1-24 胸の灯、消さぬために
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全身黒ずくめの男が、闇夜を照らすほど赤く燃えあがった。
より深く闇にとけこみ、その場に崩れおちる。
「炎神力全開の俺に、お前ら雑兵が勝てると思ったか」
精悍な顔立ちの青年の言葉に、ほかの黒ずくめの男たちは闇へ消える。
「待て!」
駆け出そうとする赤髪の青年を、彼より頭ふたつ分ほど背の高い華奢な青年が、青く長い髪を揺らし、包み込むように背後から抱きとめる。二人から白い煙が夜空へと立ちのぼった。
「駄目だ、フォン。ヤツらが人質のもとに行く事はない。深追いしても無駄だ」
「捕まえて居場所を吐かせればいいだろう!」
「毒華の民が口をわることはない。自ら死を選ぶだけだ」
「クソッ! 神をあがめぬ異端どもめ」
いらだたしげに唾を吐きすてるが、地面につく前に唾が蒸発する。その様子にハッとして、いまも彼を抱きとめる友をつきはなす。
「ハイリュウ、いつまでもくっついてんじゃねえよ。いくら神力で相殺されるからって限度があるだろうが!」
少しよろめきながらもハイリュウは柳眉をさげる。
「心配ない。お前は自然に力を抑えている。むしろ敵に対して力を使いすぎだ。私が神力をこめて編んだ衣服とはいえ、お前の全力の炎神力をあびれば耐えられぬ。こんなところで裸にはなりたくあるまい」
涼やかな表情で告げながらフォンの右手をとる。人差し指が少しだけさけ血がにじんでいた。黒ずくめの男に炎を放ったさい、力の放出が強すぎ内側からさけたのであろう。ハイリュウは躊躇なくその指を口にふくむ。そのままいつくしむように舌をはわせる。
フォンは炎でも隠しきれないほど顔を赤くし、後方に跳びしさる。
同性でありながら性別を越えた美しさをもつハイリュウに、このようなことをされては心中穏やかではない。
「こら! 何やってんだよ! こんなのツバつけとけば治る!」
「ああ。だから私のツバをつけた」
憎らしいくらいの澄まし顔で答える。
「お前のは神力だろうが!」
スーシェン島を守護する四名の神から指名された者しか使えぬ神力。
自身と同じ立場にたつ美しい顔立ちの友を、フォンは力一杯にらみつける。
「流神様のお力を無駄に使ってんじゃねえよ」
荒々しげに言葉をぶつける彼の目を、ハイリュウは真っすぐに見つめ返す。
「そうだ。神の力は無駄に使うべきではない。だからこそリャンシィの救出は諦めてくれないか? 次代の王となるお前がすべきことではない。みすてることに抵抗があるならば、別の者に救出を任せるべきだ」
フォンは咄嗟に目をそらす。
神の代行者は神が選び力を与えるが、国の王は血脈により受け継がれる。
フォンは王位第一継承者でありながら炎神の代行者としても選ばれた。
昨日の深夜、彼の婚約者リャンシィが毒華の民にさらわれる。
本来であれば毒華に関わることは穢れ。相手から襲われでもしない限り、スーシェンの民は彼らを存在しない者として無視するのが慣例だ。彼らの手に落ちたのならば死した者として扱われるべきである。例え王子の婚約者であろうと、神の代弁者のひとりであろうとも。
「その話はもう終わっただろう」
「彼女でなくとも王となるお前の妻にふさわしい女性はいる。代行者の地位にしても、彼女が死んだとて地神様が新たな代行者を決めるだけだ」
「もうやめてくれ」
「彼女の代わりはいくらでもいる」
「やめろって言ってんだろ!」
顔をあげた彼の身体から炎が激しく吹きあがる。燃えぬはずの流神力をこめた衣服から煙があがる。
ハイリュウはため息をつきたいのを我慢し目を伏せた。
「すまない」
うなだれた彼の姿に、フォンの胸の内がチクリと痛む。
友は自分のことを心配しているだけ。彼はフォンの我がままに付き合い、ここまで一緒に来てくれたのだ。怒鳴ってよい相手ではない。
「お前がリャンシィを快く思っていないことはわかっている。民の間で彼女の評判が良くないことも。それでも俺にとってはかけがえのない人なんだ。俺だけが知っている彼女がいるんだよ」
ハイリュウは口元を隠し、今度こそため息をつく。
物心ついたころにはフォンの遊び相手として王宮に呼ばれ、7年前には自身より遅れて炎神に代行者として選ばれた彼の側近として仕えてきた。
彼の頑固さは誰よりもわかっている。
それでもリャンシィのことを認めるわけにはいかない。あの女狐が神の力だけにあきたらず、人の権力をも手にするため、フォンに近づいたのは明白。彼を幸せにするつもりのない者を彼の隣に立たせるわけにはいかない。
「お前を失えば皆が悲しむ」
「何度も言ったろ。俺のわがままである事はわかってんだ。だから俺一人でやるって」
「お前を失うのとリャンシィを失うのとでは意味が違う。お前は我が国の希望だ」
「俺にとっての希望はリャンシィなんだよ。それに希望だからこそ毒華の里を今夜で終わりにしてやる」
フォンの瞳に揺れることのない炎を見た彼は、長い袖に隠れた拳を固く握りしめる。彼自身がリャンシィと共にあることが、幸せと信じて疑っていない。女狐の手管にハイリュウは舌打ちしたくなる。
「わかった。もう言わぬ」
震えそうになる唇を必死で抑えた。
ハイリュウにフォンは背を向ける。
「アイツらの逃げた先にはきっと敵の大将がいるだろう。ハイリュウ、俺はいっちょ暴れてくるから、お前はその間に彼女を見つけてくれ。お前の方が探索にむいているからな」
彼の返事をまたずフォンは炎で闇を追いたてるように歩み始める。
だが、ふと足を止め振りかえらずに言葉をつむぐ。
「ハイリュウ」
「なんだ?」
突きはなす口調にならないよう努めながら返事をする。
「一緒に来てくれてありがとな」
彼は照れくさそうに頭をかき駆けだす。ハイリュウは苦しそうに顔をゆがめ、胸を抑えた。フォンの神力が彼の身を焼くことはないが、言葉は胸を焦がす。
「痛いな」
純粋な彼の言葉がハイリュウの胸を締めつける。
自身を励ますように胸をひとつ叩いた。
もたもたしている時間はない。自分できりだそうと思っていた言葉を、フォンの方から提示してくれたのだ。
遠ざかる炎から視線をそらし、闇の向こうの岸壁に目を向ける。彼の思い人はおそらくそこだ。毒華の里長から岩牢があると聞いたことがある。
「とどめも刺せぬとは口ほどにもない」
必ず仕留めるとうそぶいていた里長の顔を思いだし、苦々しげに言葉を吐きすてた。
五日前のこと。彼は一人で毒華の里を訪れる。
取り引きをもちかけるためだ。
彼らは神の代行者が、ハイリュウはリャンシィが邪魔。利害の一致だ。正面からでは毒華の里の者が神の代行者に勝つのは不可能。なんらかの策が必要。彼はそれを授けたのだ。
彼女が襲撃された日、毒華の里の者が岩の棺のような物を運ぶ姿が民に目撃されている。毒華の里長ドゥヤからの連絡はなにもないが、新たな地神の代行者が選ばれない以上、リャンシィは生きている。岩の棺は彼女が自身を守る為に作りだしたものなのだろう。ただ弱ってはいるはずだ。問題がないのであれば、彼らの好き勝手にさせる女ではない。
彼女は悪知恵が働く。生きているのならば、彼らと取り引きすらしかねない。自分が毒華に囚われればフォンが助けるために動くのは、予想がついているはず。そうなれば四神の代行者が全員動く可能性すらでてくる。
『全員を神が目をむけぬこの里に誘いこめる』
自身が生き残るために、そうドゥヤをそそのかしたとしても驚かない。毒華の里にたちこめる毒の霧。この中であれば毒華の民も神の代行者に対抗しうる。交渉の材料としては充分だ。
「フォンを幸せにする意思を持たぬものを隣に立たせはせぬ」
闇の中、怒りに美しい顔をゆがませ、自身の胸の内に潜む感情を吐きだす。
ふと彼の足下から水があふれ出し、ハイリュウを中心に大きな水たまりができあがった。
「水よ。我に道を示したまえ」
四方八方へ水が散る。
ハイリュウはまぶたを閉じ、流れる水の気配に集中し歩き出す。フォンの火がなければ、月明かりさえ、さえぎる毒霧のせいで視力は役にたたない。
「うっとうしい霧だな。いっそのこと奴の命もここで終わらせるか。もっともいまのフォンと遭遇すれば、生きてはおれんだろうが」
友の勇姿を思い浮かべ、口元が緩む。
「そろそろ独り言も終いにせねばな」
言葉は風にのる。四神の代行者最後の一名もきっとここにくる。旋神に使えし白狼フパオ。隙あらば人の代行者を排し、全ての神の加護を獣にもたらさんとする者だ。人の間に諍いがあると知れば、利用しようとするに違いない。
「ここだけだからな。我らが神の意思から解放されることができるのは」
彼の顔に苦笑が浮かぶ。
神の代行者同士がまともに争えば神の怒りを買うことになろうが、この里には四神は決して目をむけない。毒華の民は四神から見はなされている。スーシェンの民だけではなく、神にとっても彼らとの関わりは穢れ。
ハイリュウにとって一番大事なのは愛するフォンだ。それ以外は例え神であろうと人生のおまけでしかない。
「毒の王も獣の王もいらぬ。ましてやフォンを利用しようとするだけの女など……」
フォンのような炎をまぶたに隠れた瞳に宿し、ハイリュウは闇の中を歩み続ける。
彼に相応しくないすべての者を排除するために。