閑話『竜災④』
スタンピード発生から約3時間。未だプレイヤーの人数は少数。
現実比1.5倍の時間を刻むアステリア世界で、もっともプレイヤー人口が多くなるのは、星時30時を回る頃。
星の動きではなく、どこかの大陸にあるという『原初の黒穹』と呼ばれる場所から溢れ出るマナが、世界を一巡するまでを“1日”としているらしいこの世界。
ゲーム的に言えば、あまねくプレイヤーに時間的なフィールドの変化を提供するための時間のズレは、しかし今回の場合、プレイヤーにかなり大きめの試練を課していた。
夜明けまではまだ遠く、そしてプレイヤーの本格参戦までも同じく遠く。
現在時刻星時18時14分。
人は元来昼行性。夜空の下で戦うのは、すこし本領発揮には遠いとも言えるだろう。
戦況は再び、窮地と言えるほどに防衛軍が押され気味であった。
日本で起きた関ヶ原の戦いは、終戦まで約6時間程度であったと言われている。
そんな短い戦いでも、死者は少なくて1万以上、多くて3万5千を超えるそうだ。
さて、いかに超人とは言え、ドラゴンなどという超常的ファンタジー生物と戦っている、我ら防衛軍が戦う戦場での死者数は、いかほどか。
VRでの死亡経験が皆無な者はおらず、むしろ慣れている者までいる始末。
死を恐れず戦う、デスペナ無しの捨て身ゾンビがたくさん湧き続けるこの戦場。
人よりも死ににくいひと達であるというのに、3時間で死亡数は5万を超えていた。
そんな戦場を俯瞰しつつ、カナタは休憩を挟んでいる。
横ではある程度回復したアニアが、うずうずワキワキと手を動かしながら、目を輝かせて映像を見ていた。
この3時間以内で誰が言ったか『戦場の観察ができれば、生産職の補給物資輜重も効率化できるのでは』という建前もとい、『ドンパチやってるフィールドの様子を見たい』の本音で急ぎ研究が進んだ“試作ドローン”が映すのは、まさしく俯瞰視点での戦場の様子。
北城壁は第二まで押し込まれ、東も第三の70%が損壊。
西は未だ健在、南はそもそも削られていたら防衛拠点の意味はない。
防衛戦は守り手が有利であるのは通説ではあるが、しかしレオール山脈北東側から攻める竜の群れに対し、不利な状況に追い込まれているのは、誰の目にも明らかである。
本来動かす想定で作られていたであろう冒険者NPCも、夜明けまでは動かさないと決定し本陣に待機。
声をかければ動いてくれるだろうが、しかし復活のないNPCの手は、できるだけ借りずにどうにかしたいと思うのは、少し驕った甘さなのだろうか。
「ノゾミちゃん、そろそろ厳しいかな?お兄さんどう思う?」
隣でソファに埋もれているカナタに、アニアはのんびり問いかける。
疲れはそこそこ癒えた。再び殲滅とまで行かずとも、もう出撃するくらいなら大丈夫との意を乗せた問いだったがしかし。
「まだ大丈夫だと思いますよ。ノゾミはまだまだ元気です。どこかの誰かさんみたく、ぶっ飛んだ“倍率”のオーバードライブはしませんから」
「ねえお兄さんそれ私のこと馬鹿にしてない〜?あと敬語禁止」
ぐったり埋もれるカナタの頭をぽかぽかと叩きながら、アニアはむっと怒りを表す。
飛ばしすぎなことは否定のしようもないので、口から出かかった『ぶっ飛んでない』という言葉は飲み込んだ。
「あーはいはい……で、調子はどうなんで……なの?」
キッと飛んできたアニアの視線を、都合よく頭の上に置いてある手で隠しながら、カナタは調子を問う。
答えるアニアは、それこそ聞いて欲しかったと言った様子で二の腕をまくる。
そもそもアバターに筋肉の概念は、神が作り出した神秘的な身体なので存在しないのだが。
「まあそこそこ戻ったよ!って言っても、まだいつものようにはいかないけど」
「出力はどれくらいで?」
当たり前のようにオーバードライブ前提で会話するふたり。
新人類間でよく起きる、別次元の会話である。
「3ってところかなぁ……STRとAGI爆伸びしてるから、着いてけないことはないけど。無茶したら10はギリいけるかなぁ?」
カナタは、そんなアニアに呆れたような顔。
妹の数段上。現状4人ほどが席を置くそこに、アニアの名前も連なった。
あと一人増えれば、片手で足りなくなる。
「なんと言うか、俺の知ってる化け物とは毛色の違う化け物だね、アニアは。普通あんな動きした直後に2桁なんて出せないよ……普通ならね」
残念ながら普通ではない者らを身近に感じているカナタは、どこか疲れたような、それでいて懐かしさや誇らしさを混ぜたかのような笑みをアニアに向ける。
そんなカナタも立派な“化け物”の部類ではあるのだが。
カナタに物申したい気でもあるのか、ジトッとした目を送りながら、アニアは再び戦場に目を移し、にこと微笑みを浮かべながら、魔術的な光で顔を青白く染める。
そしてしっかりとカナタへと抱いた呆れを口にしながら、影を落とした顔で語った。
「お兄さんはそろそろ、『Kanata』の文字列がVR最強格論争に連なってることを理解した方がいいと思う。んでまぁ、私はね……どちらかと言えば凡人だし普通寄りだよ。とある人に憧れて、がむしゃらに突っ走ってきただけだから」
どこか懐かしむように、、影を作った顔はカナタを横目で見て話す。
いつの間にか手を下ろしたカナタの表情は、やはりどこか誇らしげであった。
「──……昔、おんなじような事を言ってた子を知ってるんだ。無口で無表情で、ずっと冷たい目をしてた子だったんだけどね。そんな子が、ずっと心を燃やして、絶対に憧れに追いつくって言っててさ。その子も、言ってしまえば凡人だったんだ。それでも努力して努力して……並び立って戦うまでになってさ」
そうしてカナタは一つ言葉を切る。
顔を上げて、少し埋もれた体を起こしてカナタが見るのは、画面の向こうを見る少女の顔。
「まぁなんて言うか、特に言いたいこともまとまってないんだけど。とにかく、アニアが走ってきた道は、そう誰もが通れる“普通の道”じゃないと思うよ。だから、自信持ちなよ……あと、多分その憧れの人は、見えてないところではだらしなかったり、面倒事大量に抱えたり、割と面白いことになってるよ」
そう言って笑うカナタの顔に浮かんでいるのは、少し感情の表し方がオーバー気味な仮想世界らしく、青筋。
プルプルと震えているのは、怒りかそれとも堪え笑いか。
きっと多分おそらく絶対堪え笑いだろうと、勝手に決めつけたアニアは、影のできる顔をまた青白く照らし。
「なんか、ちょっと自信持てたような気がする。ありがと、おに──」
響き渡ったのは、轟音、
続いて聞こえた声は、隣の部屋から漏れる、水晶越しの報告。
『北第二陥落ッ!!!』
それを受けたカナタはひとつ。
「ははっ、どうやら俺のことは休ませてくれないみたいだ」
ひとり2時間以上もの時間を指揮に回り、そして情報の整理と引き継ぎを済ませて休憩に入っていたカナタであったが、しかしそんなカナタを休ませる気は毛頭ないようで。
竜全体が、この防衛拠点を絶え間なく破壊しようと攻め続けている状況で、少しでも休憩できただけでもありがたいと言うものか。
残り城壁わずかひとつとなった北に向けて、いよいよ最硬のタンクの出陣である。
「ルア!向かってくれ!北城壁だ!第五師団もレイド分頼む!」
陥落し、竜の攻めがさらに苛烈になった北城壁へと、急ぎ集結の指示を出す。
そして後ろを振り返り、勇むアニアに手を立てて待機の指示を出せば、渋りながらもアニアはしっかり従ってくれるようだ。
ここら辺は、影響を受けたであろう“憧れ”さんと違って、扱いやすくてとても助かる。
出撃前に、ひといき。
すこしどころではなく、とてつもなくはやる心を、少しだけ抑え込んで。
胸元に付いた遠隔通信用の魔道具を、口元まで持ってきて。
「俺も今から北城壁へ向かいます!指揮権は一時考察勢の皆様に預けます!各自、極力従うように!」
そうして通信を入れたカナタの声から、遅れること数秒のこと。
どこからともなく、示し合わせたでもなく。
戦場の至る所から、歓声が湧き上がった。