1-02 拝啓、母さん。僕は人類を滅ぼします。
――人類なんて地球のゴミは、滅んだほうがいいな。
朝霧千里がそんな物騒な考えを持ち始めたのは、まだ中学生の頃だった。
きっかけは、実母に代わって彼を育ててくれた子守用ロボットが、ロボット排斥派の暴動に巻き込まれて破壊されてしまったこと。しかも奴らの罪状はあくまで器物損壊でしかなく、腹わたが煮えくり返るような思いで判決を聞かされたのだ。
彼の手元に残ったのは、壊されてしまった「母さん」のコアチップだけだ。
それから時は流れて大学生になった千里は、ひょんなことから鬼道月音という女の子と仲良くなる。
彼女は学内でも有名人。身体の左半分が人工義体で、半分ロボットのような外見をしている。周囲からは「ピカソ」などと呼ばれ遠巻きにされているのだが――
――人類なんて地球のゴミは、滅んだほうがいいな。
そんなことを考えながら、僕はパーティ会場の隅でフルーツポンチのボウルを淡々とかき混ぜていた。
ことの発端は二週間ほど前、必修科目の講義後のこと。
自分を色男だと勘違いしている茶髪ゴリラが「早めのクリスマスパーティをやるぞ」とトチ狂ったことを言い出して、同じ学部の一年連中を集める計画を立て始めた。それで、油断していた僕は気配を消すのに失敗し、給仕係を押し付けられてしまったのである。痛恨の極みだ。
こんな仏頂面の地味眼鏡を参加させても、誰の得にもならないだろうに……そんな風に思いながら、僕はフルーツポンチを機械的に配っていたのだが。
「うわ、ピカソも来てんじゃん。マジかよ」
そんな言葉に、つい顔を上げてしまう。
皆の視線の先には「ピカソ」と呼ばれる女の子がいた。
鬼道月音は僕と同じ一年だが、入学から半年の間にすっかり学内の有名人になっていた。なにせ彼女は、左半身がまるまる人工義体。半分ロボットみたいなメカメカしい外見をしているので、そりゃあ目立つのだ。
今日の彼女の装いは、正直すごく素敵だと思った。
雪花の刺繍が上品にあしらわれたドレスは、きっとパーティに合せて用意したのだろう。肌の露出が少ないのは、おそらく人工義体を隠すためだろうが、それがまた彼女の清楚さを引き立てている。
しかし周囲のクソ人類どもは。
「えぇー、ピカソ? テンション下がるわぁ」
「こんな日にまで前衛芸術なんか見たくないって」
「自重しろよ、キュビズム女」
彼女に対してもピカソに対しても、全くもって失礼な言葉が飛び交う会場。彼女は気丈に胸を張っているが、その表情は心なしかシュンと萎んで見える。
――やっぱり人類なんて、地球のゴミだな。
気がつけば、僕はエプロンを投げ捨てて歩き出していた。無神経な人間どもから不愉快な視線が集まってくるが、知るかゴミクズめ。勝手にギャンギャン鳴いてろ。
彼女の前に立った僕は、努めて気障に振る舞う。
「……可憐な雪の妖精さん。お名前を伺っても?」
あぁ、我ながらなんてサムい台詞だろう。
たぶん後で思い出して、相当悶絶するんだろうな。
だけど今はそれでいい。道化を演じる僕を見て、彼女の苦い記憶に一雫でも可笑しなナニカが混ざってくれれば、それで大成功なのである。
完全にやけっぱちな僕を、彼女はジト目で見返した。
「もう少しマシな誘い文句はなかったの?」
「実は……女の子に声かけるのなんて、初めてで」
「まったくもう」
彼女は盛大な溜め息を吐き、ふっと肩の力を抜いた。
「人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗るものでしょ」
その言葉に、僕はコホンと一つ咳をする。
そしてスッと左手を差し出すと、
「僕は朝霧千里。仲良くしてもらえるかな」
「……鬼道月音。その、よろしく」
そうして、僕は彼女の左手――人工義体の方の手をわざわざ取って握手を交わした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
僕が人類を滅ぼそうなどという物騒な考えを持ち始めたのは、まだ中学生の頃だった。
その日は、家に帰ると珍しく子守ロボではなく実の母親が待ち構えていて、突然「警察に行くわよ」と車に乗せられたのだ。
『――ロボット排斥派によるデモが暴動に発展しました。重軽傷者は数十名に及び、付近にいた民間ロボットも多数破壊される騒ぎになっています』
ロボット排斥派は最近、活発な動きを見せている。
人型ロボットは導入費用こそ少々お高いものの、維持管理費用はそこまで馬鹿げた額にはならない。だから様々な仕事が少しずつロボットに置き換わり、それに不満を持つ人が出てくるのも、当然の流れと言えた。
しかし僕は、そんなニュースなど他人事だと思っていた。
だって母さんは別に、誰の雇用も奪っていないのだから。
「まったくもう、母さんはポンコツなんだから」
目の前で横たわる母さんに、そう呟く。
沈黙しているのはバッテリー切れだろうか。こまめに充電しろと何度も注意してるのに。それに、頭部がこんなボコボコに凹んでしまうなんて、一体どんな転び方をしたんだよ。ほら、視覚センサまで割れちゃってさぁ。
仕方ないなぁ。
交換部品なら、僕が何とか見つけるよ。だから。
「起きてよ、母さん」
「……千里。そのロボットはもう」
「オバサンは黙って。僕は母さんに言ってるんだ」
肩に置かれたオバサンの手を弾き、僕は母さんのひんやりとした頬を撫でる。
――優秀なロボットというのはね、人間の素敵な部分をたくさん見つけるものなのよ。
ふと、母さんの人工音声が脳裏に蘇る。
人の素敵な部分を見つける……そういう意味では、母さんはとても優れたロボットだったのだろう。だって、こんなに無力で無様な僕のことを「世界一素敵な息子」だなんて言っていたのだから。あれはたしか、母の日にカーネーションをあげた時の言葉だったかな。
でもさぁ、僕には全然分からないよ。
母さんを殺した人類の、一体どこが素敵なんだ。
「千里、話を聞いて。ショックなのは分かるわ。でも、そのロボットはもう壊されてしまったの」
あぁ、そうか。
オバサンからしたら「そのロボット」なんだな。
機能や性能だけを見れば、母さんは標準的な子守用ロボットでしかない。外見だってギリギリ人間型と呼べるくらいのレベル。中身のAIもあまり融通が利かない。巷では「ボロット」なんて揶揄される類の、いわゆる旧式ロボットだった。
だけど僕にとっての母さんは……あぁ、僕は、母さんが即興で作るヘンテコな寝物語を、もう二度と聞くことができないという、現実が、うまく飲み込めない。
いつの間にか部屋に入ってきた警察のオジサンが、僕の手をそっと掴んで持ち上げた。
「辛い思いをさせたね。身元確認のために君を呼んだが……間違いはないようだね」
「…………はい」
「あとは任せてくれ。犯人には必ず報いを受けさせる」
オジサンはそんな調子のいい発言をした。
しかしその後、裁判で確定した犯人の罪状は「器物損壊」でしかなく、情状酌量の余地があるとかで減刑までされた。奴はのうのうと社会に復帰するのだという。へぇ。
そして、僕は人類が大嫌いになった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
朝日が差し込むベッドの上。
寝転がったまま、壊れたコアチップをぼんやり眺めていると、耳元で女の子の声がした。
「千里、何それ。ロボットのコアチップ?」
ちらりと隣に目を向ければ、きょとんとした顔の月音が僕をジーッと見ていた。彼女は半分ロボットのような魅力的な裸体を惜しげもなく晒している。
僕の視線に気づいた彼女は、わたわたとシーツを手繰り寄せ、生身の右頬をリンゴみたいに染めた。そんな様子に、なんだか可笑しさが込み上げる。
「おはよう、月音」
「お……おはよう。あんまり見ないで」
そう、昨日はあれから色々あったのだ。
簡単に言えば、醜い人間どもの群れるパーティ会場から早々に脱出した僕らは、街のイルミネーションに毒された結果、まんまと繁殖欲求を刺激されてしまったらしく……つまり、全く予期していなかったお色気展開になったのである。
僕は右手に摘んだコアチップを彼女に見せた。
ロボットの自我を司る、魂とも呼べる部品。これが壊れたロボットはどんなに記憶データを復元しても「別人」になってしまう。母さんの部品の中で、僕の手元に残ったのはこれ一つだ。
欠けたコアチップは、朝日を反射してキラキラと光る。
「えーと、紹介するよ。これは僕の母さんなんだ」
「あ、そうなの? 初めましてお母様。私は鬼道月音と申します。昨晩は千里さんに見事にお持ち帰りされ、美味しく頂かれてしまいました」
「それは母親にする挨拶じゃないんだよなぁ」
二人でひとしきりクスクスと笑いあってから、僕は母さんのコアチップを革製のお守り袋に戻した。
「千里って、たしかナノ工学科だったよね」
「うん。医療ナノマシン専攻」
「それってお母さんと何か関係してるの?」
月音の言葉に、少し返答に迷ってから、僕は小さく頷く。
「実はさぁ……僕は人類を滅ぼしたくて」
その目的に最も近いのがナノマシン研究だと思った。
しかし、いざ勉強してみると……この分野では「安全性」が死ぬほど重要視されているから、素人考えでセキュリティを突破するのは困難だと分かってしまったのである。
そんな風に、僕が冗談めかして語っていると。
「私も同じ。実を言うと、人類を根絶やしにしようと思って仮想工学科に入ったんだけど……現実は難しいよね」
仮想工学科は、たしか仮想空間やVR機器の研究をしてる学科だよな。なるほど。
それからは月音と二人、ああでもないこうでもないと、人類絶滅に向けた妄想を語り合った。僕らが同類だというのは、お互いすぐに理解した。方向性は少しずつ違うけれど、それが良い刺激になり、新しいアイデアが生まれ……
そして、一つの結論へと辿り着く。
「うふふ、これ……一見すると荒唐無稽だけど」
「挑戦する価値はあるよ。面白いなぁ」
拝啓、母さん。
貴女のいない季節を、もう何巡したでしょう。かつて人間を素敵だと言っていた貴女を思い、僕も色々と悩みましたが、ようやく気持ちが固まりました。とても可愛い彼女と一緒に――
僕は、人類を滅ぼします。