1-01 私、言うとおりにはなりませんっ!〜じゃじゃ馬令嬢の手綱捌き〜
公爵令嬢サザ・アルドノアは馬の目利き、調教師の選定から馬具を手作りするまでの馬好きである。
そんな彼女に王太子との婚約話が持ちあがるが、窮屈な王宮に閉じこめられるのは真平御免と、その兄でワケアリで気難しいと有名な王子・オーギュストに恋をしていると嘘を言って、彼との婚約を望んだ。
そんな彼女の願いに国王は隣国から門外不出の名馬を百頭連れてくることができれば、叶えてくれるという。
オーギュストの留学先でもあることから、事情に詳しいと思いだしたザザは道中、エルミエル伯領に立ち寄り、渋る彼を連れだす。
徐々に打ち解けていき、オーギュストに対して本当の恋に落ちていたザザだが、婚約したときに言った〝一目惚れ〟というのが嘘だとバレてしまう。
はたして無事に名馬を連れて帰り、オーギュストとの婚約を勝ち取ることができるのか!?
そして、オーギュストに本当の気持ちを伝えられるのか!?
何頭もの馬の鳴き声と、颯爽と走り抜けていく音、そして自分が賭けた馬に対しての声援、ほかの馬への野次を聞きながら、私は困っていた。
「どうしたものかしら。今からだというのに」
そうボヤクも、金栗毛の牝馬自身は何食わぬ顔で草を食んでいる。
「今日のために金獅子号の装具を取っ替えたのは賞レースの折り返し地点だったから、仕方なくケチった私が悪いけど……やっぱりビドバ産の鉄じゃないと全然強度が足りないわ」
割れた金具ーー金獅子号の鎧を見ながら、考えるが、どうしようもないと諦めかけていた。
出走までもう少ししか時間しかない。今から家の厩舎に置いてある予備のものを持ってくることもできない。
「本当に諦める?」
エルランド王国最高峰のレースにして、今季最終のレース、〝薔薇賞〟。
このレース次第で、年間獲得ランキングが確定する。
現在、この馬が僅差で一位だが、今日、二位の馬の調子がいい。今日は同じ出走じゃなかったのが幸いだが、それでもあの馬が勝って、こちらが棄権というのではすごく悔しい。
「去年も同じ状況で負けてしまったから、今年こそはと思ったけど、金獅子号の安全を考えるべきよ」
「《じゃじゃ馬》の名が廃るな」
「へっ?」
突然呼びかけられた声に、驚いて後ろを向くと、闇夜のような黒髪を持つ少年がいた。
「欲しいのはこれか?」
あまりに有名だから名乗られなくてもわかる。彼は自分と同じく馬好きで、所有する馬が〝薔薇賞〟に出ていてそして……ーー
でも、彼がなんで自分の欲しいものを持っているのかが、わからなかった。
「さっき見えたんだ。君が」
「ザザ様、まもなく始まりますが、ご準備は大丈夫ですか?」
少年に被せるように係員に声をかけられてしまい、騎手に馬を渡す時間が迫っていたと気づいた。ひったくるように少年から鎧を受けとって、素早く装着する。
無事に馬を騎手に渡し終え、もう一回、ありがとうと感謝しようと思ったのだけれども、すでに彼はいなかった。
この借りをいつ返そうかと思ったけれど、こちらから彼に連絡をする手段はないのもわかっている。
「ええ、いつか、この借りはかならず返しますわ」
一人呟いた言葉は、白い息とともに寒空に消えていった。
―*―*―*―*―
コッテコテの装飾が施された父親の書斎は、相変わらず趣味が悪い。
そんなことよりも、普段は放置一択の父親に呼びだされたから、なにか馬関連でお咎めがくるのだろうと思っていたのだけれど、そうでもないらしい。むしろ機嫌が良さそうだ。
「お前の婚約が決まった」
白髪混じりの父親の口から最初にそう聞こえてきた言葉に、ようやくですかと思わず口をついて出た。ジロリと睨まれたが、仕方のないことだと肩をすくめる。
アルドノア公爵家程度の家格ならば、身内から見ても十三歳の成人とともに婚約が決まるほどの家柄だと自負できる。しかし、それがなかったのは、自分が馬好きすぎて引き取り手がいなかったと自覚している。
「へぇ、どなたですの?」
「ジルベール王太子殿下だ。お前がほかの令嬢たちの模範になっていることを聞いて、直々にご指名くださったのだ」
興味本位で婚約者の名前を尋ねたのだが、告げられた名前に固まざるを得なかった。
自分の婚約者として、名前があがりそうな同年代の男性ではある。が、なぜまた急にとも思ってしまったのだ。
「ジルベール王太子とは同い年ですし、何度も候補として挙がっていましたわね。しかし、なぜ今ごろ?」
〝ナニ〟が働いたのか。
しかし、内務卿である父親でさえも知らずに決められていたことのようで、知らんとそっぽを向かれてしまった。
「疲れたわぁ」
自室に戻ったあと、ドレスを脱がないままベッドにダイブした。
気持ちいい。
公爵令嬢としてはあるまじき行為だと自覚しているが、バレなきゃセーフだとも思っている。
「お嬢様、この度はご婚約おめでとうございます」
「私にとっては最大の不幸だわ」
一足遅く部屋に入ってきた侍女のマリーが、手際良くドレスを脱がしていく。
「ジルベール殿下は私が馬好きなのも知ってるのに、なんで私を?」
下着姿で金色の巻き髪を手で梳きながら、ふとそんな疑問を口にしたが、でも、絶対、揺るいではダメと気を強く持つ。
「……殿下の母君は大の馬嫌い。たしか懇意にされていたお祖母様を馬車での事故で亡くされている。だから、絶対に馬なんて見たくないはず」
王国には騎士団直属の騎馬隊はあるが、王妃とはほとんど関わりがない。
けれども、馬好きの自分が王宮に馬を持ちこんだらどうなるか。絶対に嫁姑戦争が起きる。
それを防ぐためにも、彼に嫁ぐことは拒否しなければいけない。
「お嬢様が馬から離れればよろしいのでは」
「お断りよ。死んでしまうわ」
マリーにツッコまれたが、そんな選択なんてない。
父親にも『王太子妃として恥じることのないように』と釘を刺されていたけれど、この生活を変えるつもりはない。
「そうか。その手があったか」
マリーが部屋から出ていったあと、いろいろ考えていた私はあることを思いつく。それは秘策……というほどでもないが、この話をなかったことにできる唯一の作戦とも気づいた。
「小細工が必要かしら? いいえ、必要ないわね」
彼とは一度会ったことがある。
たった一度の邂逅、それだけで〝運命的な出会い〟には十分すきる演出だ。
おそらく当日、そこにはいない彼に申し訳ないと思いつつ、それを実行させてもらうことにした。
それから十日後。
重臣たちが揃った王宮の大広間に、父親とともに呼びだされていた。
「ザザ・アルドノア公爵令嬢、貴女を我が妻に迎えたい」
国王が座っている玉座の前で、そう高らかに宣言したのは、白銀の王子様と名高いジルベール殿下。銀色のサラサラとした髪が北方の名馬のようだと思いながら、お断りしますと即答した。
普通なら、こんな正式の場で断るバカはいない。
異例の事態に部屋の中はざわめき、父親には胸ぐらを掴まれそうになったが、ジルベール殿下が間に入ってくれたおかげで、事なきを得た。
「それはなぜかな?」
「私にはお慕いしている方がいるからです」
それが私に出せた、たった一つの近道。
ほかの男については知らないが、ジルベールならば、激昂しないだろうと踏んでいた。
「ザザ!」
再びクロードに掴まれそうになったが、今度はべつの人物が割りこんできた。
「いや、面白いじゃないか」
「どういう意味ですか、陛下」
「《アルドノアのじゃじゃ馬娘》が望む男を聞いてみたい」
口元は笑っている国王の瞳は真剣だ。
私が変なことを言えば、この交渉はすぐに終わる。気持ちを引き締めて、言葉を選ばなければならない。
重臣たちという聴衆を前に、私は背筋をすっと伸ばした。
そのあだ名は私が公爵家の娘でありながら、私が一人の実業家である、という証拠だから。その期待に応えなければならない。
「おそれながら、オーギュスト閣下をお慕いしております」
そう言うと再び場内が騒ついたのがわかったが、想定内だ。父も言いたいことはいっぱいあるだろうけれど、王太子の側近たちに抑えられていて、身動きはできない。
「儂に毒を持った女の息子、か」
「ええ、私にはちょうどいいでしょう?」
低く唸るような声を出した男は十八年前、生死の境を彷徨った。
それは廃王妃エリザベスによって毒を盛られたからで、その後、彼女は廃されただけではなく、彼女の血が繋がるものすべて、そう、彼女の息子であり、フランシス国王の長子、オーギュスト王太子も廃され、庶子に落とされた。
そんな彼に嫁ぐメリットなんていうものは、アルドノア家にはない。
「オーギュストとそなたは接点があったか?」
「しっかりとした会話を交わしたことはございません。しかし、昨年の〝薔薇賞〟での手綱捌きは最高でごさいましたわ。それにそのときに鎧をお貸しいただけなければ、年間競走馬ランキングで優勝することもできませんでしたし」
「そんな縁があったのか。なるほど、さすがは馬好きであるだけのことはある」
流石に本心を正々堂々言うわけにはいかない。
もちろん嘘は言っていないが。
「陛下!」
「いや、もちろんタダでとは言わない。そうだな……隣国サカンドラの名馬、心鉄を一頭……いや、十頭連れて帰ってくれば、その願いを叶えよう」
国王が言った条件に、おもわずチッと舌打ちしてしまう。
名馬、心鉄。
隣国サカンドラの南端、異教徒たちが治める土地と隣接しているシャラガという地域でしか飼育されていない馬だ。一日に千里走ると言われており、この馬を揃えたサカンドラの騎馬隊は〝無敵騎馬隊〟と呼ばれている。
それゆえに個人がこの名馬を購入するのはなかなかに難しく、国内の公爵でさえも何頭か購入するために三代以上かかったと、聞いたことがある。
唇をグッと噛む様子を見た父は、勝ち誇った顔をするが、私は自分が調教するのも好きだが、公営競馬に賭けることも得意だ。
一蹴されていないだけ、こちらに勝算は残っている。
「勝負を諦めるか?」
「いいえ、やってみせますとも!」
そう高らかに言えば、場内がまた騒ついたが、今度は違った雰囲気だった。