1-25 嘘の蛇――別れさせ屋の女子高生――
幸せな家庭だった。そこに一人の女が入り込むまでは。
美人局、結婚詐欺、ハニートラップと呼ばれる罠に、私の父は引っ掛かった。
毎日のように呼び鈴が鳴り、誰も取らない家の電話も鳴り続ける。
両親の喧嘩の声に毎日脅え、互いが互いを罵倒しあい最悪な空間。
誰も助けてくれない、たった一人の女に壊された私の世界。
父親が脅し取られたお金は、会社のお金だった。
手を出してはいけないお金に手を出したんだ、それ相応の報いが必要になる。
父親は警察に連れていかれ、留置所で自殺を図り帰らぬ人となった。
母親は父親が逮捕、自殺した後に私の前から姿を消した。
お前を見るとアイツを思い出す。
そう言い残して。
幸せな家庭だった。
たった一人の女に全てを壊されてしまった。
私に残ったのは復讐心のみ。
私の家庭を壊した女の家庭を、私が壊す。
例え、人から後ろ指刺されるような方法だったとしても。
「柚月と一緒に居られれば、俺はそれでいい」
甘い顔に優しい言葉。
高校生にして雑誌の表紙を務め、稼ぎもそこらの大人を遥かに超えている。
そんな男の子に言い寄られたら、誰だってときめいてしまうものだ。
「菅ちゃん……私」
「ごめん、桜とはもう、一緒に居られない」
「そんな、そんな……」
片や超高校級モデル、片や普通の女子高生。身分差の幼馴染恋愛。
シンデレラストーリーに誰もがクラクラしてしまうのでしょうね。
でも、そんな子供の絵空事、大人が許すはずがない。
「菅野君」
「柚月……ああ、待たせたね。桜とはちゃんと縁を切ったから」
「ありがとう。本当に、ありがとうね」
「いいよ。僕も柚月の本気の想いを知ったから。……柚月」
「私も、愛してる」
キスはしてあげる。私からの最後の愛情だから。
優しい性格の貴方の事だから、本当に死ぬまで私を愛してくれるのでしょうね。
――――だから、騙されるのよ。
「完了したわ」
『こちらも動画を確認した。料金は契約時よりも上乗せしてある』
「あら、素敵な言葉ね」
『それにしても……まさかキスまでするとはな。本気で惚れたのではなかろうな?』
「キスなんて誰とだって出来るでしょ? お父様は出来ないんですか?」
『くっくっく、まぁ、返答はしないでおこう』
「では、息子さんのケアを、宜しくお願いしますね」
住む世界が違う、それは大人の世界にとっても同じ事だ。
息子にはもっと相応しい女性がいる。
相手が一般市民であっては、超一流の親ならば誰もがそう思ってしまうものだ。
だけど、無理に別れさせようと親が出張ってしまっては、息子は反発してしまうもの。
恋愛とは壁があればある程、バネのように強く反発してしまう愚かなものだ。
そして生まれる亀裂は、親子の絆をも破壊しかねない。
『ご忠告痛み入る、別れさせ屋の女子高生さん』
そういったご両親の希望のもと、私は特定の男を騙し、別れさせる。
家族円満のため、望まれない愛の華を咲かさせない為に。
§
「仕事終わったよ」
「あらお帰り、早かったのね」
「意外と早く片付いたからね。はいママ、今回の取り分」
「ありがと……あら、真由那? ちょっと足りなくない?」
「足りてるでしょ、多く貰った分は私のキスの料金なんだから」
「なにマセたこと言ってんのよ。仕事なんだから、分配はきちんとしなさい」
ちぇ、相変わらず情報網半端ないな。
元の料金の一割増だったから、五十万か。
涼子ママめ、オカマのくせに妙に女々しいんだから。
「スナックとしての売り上げがあるんだから、別に良くない?」
「本業は本業、貴女にとやかく言われたくないの。それに桜ちゃんのケアもしなくちゃいけないんだからね。そっちの料金にいくらかプラスするだけよ」
カウンター席に座ると、ママは湯気立つ牛乳を手渡してくれた。
ん、甘くて美味しい。蕩けちゃいそうね。
「男とは、女に名前を付けて保存する生き物だ」
「そうよ? 貴女が消えたと知ると、菅野君はすぐに桜ちゃんに連絡するでしょうね」
「しばらくは私も相手するけどね。……誰に依頼するの? 佳君?」
「内緒。それよりも新しい依頼来てるけど、どうする?」
夜の街と一緒、青い春が詰まっている高校という場所には、いつだって恋の炎が燃え上がる。
望まれない恋であればあるほど、無駄に燃え上がり、灰になって消えていく。
「南条高校の榊原君か……お値段スゴ、一千万?」
「愛する息子の将来を考えれば、安いものよ」
超一流の場合、学費だけで数千万は余裕で飛ぶものね。
留学だったり裏金だったり、一千万で息子の恋路が片付くなら安いものか。
「相手の女の子も凄いわよ? 二人とも超が付くぐらいのピアニスト。ただ、親御さんとしてはピアニスト同士でくっついて欲しくないみたいね。コンテスト結果を見る限りでは、榊原君の方が一枚も二枚も上手って感じ」
「息子の邪魔をしないでって感じかな。いいよ、引き受けた」
「あら、決めるの早いのね」
「数こなさないとね。私が高校生なのも、後二年と数カ月だからさ」
§榊原栄太郎
子供の頃から音楽を奏でるのが好きだった。
誰かと競いたいから弾いているんじゃない、僕が楽しみたいから弾いているんだ。
指を置いた瞬間、頭の中に音色が響く。
僕だけの空間に、僕だけの音が響く。
静かで誰にも邪魔されない、この空間が好きだった。
「栄太郎様、送迎のお車の準備が出来ました」
「……ありがとう、中村さん」
「いえ、今朝も素敵なピアノでございました」
車の中から見る景色はいつも変わらない。
他の学生のように誰かと並んで歩いたり、喋りながら歩いたり。
そんな記憶は、僕の中には存在しないんだ。
ピアノがあれば、それでいい。
他は何もいらない。
「栄太郎君、おはよう」
朝、学校に到着してすぐに音楽室へと向かうと、毎朝彼女がいる。
篠森恵子、同じピアノ専攻に所属している同学年の女子だ。
「今日は何を弾くの?」
「スクリャービン:ソナタ第5番」
「相変わらず難しい曲弾くんだね」
「十分で終わるからね」
「時間で決めるとか、栄太郎君らしい」
篠森は僕の演奏を聞き終わると、必ず自分のも聞いて欲しいとお願いしてくる。
その時間を加味しての選曲だという事に、いつになったら気付くのだろうか。
僕と比べると全然大したことないのに、悔しそうにピアノを弾いているくせに。
「ふぅ……どうだった?」
「いいんじゃないかな」
「えへへ、ありがと。栄太郎君にそう言われると、ちょっと嬉しいかも」
お世辞をお世辞と気付かずに彼女は微笑む。
こんな風に考える自分が嫌いだ。
ピアノを弾いていたい。
誰もいない空間で、僕一人で、ずっと。
「ねぇ」
「……?」
「ずいぶんと苦しそうな顔してるね」
僕と彼女が出会ったのは、そんな毎日に嫌気が差していた時のことだ。
「学校抜け出して、私と旅とかしてみない?」
リボンの色はピンクだから、一年生か。
黒い髪をストレートに落とした、どこにでもいる感じの女の子なのに。
瞳の奥に、ドス黒い何かを宿している。
一体何を見てきたら、こんな目になってしまうのか。
「バカなことを」
「バカでいいじゃん、根詰めてたら息が詰まるよ」
興味が出てきた……そんな感情に振り回される僕じゃないはずなのに。
この子と一緒なら、なんだかいつもと違う世界が見れるような、そんな気がしたんだ。
「……放課後だ」
「放課後?」
「放課後なら、付き合ってやる」
「えへへー、ありがと。昇降口で待ってるからね」
くるりと振り返ると、その子は走りだしてしまっていた。
「名前!」
「ん?」
「待ち合わせするのに名前も名乗らないのか!」
「あ、そっか……私は、柚月。柚月春奈だよ」
柚月春奈。
なんだか不思議な女性だ。
放課後になり、僕の姿は昇降口にあった。
腕を組み、下駄箱に一人寄りかかり彼女を睨む。
「ちゃんと待っててくれたんだね」
「誘っておいて遅刻するとか、ふざけた女だ」
「女の子は準備がいっぱいなの。それじゃあ、どこ行く?」
後ろ手に組んで腰をかがめ、見上げるような目つきで俺を見る。
年相応の可愛さがあるのに、他の子にあるような緊張感がどこにもない。
恋愛感情なんかどこかに置いてきているような彼女の仕草に、また少し興味が出る。
「なんだ、決めてないのか」
「こういう時は、男がエスコートすべきじゃない?」
「では、中村さんにお願いして車を出してもらおうか」
「あはは、高校生なんだから歩こうよ。電車で海とか、良くない?」
「そんな事をしたら、中村さんが父から叱責を受けてしまうではないか」
「大丈夫だって、連絡してみ?」
中村さんと父は常時連絡を取り合っているんだぞ。
これで僕が送迎不要、女の子と電車で外出がしたいなんて言ってみろ。
中村さんが困るのは目に見えてるじゃないか。
「え、大丈夫、なんですか」
『はい、お父様からも許可が出ております』
そんな馬鹿な、過去一度だって寄り道も何もかも許可されなかったのに。
「大丈夫だったでしょ?」
「……君は、一体何者なんだ」
「普通の女子高生だよ、普通に君のことが好きな、一人の女の子です」
彼女が語っていること、全てが嘘に感じる。
嘘に感じる……でも、父が許可を出したのは、紛れもない真実なんだ。
「行きたい場所が、一個だけある」
「なんだ、あるんじゃん」
「一緒に行って……くれるのか?」
「当然、何のために誘ったと思ってるの?」
目的がある、裏もあるし理由もある。
だけど、僕に訪れた奇跡のような瞬間でもあるんだ。
「ストリートピアノが、弾きたい」
「ストリートピアノ? いいじゃん、行こうよ」
「他にも、食べ歩きとか、適当に街を歩いたりとか」
握られた手は、恐ろしい程に冷たくて、なのに温かくて。
この子と一緒なら、何でも出来るんじゃないかって、そんな気にさせてくれる
「栄太郎君欲張りだなぁ……いいよ、全部二人でしに行こう」
「……うん」
§篠森恵子
信じられない。
どうして栄太郎君が女の子と手を繋いで歩いているの。
私が何度誘ってもダメだったのに。
いつもの送迎のお爺さんはどこに行ったのよ。
絶対におかしい、あの女ってそもそも誰?
栄太郎君、きっと騙されてるんだ。
気付かせてあげないと、彼には私が必要だって事に。