閑話『竜災③』
瞬間的にではあるが、ノゾミよりも殲滅力の高い駒であるアニアのダウンは、圧倒的な質を誇るドラゴンを前にして、確かに致命的な痛手とは言えないまでも、そこそこ大きな穴となるくらいには痛手である。
そして穴の空いたままの防衛軍とは違い、ドラゴン達は無制限にその数を増やし続ける。
開戦からかなりの量を減らしたというのに、未だレオールの空を埋め尽くす竜の影は、全滅という一つのゴールを遥か遠くに置いてきていた。
そんななか、ノゾミとアニアに続く3つ目の特記戦力にして、殲滅火力ではなく常在の“強力な駒”となる者。
NPCの中でもぶっちぎりの強さを持つルアが、今まさに、出撃の準備を整えていた。
「黒い竜、金色の装飾。予想が正しければ……」
会議の時にも話に上がった“黒い竜”について、ルアは今も予想と予感を募らせる。
今回防衛に重きを置きつつも、しかし殲滅する方向で特記戦力を動かしているのは、なにも飽和させないための反撃だけではない。
作戦会議中にルアの発した、黒い竜についての言及が、間違いであるとは言えないといった部分も、反撃に出るきっかけを与えたと言える。
そんなルアの言及。
『飛んでくる竜をを多く減らしていけば、おそらく激怒した竜が自ら前線に出てくる。黒竜に怯えて逃げていると考えられる竜達は、それを倒せばそのうち撤退していくだろう』と言った意見は、反論の余地はなく。
むしろ、メタ的な視点ではあるが、“小物のドラゴンを叩く理由づけ”として、NPCは知る由もない信憑性を持たせたその言葉通りに、カナタ率いる防衛軍は動いている。
大物の位置を探り、そして撃破するために強力なメンバーを集めた部隊を派遣するよりも。
この防衛拠点でともに侵攻を防ぎながら、もし出現したらそれを叩いた方が、防衛的な面でも攻略的な面でも利に働くであろう。
そんな結論を元に下された方針ではあるが、しかし。
ただこのまま力を温存し、その時を待つだけという余裕が、残念ながら防衛軍にはない。
強力な冒険者NPCのほとんどは本陣にて待機を言い渡されているが、しかしそれだけでは、大物出現まで前線を守り切れるか不安が残る。
結果として、最強の駒を動かす代わりに、それ以外の駒のほとんどを下げると言った作戦になったのは、会議が始まってずいぶん最初の段階であった。
そしてそんな最強の駒たる、吸血鬼の少女──年齢的にはもう200を超えているが──が見据えるのは、光が弾ける夜闇の中とはとても言えない戦場。
10秒ごとに大魔術が弾け、10分もすれば夜空の中に、この世の全ての光を集めたかのような二閃がほとばしり、空を飛ぶドラゴン達には、常に魔力弾による対空射撃が撃ち込まれる。
小規模の群れであれば、開始から1時間と経たずに殲滅できていても、驚くことはあれど目を丸くするほどではない様子を見て、ルアは一つ確信する。
「──錬成か、創造か、竜機か……どれにしても、相変わらず倫理観が腐ってるね」
そう呟いたルアの横に現れたのは、モノクルをかけた老人。
顎に生えた長い髭をさわさわと撫でながら、杖をついた老人は、ルアへと声をかけた。
そんな老人が口に出した言葉にルアは驚いて目を丸くし、そしてどこか嘲るような表情を作り自分の手を見つめた。
「どこでそれを知ったんだか。そうだね、そろそろなんじゃないかな」
チラリと自分の牙を見せ、そして夜空に輝く月を見上げたルアの周りには、薄く赤い血のような色のマナが揺れている。
鼠色のコートを羽織る老人の表情は、好々爺然とした人好きの良さそうな笑みではあるが。
しかしその笑顔の裏にあるであろうなにかを隠すためのものであることは、人の顔を誰よりも見て生きてきたであろうルアにとって、火を見るよりも明らかなことである。
が、しかしそこに隠れている思考を読むことはできず、企みも何もかも、看破させるようなことを、目の前の老人は決して許さない。
「───は、今も元気かい?」
老人から出た名前に、ルアは再び目を丸くする。
たしかに長く生きた者ならその名を知っていても不思議ではないが、しかし。
「あなたは本当に、どこで…………どこにいるか、わからないよ。いつのまにかいなくなってたから。でも多分、元気だと思う。あの人はきっと死んでない。人間が吸血鬼と同じだけ生きてるのも、変な話なんだけど」
探しても、どれだけ探しても、この200年名前すら聞くことができなかった者の名を、どこで聞いたのか。
得体の知れないモノを目の前にしている、まさに得体の知れない感覚を前に、ルアが抱いたのはしかし、敵意や反意ではなく、どこか好意的なもので。
しかしもう少しだけ話をと思ったところで、夜空にルアのハルバードを模した形の信号弾が上がった。
ルア出撃の合図であり、同時にノゾミ退却の合図でもある。
ここで早く戻らなければ、ノゾミという大きな穴を埋められる者はいない。
「ではね。君の活躍を楽しみにしているよ」
そうして別れを告げる老人は、ゆらりと揺れる外套を翻し。
こちらの姿をチラリと流し目で見て。
「待っ──」
せめて名前、それだけでもと引き留めようとしたルアが伸ばした手は、しかし手が届くその次の瞬間空を切り。
幻のように消えた老人はしかし、その場に小さな宝石のアクセサリーを落とし、幻ではなかったことを示していく。
そして地に落ちているアクセサリーに、ルアはとてつもなく見覚えがあった。
「輝星晶……やっぱり」
待ち人、探し求めた人の関係者であろうと確信したルアが拾ったのは、小さな輝星晶がついたブレスレット。
身につければ不思議と体にフィットし、そして振っても外れないようになったのは、魔装であることの証明。
そしてこれの効果は、初めて身につけはするがしっかりと覚えている。
偶然かはたまた必然なのか、相手はあの時と同じ竜の群れだ。
いささか量が桁違い、予想では無限体存在しているという違いはあるが。
もともと湧いていた戦意が、何倍にも膨れ上がっていくのを感じる。
魔装の効果ではない。ただルアが、共に戦いたいと願う気持ちを、魔装が受け取っただけであり、それがマナを熾しただけである。
マナは願いであり、想いであり、魂から湧く気持ちの結晶。
「いこうか、戦いに」
竜が埋め尽くす空を見上げながら、焼ける街の中槍を持った母親の真似をして。
手元に立てていたハルバードの柄を握り込み、刺さった槍先をくるりと回して土を払い。
硬い地面を、グッと踏み込んで確かめるようにして。
ひとつ、ふたつ、深呼吸。
みっつ息を吸い、そして体に留める。
身体中に流れるマナを練り熾し、そして紡いで集め。
どんどんと圧縮して、出力を上げたルアの、身体の限界を超えたマナは大気へと漏れ出して。
周囲を淡く虹色にゆらめかせながら、ルアは最後に息を吐いた。
「顕現:天へ至る虹魔の指揮者」
途端、ルアを中心にマナの動きが硬直する。
否、ルアの指揮に従い、その場にとどまったのである。
いつか見た母の纏う、まさしく虹を凝縮したような不思議なマナには遠く及ばないなれど。
しかしそれでも、輝きは小さくはない。
吸血鬼の力を、飛び抜けた身体能力以外は封じたまま戦うことと思っていたが、しかし幸運にもあの老人が母の力を残してくれた。
想定の十五割ほど戦えそうな実感を胸に、ルアはハルバードを構え、城壁を飛び越える。
そしてノゾミとすれ違った瞬間、前方に向かって待機していた大量のマナを一斉掃射した。