1-21 因習村に爆弾魔はやってこない
「タイトルは……因習村大爆破事件……いや、因習村に爆弾魔がやってきた、の方がわかりやすいか?」
彼女はそう言いながらキーボードを叩き続ける。
「よし。これで十六本目の目処がたった、ありがとう」
画面から目を一瞬だけ逸らして、あとはひたすらキーボードを叩くだけになってしまった彼女の顔をただ見つめる。
彼女曰く、こんなどうしようもない村をどうにかするには異世界の大魔王とか爆弾魔とか、そういう凄い力を持っている輩がいないと不可能らしい。
けどこの村には何もかもを吹っ飛ばす都合のいい爆弾魔なんてやってこない、やってきたのは都会の下品な娘とその姉であるこの少女だけ。
ならば、動かせる駒を使ってどうにかするしかない、妹のほうはとにかく下品で嫌悪感があるので、自分はこの〆切に追われて引きこもり続ける少女の尻をどうにか蹴り飛ばしてこの罪深い村を、そして自分を断罪させなければならない。
「〆切がやばいんだ」
死んだ魚のような目で少女はそう言った。
思わず鸚鵡返しすると彼女は大きく頷く。
「夏休みが終わるまでに短編を最低でも十本、できれば二十本くらい仕上げないと廃部の危機なんだ」
小説を書いたことがないので、それがどのくらい大変なことなのかわからない。
今は七月の末、夏休み終了まであと一月程度あるけど、一日一本くらいのペースで仕上げられるのであれば余裕なのでは、と彼女の顔を見詰める。
しかし少女の目は死んだ魚のそれと同じく濁っているし、目の隈も酷い。
この少女のことをはじめて見た時は都会の女の子って随分醜いんだなと思ったけど、きっと僕がそう思ったのはこの『目』のせいだったのだろう。
「先週中に十五本程度簡単なプロット作って……作ったはいいけど、半分くらいどう考えても短編で済まなそうなのがあって……残りは一旦おいといて先にできてるのを優先して、やっと四本目書いてる最中」
「ふーん」
それが早いのか遅いのかいまいちわからなかったけど、こういう顔をしているということは本人としてはよろしくないペースなのだろう。
「そういうわけであなたのお家にお邪魔する時間なんてないんだ。さっき言ったような……エロ本みたいな目に遭わされるとかは一切思ってないから。遊んでる時間も出かける時間もねーのよ。都会の子と遊びたいならうちの妹を構ってやって」
「嫌よ。だってあの子下品だもの。わたし、あの子のこと嫌い」
「ひとの妹のことを下品とかいわないでくれない?」
そうはいうものの、彼女は怒ってはいないようだった。
どうもかなり不仲な姉妹であるらしい、というかそうでなければあんなことを言った僕に妹を構ってやれなんてこと普通は口にしないだろう。
「本当のことを言って何が悪いの? 今だってほら」
身を乗り出して、彼女の顎に指を引っ掛けて無理矢理目を合わせる。
そのまま顔をぐいと近づける、自分の長くて鬱陶しい髪が彼女の顔を捕食するように覆う。
彼女は大きく目を見開くけど、ただそれだけ。
濁った瞳も白い頬もそのまま。
それに背筋がぞくりと震える、やっぱりコレは僕のこの呪われた顔に見惚れない、あの下品な小娘とは大違い、本当に血が繋がっているんだろうか?
そこで背後からガタリと大きな音が。
「ね? アンタの妹はひとの話を隠れて盗み聞きするような浅ましくて下品な子なのよ」
聞こえるようにわざと大声でそう言ってやると、直後に慌ただしい足音が。
「あなたかなりの美人だから、そんなのが出来損ないのクソ姉に構ってるっていう状況が気に食わないんだろ。てか妹追っ払うためだけにこんなことすんな、普通に吃驚したわ」
とか言いつつ全然驚いている様子ではなかった。思っていたよりも肝が据わっているらしい。
それが、なぜか少しだけ気に食わなかった。
「ふん。とにかくああいう子だから関わりたくないのよ」
身体を引きながらそう言うと、彼女は「私、あなたが言うところの下品な子の姉なんだけどな、私も同じ穴のムジナだとは思わないわけ?」とか聞いてくる。
「思わないわ。だってアンタ、あの小娘と全然似てないもの。そういうことしそうな顔じゃないし」
「ふーん、まあ確かにしないけどさ、それどころじゃないし」
「そんなにやばいの? 〆切」
「うん、結構。だから……そろそろ」
「そんなにやばいくせに先週はなんで一日中資料館にいたの?」
言葉を遮るようにそう言ってやる、〆切がやばいのは本当は大嘘で、ただ僕に絡まれているこの状況を面倒がっているだけなんじゃなかろうかと思ったのだ。
「あれは息抜き兼ネタ集め。残りをどうするかはまだ考えられてなかったし、いいネタないかなーと思って」
「ふーん、何かネタになるものは見つけられたわけ?」
「蛇神伝説って話が使えそうだと思ったけど、思っただけ」
淡々とした声で彼女が口にしたのは、この村で言い伝えられている伝承だ。
「へえ、どう使えそうだと思ったのかしら?」
「蛇神が倒したっていう鬼女が村中から集めた『厄』と同時に封印されたってところ。一応罰するためだったり鬼女に厄を押し付けたことで村が繁栄したとかいう理由付けはされてたけど……なーんか違和感あるっていうか余計な一捻りがされてるっていうか……そのへん元にすれば……」
頬が緩みかける、よりによってそこに目をつけるのか、と。
「厄が消えたのは鬼女が死んだおかげ、その後に蛇神が村に繁栄をもたらしたとかの方が単純でわかりやすいし……これが擬獣化的なものだとしたら鬼女はひとばし……」
一人で考え込み始めたその顔を見詰めていたら、視線に気付いた彼女と目が合った。
「この辺でやめておこう。確かあなたの家って蛇神の末裔ってことになってるんだろう? そういう人の前で邪推するのは流石に失礼だ。というわけでこの話はおしまい。ネタとして使うのもやめとく」
「は? 使いなさいよ」
思わずドスの効いた声で言っていた。
「ええ……けど私が今思いついたの、あなたにはあんまり気分のいい話じゃ」
「別に。気分悪くしたりしないわ。こんな村好き勝手に書いていいわよ」
「ひょっとして、この村のこと嫌い?」
「ええ、大嫌いよ。昔、外からきた人がこの村のことを典型的な因習村だって言ってたし」
そう言って姉を連れ出そうとした男はタコ殴りにされて畑の肥やしに、姉は孕み袋にされて死んだ。
それを見殺しにした僕は今も罰せられることなく生きている。
「ふーん、あるんだ、因習」
「あるわよ。色々と。ふふ、一つ面白い話をしてあげる。わたしが蛇神の末裔であるように、実は鬼女の末裔もいるの」
「おっと?」
「ねえ、どうして鬼女の末裔なんてものが存在していると思う? ソレが今どんな扱いを受けているか、アンタなら『邪推』できるんじゃないのかしら?」
笑いながらそう言うと、彼女はそこで初めて焦りのようなものを見せた。
このまま全てをぶちまけてもいいけれど、今はそうするべきではないと思った。
今はまだ、早い。
「嘘。いないわよ、鬼女の末裔なんて」
肩をすくめてそう言ってやると、彼女はあからさまにホッとした。
「冗談でもそういう話するなよ……やばい話聞かされたと思った」
「ふふ。悪かったわね、怖がらせて。でもこういうのってお話のネタになりそうじゃない?」
にこりと笑うと、彼女は小さく溜息をついた。
「それで、好き勝手書いていいとかいうけど、どういう話がお望みなわけ?」
「そうねえ、ホラーとか? 死人はいくらでも出していいわよ、悪人まみれだもの、この村。むしろバンバン殺してちょうだい、その方が気が晴れる」
「んー、じゃあ突如封印が解かれた鬼女の怨霊が村人惨殺、とか?」
「それも面白そうだけど、怨霊とかじゃなくて」
「あー、サイコホラーの方がお好み? お化けじゃなくて人が怖い系」
「そうね、そっち系の方がいいわ。あと主人公は外からきた人間にして。都会からやってきた普通の女の子とか」
「えー、まあいいか……ちょいまち、メモする」
そう言いながら彼女はパソコンを自分の前に戻して、手早くキーボードを叩く。
「短編だからわかりやすく、かつすぐ終わる話で……主人公がうっかり村の因習、秘密……例えばさっきの鬼女の末裔云々を知ってしまって、なんとか村から逃げ出す系とか?」
呟きながら彼女は一切手を止めない、カタカタとキーボードを叩く音が少しだけ耳障りだった。
「それは嫌。逃げるのは許さない。悪者には手酷い罰を。その方が面白いし気分がいいから」
ついでに僕がモデルの登場人物を出してくれるのなら、一番酷い方法で殺してくれと言いそうになったけど、それは我慢しておいた。
「えー、そういう方向性? 短編で、かつ私の技量だと……というか長編でも無理だな」
「なんで?」
「一般人が村一つを相手取れるようなギミックが思いつかない……だから都会からやってきた女の子を主人公にするなら私はバッドエンドしか書けなそうだ。可哀想な女の子は何一つできずに村人達にボッコボコにされて死にました、になる。どうせ短編だし、そういう方向性で書くのもあり」
「なしよ、なし!!」
「ダメ? じゃあやっぱり主人公が普通の女の子っていうのは無しで……あ」
何か思いついたのか、彼女は両手をポンと叩いた。
一瞬だけその目に生気が宿る、濁っていた目に小さな光が灯って、その瞬間だけ彼女のことを――
けれどそれは本当に一瞬だけ、即座にその瞳は濁ってしまった。
「うん。解決した。主人公を爆弾魔にしよう。最終的に村ごと爆弾で吹っ飛ばして終わり」
真顔でとんでもないことを言い始めた。
「大勢を一人で相手取るならチートな奴を主役にするしかない。そうすると異世界の大魔王とか爆弾魔とかやばそうなやつの方がわかりやすいし書きやすい」
「ええ……」
「それで、主人公はどこかに爆弾仕掛けて数百人単位で殺した凶悪殺人犯。指名手配されてるから辺境の地である因習村に逃げ込んできたんだ。爆弾魔になった動機は最愛の誰かを奪った者達への復讐。村を吹っ飛ばした理由は……村で酷い目にあってる鬼女の末裔とかがその最愛に似ていたからとかにすれば……うん、こんな感じの話なら書けそうだけど、どうだろうか?」
「……別にいいんじゃないの?」
個人的には納得していないけど、お話としてなら普通に成立しそうだと思ったので否定はしなかった。
「ならよかった。そうだな、それじゃあタイトルは」
少しだけ彼女は考え込み、そして数秒後に口を開いた。





