1-08 悪魔憑きの殉教者~やさぐれ神父は迷える子羊を放っとけない~
これは、決して恋ではなく友情でもない、──ただの愛の物語。
真尾雪之丞は神父である。
孤児だった彼は未婚の誓いの果てに神父となり、生まれ育った孤児院で孤児たちの父として平和に暮らしていたが、唐突な破門宣告の後、毒を盛られてしまう。
次に雪之丞が目を覚ますと、そこは魔物の巣食う地獄さながらの孤島だった。
赤ちゃんとなって生まれ変わった彼はそこで魔物とともに成長していくが、とある人探しのためやがて島を出る。
運よく聖堂教皇国エディオンへと行きついた彼は、仮宿としてその聖堂学院エレクシアに入院し、生徒をする傍らで人探しを続けるが──
「うるせえ、主の愛は無限だ」
──やさぐれ魔王が爆誕する。
彼を幽世へと誘う悪魔の真意は──
“──神父は死んでも地獄には堕ちない”
そんな風に思ってた時期が、俺にもありました──
ゴツンっ
仄暗い石室の中、
冷たい石の椅子に短い手足を投げ出しながら、
俺はやたらと重い頭をテーブルの角に打ち付けた。
『まお、あたまうった』
『いたいいたい、とんでくー』
『ペチペチ』
額をテーブルに押し付けたまま固まっていると、
ふわふわと二頭身の幼女たちがまとわりつき、
何が楽しいのか嬉しそうに人の頭を叩きながら、
この静かすぎる空間など意に介さずキャッキャと騒いでいる。
まぁ、こいつらはいい。
ちょろちょろケタケタと姦しいことこの上ないが害はない。
こう見えて俺はそこそこ子どもどもの生態に詳しいのでわかる。
問題は、だ──
目の前に鎮座するのは円卓の騎士さながらのラウンドテーブル、
それを取り囲でいる──聖書の中でしか見たこともないような人外の化生ども。
『この者が魔王……?』
筋骨隆々としたバカでかい巨躯の山羊男、
『あぁ? ……ニンゲンのガキじゃねえか』
半身を鱗に覆われた長い尾をもつ白髪の蛇女、
『へぇ~、随分と可愛らしい坊やじゃないのさ』
女体と八本の脚を持ち、巨大な腹を椅子ではなく床に直に下した蜘蛛女、
『魔王……って何だ?』
手首まで羽毛に包まれ、両手両足に凶々しい鉤爪を持った鳥妖人。
そして──
「あうぉー」
最後に俺(赤ちゃん)
──って、
アホかあああああああああああーーーーっ!?
なんっだこの地獄みたいなカオスな状況はっ!?
──どうしてこうなった?
死んで生まれ変わったと考えれば、一応の納得できる気もするがやっぱり納得などできない。
──すべてはあの忌まわしい一通の封書からおかしくなってしまったんだ──
+・+・+・+
「……ったくよぉお、ざっけんじゃねえぞ、ばかやろぉがよおお」
その日の夜、俺は一人場末のバーで飲んだくれていた。
原因はこれだ──
『ファーザー真尾雪之丞。当異端審問会において、貴殿を邪教の徒と認定するに至った。よって三六八代教皇の名において、貴殿を教会から破門とす──』
──冗談じゃねえ。
いったい俺が何したってんだ……?
邪教がどうのと書かれてはいるが、俺にはとんと心当たりがない。
だいたい異端審問って何なんだよ。いつの間に俺はそんな物騒な査問にかけられてたんだ?
事情を確認しようにも極東支部の枢機卿は電話にすら出やがらねえ。
何より気に入らないのは、俺の運営していた孤児院まで取り下げになったことだ。
ガキどもはみんな行政が面倒を見るとかで連れていかれちまったし。
──くそっ、
これが飲まずにいられるかってんだ……!
「──よお、いい飲みっぷりだなぁ、あんた」
「……あ?」
視線を上げると、ヘラヘラとだらしない笑みを浮かべた中年オヤジが隣に腰掛けてきた。
誰だこいつ──とも思ったが、察するに暇な酔っ払いが話し相手でも探してるんだろう。
億劫だが適当に流してれば消える程度の輩だ。
「黒の襟シャツに黒のズボン、妙な格好してんなぁと思ったが、あんたひょっとして神父か?」
「……いや、元神父だ。生憎と破門されちまってね」
「破門ってあんた、教会クビになっちまったのかよ? そりゃあ運が悪かったな。まぁ飲めよ、こりゃ俺の奢りだ」
「……ありがとよ」
「神父さまが破門になるなんていったい何やらかしたんだ?」
「べつに、何も……」
気のない風にグラスを煽ると、男は「いっひっひ」と白い歯を覗かせた。
「当ててやろうか? シスターに手ぇ出したんだろ? それともあっちか? 孤児院のガキにでも……」
──は?
その瞬間、今日これまでずっと抑えていた何かが、俺の中でブチンと音を立てて──引き千切れた。
「っ、……な、なんだよ、急にンな怖ぇ顔しやがって」
「……おいてめえ。言葉は選んで使えよ。俺が、誰に、何しただと?」
「おい、やめ……くそっ、離せてめえ、神父が暴力振るっていいのかよ!?」
「うるせえ知ったことか。それよりもっかい言ってみろ、酔っ払いの下衆野郎が……!」
「お、お客さま、ケンカは困ります……!」
カッとなって男の胸ぐらをつかみ上げた俺を、慌ててバーテンダーが止めに入ったその時──
「──げふっ」
突如、焼けるような激痛と共に、胃の中のものが勢いよく逆流した。
「……ぅぐっ、げぁ……っ!?」
全身が硬直し、指ひとつ動かせず俺は床へと倒れ込んだ。
──なん……だ、こりゃ?
体が、痺れ、て、動けな──
「っぐ……っうおぇあっ、ぐぼぁ……」
連続的に込み上げる嘔吐感。
無様に床を汚しながら俺はビクビクと体を痙攣させた。
「……おやおやぁ、限界越えちまったかぁ? 慣れねぇ酒なんて飲むもんじゃねぇですぜ、師父」
先程までと違う、どこか冷たい男の声を聞きながら、俺の意識は闇へと堕ちていった──
+・+・+・+
──これは、走馬灯か?
教会の庭の芝生の上、暖かな陽光の下。
ゴロンと転がり昼寝する俺に少女が話しかけてくる。
『ねえねえ、神父さまー、神父さまはむじんとーにいくとしたら、なにをもっていきたい?』
『んー? 無人島?』
『そー。ゆーたろーくんはおみずでーあいこちゃんはごはんがいいんだってー』
なんだそのガキらしくないクールな選択は。
サバイバルする気満々じゃねえか。
あーこりゃ、あれだな。
俺が子どもの頃にも流行った性格診断みたいなやつだ。
たしか無人島には一つしか持ってけないんだったか?
「そうだなぁ、俺はこれかな」
胸元の十字架をつまみあげて見せる。
『えーそんなの、なんのやくにたたないよー』
「あはは、そうだな」
だが、これは俺にとって主にすべてを捧げた証みたいなものであり、同時に俺が迷わずにいるための標のようなものだ。
これさえあれば俺はどこでだって生きられる。
と、
『……フ、フフ、フフフフフフフフフフ』
視線を十字架から少女へと戻すと、少女はうつ向いて──嗤っていた。
「お、おい、急にどうした──?」
名前を呼ぼうとして、ふと──気付く。
──こいつ、誰だ?
この孤児院で俺が知らない子どもはいない──はずだ。
反射的に身構える。
子どもは爛漫に笑う。
神々は諸々と笑う。
一人妖しく嗤うのは──
『あら、誰かと聞かれて応える悪魔はいませんわ』
──そう、悪魔だ。
「……悪魔が、俺に何の用だ?」
『それは、行けばわかりますわ』
「……行く?」
──いったいどこへ?
と、聞き返す間もなく、悪魔はパチンと指を鳴らした。
それに呼応するように、唐突に俺の首にかかった十字架のチェーンが浮き上がり、先端の十字架が膨れ上がったかと思うと巨大な蛇のアギトへと変わる。
『では、行ってらっしゃいませ、神父さま』
真っ赤な口が勢いよく襲いくる。
「おいおい、ちょっと待……て、わああああああああぁっ!?」
そうして俺は呆気なく、大蛇に丸飲みにされた。
+・+・+・+
ふと、空を見上げて思う──
どこまでも澄んだ青い空からは燦々と陽光が降り注ぎ、
ふわりと全身を撫でる風は柔らかく、豊かな緑の匂いを運んでくる。
──ひょっとするとここは、天国かもな
そんな風に思えてしまうのは、腐っても俺が聖職者だからだろうか。
と、
『……にんげん、ひろった』
いきなり脇を抱えられ、俺の体が持ち上げられた。
眼下には緑髪の幼女の大きな顔。
──天使か?
俺がそう思った瞬間、
『エリス、ずるい!』
『ステフもだっこする!』
ぶっ飛んできた青と赤の幼女のタックルを受け、──俺はもみくちゃにされるのだった。
+・+・+・+
──深夜の摩天楼。
銀髪の少女が息絶えた男の体に触れると、光の玉が浮かび上がった。
『……ウフフフ』
少女が片手に開いた聖書にもう片方の手をかざすと、光の玉は本へと吸い込まれるように消えていた。
「──そこまでだ」
少女が聖書を閉じると同時、暗闇の中に一人の青年が歩み出る。
──否、一人ではない。
「予定調和とはいえ、実際に現場に居合わせるといい気分ではないね」
白い修道服を身にまとい、丸い眼鏡をツイっと押し上げながら短髪の少女も青年に並ぶ。
「……聖女様、お下がり下さい。ここは我らに」
さらに黒いロングコートに身を包み、長い赤髪を夜風に靡かせながら長身の女が歩み出る。
『あらあら。これは聖堂教会のみなさま。今宵はよい月夜ですわね』
優雅な仕草で銀髪の少女が腰を折る。
少女の周りをいつのまにか黒い祭服に身を包んだ大勢の男女に囲んでいた。
「ふざけるな、偽典の悪魔。彼は返してもらうぞ」
『あらこわい。私を祓うおつもり? ──ですが盟約に従い彼の魂は私がいただきますわ』
「それをさせないためにボクたちがいるんだよ。──マコト」
応えるように赤髪の真琴はグローブを鳴らしながら拳を握る。
「覚悟しろ、悪魔」
──それを合図に、無数の人影が悪魔へと躍りかかるのだった。