1-17 酎ハイとボンネット
田舎から上京し、私立大学へ進学した一子はロリータ服で身を着飾るロリータ娘。その一方で「マカロンよりもカツ丼が好き」と、がっつり系の料理を好むという秘密を抱えていた。
服装が原因なのか、大学生活は友達ができず難航中。ひとりぼっちで講義に参加していると、隣の席で堂々と飲酒している学生を見つけてしまう。その学生の服装はいわゆる「地雷系」で、彼女もまた大学で孤立気味のようだった。
講義後、一子が昼食にとある定食屋へ向かうと、なんとその地雷系女子と相席する。
会話をするにつれ、「かわいいものが好き」「がっつりした料理が好き」という共通点があることが発覚する。無事意気投合し友達ゲットかと思いきや、お互いの服装を「かわいい」とは思えず敵対。なのに、共に日常を送ることになってしまい……!?
別々の「かわいい」を持つ曲者女子たちが送る、がっつり飯探求の物語。
断言しよう。人間はみなかわいいものが好きだ。
そこに性差や社会的格差は存在しない、「かわいい」の下の平等である。かわいいは、無敵だ。
❤︎
講義室が薄暗いのは、スクリーンがスライドの資料を映しているからだ。さすが名のある都内の私立大学といったところか、部屋は驚くほどに広く大勢の学生が着席している。入学して約ひと月が経つが、田舎者の一子は未だこの空間に慣れない。
講師がマイク越しに法の何たるかを説く。しかし、一子の耳にはちっとも入ってこなかった。
――……隣の人、ストゼロ飲んでるんですけど。
講義中……というか、学内の飲酒って良かったんだっけ? 一子は思考を巡らすが、注意する気力は湧かなかった。というのも、お酒が飲めるなら隣の人は先輩に違いないからだ。
それにしても、朝から飲酒しているだけならまだしも隣の人の服装はとんでもないものだった。ピンク色のフリル付きブラウスに真っ黒なスカート。髪は黒色のハーフツインで、メイクは赤いアイシャドウで泣きはらしたような仕上がりにしてあった。いわゆる「地雷系女子」だ。昨今はこういう格好の女子が増えてきた気がする。
対する一子の服装は、地雷系よりずっと歴史のある美しいスタイル。ツインテールはドリルのように巻いて、ワンピースはフリルをたっぷりと使っている。繊細なレースのタイツに、ころんとしたパンプスはまさに造形美。被っている帽子はボンネットといって、ロリータ好きにはたまらない逸品だ。これぞ、究極のかわいさ。
そう、一子はロリータ娘である。物心ついた頃からロリータ服を着ており、一子にとってはこの服装が普段着だ。
ただ、こんな格好をしているからなのか、田舎者だからなのか、それともその両方か。未だ友達は一人も出来ずにいる。だが、ここで折れて「仮装」してしまったら、ロリータは恥ずかしいものと認めてしまうことになる。それだけは嫌だった。
「では、隣近所の人とディスカッションしてください」
講師の声に一子はぎょっとした。ディスカッション? 誰と? ボンネットを邪魔と思われないように、一番後ろの席を選んでいた。だがこのあたりの席は人気がないようで、近所の人なんてろくにいない。一番近くにいるのは……。
「あの、ディスカッションしないんすか」
ストゼロ女!
ロリータは優雅に紅茶を飲みながらアフタヌーンティーを嗜むもの。酔っ払いに絡まれるのはごめんだ。
なんて抗議を一子が出来るはずもなく。
「し、します。……よろしくお願いします」
「小栗乃々です。経済学部二年」
「名倉一子。文学部一年、です」
ストゼロ女、もとい乃々は意外にも礼儀正しかった。相当お酒に強いのだろうか。
「先輩は何か意見とかありますか? えっと、『資料の例は違憲か合憲か』でしたっけ」
「……さあ」
そう言って乃々は酎ハイの飲み口にピンクのストローを差し、ちゅーっと飲んだ。加えて、スマートフォンでSNSパトロールをし始めてしまった。
こいつはなんで話しかけてきたんだ。
みんなが議論を交わしているなか、会話の進まないグループに属していたら。その気まずさといったらご想像の通りだ。たった五分のディスカッションタイムが、びっくりするほど長く感じられた。
もう二度と、こいつの隣に座るもんか。
講義が終わり、お昼の時間になった。お昼後も講義はあるが、一子は学食へはいかない。大学を出てとある飲食店に向かった。
大学から百メートル弱離れた先にあるその店は、入学したてのときから目をつけていた定食屋。先程のディスカッションの憂さ晴らしに冒険をしてみようという算段だ。
古い引き戸を開けると、醤油やにんにくの濃い香りが一子を襲う。店内も現代っぽくなく、地味な木のテーブルに椅子、壁には昔のアイドルのポスターやおすすめメニューがべたべたと貼ってある。ここだけ昭和で時が止まっているかのようだ。
にもかかわらず、サラリーマンに混じって若い女性もちらほらといて、店内はすでに満席が近かった。一つ前に並んでいた男性は店主のおじさんに相席を命じられたほどだ。
なぜこんな店にやって来たのかというと、その秘密はこの店のメニューにある。SNSで見つけたのだ、「がっつりしているのに見た目がかわいい料理がある店」だと。
何を隠そうこの名倉一子、実はアフタヌーンティーよりカツ丼やラーメンなどのがっつりした料理が大好きなのだ。
人間が八十年まで生きるとして、一生に摂る食事の回数は約九万回ほどらしい。これを多いと捉えるか少ないと捉えるかは自由だが、回数が限られているのなら好きなものを好きなだけ食べたいというのが一子の信念。ならばこんなお昼時に必要なのはマカロンでもミルクティーでもない、コーラとトランス脂肪酸だ。
そして「がっつりしているのに見た目がかわいい料理がある店」は、「おいしい」上に「かわいい」ときた。これを最強と呼ばずして何と呼ぶ?
その料理は一般的な料理の載った通常メニューとは別に、「kawaiiメニュー」というものに載っている。店主の娘がこの店の先行きを案じて編み出したらしく、材料も分量も通常メニューと大差ないのにただただ見た目がかわいいのだ。カツ丼も、ラーメンも、唐揚げ定食さえも。これが意外と評判らしい。
「すみません、相席でお願いできる?」
厨房から店主が一子に頼んだ。もちろん応じて、一子は二人用席にいる客の方へ向かった。
「相席いいですか? ……って、さっきの!」
「あ、どうも」
メニューを必死に眺めていたその人は、あのストゼロ女。小栗乃々だった。
別の席に移ろうとしたが、ちょうど満席になってしまった。なんてタイミングの悪い。
お昼休みも限られているので、一子は仕方なく座った。地雷系女子とロリータ系女子が向かい合ってメニューを見る様はさぞ異様だろう。
「……kawaiiメニューを頼むの?」
乃々がぽつりと呟いた。
「はい。先輩もですか?」
「うん。かわいいもの、好きだから」
「たぶん結構重たいですよ? 脂っこいのばかりだし」
一子がそう言うと、乃々は目をぎらりと光らせた。
「脂っこいのマジで好き。かわいいのにがっつりってエグいんですけど」
「もしかして、先輩もそのクチですか」
「え、あなたも?」
はい、と一子は頷いた。会話は合わないが、食の好みはどんぴしゃらしい。
「あたしは決めた。この『プリティカツカレー』にする。あとハイボール」
「じゃあ私は、コーラと『チキンちゃん南蛮丼』にします」
注文をして数分、すぐに料理がやってきた。
「わあ……」
二人同時に歓声に似た溜め息を漏らす。
一子のチキン南蛮丼は、白いどんぶりに甘辛だれのかかった鶏肉とタルタルソースがたっぷりとのっかっている。その上に、ピンクペッパーとお花の形のチーズが飾られていた。敷かれた千切りキャベツの下のご飯はガーリックライスだ。
乃々のカツカレーは、なんとルウがピンク色。カツは大きなハート形で、それが五つにカットされていた。
「こ、これは」
「たしかにかわいい」
急いで写真を撮って、二人同時に箸とスプーンをそれぞれ手に取った。
「いただきます」
周りの目など気にせずかきこんで、チキン南蛮丼を堪能した。しっかり揚げられた衣をサクリと破るとじゅわりと鶏肉の旨みが広がる。タルタルソースのまったりさと渾然一体となって、この上ないコクを織り成していった。ガーリックライスは薄切りの揚げにんにくがサクサクと音を立て、一子の箸を止めようとしない。
そしてそれを、コーラで流し込む。
「天国……」
思わず一子が漏らすと、乃々がくすりと笑った。
「天国って。まあ、わかるけど」
乃々の皿はもう残り三分の一ほどしかなかった。ハイボールもすでに空で、おかわりを注文している。
「ところで、えーっと、イチゴさん? 変わった服着てるよね」
乃々が半ば馬鹿にするように、一子のワンピースをじっと見た。なんだと、貴様。一子はたまらず乃々を睨んだ。
「イチゴじゃなくて一子です! 先輩こそ、なんですかその服」
「は? 地雷知らないとかヤバいよお前。あたしの方がかわいいでしょどう見ても」
「どこがですか? どうせテキトーに流行に乗っただけでしょう。私のロリータは、伝統的な美しい服装です!」
「あたしの方が」
「私の方が……!」
それぞれ思いのままに頬張り、ジョッキの中に飲み干した。そして、二人の声が店じゅうに響く。
「かわいいんだから!」
ああ、なんてムカつく。お互い睨み合いながら最後の一口を平らげた。
ぶつぶつと恨み節を唱えながら退店し、そのまま店の前で二人は別れた。一子は午後の講義を受けるべく大学に戻ったが、乃々はその反対方向の道へ消えていった。
講義が終わり、一子はとある場所へ向かう。今度はご飯屋さんではない、学生寮だ。入学してひと月、群馬の自宅から東京まで毎日通うのは意外と大変ということを思い知り、とうとう契約したのだった。今日は入寮の日、ちゃんと生活できるか不安だが、同時にワクワクもした。
「この寮は二人部屋になっています。鍵と資料をどうぞ」
受付の人に貰うものを貰って、鍵に示された番号の部屋まで向かう。もう一人の子と一緒に生活するんだ、シェアハウスなんて楽しそう。そしたら夢の友達ゲットだ。一子はそっと部屋の扉を開けた。
「おじゃましまーす……げ」
「……うわ」
その部屋の中にいたのは、友達とは程遠い存在。
小栗乃々、そいつだった。