クロイツ王国物語(序章)
序章
「13年ぶりか……」
空は鉛色に閉ざされ、雪が静かに降り積もる。吐息は白く、一瞬で凍てつくような寒さ。クロイツ王国は、そんな冬に閉ざされた小さな国だった。
中世の絵画のような街並み。石畳の道、重厚な建物。もしここに馬車が行き交い、シルクハットの紳士やドレスの淑女が歩いていれば、さぞ優雅な光景だろう。しかし、現実には馬車も紳士もいない。あるのは静寂と寒さだけだ。
「時間が止まったままだな……」
懐かしむように呟いた青年の姿は、この街の中では異質だった。
長旅の疲れを感じさせない、紺のスーツ。肩にかけたキャメル色のコートは上質だが、華美ではない。片手に携えるジェラルミンケースは、見る者によっては、爆弾や細菌兵器でも入っていそうに思えただろう。
どこにでもいそうな顔立ち。端正ではあるが、記憶に残らない。だが、冷たい雪の下でも揺るがぬ眼差しだけが、妙に印象に残る。
それが、彼という男だった。
「さて、と」
彼は周囲を見渡し、雪の積もる道を歩き出した。
雪を踏みしめ、彼は進む。目指す先は、遠目にもはっきりと見える城——クロイツ城。
城といっても、壮麗な要塞ではない。どこかのテーマパークにでもありそうな、象徴としての建物。しかし、それでも王族が住まうには十分な広さを誇っていた。
彼は歩く。空港から馬車に揺られ、この街の入り口で降りた彼の足は、迷うことなく城へと向かっていた。
そして彼は、ふと立ち止まり、もう一度小さく呟いた。
「相変わらずだ……」
彼は足を止め、看板の値段を眺めた。高いものでも、彼の国の三分の一。安いものなら三十分の一。異常な安さだった。
それも当然か。街を見渡しても、店を開けている者すらほとんどいない。冷え込んだ空気と同じく、経済も凍りついていた。
ふと見上げる。電線はない。街灯はガスランプのみ。資料で知ってはいたが、実際に目の当たりにすると、この国の電気事情の悪さを痛感する。久しぶりに訪れた国で、懐かしむよりも経済状態やら何やらを考えている自分に気づき、「我ながら可愛げがないな」などと自嘲した。
時刻は午前11時半。少し大きな建物……おそらく学校だろう。そこから、小学生ぐらいに見える子どもがわらわらと出てきた。そして、その後ろから男女が一人ずつ出てきた。
女性は、柔らかく揺れる金髪を肩にかけ、冷えた空気の中でも凛とした佇まいを見せていた。白磁のような肌に映える紅の瞳。その姿には、ただの街の住人とは異なる、どこか気品めいたものが漂っている。微笑みは穏やかだが、どこか遠くを見つめているようで――その目に映る景色は、彼女だけにしか分からないものなのかもしれない。
青年は、淡い栗色の髪を無造作にかき上げながら、大きな声で笑っていた。肌は雪国らしく透き通るように白いが、冬の冷気に晒された頬は赤く染まっている。快活で、考えるよりも先に体が動くような、そんな男だ。がっしりした体つきではあるが、鍛え抜かれた兵士のようなものではなく、無駄に元気がいいだけの動きの大きさが目立つ。
「………」
彼は足を止めて、その男女を見ていた。二人とも楽しそうだ。多分、男は女へ想いを秘めているのだろう。女は男の想いを知りつつも、その想いの正体に気づいていない。そんな感じの二人だ。再び思う、楽しそうだ、と。
「ねぇ……」
不意に足元から声が聞こえた。彼が視線を降ろすと、コートを掴んだツインテールの幼い女の子が見上げていた。そして、その少女だけではない、複数人の子どもが彼を物珍しそうに見ていた。
それもそうか…… 彼は内心で呟いた。
景観こそは数百年前のままの姿を残しているクロイツ王国だが、年中極寒に包まれて、まともに飛行機で到着も難しい。名産があるわけでもないこの国に誰が好き好んでやってくるというのか。それだけに海外の人は珍しいのだろう。
彼は、膝を折って少女の目線まで姿勢を落とした。
「どうした?」
流暢なクロイツ語で彼は少女に話しかける。普通なら、こんなマイナーな言語を使えるのは驚愕と賞賛に値する程の事だが、世界を知らない少女は驚くこともなく、彼に尋ねた。
「お兄さんは、ガイジンさん?」
「あぁ、そうだよ」
そう答えると、子ども達から「わぁ」という声が沸きあがる。そして、矢継ぎ早に様々な質問が飛び交う。何処の国から来たのか、どんな所なのか、何をしに来たのか、どんなものを食べているのか………
こんな辺境に外国人が滅多に来るはずがない。閉鎖的な国で外国人というのは、珍しく普遍な毎日に舞い込んだ刺激のようなものなのだ。彼は質問に答えながら、そんな事を考えていた。もっとも、子どもからすれば幼い好奇心が疼くだけなのだろうが、と心の中で呟くと、気づけばすぐ近くに、先ほどの男女がやって来ていた。
「こらっ、あなた達、何を騒いでいるの?」
金髪の女性が子ども達に尋ねると、彼は立ち上がり代わりに答えていた。
「俺がガイジンだから、珍しいだけなんだよ」
「あなたはどなた?」
「私は国王に用事があってね」
彼は答えながら、間近で女性の顔を見た。やはり、流麗な金髪で陶磁器のような白い肌、調度品のような黄金比に則ったような綺麗な顔、そして芯の強さの窺える強い瞳は紅だった。
「まぁ、もしかして……もしかして……国王がおっしゃっていた方ですね? 解りました、王城までご案内させて頂きます」
「そうか、助かるよ」
「あ、申遅れました。私はクゥ・クロム・クロイツ。この国の王女です」
「王女、か……。なるほど。」
彼は感嘆の言葉を口にしたが、内心、それほど驚いてはいなかった。
「まぁ、ありがとうございます。それでは、ご案内しますね」
「あぁ、頼むよ」
「では、仕事、頑張ってくださいね。じゃあね。では、こちらへ……」
クゥ王女が声をかけた青年は、何が起こったのか理解できず、ただ呆然としたまま、「あ、あぁ……」と解っているのか解っていないのか解らない生返事を返すだけだった。
道中、彼は他愛のない世間話の中で、思わず聞いていた。
「先ほどの彼…… 彼は、王女の恋人か何かですか?」
口にしてから、彼は内心「しまった」と思った。何か取り返しのつかない事を言ってしまったように感じられた。
「えっ? あ、いえ… そんな… 彼はただの生徒で……」
クゥは顔を真っ赤にして、困ったように返事をしていた。
「……」
彼はクゥの言葉を聴きながら、地雷を踏んでしまった気分になり、居た堪れない空気の中、城門までやってきた。
「ここがクロイツ城です。さぁ、お入りになってください」
クゥに促されて、彼は城に足を踏み入れた。
その後、彼は城に仕えるメイドによって客室に通された。おそらく、城に仕える者たちは、今日、自分がやってくることを知らされていたに違いない。でなければ、こんなにすんなり客室に通されるハズがない、などと思いながら、誰もいなくなった客室で、スーツの身なりを正していた。
準備ができたところにメイドが現れて、紅茶を用意してくれた。無言のまま立っているメイドの存在が気まずくて、部屋から出て行ってもらうとようやく一息をついていた。
そんな矢先、再びドアをノックする音が聞こえた。それに答えドアを開けると、そこにはクゥが立っていた。
「国王がお呼びです。ご同行を願います」
「わかった。いま行く」
彼はネクタイを締めなおすと、部屋を出てクゥの後ろを付いて行った。
言うなれば謁見の間。広い部屋の真ん中に質の良い真っ赤なカーペットが敷かれおり、それは数段上った所にある玉座まで続いていた。
そして、その玉座に座するのは、中年とも老人ともいえない男性だった。
リク・クロム・クロイツ。クロイツ王国の現国王。その初老の男性の放つ圧倒的な存在感に、護衛兵はもちろん、大臣までもが萎縮していた。
「ジェイド・トキノモリだな?」
重く腹に響く声。ビリビリと肌で感じながらも、けれど、彼……ジェイドは平然としていた。
「はい。お久しぶりです。国王様」
ジェイドは自然に傅いた。
「一三年ぶりになるか」
「はい」
「そうか…… ジェイク殿が亡くなって一三年になるか」
「はい」
ジェイクとは、ジェイドの祖父にあたる人物である。
「すまないな。世間話は後にしておこう。クゥ」
「はい」
国王は隣に立っていたクゥを呼びつけた。そして、クゥの顔を見てから、再びジェイドに視線を移した。
「ジェイド。顔を上げよ」
「はっ」
ジェイドは顔を上げて、そして立ち上がった。
「クゥ、紹介しよう。彼はジェイド・トキノモリ。――お前の、夫となる男だ。」
「えっ―――」
これはクロイツ王国史における大きな転換点となる物語である。




