表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第一章
10/63

第九節 助力と要求

 ニーナのひと言で来賓室の空気が一瞬にして凍りついた。


 さすがに言葉足らずを察したのか、ニーナはかちんと音を立てて紅茶のカップを置く。

「……もちろん、昼日国への助力は惜しみません」

 アレクはぱっと顔を上げて、嬉しそうに目を輝かせた。

「でも、私を招いた本来の意図は違いますよね?」

「え?」

 核心をついた言葉は矢となり、ものすごい勢いで的と化した浅黄色の瞳のど真ん中を貫いた。


 笑顔を貼り付けたまま固まる英雄にふふっと声を漏らし、ニーナはテーブルの真ん中に置かれた焼き菓子に手を伸ばす。

「だって……魔獣の居場所を探るだけなら、わざわざ昼日国に呼ぶ必要ないのでは? 伝書鳩を飛ばせばいい話ですし。数刻遅れても被害を受けてから馬を飛ばすよりは断然早いです」

 的を射た推察を呟きながら……ふいにアレクを見た。

「本当は、アレク様の旅に付き添わせるために呼んだのでは?」

「なぜそれを!?」

 ニーナは手にした焼き菓子をちぎり、大きく開いたアレクの口の中に放り込む。「ん!?」と慌てて口を閉じたアレクを楽しそうに眺めながら、

「やっぱりそうですか」

 自分も残りを頬張って「おいしい」と笑った。


 口の中に広がる甘味を味合う暇もなく飲み下し、アレクはため息をつく。

「……私が何をしようとしているか、ご存知なのですか?」

「いいえ。でも、大体分かります」

 気に入ったのかもう一個と同じ焼き菓子を皿に取ると、ニーナは満足そうに頷いた。

「帝国が魔力に手を出している確証を掴んだのでしょう? 『その時は英雄が動く』と伝書に書いてありましたし。近衛兵でもないアレク様がわざわざ同席しているのは、()()()()()()だとお見受けしますが?」


 のんびりとした口調を崩さず、自由奔放に菓子を楽しむ姿は小さい子供でも見ているようだ。しかし、リアムの伝書をきちんと把握し、それを元に正しく状況を読み取っている。その上、聖力を持ち、魔力も見える……昼日国が渇望する頼もしい助っ人であるのは認めざるを得ない。


「……お察しの通り、魔力を断ちに帝国へ渡るつもりです」

 アレクは言い訳を諦め、乾いた口に珈琲を流し込んだ。珈琲のカップがテーブルに戻るのを見届けて、

「なら、私もアレク様とともにありたく存じます」

 ニーナははっきりとアレクに告げた。



「それはだめだ! 聖女様には危険すぎます!」

 思わず声を荒らげ、アレクが立ち上がる。頭上から刺さる視線を見上げ、ニーナは目をぱちくりさせた。

「危険なんてとっくに承知していますよ」

「なにが承知、ですか! 相手の力は未知の上、過去には世界を滅ぼしかけたものなんですよ! 私とて死地に赴くつもりはないが、相応の覚悟はしております!」

「私にだって覚悟くらい、ちゃんとありますよ」

「命の危機に晒されたことすらない貴女と一緒にしないでくれ! 魔獣と対峙したことがあるのか? 死が頭をよぎるような傷を負ったことがあるのか? そもそも夜月国から出たことすらないだろう!」

「まぁ……それはないですけど……」

 ニーナが言い渋った隙を逃さず、

「そんな人間の覚悟に重みなどあるものか! 同行などもってのほかだ!」

 アレクはここぞとばかりに畳みこんだ。


 言い終えてもおさまらない気の昂りが、赤い制服の肩をなおわなわなと震わせる。顔まで赤くしたそんな騎士を、ニーナは意外そうな顔で眺める。

「アレク様って頭に血が上りやすいんですね。なんだか、ひとりだと突っ走っちゃいそうで……危なっかしいんですけど」

 ぱくぱくと好き放題動く小憎たらしい口を止めたいのに、口撃を巧みに交わしてはやり返してくる。思い通りにことが運ばない煩わしさに加え……どうにもこの聖女、アレクの怒りの経穴(ツボ)を正確に突いてくるのだ。


「貴女には関係ありません」

 これ以上続けると感情を爆発させてしまいそうで、アレクはぶっきらぼうに返すと話を切り上げた。

「それなら、なおさら私を連れていきましょうよ。なんと聖法が使い放題ですよ。もれなく英雄様もお守りしちゃいます」

 なのにニーナはちょっと鼻を高くして、アレクにも焼き菓子にも食らいつく。

「さんざ甘やかされ守られてきた聖女が、俺を守る……と?」

 そこで抑えていた堪忍袋の緒が切れた。


「ふざけるのも大概にしてくれ!」

 苛立ちを握りしめた拳をテーブルに叩きつける。衝撃で食器がガシャンと派手な音を立てた。

 揺れでリアムの紅茶がこぼれて、侍女が布巾を片手に慌てて駆け寄ってくる。一方、ニーナのカップはとっくに彼女の口元へと運ばれていた。ニーナは何食わぬ顔で、紅茶を優雅にひと口すする。


「アレク様」

 そっとカップを置いたニーナの視線が、手元の紅茶からテーブルの皿を通り過ぎ、ひどく顔を歪めた英雄へと飛ぶ。

「私はふざけたつもりなどありません」

 静かでいて揺らぎない青い瞳を受け入れると、怒りでたぎるアレクの頭が少しだけ冷えた。

「……失礼、取り乱しました」

 ごくごく小さな声で詫びて、大人しく腰を下ろす。それでもまだ、眉間には深いしわが刻まれたままだ。


「いえいえ。アレク様が昼日国と私の身を案じてくださっているのが、切に伝わりました」

 向かいのアレクが仏頂面を当てつけても、ニーナの柔らかい表情は崩れない。

「私の覚悟はさておき、昼日国は大丈夫ですよ。今までも国を守るために、多くの人が力を合わせて魔獣と戦ってきたのですから……彼らを信じて託してみては? ほら、ここにも頼もしいお方がいるじゃないですか」

 そう言いながら、リアムに目配せする。様子をみながら新たに注がれた紅茶を飲んでいたリアムは、突然の振りにむせつつも力強く頷いた。それに笑みで返すと、ニーナは再びアレクに視線を戻す。


「それより心配すべきは、アレク様です」

 口こそ挟まないものの、アレクはしかめっ面を崩さない。

「たった一人で、世界を滅ぼしかけた脅威に立ち向かうと言うのですよ? 誰がどう見たって、一番危険なのはアレク様じゃないですか。死地に赴くつもりはないと仰るなら、最善を尽くしませんか?」

「……考えるべきは、私より国の最善でしょう」

「なら、なおさらです。アレク様が目的を果たすのは、国の、ひいては世界の最善となるのですから」


 そこまで言うと、にこにことしていたニーナがしゅんと肩を落とす。

「やっぱりアレク様にとって、私は足でまといでしかないのでしょうか?」

「……え、いや、そんな……」

 急に謙虚に問われると、アレクの中で振り切ったはずの甘えがわずかに顔を出した。いつでも癒しを受けられる上、魔力に対して備えが取れるなら、これ以上心強い存在はない。

 しかし、600年前も英雄にしか太刀打ちできなかった魔力と渡り合うのだ。魔獣との戦いで苦しむ人々を嫌というほど目の当たりにし、英雄以外を巻き込むまいと決めていた――今さら、自ら覆したくない。


 ニーナはぎゅっと噤んだアレクの口元を慈しむように目元を細める。

「らしくなくてもちゃんと聖女ですから、聖法は使えます。それに、甘やかされて何もしない困ったちゃんたちとは違って、身の回りの世話は一通りこなせますのよ」

 ぺたんこの胸を自慢げに張ったあと、思い出したようにはっとして胸を隠した。

「……夜のお世話はご勘弁ください」

「ナニの心配してんだ、よ」

 純潔を掲げる聖女らしからぬ物言いに、アレクは思わずつっこんでしまった。


 ただ、その余計な一言で張りっぱなしだった頬が少し緩む。

「ならよかった。では、連れていくならこれ以上ない人材ではなくて?」

 ニーナは嬉しそうに片目を瞬かせると、自分を売り込むようにぐっと身を乗り出した。アレクは逃げるように椅子を引く。


 ……今さら説明されなくても、もう十分に理解している。だからといって受け入れたくはない。アレクはそれらしい言い訳を必死に探す。

「貴方の心配だけをしているのではありません。女王様は……聖女を英雄に付き添わせるのがどういうことか、ご理解頂いてるのですか?」

「私が昼日国に来た、という事実でお察しください」

 ニーナは明言を避ける。ただ、夜月国も帝国に不信感を募らせているのはよく分かった。


「私とくれば、多くの魔獣と戦うことになりますよ」

「もちろん想定してます。戦う力にはなれませんが、戦闘の補助ならば他の聖女より長けている自負もあります」

「道中は過酷です……休む場所を選べませんよ?」

「全く問題ありませんし、無理は言いませんよ」

 気をくじこうと思いつくまま困難を並べるも、ニーナは全く動じない。かえってアレクの方が、この娘本当に聖女か?と黙ってしまった。



 その隙にお菓子をとろうとニーナはこっそり手を伸ばす。当然気づかないはずもなく、アレクが思いっきり眉間にしわを寄せた。

「分かってるのか! ミレニアムの夜明けで世界を蹂躙した()()魔力と戦うんだぞ! 命の補償などないんだぞ!」

 ニーナは一瞬びくっと動きを止めたが、

「それなら尚のこと、一人より二人の方がいいじゃないですか。二人で立ち向かえば手段が増えます。手段が増えれば、目的を果たせる可能性も上がると思いません?」

 と、開き直ったように焼き菓子を口まで運んで、にっこり笑う。

 厳しい視線などまるで意に介さず、微笑みながらああ言えばこう言う。さっきからずっと()()だ――とうとうアレクの言葉が尽きた。


「アレク様は私に同行を諦めさせたいようですが、私だってようやく自分の力を役立てる機会に恵まれたんですから、絶対に譲りませんよ」

 アレクが黙ったのをいいことに、ニーナが追い打ちをかける。どうやってもニーナの主張は止まらず、このままではアレクが折れるまで終わらないだろう。


「……陛下」

 アレクはすがるような瞳をリアムに向けた。

「決断を……お任せしてよろしいですか?」

 あれやこれやで振り回されて、もう頑なに拒む気力がない。ただ、ずるいと言われても自分で結論を出したくなかった。

「私もリアム様のご決断に従います」

 ニーナもこの場を打開できる唯一の存在に笑いかける。

「どうか、より善いご判断を」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ