「あ。ニーナ……」

 と、気まずそうにもらした。


「どうしようか……」

「街中なら野垂れ死ぬこともありませんし、我々が戻るまで、このままはぐれていてもらうのが得策では?」

 真顔で述べるクレイグに、アレクが苦笑する。

「容赦ないな、クレイグ」

「仕方ありません。魔獣と対するよりは安全だと考えた結果です。妙案でしょう?」

「まぁ、探す時間ももったいないしな。さっさと片付けて戻るか」

「ええ」

 二人は互いの顔を見て頷く。それぞれ携えていた武器を手に取ると、援助を求める声の元に向かった。

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