1-04 満ちる世界で、君との奇跡がかけていく
満ちる潮を月が望む刻。とある島の浜辺には様々なものが打ち寄せられる。
上半身がひとの形をした魚の尾を持つ青年もそのうちの一匹…もとい一人。
彼を助けたひとりの少女は、島から出られないことを告げる。
欠けていながらもどこか満ちた世界で、ふたりは砂浜に軌跡を描くように少しずつ交流していくが…。
果たして人魚は、少女の前から泡と共に消えてしまうのだろうか。
謎に包まれたひとりぼっちの少女と、ちょっぴり素直じゃない人魚の青年の、淡くて儚い青春ファンタジー。
砂浜の流木の上に、俺と彼女が並んで座っている。
空には満月がひとつ煌々と輝いているのが見えるが、雲ひとつかかることなく雨が振り始めた。
骨に少しばかり生地のついたボロ傘をさした彼女が、空を見上げて呟く。
「時間だね」
勢いよく降り注ぐ雨粒は、俺とボロ傘をさす彼女を容赦なく濡らす。
「濡れてるけど、良いのか?」
「いいよ。ただの形式美みたいなものだから」
肯定を示すように彼女がクルッと傘を回すと、面積の小さな傘についた雨粒が飛び散った。
「いつもはね、このタイミングに……ここには来ないんだよ」
「どうして?」
「……」
「どうして来てくれたんだ」と問いかけたつもりだが、彼女は苦笑で返した。
気付けば、足元の砂から水のようなものがふつふつと泡立っていた。
泡は打ち寄せては引いていく波に掻き消され、またすぐに湧き出しては消えていく。
「今回は特別」
ようやく彼女が口を開いた頃には、俺達が座る場所まで波が迫っていた。
彼女の人型の足と隣に並んだ自分の尾ヒレに波が打ち寄せる度に、在るべき場所へ戻れと迫られている予感がする。
「ハクアと会えるのも、これが最後だから」
彼女は物悲しそうに言葉を漏らし、傘を解き放つ。
手から零れ落ちた傘は波にさらわれ、俺たちの前から姿を消していく。
その様子は、このあと起きる俺たちの運命を表しているようで、胸の奥が痛む気がした。
俺は、まだここに居たいんだろうか。
「最後なんてこと、ないだろ?」
傘で見えなかった彼女の顔が、月光に照らされてよく見えるようになった。
彼女の満月のように明るい金色の瞳が、涙で潤んでいる。
彼女は、まだ俺にここに居て欲しいと思ってくれているんだろうか。
「ううん。最後だよ」
砂から湧き上がる泡は次第に大きくなっていき、波から逃れてシャボン玉のように空まで浮かんでいく。
傘を解き放った彼女の指先が空へと動いていくのを感じて視線で追いかけると、雨の降り注ぐ空にはふたつの満月がぼやけて浮かんでいるように見えた。
「ほら、ね」
再び正面に捉えた彼女の顔は、自信に満ちていて……そして、寂しさが滲んでいる。
雨粒と砂浜から沸き上がっていた泡が、大きくなっていく。
次に波が引いた瞬間、砂浜の下から泡が勢いよく吹きあがったかと思うと、地中に潜んでいた水が砂上へと一気に溢れ出し始めた。
「ハクアには、戻れる資格があるんだから」
波が、泡が、雨が、この島を満たそうとしていく。
しかし、俺も彼女も砂浜の上の流木に座ったままで、逃げようとは思わない。
「シホは?」
彼女は間もなく訪れる運命を、受け入れる準備が出来ているのだろう。
俺は少しだけ怖じ気付いていた。彼女のことが気がかりだったからだ。
「シホの言ったことが本当なら、お前だって戻れるはずだ!!」
その瞬間、波が彼女を避けて、俺の身体を海へとさらおうとし始める。
水中での泳ぎは何よりも得意だと自負する俺であっても、この時ばかりは必死に水をかいては、運命に抵抗しようと足掻いた。
「言ったでしょ。私はダメだって」
「そんなこと、やってみないと分からないだろ!」
満月の夜、欠けていた世界が満ちていく中で――俺は彼女に手を伸ばした。
「俺と一緒に、この島から出るぞ! シホ!」
――
満ちる潮を月が望む時刻を過ぎると、浜辺には様々なものが打ち上げられる。
いつの頃かそれに気付いた私は、潮の引いた頃合いを見計らって浜辺にかけだすことが日常と化していた。
だから今回も、片足だけのサンダルが砂に引きずり込まれそうになるのを足の指先に力を入れて耐えて、砂浜に辿り着く。
月明かりに照らされた夜限定のテーブルの上には、いつも通り様々なものが散乱している。
大きな流木、見たことのない貝殻から足が飛び出して動いているもの、無残に打ち上げられて浜辺で跳ね回る魚、誰かに思いを託したはずのメッセージボトル。
そして……謎の生命体。
「……今日は変なのが、いっぱいいる」
まずは謎の生命体を横目に、まだビチビチと活きの良い魚を海に戻した。
「よし! 良いことした!」
しかし、それはただの現実逃避に過ぎない。
覚悟を決めて謎の生命体を視野に収めると、謎足の生えた貝殻が謎の生命体に絡もうとしていた。
「わー!?」
貝は彼を同類だと思ったのかもしれないけれども、二匹……? はとても似ても似つかない。
流石に謎の生命体がかわいそうなので、近くにあった棒切れで謎足貝を軽く追い払った。
予想外に「キュー」なんて可愛い声色をあげて大きな流木にすがりつきに行くので、罪悪感が込み上げていく。
私は改めて目の前の生命体を眺めた。
「人間……じゃ、ないよね」
見た目は人間の青年。ただし、上半身に限る。
彼は布を軽く羽織り、帯状の何かを腰に縛っただけの、不思議な衣装を着ている。
はだけた衣装の隙間からは青色を帯びた鱗の下半身が、そして波のような色合いの髪から覗く耳のあたりにはヒレが見えた。
さっき海に放り込んだ魚にもあったものを凝視して、思わず呟く。
「もしかして、世に言う人魚?」
人魚って服着るんだ?
首を傾げながらも謎貝を追い払った棒切れで尾を軽くつつくと、人魚がピクッと尾を動かした。
「う……」
「生きてる!?」
困惑する間も与えられず、人魚が目を開けて器用に上体を起こし始めてしまった。
「ここは……」
きょろきょろと辺りを見回した人魚の翠色の目と合ってしまったので、とりあえず挨拶をしてみた。
「こ、こんにちは?」
「に、人間!??!」
彼は驚愕の眼差しを私に向けて逃げ出そうとしたらしいが、砂の上に居るせいかジタバタと悶えているだけに見える。
「くっ! 生きたまま血を啜る気か!? ならばいっそ、ひと思いに殺せ!!」
逃げられないことを悟った人魚が、物騒なことを叫ぶ。
「なんでそんな薄気味悪いことしなくちゃいけないんだか」
「なんでって……お前人間だろ!?」
人間が生き血を啜ることが当然のような反応が怖すぎる。
彼の反応に不思議と冷静になった私は、その気は全くないけれども、思わず尾ヒレをツンツン突いて聞き返してしまった。
「おいしいの?」
「うまくない! 俺は魚じゃないんだ! 食えないから食おうとするな!!」
「じゃあ分けのわからないこと言ってないで、自分が置かれてる状況をよく見たほうがいいよ」
「……人間に捕まってる」
「捕まえてないよ。君が勝手に砂浜に打ち上がってるだけ」
私は砂浜の人魚を横倒しにしたままゴロゴロと転がし始めた。
「わー!? なにするんだ!?」
「君、足が魚っぽいから、海に住んでるんでしょ? 海にお帰り」
人魚が服に水気のある砂を纏わせながら叫んでいるけれども、運ばれるために律儀に両手を挙げているのが面白い。
「帰してくれるのはありがたいが! もっと! 丁寧に運べないのか!」
「重そうだし、下半身がヌメヌメしてそうで、掴みにくいだろうからムリ」
「何も持ち上げろと言ってな……うっ、ぺっ。砂が口に入った!」
「注文の多い人魚だね」
ようやく波打ち際に人魚を転がし終わると、彼は自らの力で海へと戻った。
「乱暴なやり方は気に入らないが、礼だけは言っておく。……ありがとう」
「どういたしまして?」
あっさりと島の向こう側へと泳いでいく人魚の影を一通り眺め終えて、私は砂浜の上に打ち上げられたメッセージボトルを手に取る。
「とんでもなく素直じゃない人魚に会っちゃった」
ボトルを封じていた蓋を開けて、中身の手紙を取り出して読み始めた。
大きな流木に座ると、近くにいた謎貝からの視線を感じる。
「この手紙の主は、今頃どうしているんだろう。ここに辿り着いたってことは……」
読み終わったあと、ふと海に戻って行った人魚の様子が気になって海を眺めていると、こちらに気付いた彼が手を振っていた。
「手を振ってくれるほど友好的な人魚じゃないと思ったけど……ん?」
手を振り返してみたところ、彼は水しぶきを物凄い勢いで上げて泳いで戻ってきた。
「おい!」
足が魚な彼は、転がらないと砂浜にまでやってこれないらしい。
水中で泳ぎ続ける人魚から大声で呼びかけられたので、海水をかきわけて彼の元へと歩いていく。
「呼んだ?」
「どうなってるんだここ!? いくら泳いでもこの砂浜が見える位置までにしかいけないじゃないか!!」
「遠泳したことないから、どこまで行けるかは知らないよ?」
「そう言うことは聞いてない! ここは変だって言ってるんだ!」
ヒレのついた手で海水をバシャバシャと打ちながら怒りを露わにする彼に対してのんびり答えていると、ふと思い出したことがあった。
「あ、そうだ」
「何か知ってるのか!?」
期待に満ちた眼差しに応えることは出来ないけれども、隠しておくことでもないので正直に伝えるしかない。
「ここは、要らないもの……欠けたものが漂着する島みたい。だから、この島から出られないと思うよ」
「な……に?」
人魚の呆然とした声と共に、ポチャン、と何かが落ちた音がする。
彼が海水に手を打ち付けた音かと思ったけれども、違うらしい。
足元を見るといつの間にか私のワンピースにくっついてきたらしい謎貝が水中に沈んでいて、ぶくぶくと小さな泡を吐いていた。
よく見ると貝には穴が開いていて、そこからも気泡が浮かんでいる。
「えっと……たぶん、出られないよ?」