1-19 退魔de子育て!〜凡人師匠と天才弟子〜
久しぶりに会った師匠から、天才と称される幼子・ジンを預かることになった三流退魔師・沙織。
初めのうちこそほのぼの退魔ライフを満喫するも、やがてその才能に嫉妬を感じ始める。
そんな中、自分の力が強くなるにつれ、魔の出現率が跳ね上がっていくことに気づいたジンは、自分さえ消えれば沙織に平穏が訪れると感じ、出ていってしまう。
必死に探し回る沙織だが、探している間、なぜこんなに必死に探さないといけないのか、と思い始めてしまう。
その負の感情が肥大化し、沙織の中から魔が生まれてしまう。それは沙織には目もくれずに飛び去った。
魔は、それが生まれた元となる存在、ジンを求めているのだった。
ジンを大切に想うと共に疎ましくも感じてしまう沙織の葛藤。
それはやがて彼女の母性によって覆われ、退魔力となって覚醒していく。
「沙織、お前さん、弟子を取る気はねえか」
「は?」
南国の底抜けに青く澄んだ空の下、沙織と呼ばれた女性はきょとんとしていた。
敬愛する師匠にいきなり呼ばれ、日本を出て、飛行機ではるばる6時間。ギラギラと太陽が照りつける、トロピカルな国に降り立った彼女は、その足で師匠の元を訪ねたら、出会っていきなり弟子を取れと、そう言われたのだ。
数年ぶりに会ってすぐにこの展開となれば、それはまぁお口ポカンだろう。
沙織は、歳のころなら20歳くらいだろうか。女性としては背が高く、ヘソ出しのタンクトップにホットパンツという南国スタイルがよく似合う。
頭頂部近くで結んだポニーテールは、それでも彼女の肩甲骨辺りにまで届いていた。
一方、師匠と呼ばれた男は、顔立ちからすれば、恐らく50歳に近いくらいの歳だろう。だがその肉体は、アロハシャツを内側からパンパンに押し上げており、老練の戦士といった風で、穏やかな笑みを浮かべている。
「いやな、そろそろいい頃合いじゃねえかと思ってよ」
「お言葉ですが師匠」
「うん?」
「プロになってもう7年経つのに、未だ底辺の三級退魔師のあたしに弟子ですか? 相手が可哀想すぎるでしょう」
「あ、お前さんまだ三級なのか。……そうか」
「ダメ弟子でわるぅございましたね」
「ああ、いや、むしろ好都合だ。いいから取り敢えず、会うだけあってくれ。もうここに呼んである」
「え、いや、あの、人の話聞いてる? ねえ?」
困り果てる沙織だったが、師匠の座る籐の椅子の陰からひょい、と現れた人物を見て、絶句してしまった。
若い。いや、幼い。
どう見ても小学校にすら上がっていない。
この国の生まれなのだろう、少し浅黒い肌に華奢な身体。少しだけ茶色がかった黒髪は、ふわりくるりとウェーブがかかっている。
「かっ」
――可愛い!
沙織は必死でその言葉を呑み込んだ。
言ったが最後、師匠のペースに持ち込まれ、あっという間に弟子を取らされるハメになるのが目に見えているからである。
沙織は必死に心を平静にしながら、絞り出すように師匠に言った。
「し、師匠」
「うん?」
「……うちは、ほいくえんじゃ、ありません」
「大丈夫か、なんか辿々しいぞ」
「大丈夫ですっ!」
「ま、無理もねえか。……あのな沙織。この子は、天才だ」
「……?」
「退魔師としてお前が教えてやれることはほぼない」
「腹立つなぁ! だったらあたしんとこに寄越す必要ないでしょう!」
三級だろうとプロはプロ。そのプライドにいきなり石をぶつけてくるような師匠の物言いに、沙織がブチギレるのも無理はないだろう。
そんな彼女に向かって、師匠はまぁ聞け、とばかりに手で抑える仕草をした。
「まぁ聞け」
「ジェスチャーだけでいいんですよ」
「天才なんだよ。……所謂、“存在するだけで命が危ないレベルの”な」
「な……」
沙織は思わず絶句した。
こんな、下手すると物心すらついていないような子供が……。
「だ、だったら尚更あたしんとこなんかに」
「この国では、だ。日本なら隠すところはいくらでもある。それに、この子に退魔術を教えて欲しいって訳じゃない」
師匠は、いつの間にか真剣な表情で沙織を見つめていた。
「こいつに教えて欲しいのは、人間だ」
「……はい?」
人間を教える。
沙織には、師匠の言葉が理解出来なかった。
「この子、名前はジンって言うんだがな。こいつは生まれてこのかた、まともに人間と接したことがない」
「いや、だって今こうやって」
「俺が引き取るまで、この子はずっと、檻に入れられていたんだ。――護符まみれの、な」
「え……」
「生まれてすぐ、こいつはその力を以って、人が最初に蝕まれる魔族、病魔を退けた。泣くより先に退魔力を放出してたんだ」
「そんな、じゃあお母さんは……」
黙って首を横に振る師匠に、沙織は何も言うことができない。
退魔の血を持った人間は、その体内に退魔力と呼ばれる力を有している。
普段はその人間の理性によって表に出ることがない力だが、生まれたての赤ん坊がそんな理性を有しているわけがない。
母親の体内では彼女によって表に出なかったそれが、生まれた瞬間に暴走した。
無意識にジンの膨大な退魔力を抑え込んでいた母親は力尽き、暴走した力は、次々に魔族を惹き寄せる。
結果、護符で彼の退魔力を外に出さないようにした檻に閉じ込められていた、そういう話だった。
「退魔力は魔族を封じるのに必要……だけど、魔族に向けて放たれていないそれは、逆に魔族を惹き寄せる」
「そういうことだ。ただ、それでは人としてあまりにも酷だと思ったんでな、俺がジンに封印を施した上で連れ出したと、そういうわけだ」
「じゃあ、師匠から離したらそのうちまた封印が解けてしまうんじゃ……」
封印には退魔力が必要となる。それは少しずつ消費されるので、術を施した人間が定期的に力を注がなければ、自然となくなってしまう。
だが師匠は、沙織に向かってにぃ、と笑って言った。
「封印の力が弱まるのは一年後。それまでには俺も日本に戻るつもりだ。それにな、沙織」
「は、はい……」
「それまでにお前が、ジンに人間を教えてやってほしいんだ。人との付き合い方、自分の保ち方。そういう、これまでにジンが手に入れられなかった人間の部分、つまり理性を育み、封印を必要としない一人の人間に育ててやってほしい」
「一人の……人間に……」
「おう。これを頼むのに、お前以上の適任者はいねえと俺は思ってる」
「師匠……!」
「しょぼい退魔力を努力と気合いでカバーし、三級とはいえプロ試験に合格したそのど根性。誰にとがめられるでもない気楽な独り身。なんだかんだ言って面倒見のいい姉御肌。相手が少年だとやたら発揮される母性。他には……」
「もういいですっ! 信頼されてるってちょっと感動したあたしの純情を返してくださいよっ!!」
捉え方によってはほぼ悪口のような褒め言葉の羅列に、沙織は思い切り突っ込む。師匠はそれをさらりとかわし、まぁまぁと手のひらをヒラヒラと上下に振ってみせた。
「まぁまぁ」
「だーから! ジェスチャーだけでいいんですっ!」
「いや、でも人間として信頼してるってのは本当だぜ?」
「う……」
「それに、お前にもメリットがある。……ジンは今6歳だが、既にプロの退魔師としてのスキルを持っている」
「え……!」
「年齢と、さっきも言ったように理性の部分でまだ免許は取れねえがな。この子を沙織、お前の弟子兼助手として置いてやれ」
「助手……」
「話が長くなったな。……ま、うまくやってくれ」
師匠がジンの両肩に手を置き、沙織の前にずいっと押し出す。
「よぉしジン。今日からこのお姉ちゃんがお前の師匠だ。いいな?」
「あい!」
「くっ……かわいいずるい……っ!」
「おっ、おねまいちまちゅ! ちぢょー!」
「え、ち、痴女?」
「まぁ、そんな格好してりゃあなあ。しかもお前さん、日本でもその調子なんだろ?」
「しょ、しょうがないでしょう、肌出してないと魔の感知も出来ないんだから! ショボ退魔力の三級退魔師だもん!」
急に大きな声を出す沙織に、ジンはビクッと怯えた風に肩をすくめた。
「ご、ごめちゃ……」
「あ、ち、違うのよ? ごめんね、怖がらなくていいのよー?」
「んー、そうだな、ジン。お姉ちゃんのことは“先生”って呼ぶといい」
「あい! おねまいちまちゅ! てんてー!」
「ぐぅっ! や、やばいわ、早く慣れないと可愛いが過ぎる……」
「可愛いだろー。まぁ、そういう意味でもこの国にいるのは色々やばくてな」
「……なるほど」
「こいつには母親代わりが必要だ。済まねえが、頼まれちゃくれねえか」
「……分かりましたよ」
沙織は諦めた風に小さくため息をつくと、目線がジンと同じになるようにしゃがんだ。
怯えさせないように慎重な動きで手を彼の頭に置き、ゆっくりとなでる。するとジンは、少しくすぐったそうな顔で彼女の手を受け入れていた。
「よろしくね、ジン」
「よろちくおねましゅ!」
「ぐはっ……やばい、この子天然攻撃力が高すぎる……っ」
キラッキラの瞳で自分を見上げてくるジンに、沙織はもはや、タコの如く骨抜きである。
そんな様子をニヤニヤと見ていた師匠だったが、アロハの胸ポケットから紐状のものを2つ取り出し、沙織に手渡した。
「沙織、これをお前とジンの左手首につけておけ。赤がジン、青がお前だ」
「え、なんですかこれ……ミサンガ?」
「そうだ。それには俺の退魔力を封じてある。沙織の方はモバイルバッテリーみたいなもんだ。セットで近くにいることで、封じる力が強くなる。退魔力は寝てる間にお前さんから吸い上げるから大丈夫だ」
「あたしのなけなしの退魔力を……って師匠、これもしかして自作ですか?」
「え? おう、そうだが」
沙織が師匠の腕をしげしげと見つける。太い筋肉がパンパンに詰まり、手のひらも分厚く、指も太い。
この指で器用に編み上げたのかと思うと、その光景の微笑ましさに彼女の頬が緩んだ。
「なんか可愛いっすね、師匠」
「この野郎、親子ほども離れた師匠を揶揄うんじゃねえ。明後日の飛行機を取ってあるからな、それまで二人でのんびり、仲良くなっておくといい」
「わかりました。じゃあ行こっかジン」
「あい!」
びしっと右手をまっすぐ上げて返事をするジン。
沙織はそれを笑顔で見ながら、
――あれ、これもしかして子育てってことじゃないの?
と、今更な不安に駆られているのだった。