1-23 生まれてくるものは
今年六十歳を迎えた妻が妊娠した。
高齢とあきらめていた夫婦に奇跡的に授かった愛しい娘。その娘が事故で亡くなってもう半年。それは成人式を楽しんだ矢先の私たち家族の不幸な出来事だった。
娘の死を受け入れられず、狂ったように加害者を責め立てていた妻が、まるでマリア様のような微笑みを持って私に告げる懐妊。それを私はどう受け止めれば良いのだろうか。
* * *
ここに、知恵が必要である。
思慮のある者は、けものの数字を解くがよい。
その数字とは、人間をさすものである。
そして、その数字は六百六十六である。
新約聖書、ヨハネの黙示録、13章、18節より
* * * 始まり * * *
るん、るん。
台所から、妻のうれしそうな鼻歌が聞こえてくる。
なにか良いことでもあったのだろうか。
家庭の中心である妻が明るいと、わたしの気分も上がる。
最愛の娘を事故で失い、それをきっかけに妻の心が壊れていく。
ここしばらくは家庭が暗く荒れていたから、なおさらそう思う。
私はそんな家庭から逃げるように、現実から目を背けるために、定年直前の楽な仕事に逃げてばかりいる。夕方になり会社から帰宅するのが怖くなったのはいつの頃からだろう。
そんな家庭が明るくなっていた。
あの時から荒れていた玄関は掃除され、靴入れ棚の天板に伏せられていたあの娘の写真は微笑みをこちらに向けている。
「ただいま」
玄関の明るさに引きずられるように、いつもよりも張りのある声が自然に出てしまう。
私の声に気がついた妻が、台所からうれしそうにやってくる。
「ねえ、あなた」
お帰りなさい、の言葉よりも大事で早く伝えたいの。そんな妻の熱い視線が帰宅したばかりの私を射抜く。
「あかちゃんが出来たの、わたし」
……
妻の言葉を理解するのに、数秒。
綺麗になっている家庭と妻の言葉をつなぐのに、さらに数秒。
妻も私も、すでに六十歳を超えてシニアと呼ばれる世代なのに。
想像妊娠の妄想を生み出すほど、妻の狂気は進んでしまったのだろうか? 明るいリビングにいるはずなのに、私の目の前は暗くなっていく。
「おめでとう、じゃあ明日にでも産婦人科に行こうね」
「ううん、大丈夫よ。ひとりで産むから」
私は彼女の想像妊娠を打ち消してもらうために、産婦人科への受診をさり気なく切り出す。
彼女は、市販の妊娠検査バーを大事そうに机の引き出しから取り出すと、妊娠を示している赤い線がくっきりと出ているそれを、リビングテーブルの目立つ場所にそっと置く。
それから節目がちに私の顔をのぞき込む。
私の妊娠を疑っているの? そんな顔で。
* * * 歪み * * *
うぐう。
妻が口もとを押さえて、慌ててトイレに向かう。
前の娘の時もそうだったが、妻の悪阻は重い方らしい。女性によっては軽い人もいるが、重い人は点滴が必要になるともいう。
──今までは気にも留めなかった臭いに敏感になって、さっき食べたものを吐いちゃったりするんだよ。今まで大好きだった食べ物が食べられない、飲めない、そんな体になっちゃうんだから。それが安定期まで続くの。だから仕方なく、妊婦は食べられるものや飲めるものを試行錯誤で見つけてくるんだ。でも、お兄ちゃんはそんな辛さわかんないでしょ。
私の妹が妊娠した時に、いつもこんな愚痴を言われていたものだ。
そんな理由で、妻が買ってくる多量の生肉とオリーブオイルを否定しないよう、私は頭の中でなんども妹の言葉をくりかえす。
私が会社に行っている間に、冷蔵庫の血も滴るような多量の生肉はなくなっている。生肉のような良質なタンパク質は身体に良いと何かの本で読んだこともあるし、妻の選択は妊婦にとっては間違っていないのだろう。
夜中にトイレに起きた時、妻が台所でオリーブオイルを湯水のように飲んでいるのを見たが、それは私の夢に違いない。そもそもオリーブオイルも身体に良いはずなのだから。
そこまでしても、痩せ型の妻の手足はガリガリのままだった。しかし妻のお腹は確実に大きくなる。そのお腹をさすりながら、妻はマリア様のような笑みを浮かべている。
私はそんな彼女をそっと抱きしめるしかない。
すると、妻の襟に動物の毛が付いていたのでそっと払ってあげる。そういえば、妻の妊娠前は頻繁に餌をねだりに来ていた迷い猫を最近見かけなくなった気がする。きっと、誰かに拾われて家ネコになれたのだろう。良かった、私はそう思うことにする。
十二月に入り、世間ではクリスマス商戦が始まったらしい。
娘がいた頃は、三人でクリスマスツリーの準備と称して、キリスト降臨を意味するベツレヘムの星や十字架の飾り物を用意していたものだ。
今年は私一人で準備しようとしたが、不思議なことにベツレヘムの星も十字架の飾り物も見つからなかった。多分、妻が普通のゴミと間違えて捨ててしまったのだろう。
今年は妻も妊娠中だから、クリスマスのパーティは控える方が良い。
毎年クリスマスのミサには家族三人で参加していた。
今年も当然参加するつもりで、妻にクリスマスの予定を尋ねたら、不思議なことに強固に反対されてしまう。
三人で参加していた頃の楽しい思い出を呼び起こすのが辛いのだろうか。それとも、ミサの人混みの中を妊婦として歩きたくないのだろうか。
そんなわけで、今年はツリーも飾らずミサの教会にも行かず、家で妻と静かに過ごす。
全ては、妻の出産のため。
* * * 幸せ * * *
あの運転手が全て悪いの。
若いから反射神経が良いんだ、視力も良いから遠くのものもハッキリ見えるんだ。若い運転手はそう嘯く。
だからと言って、夜遅くに狭い道を速度超過で走るのは馬鹿のやること。横断歩道が青で人が歩いているのも見えないヤツに、視力検査なんか無意味だわ。
裁判なんか必要ない、弁護人なんか不要な凶悪犯罪者。何千回も手足を引き裂いて、交差点の目立つ場所に見せしめのためにさらしてやりたい。警察署や裁判所に何度お願いしたことかしら。
夫はそんなわたしの必死な振る舞いを、奇異な目で眺めるばかり。わたしの苦しみを知ろうともしないで、自分の立場を気にしているだけ。
わたしだって分かる。犯人を何千回殺しても、もう娘は帰ってこないと。でも、死んでしまった娘の無念さを誰が叫べば良いの?
苦労して授かった娘を失った高齢な夫婦の心の痛みを、冷静に見つめ直せる夫が信じられない。
でも、そんなある日。
帰り道であの方に会えたの。
まさに運命の出会い。
きっと娘が引き合わせてくれたのだと思う。
あの方の言う通りにした。
娘を取り戻せるのなら、わたしはどんなことでもするし、できるから。
するとわたしの身体の奥底に命の息吹を感じた。
薬局に行き、妊娠検査薬を買ってパッケージを開けるのが、どんなにもどかしかったことか。
トイレに入り、わたしの身体が妊娠しているのを知った時の幸せは、二十年も前のあの時以来だと思う。
この歳での妊娠や出産は大変かもしれない、いや大変だろう、きっと大変にちがいない。
でも、新しい命を授かり育てる幸せは何ものにも変えられない。
しかも、その命は最愛の娘がくれたものであればなおさら。
たとえ自分の命が尽きても、わたしはこの新しい命を産みたい。
この事実を夫に告げれば、彼の気持ちも変わるに違いない。
わたしの愛してきた夫ですもの。
* * * 調べる * * *
「もう分かったよ。僕の負けだ」
夫は妻の横にゆっくりと座ると、目を伏せて絞り出すように声を出す。
「君がそこまでして産もうとしているのだ。それを支えるのが夫の役割、だものな」
「あらやだ、何をかしこまっているの。わたしは、今も昔も貴方に支えてもらってるつもりよ」
妻は自分の体を横にいる夫にそっと預ける。お腹はすでに外からもハッキリと分かるくらいだ。
「だからこそ、一度ちゃんと診てもらおう。いくら経産婦だからって、何の検査もしないで自宅出産は無謀だよ」
夫は身体を預けている妻の少し出ているお腹を、服の上からおずおずと触る。
「それは君のためでもあるし、何よりも大事な生まれてくる子供のためでもあるわけだからね」
子供のため、という夫の言葉に妻の目の色が変わる。お腹の上に置いている夫の手の上に、妻は手を重ねる。
「ありがとう、あなた。やっぱりわたしの愛した人。分かったわ、一度だけ病院に行きましょう。それであなたが安心してくれるなら」
夫と妻はお互いに目を合わせると、そっと抱き合った。
病院に行ける保証はないのに。
続く)